姉さんとお姉ちゃん 第1話

70 姉さんとお姉ちゃん ◆Oq2hcdcEh6 sage 2007/09/27(木) 23:05:23 ID:GL0iSCAk
投下します



 今日、姉が死んだ。

 旅行先の警察から電話がかかってきたのだ。
きっと火葬にする金を出せとか、手続きをする金を出せとか、そういう振り込め詐欺に違いないと思ったが、
警察を名乗る男の声の向こうから、泣き叫ぶ姉の友人の声が聞こえた。
そして泣き声で要領を得ない菜穂子さん――姉の友人との会話が、この電話が真実だと教えてくれた。

 実感の無いまま、それどころか半信半疑でさまざまな手続きを済ませた。
自分でも驚くほど冷静だった。胸の奥の方に焦りがあったが、それだけだ。
泣くどころか手が震えることも無かった。
「こちらに来るときには、ご自分で車を運転するのは控えてください」と言われたが、
姉の荷物もあるのだからと思い、免許を取ったばかりだが、車で行った。
普通は運転どころではなくなるのだろうに、普段と変わらず運転できた。その落ち着きが不思議だった。

 旅行先の病院にたどり着き、対面してもなお実感が沸かなかった。
遺体の状態が良くなかったためだろうか。
それを見ても、その傷だらけの体が姉だとは思えなかった。
あの泳ぎの得意な姉さんが、海で死ぬわけが無いと思っていた。
泣きながら俺に謝る菜穂子さんを気遣う余裕すらあった。
「波が」とか「ゴミが」とか、俺に事情を説明する菜穂子さんの言葉を聞きながら、
俺はずっと窓から海を見ていた。

 多分、俺は、海から姉さんが上がってくるのを待っていた。

 検死の結果、誰にも責任の無い事故だと証明され、お骨にして持ち帰ることにした。
「俺よりよほど長生きすると思っていたのにな」
助手席に置いた白い箱は、俺の頭の中でどうしても姉さんと繋がらなかった。
俺の助手席に乗ると、怖いだの、本気で運転してくれだの、騒がしかったのに。
今は時折揺れるだけだ。

 家に帰ってきた俺は、そのまま眠ってしまった。
「ただいま」という言葉に返事があることは普段から少なかったが、これからは少ないどころではない。
暗い部屋に入った途端に気が滅入ってしまったのだ。
翌朝目が覚めても腹は減っていないし何かをする気にもならなかった。
でも悲しくはなかった。
姉が死んだのなら悲しむべきじゃないか、と思うと、なおさら悲しくなくなった。
あの時のせいで悲しみ方が解からなくなってしまったのだろうか。
そしてまた眠る。
 ようやく悲しくなったのはその翌日、姉が死んで二日目の夜のことだ。
本当なら姉が帰ってくるはずだった日。
そろそろ腹が減ったので何か出前でも取ろうとメニューをしまった引き出しを開けると、
一番上に寿司の出前のメニューがあった。

 「おなかいっぱいお寿司食べてくるね。お寿司は無理だけどお土産買ってくるからね」

そう言って出て行った姉さんの笑顔を思い出した途端、涙がこぼれた。
帰ってこなかった。姉さんは帰ってきてくれなかった。
どこかへ行ったまま、いなくなってしまった。
「どうして」
 身も世もなく泣いた。
どうして、どうして、どうして。いくつもの疑問や怒りや後悔が一つに収束した。
どうしてぼくをひとりにしたの。



71 姉さんとお姉ちゃん ◆Oq2hcdcEh6 sage 2007/09/27(木) 23:08:13 ID:GL0iSCAk
 自分の泣き声で、菜穂子さんの泣き声を思い出した。
一番辛いのは多分俺じゃない。菜穂子さんだ。きっと責任を感じているだろう。
そして実際、どうして助けてくれなかったんだという思いもある。
俺は多分そう考えることで自分の悲しみを和らげたかったのだと思う。
だけど菜穂子さんは俺にとっても友人だ。
もし彼女が責任を感じて自殺でもしたら、そう考えると恐ろしくなる。
俺はそちらのことまで悲しまなければならないのか、と。
こんな時でも自分のことを考えている自分がいやになって、涙が止まった。
(でもそうだ、考える事がある・・・)
そう気付いた途端に、現実がのしかかってくる。
姉さんの会社や友人への報告、保険の確認、様々な契約や銀行口座の解約、そして葬式。
山積みだ。
俺はあえて声を出してみた。
「泣いていないでこれからのことを考えなくちゃ」

 失った物にばかり目を向けているとろくなことが無い。
それは父さんが死んだときの我が家を見て知っていた。
母さんは父さんのことを思って悲しんでばかりで、姉さんはその分しっかりしなければならず、
数年後ついに俺も姉さんも精神的に追い詰められてしまった。
だが、母さんがある日失踪してからは、姉さんも俺も生まれ変わった。
新しく家庭を作り直したのだ。失った物たちを忘れて。
それを、今度は俺が一人でやらなければならない。
辛いことだが、そうしなければならない。
そう決めて、俺は泣くのを自分に禁じた。
そのように出来る能力はあの頃からあったのだ。
それの為に、今回も泣き損ねたのかもしれないが、今後のことを考えればそれで良いのかもしれない。

 決意すると行動は早かった。
まずは俺の学校に事情説明をしてしばらく休む事を告げ、
それからやるべきことを思いつくまま箇条書きにし、一つずつ片付けていった。
唯一の親戚である父方の祖母が心配して、その家を出てこっちに来るようにと言ってきたが、断った。
祖母にはずっとお世話になっていたし仲も良いから遠慮することは無いのだが、
将来的にそうする可能性はあるけれど今この家を出たら、姉さんを忘れられなくなる。
そう言うと祖母は悲しそうに「忘れる必要なんて無いと思うけどね」と呟いた。
一日おきにご飯を作りに来てくれたので、食べたいときに好きに食べることが出来て、これは助かった。
自分で作っても良かったが、作るほどの食欲はなかったし、
それに今は、姉さんの味になるのがイヤだったのだ。

 葬式はごく小さなものにした。菜穂子さんに聞いて姉と特に親しかった友人だけを呼んだのだ。
お金の問題もあるし、大勢に気の毒がられるのは耐えがたかった。
お決まりの言葉をかけられることが、どうしても嘘に思えて辛かったのだ。
「負けないで」「前向きに」という言葉が、作り物めいた言葉に思えてしまうのだ。
電話をしたとき担任に言われたその言葉が俺には不快だった。
姉さんの友人たちは、泣きながら、あるいは涙をこらえながら俺を元気付けようとしてくれた。
うれしいとは思わなかったが、不快ではなかった。
 高校生の俺でも、様々な手続きは問題なく出来た。
手間取ると思っていたが、事情を話すと、色々便宜を図ってくれたようだった。
仕事とは言え世の中には親切な人が多いようだ。
一週間ほどで、ほぼ全て片付いた。


72 姉さんとお姉ちゃん ◆Oq2hcdcEh6 sage 2007/09/27(木) 23:10:39 ID:GL0iSCAk
その全て終わった日の夜、俺は自分の家で菜穂子さんと一緒に夕飯を作っていた。
菜穂子さんは姉の中学からの親友でよく家に遊びに来ていたから、俺とも仲が良かったのだ。
 この一週間、本当に世話になった。
何よりありがたかったのは、いつまでも泣いていなかったことだ。
俺が何をしようとしているのかすぐに察知し、少なくとも俺の前では泣かなかった。
姉さんの遺品を片付けているときに、何度も部屋を途中で出て行ったが、
帰ってくるときには何事も無かったかのように振舞っていた。
菜穂子さんに泣かれていたら俺もきっと泣いていただろう。

 今日は祖母が来ていないので、カップ麺でも食べようかと思ったが、菜穂子さんが作ると言い出したのだ。
断る理由も無いから、一緒に買い物をして料理を作ることにした。
それに自分に対する踏み絵の意味もあった。
姉さんと一緒に料理を作ったことを思いだして泣くような事がないかどうか試したかった。
 結論から言うと、俺も菜穂子さんも泣きはしなかった。
だが、俺は意識的に姉さんの好物をメニューから避けた。
今、姉さんの好物だったものを食べたら、これまでの我慢が決壊するだろうから。
姉さんが自分では作れずいつも俺に作らせていた煮物と揚げ物を避け、
さらに寿司を思い出す魚も避けた。
しかしなるべく多くの種類を作った。食べている間は菜穂子さんが帰らないからだ。
結局、やるべきことを終えた後の時間に耐えられるかどうかは未だ自身が無かったのだ。

 食事を始めるとちょうど良く面白い番組がやっていたために、
間が空いて困ることもなかったし、テレビや会話で笑うこともあった。
食べ終わり、後片付けも食後のお茶も終わった頃には午後十時を回っていた。
「ああ、もうこんな時間」
菜穂子さんが気付いて驚いたような声を上げた。
「ほんとだ。じゃあ、そろそろ・・・」
「う、うん」
菜穂子さんが立ち上がる。しかし動かない。
「あ、あのね、コウ君」と俺の名を呼ぶ。
「ん?」
菜穂子さんは背が低い。その菜穂子さんが少しうつむき加減になり、上目遣いに俺を見ている。
「コウ君の考えてること、わかるよ。まなちゃんのことを忘れようって。でしょ?」
「う、うん」
「でも、いいの?そうしたら、コウ君ひとりぼっちじゃない」
「そんなの・・・いや、どっちにしたって独りだよ」
菜穂子さんの言いたいことがわからない。
「そうじゃなくて、お姉ちゃんがいたことも無かったことにして、いいの?」
「・・・」
「まなちゃんのこと、本当に忘れられる?忘れたい?」
「でも、忘れなきゃあ」
菜穂子さんが一歩近づいてくる。
「忘れないと辛いって言うんでしょ?でも、忘れるのだって辛いはずだよ」
「わ、忘れて、一人に慣れれば」
「無理だよ、独りぼっちに慣れるなんて」
俺の目をまっすぐ見すえた菜穂子さんの顔がにじんでいた。
「やめてよ・・・せっかく、俺が」
せっかく悲しくない振りには慣れてきたのに・・・。
「悲しいんでしょ?寂しいんでしょ?」
嗚咽をかみ殺すことが出来ない。のどから声が漏れてしまった。
菜穂子さんが手を伸ばして指で俺の涙をぬぐった。そのまま両手で俺の顔を挟む。
「私が、お姉ちゃんになってあげる」



73 姉さんとお姉ちゃん ◆Oq2hcdcEh6 sage 2007/09/27(木) 23:13:32 ID:GL0iSCAk
「えぇ?」
「そうすれば、まなちゃんのことも忘れなくていいし、寂しくもないよ」
「何を・・・」
「これからは私がお姉ちゃんになってコウ君のそばにいてあげるから」
「そ、そんな事してもらわなくたって」
「だって泣いてるじゃない。お姉ちゃんがいなくて寂しいんでしょ」
「違、俺は」
「ねえコウ君、私の弟になろう?」
「・・・」
「私がお姉ちゃんになって、コウ君と一緒にいてあげる」
「む、無理だよそんなの」
何を言っているんだ?菜穂子さん。
「無理じゃないよ。まなちゃんには負けるけど、コウ君のことならよく知ってるよ。
 それにまなちゃんにも負けないくらいコウ君のこと大事に思ってる」
菜穂子さんの手に引かれて俺の頭が下がり、菜穂子さんの胸に収まった。
「もう悲しまないでいいんだよ、お姉ちゃんはここにいるんだから」
「は、離して」
「だめ、お姉ちゃんから離れないの」
頭が混乱する。
なんでこんな事をされてるんだ?
「ね、コウ君。コウ君は私の弟だよ」
「俺は、独りで」
「違うよ、お姉ちゃんがいるでしょ。菜穂子お姉ちゃんだよ」
あれ?
「菜穂子お姉ちゃんだよ」
姉さんが死んだと電話が来たときの現実感の無さが蘇る。
「お姉ちゃんはここにいるよ」
そうだっけ。
「何も心配しないで、全部忘れて、お姉ちゃんのことだけ考えて」
姉さん・・・お姉ちゃん?
いつの間にか俺と菜穂子さんは床に座り込んでいた。
「お姉ちゃんがずっとコウ君を抱きしめててあげるからね」
頭を撫でてくれる手が気持ちいい。昔姉さんにこうされたことを思い出した。姉さん。
「あれ、でも」
「私がお姉ちゃんだよ」
そうだったかな。
「ねえコウ君。私がお姉ちゃんだから、こうしてるんだよ。そうでなければこんな風にしないでしょ?」
そうなのかな。
「お姉ちゃんが、コウ君から離れるわけないでしょ?そうでしょ?」
ますます強く頭を抱きしめられた。息苦しいが、嫌ではなかった。
「本当にお姉ちゃんなら、コウ君を置いてどこかに行くわけないってわかるでしょ?」
そうだ。
姉さんは帰ってこなかった。
ぼくをひとりにして。
私はお姉ちゃんだから、コウ君を独りにしたりしないよ」
お姉ちゃんだから・・・?
「お姉ちゃんって呼んで?」
「・・・」
「コウ君のそばに居る私がお姉ちゃんだってわかるでしょ?」
そうか・・・。
お姉ちゃんが僕の頭を離して、すぐ近くに顔を寄せた。
「ね、コウ君」
「お、おねえ・・・」

「だめえええええええっ!!」

真上から耳を劈くほどの大声が轟いた。
見上げたそこには、天井、を体の向こう側に透けさせた・・・
「まなちゃんっ!?」
「姉さん・・・」

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最終更新:2007年10月21日 01:46
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