693 名無しさん@ピンキー sage 2008/08/08(金) 19:34:11 ID:8RK0FvR6
「うふふふ、明(あきら)ったら一体全体どこに隠れてるのかしら?」
そんな場違いに楽しそうな声が廊下全体に明朗と響き渡る。少女はややウェーブのかかった長髪を片手で掻き上げる。
「ええ、明、私はかくれんぼも随分と久しぶりで、嫌いではないのでけれど、やっぱりオアズケをされるというのは
やっぱりどうしてか好きではないわ。でもでもしかし貴方とこうして遊ぶのも楽しいものね」
幽鬼の様な蝋燭の炎が揺らぎ、廊下を照らす。長い長い廊下。目を凝らせばどこまでも続く螺旋階段も見えたかもしれない。
外の明かりを入れる為の小さな窓ガラスは贖罪を償うかのような十字架の柵がどれにも施されている。それの一つを弓月(ゆみつき)は目ざとく見つけ笑った。
「あらあらあら、明ったら力任せに開けようとして、出ようとして。何故途中で諦めたのかしら?
それはそれはそれってやっぱりさっきまでここに居たってことよね? うふふふ。ゴールかしら? ゴールなのかしら?」
少女は月明かりに照らされて唇を優しくなぞる。クスクスと笑いながら弓月は月を見上げていった。
「ねえ、明。もう終わりでいいのかしら? それともそれともそれでもまだ続けたい?」
ふわりと振り向き、ある扉の一つ向かって声をかけた。それと同時にがたりと扉の向こうで何かがゆれる音がした。
「な、なんで! どうして!」
「うふふ、それはそれはとっても簡単なことよ? 明。貴方がもっと走ったならば、絨毯はもっと先までずれている筈よ?
しかしどうして残念なのことに絨毯はここでズレが切れているの」
少女はクスクスと笑う。月明かりは次第に雲にかき消され、辺りを照らすのはろうそくの仄かな明かりのみとなった。
弓月は真鍮の鍵を仰々しく炎に照らし、ゆっくりと、じっくりと鍵を開けた。
「うふふふ、さあさあ明。始まりと終わりがやってきたわよ。貴方はあなたはアナタはどうするの?」
「なんで、なんでこうなったんだ……
姉さん」
「明は本当に賢くて可愛いのだわ」
そういって弓月姉さんは僕の背中に手を回してゆっくりと抱きしめた。
やはり僕よりも幾ばくか背が高い為だろうか、姉さんに抱きかかえられる形になる。
「なんだよ、藪から棒に。僕がただアイスを食べてただけじゃないか」
「それを私は可愛いと思うのだけれど。変かしら?」
「うん、変だよ」
「まあまあ、可愛いらしい喋り方」
「だから抱きつかないでって」
僕がこの夕上(ゆうがみ)の家に来てはや三ヶ月になるのだろうか?
流石にこの豪邸にも慣れてきたと思うけれど、どうしてもこの弓月姉さんには慣れない。
姉さんは端的に言えば美人だ。ウェーブがかった栗毛の髪、西洋人のような綺麗な瞳、整った顔立ち。
成績もいいと聞く。学校では鉄仮面といわれるほど厳しいらしいが僕の前では鉄仮面どころかこんにゃく仮面だ。
いつもコロコロフワフワと僕をみて嬉しそうに笑う。僕もそれをみて嬉しくないかといわれれば嘘になるんだけど。
「……どうしたのかしら? あらあら、お姉ちゃんといて考え事とは全然全く穏やかではないのね」
「いやね姉さん、僕がこの家に来る時はあんなに冷たかったのになぁと思ってさ」
「……そんなこともあったかしら。そうね、あえていうならば人は恋をすれば変わるものなのよ」
「なんだよそれ」
「まあまあ、明ったらいけずなんだから」
そういって僕の頭をくんくんと嗅いでクスクスと明朗に笑った。
本当にどうしてここまで変わってしまったのだろうか?
始まりはそう。こんな感じ。
「お父様、私は反対です。いくら分家のもので、両親に不幸があったからといって何故下々の者、それも男をこの家で養うのですか?
いつからここは下男の下宿先になったのでしょうか?」
そういって少女は静かに、それでもきつい目で僕を射抜いた。
「分家分家とお前はいい加減に時代を考えろ。時代錯誤にも程がある。それに彼の父とは身分を超えた間柄だといっただろうが!」
「ですが!」
「お前は頭首の私に逆らうのか?」
「もう……いいです」
「明君、気分は悪かろうが気にしないでやってくれ。男アレルギーな上、誰に似てか融通の利かない性格でな。
まあそれとして、ここは君の家だ。困ったことがあったら何でもいって、好きなことをしてくれたまえ」
そういって熱い歓迎をうけたけれど、やっぱり弓月姉さんは僕を気に入ってなくてその日を境に散々いじめ抜かれた。
それがある日。どういう偶然か、執事もコックも家政婦もいなくて、姉さんが風邪を引いた。
当然、全ての面倒は僕がみなくちゃいけなくて、近寄るなと怒鳴る姉さんの看病も僕がした。
「お願いだから食べてよ姉さん」
694 鬱 sage 2008/08/08(金) 19:35:39 ID:8RK0FvR6
「……煩いわね。一人にしてちょうだいと言ってるのがお前は聞えないのかしら?」
「……僕がいないと水も飲めないくせに」
「なんですって!? この私が下々の者を手を借りないと何もできないですって? 舐めるのもいい加減におし!
また指の骨を折ってほしいのかしら?」
「はいはい、それじゃアーンして」
「アーン……ってなにをさせるのかしら! お前は!」
「ほいっと」
「ふぐっ……もぐもぐ」
「美味しい?」
「ちょっとしょっぱいわ……じゃないのだわ!」
「でもお粥食べないと元気でないと思うよ。まあその調子なら自分で食べることはできそうだね」
そういって僕はあらかじめ持ち込んだ本を読み出す。
「……ねえお前? どうして私にそうしてくれるの? 私を恨んでいるのではなくて?」
「風邪の時ってさ、一人だと辛いだろ。んで今頼れる人って僕だけじゃん。必然だよ必然」
「誤魔化さないでちょうだい。私は知ってるのよ。お前が私の寝ている時に手を握ってることも!
出て行ったと見せかけてずっとこの部屋で私を看病してることも! 私に恩でも着せて何を考えているというの?」
「別に何も考えてないって。確かにいじめられるのは辛いけど、元気のない姉さん見るほうが辛いし、何より家族だろ」
欠伸を隠しながらページを捲ろうと手を動かしたら枕が僕の手から文庫本を掠め取った。
枕が飛んできた方向を見れば姉さんは夕上らしい佇まいで僕を見つめていた。それも不敵な笑みを浮かべて。
「明……汗を拭いてちょうだい」
「んー、別に汗は掻いてないみたいだけど?」
「暫く私はお風呂に入ってなかったのよ? 男として察するべきだわ」
「えっ」
「姉さんの言うことが利けないのかしら?」
「で、でもいろいろそれは不味いって」
「じゃあ私にキスして」
「へ?」
「うふふ、それとも体を拭いてくれるのかしら?」
「うーあーんー……」
この後の転落具合は本当に仰天で舌を巻くような馬鹿らしさだったように思う。
「――明! 明ったら私の話を聞いていて?」
「ごめん、姉さんの耳掻きが凄く気持ちよくてっさ」
「まあまあ、また考え事? 褒めてくれるのはいいのだけど、私の話に文字通り耳を貸してほしいものだわ」
「今は耳掻きに使用中だしねぇ。でなんだって?」
「今日は私と明だけになると言ったのよ」
「へーまたか。僕が風邪を引いてることといい何だか妙だね」
「そうね、私もあの時を思い出して胸が締め付けられる思いだわ」
「姉さんも風邪?」
「無邪気は好きだけれど、たまには鋭くなってほしいというのは望み過ぎなのかしら」
「なんの話し?」
「恋の話よ」
さっぱり意味が分からなかった。
それから姉さんが作ってくれたお粥を食べ、僕は眠れないながらも目を瞑っていると姉さんは僕の手を握ってゆっくりといった。
「明、ちゃんと寝てくれたのかしら? しっかりと寝ないと病気は治らないわ。貴方が元気がないのは、そうね、悲しいわ」
「…………」
「本当に寝ているようね。……あぁ、神様この気持ちが許されるのであれば是非ともお許し下さい」
姉さんは僕の手の甲に口付けをして独白した。
「ああ明。あの日、貴方の本当の優しさに触れて私は貴方に恋をしてしまったわ。それがどんなにいけない事か私は分かってるつもりよ。
それでも私は一塁の望みを捨てきれずにいる。だから私は貴方にしてもらったことを繰り返すのだわ」
……やばい。起き上がるにもどうにも起き上がりにく雰囲気になっているではないか。
起きようかこのまま寝たふりを続けようか考えている間に姉さんは僕に口付けをした。
それは優しく、柔らかく。包み込むように。
眠れる姫の目を覚ますかのように、それでも目を覚ますことを恐怖するように。
「って姉さん何してるんだよ!?」
695 鬱 sage 2008/08/08(金) 19:37:24 ID:8RK0FvR6
「――――!? ……ああ、神様これはどういったつもりなのかしら!」
「……どうにもこうにも」
姉さんは僕にばれたことがショックなのだろうか、天を仰いで目を潤ませている。
と思ったけれどそれはどうも違うらしい。
「"明が私のキスで起きたなら、明と契りを交わせる" それが今叶ったというのね。ええ、一生叶うことのないと思ったこの気持ち。
神が許されるというならば、私はそれをまっとうするわ」
「意味が分からない」
「ああ、明。その黒い髪も耳も鼻も目も口も全てが愛しいわ。そう、私は貴方が愛しいの」
「どういう理屈だよ」
「私が我慢しなくてもいいという話よ」
そういって姉さんはゆっくりと立ち上がった。クスクスと笑いながら。
呆然と僕はそれを見つめる。
「明、好きよ。ええ愛しているわ」
急に姉さんは僕に被りさる。そして自分の舌を無理やりに僕の口へとねじ込む。
「ふぁきふぁふぁきふぁ!」
「―――ふんむっ!」
それを解こうと必死に暴れるけど、両手は姉さんの両手に押さえつけられ動きを止めていた。
姉さんは僕の口を犯し飽きたのか口の中の唾液を啜ってから、ゆっくり離れた。
今のことが現実であることを知らせるかのように姉さんの口と僕の口は一滴の糸が端を作っている。
「ああ、夢のようだわ。起きている明とこうしてキスできるなんて」
「……はぁっ、それ、よ、りどういうつも―――起きている?」
「ええ、お薬で眠ってる間の明にはいろいろ沢山したけれど、やはり人形とするようで少し物悲しいものがあったわ」
「それってどういう――」
「――うふふ、貴方の太もも。内側にほくろが一つあるんだけど知っていたかしら?」
「…………っ!」
「さあさあ、愛を語りましょう?」
「――――っあ!」
馬なりの姉さんを思い切りひっくり返す。そして扉までふらつく足で駆ける。
床に転がってどこか打ったのだろうか、仰向けのまま姉さんは僕に言った。
「あらあら明。貴方はまだ病人なのよ? 寝ていなくては駄目よ」
「ここじゃないどこかで寝るよ」
「うふふ、鬼ごっこね? 明は足が速いから追いかけるのはいつも大変なのよ」
いつも姉さんに捕まっていたことが頭をよぎって身震いした。
クスクスと笑う少女を後に僕は廊下を走った。
赤い絨毯の上をただ只管に明は走った。まるでそれは迷路の様に同じ景色が続く。
電気の人工的な光がそれを増徴させているのかもしれない。
「あれ、電気が消えた? っ! もしかして!」
ふと電気が消えたことで、あることに気づいた明は窓に駆け寄り、力を込めて鍵を開けようと奮闘する。がどうにも動かない。
それは館内のセキュリティがロックされたことを意味していた。
それと同時にどこかの扉の軋むような音が聞える。床を叩くようなゆっくりとした足音。
そして鬼火のようなゆらゆらと揺れる炎が灯された燭台をもってクスクスと笑う少女。
「あぁ明、一体全体どこに隠れたのかしら。 玄関はもう開かないはずよ? 何故ってそれは私がしたのだから」
クスクスと、楽しそうに少女は笑う。どこか傾いでしまった少女はゆっくりと、しかし確かな歩調で明を追いかける。
明は螺旋階段の上がふわりと明るくなるのを感じ、窓を開けるのをは諦めてその近くの部屋に入った。
歩調は止める事を知らず、ただただ同じ単調的な音の調べを紡ぐ。そしてその音楽は明が手にかけた窓の前で止まった。
窓をいとおしそうに指の腹でなぜ、少女は月の光に目を向けた。その鍵穴から覗く弓月の天を仰ぐ姿はどこか神秘的で、
美しく、本当に心のそこから明は見とれた。
巫女のように神々しい少女はゆっくりと明の隠れている扉を見つめて言った。
「ねえ、明。もう終わりでいいのかしら? それともそれともそれでもまだ続けたい?」
「な、なんで! どうして!」
「うふふ、それはそれはとっても簡単なことよ? 明。貴方がもっと走ったならば、絨毯はもっと先までずれている筈よ?
しかしどうして残念なのことに絨毯はここでズレが切れているの」
暗い部屋の隅を後退る。背後は既に壁だとしても。
明は闇が壁を侵食するのを祈るように、螺旋を刻む道を作るように必死に出口を探る。闇は闇で壁は壁だとしても。
しかし破滅の音が扉を開け、破滅の笑い声が幸福を含んで現れた。
「うふふふ、さあさあ明。始まりと終わりがやってきたわよ。貴方はあなたはアナタはどうするの?」
696 鬱 sage 2008/08/08(金) 19:39:01 ID:8RK0FvR6
「なんで、なんでこうなったんだ……姉さん」
「うふふ、愛しているからよ」
そして重々しく古びた扉は閉まり、全てが静寂に包まれた。
最終更新:2008年08月10日 19:54