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記憶の中の貴方へ ◆YVZUFUAt8U 2009/01/19(月) 00:26:06 ID:/vNrhDa7
猛々しい炎が森を赤く染め上げた。時々見る夢は、決まってここから始まる。
ひっくり返った乗用車から吹き出される赤い炎。夜でもなお、まぶしい鮮烈な赤に森は照らし出された。僕には何がなにやら分からない。
車から少し距離を置いたここからでは、目に見えるのは圧倒的な赤だけであった。これがいつもの夢だ。
と、右手を強く握られていることに気づいた。向けた視線の先には「彼女」が立っていた。姿は分からない。なぜなら、彼女の姿は赤の景色に染まらず、影そのものの様に黒で塗りつぶされていた。
真っ黒な「彼女」、でも僕は女性、それも僅かに歳の低い女の子であると分かった。その不自然さに、ここにいたって僕は、ようやくこれがいつもとは違う夢であることに気づく。
気づいても夢の中ではどうにもならない。すると、その影のような「彼女」がクスリと笑ったのが分かった。なぜか分からないけど分かった。
「×うやく死×でく×まし×ね」
他にも何か言っていたが、彼女の声はラジオのように途切れ途切れで、僕には上手く聞き取れなかった。が、夢の中の僕は違ったらしい。その言葉で、身体を震わせ崩れ落ちた。
僕にも流れ込んでくるこの感情は、恐怖と悲しみ、怒り。いろいろな感情がない混ぜになり、その後にはどうしようもないほどの絶望があった。
ふくれあがった強い感情に身体の震えは収まらず、涙があふれた。そんな僕を「彼女」はそっと、ようやく手に入れた宝物のように、後ろから抱きしめた。「彼女」は僕にささやく。その声には僕などでは測れないほどの、あふれ出る喜色が込められていた。
「愛×てい×す。×さん」
僕はわからない。身体が熱くて寒い。燃え上がる炎と抱きしめられた身体は熱を帯びていく。その一方で、心はどうしようもなく冷え切っていく。僕には分からない、何もかもが分からない。
「彼女」は再びクスリと笑うと僕に口づけ、そして…………
「起きろ!バカ広樹!!」
114 記憶の中の貴方へ ◆YVZUFUAt8U 2009/01/19(月) 00:27:07 ID:/vNrhDa7
目を開けるとそこは赤の景色でもなく自室のベッドの上であった。目の前には起こしてくれたのだろう、
姉さんがこちらをにらみ付け、仁王立ちしている。
「おはよう雫(しずく)姉」
とりあえず声をかけたが、ブスッとしたままの雫姉は応えずに
「広樹(ひろき)、うなされていた。またあの夢なのか」
夢については雫姉も知っている。頷くと雫姉は一瞬寂しげな目をした。何でだろう。
「なあ、思い出しそうなのか?」
今度は不安のやや混じった声であった。夢を見た事を知ると、僕に決まって聞くこの言葉に
「……分からない」
と僕はいつものように応えた。
僕の記憶は三年前までしかさかのぼれない。三年前に山奥で起きた交通事故。その影響で記憶がないのだった。一番古い記憶は運び込まれた病院の天井と薬品の匂いで始まっている。
聞いた話では事故現場は見通しの悪いカーブで車は曲がりきれず崖下に転落。僕以外の家族は死んだそうだ。悲惨な事故であったらしい。僕の思い出せない記憶である。
「おい、聞いてるのか?」
ジロリとにらみ付けているのは、雛守(ひなもり)雫。通称雫姉。本当の姉ではない。僕は一人っ子で兄弟はいなかった。なんでも僕とは従姉弟の関係なのだそうだ。
事故で家族を亡くした僕を引き取ってくれた女性で、僕は今、彼女のお屋敷にお世話になっている。今年で18歳になるが、僕と1歳しか変わらないのに、とてもしっかりして出来た女性だ。
それもそのはずで、彼女はこの国の上流社会では名の知られた、雛森家の当主なのであった。彼女も5年前に親を亡くしており、以降歴史ある雛森家の当主を務めている。
平安にまでさかのぼれる、生粋の名家、雛森家。当時13歳だった彼女が世襲することに、当然親族は猛反発したらしい。
が、彼女の大人顔負けの類い希な交渉術は親族を震え上がらせ、反対の声の一切を叩き潰したらしい。
115 記憶の中の貴方へ ◆YVZUFUAt8U 2009/01/19(月) 00:28:12 ID:/vNrhDa7
同席していた後見人の執事長、中杉さん曰く「ご親族の皆様をキッと見据えられました、お嬢様のお顔と、一様にお顔を青く変えましたご親族との対比が傑作でありました。この日ほど、雛守家にお仕え申し上げたことが誇らしかった日はございませぬ。」だそうな。
以前から彼女と親交があったらしい僕が似たような境遇に陥ったことに、彼女は何か感じる物があったのかもしれない。入院してすぐ引き取ることを決めると、退院と同時に、この家に住まわせてくれた。家族のように扱ってくれと言われて以来、僕は「雫姉」と呼んでいる。
と、無反応の僕に、彼女の視線がさらに鋭くなりつつあることに気づいた。あわてて返事を返した。
「ごめん、なんだっけ?」
「やっぱり聞いてなかったか。『無理に思い出す必要はない』と言ったんだ。お前は今を精一杯頑張っている。それで、良いではないか」
雫姉なりに心配していたことが嬉しくて、思わず微笑むと、「うん」と返事した。
「ありがとう雫姉」
雫姉は何故か赤くなると「ばか、朝食が出来た。すぐに来い!」と慌ただしく出て行こうとした。 その背中に僕は夢で気になった事を聞いてみた。
「ねえ、雫姉。僕って一人っ子だよね?」
「どうした急に」
彼女は部屋を出て行こうとしていた足をピタリと止めると、背を向けたまま尋ねた。
「今日見た夢なんだけどね。誰かに抱きしめられていたような気がしたんだ。いつもは車が燃えている景色だけなんだけど……。今日は一緒に誰かいたんだ。
僕って、家族で出かけた帰りに事故にあったんだよね?でも夢では年の近い女の子に抱きしめられていたんだ」
雫姉は背を向けたまま無言だった。だけれど、これまでの不機嫌さとは違う、静かで寒くなる空気が背中から出ていた。僕は居心地の悪さを紛らわせるように
「夢の中の女の子ってさ。――いや、顔とか思い出せなかったけど。何となく女の子って気がしたんだけどね。あんまり親しそうにしていたから、他にも家族がいたのかなっと思って。もしかしたらさ僕の妹とかいた――」
「いない」
冗談めかした言葉に、返ってきた雫姉の声は平坦で、身をすくめるほどの冷たい響きがあった。
「でも――」
「いない!」
普段とは違う、切り捨てるような口調。まだ雫姉は背を向けたままだ。
「夢は正確ではない。時と場合でいくらでも変化する。それが夢だ。
私は以前のお前を知っているが、お前はずっとご両親との3人家族だった。夢の何もかもを信じるな。
ご両親がお亡くなりになり、今お前の家族は私だけだ。それが現実だ。いいか広樹――今の家族は私だけだ」
やはり背を向けたまま。雫姉は話は終わりだとばかりに一度深呼吸すると、
「朝食が出来ている。早く来い」
ドアに手をかけながら言った。驚きを受けたまま、僕は何も言えないでいた。
「それから、」
まだ何かあるのかと僅かに身構えた僕に、彼女はようやくちらりと視線を向けると、いつもの微笑みで
「おはよう、広樹」
と言ったのだった。
最終更新:2009年01月29日 20:39