123 傷 (その10) sage 2009/01/19(月) 07:38:47 ID:NUg0CoQv
「あの、弥生さん、コーヒー飲まないと冷めますよ……?」
携帯を睨みながら、笑ったりしかめっ面をしたり、独りで百面相を続ける弥生に、呆れたように長瀬が声をかける。弥生は、そんな長瀬に済まなさそうな視線をちらりと送ると、うって変わってニヤついた眼差しを、ふたたび手元の携帯に向ける。
「…………」
長瀬透子は、そんな弥生をジト目で睨まずにはいられない。
さっき――正確には、長瀬がドリンクバーから二人分のホットコーヒーを注いで、この部屋に持って来たときには弥生は携帯の画面に夢中だったので、もう二分以上は、彼女は携帯から顔を上げていないことになる。
長瀬は、太い溜め息をつくと、冷めかけたコーヒーを、一口すすった。
駅前のカラオケボックス。
受験勉強のフラストレーションを発散する、という長瀬の誘いに乗って、このカラオケ屋に足を運んだ弥生だが、結局、二人で談笑したり歌ったりしたのは最初の10分だけだった。
携帯に、一通のメールが送られてくるや否や、弥生は長瀬そっちのけで携帯にかじりつき、ひたすら意識をそっちに集中させ始めたからだ。間を持て余した長瀬が、ドリンクバーからコーヒーのお代わりを持ってきても、弥生は心の篭もらぬ一礼を返しただけだった。
「あの……弥生さん、さっきからいったい何をなさってるんですか?」
さすがに長瀬が苛立った声を上げる。
もともと短気と傍若無人で知られた長瀬透子が、ここまで自分の存在をないがしろにされて、それでも声を荒げず、何らアクションを起こさないのは、当の相手が他ならぬ柊木弥生であるからに他ならない。
先程から弥生は、携帯にかじりついてこそいるが、別に忙しくボタンを操作してメールを打っているようでもない。むしろ何かのムービーを見ているかのような気配さえあるのだが、いかに長瀬としても、それ以上は分からない。
「ほんと、ごめんなさいね、とーこ……ちょっと何気に緊急事態だったのよ」
さすがに弥生は、長瀬の不機嫌な声を聞いてまで、携帯にかじりつくような真似はしない。少し、はにかんだような笑顔を浮かべると、ぺろりと舌を出した。
「妹からだったの。知ってるわよね、葉月のことは?」
確かに知っている。
と言うより、この桜ケ丘学園に在籍している全校生徒の中で、柊木葉月の名を知らない者はモグリ学生だと断言できるだろう。初等部入学以来、首席を貫く「完璧超人」柊木弥生の妹にして、姉をさらに凌駕するIQの所有者。
柊木冬馬が、弥生の運動面でのセンスのみを一方的に継いだ弟と言われているのと同様に、もっぱら姉の学業面での優秀さを拡大解釈した妹と言われ、その年齢で、すでに数々の論文を学会に発表し、有名大学や一流企業の研究室にも参加している中学一年生。
神童・天才と呼称される彼女の怜悧な一瞥は、授業中の教師にも多大なプレッシャーを与えるとさえ言われているが、しかし長瀬はこの少女があまり好きではなかった。
生徒会の後輩として、柊木家を訪問した時に一度紹介してもらったことがあるが、そのときの葉月はにこりともせず、機械的に名前だけを名乗って自室に去った。その時に向けられた冷たい視線を、いまでも長瀬は忘れていない。
ただの無愛想ではない。
長瀬はかつて今まで、あんな見下されたような一瞥を向けられた事が無かった。しかも、その相手が弥生以上の知能指数を誇る天才児とあらば、その侮蔑の眼差しが錯覚でないことなど、それこそ一目瞭然だった。
早い話が、葉月に関する第一印象は、長瀬の中では最悪の一言だったのだ。
だが、弥生が意外なほどに葉月という妹を可愛がっているということも知っている長瀬としては、彼女の名を聞いたところで、それほど顔をしかめるわけにも行かない。
「ふふふ……葉月ちゃんが、好きな男の子にこれから勝負をかけるって、メールが来たのよ」
「勝負をかける?」
「ええ」
そこで一度、弥生はいつくしむような視線を携帯に落とし、ウットリと言った。
「あの子、これから“初体験”をするらしいわ」
その言葉に、さすがの長瀬もあんぐりと口を開くしかなかった。
124 傷 (その10) sage 2009/01/19(月) 07:40:34 ID:NUg0CoQv
冬馬の肌を見るのは初めてではない。むしろ日常では、見る機会は決して少なくないと言える。誰にも見せない自分の裸身を、彼は家族にだけは無雑作に晒すからだ。
だが、何度見ても慣れない。
葉月はそう思う。
背中に刻まれた『犬』の文字。
胸に焼き付けられた『ドレイ』の文字。
そして、その二つの文字を彩るように存在する、無数の裂傷、痣、火傷の痕跡。
さらに風呂の湯によって上昇した体温が、普段見えない傷まで浮かび上がらせ、まるでちょっとした耳無し芳一だ。すべての傷がTシャツに隠れる範囲に刻まれているというのもまた、加害者の凄まじい悪意を感じる。
だが、葉月は湯舟に浸かって硬い表情を続ける兄の裸身をを見ても、もはや心を萎えさせる気は無い。
冬馬の告白を聞いたとき、最初彼女は絶望した。
兄が性的不能者だったことに絶望したわけではない。
たとえいかなる理由に基づくものだったにしても、おれには女性を受け入れられないと言い切った兄の心が、言葉で覆せるものではないと知ったからだ。だが、とりあえず無用の挑発を続けるうちに、葉月は考えを変えた。
兄の絶望を己の絶望の理由にしている自分自身に、葉月は強い憤りを覚えたのだ。
だから、彼女は昂然と言い放った。
「証明してやる」と。
性的不能など、人が人を愛せない理由にはならないと証明して見せる、と。
――だから風呂場に行こう、と。
だが、溜め息混じりに冬馬は言った。
「とりあえず先に夕食を取ろう」
そして、その“とりあえず”の間に、葉月はようやく自分の発言の意味に気付き始めた。
たとえ性器の直接的な挿入が不可能であったとしても、互いが互いの肉体を重ね合わせる行為は、歴としたセックスにまぎれもないということに。
人並み外れた学識の所有者といったところで、しょせん彼女は13歳の中学生だ。肉体的にも精神的にも、まだまだ子供に過ぎない。いまから自分たちが行う営みが、“初体験”であると知れば、そこに尻込みを覚えるのは無理もないと言うべきであろう。
だから葉月は、姉にメールを送った。
冬馬が不能であるという事実とともに、その問題に関わる成り行きの果てに、やがて自分が兄と繰り広げるであろう“予定”を知らせたのだ。早く帰ってきてくれという意思を込めて。
どのみち、弥生がこの情報をむざむざ黙殺するとは、葉月には思えなかった。
冬馬に対する“証明作業”にしても、一対一よりは、姉と二人がかりの方が、より効率的であることは改めて言うまでもない。
だが、姉は帰ってこなかった。
“初体験”への重圧と同時に、平行して葉月はもう一つ思索を続けていたが、そのときはその考えが重要だとは思わなかった。そんな推測が正しいとも思わなかったからだ。
だが、
「もう、……やめるか?」
と言った冬馬の瞳に浮かんだ色を見て、葉月は気付いたのだ。
取りとめもないはずの自分の考えが正しかったことに。
冬馬が性的に不能になった現実によって“解放”を覚えていることに。
トラウマに膝を屈することによって、救いを得ていることに
そんな兄を、葉月は認めたくなかった。
そんな兄を、葉月は許せなかった。
その思いが、初体験へのプレッシャーに折れかけていた彼女の心を、ふたたび甦らせるよすがとなった。
しかし、葉月は不思議と兄をバカにする気にはならなかった。
冬馬は、葉月にとって理想的な兄であり、理想的な話し相手であり、そして理想的な男性であった。だから、むしろ自分に初めて弱味を見せた兄に、身が震えるような可愛らしさ――嗜虐的な笑みさえ浮かんだのだ。
それは、妹として兄を見上げる事に慣れた葉月にとって、初めて浮かんだ感情だった。
葉月にはもはや、冬馬に対する恐れはない。
125 傷 (その10) sage 2009/01/19(月) 07:41:54 ID:NUg0CoQv
プラスチックの湯桶に湯を汲み、ざばっとかぶる。
熱い。
今日の風呂の湯を張ったのは冬馬だ。湯張りといっても湯量と湯温を設定してボタンを押すだけだが、彼が設定すると、いつも湯温が熱くなる。ぬるま湯に長湯するのが好きな葉月からすれば、熱すぎる冬馬設定の湯は苦手なのだが、今は文句を言う気にはならない。
この熱めの湯が、自然と葉月に気合を入れてくれるからだ。
ボディシャンプーを手に取り、薄い胸に白い泡を塗りたくると、冬馬を振り返った。
「さあ兄さん、まずは身体を洗いましょうか」
「……そんなソープランドの真似事を、どこで覚えてくるんだ?」
いまだにしかめっ面を崩さぬ彼は、苦々しい声を出したが、葉月はニッコリ笑って受け流した。
「『オンナノコはいつでも耳年増♪』って歌があったの知ってます?」
「それひょっとして……おニャン子クラブか?」
「昨日TVでやってた、なつメロ特番で聞いたんです。兄さんがその曲を知っていたのは意外でしたけど」
「たしか「セーラー服を脱がさないで」……だっけ?」
「昔の歌って露骨ですね。ちょっとセンス的に信じられませんけど」
そう言って微笑する葉月に、苦笑とはいえ、ようやく冬馬も頬を緩めて見せる。
「葉月」
「なんですか?」
「今のお前も、そんな歌を笑えないくらい露骨だって気付いてるか?」
揶揄するように尋ねてくる兄に、一瞬素に戻ってしまう葉月だったが、
「勿論」
と、すぐに家族にしか見せない人懐っこい微笑を浮かべて言った。
――頬が羞恥に染まっていなければ完璧なのに。
そう思いつつ。
だが、そういう不器用さでなければ訴えられないものもある。葉月の無理やりな照れ隠しは、それなりに兄の情緒的な部分を直撃したらしかった。
「……よし!」
そう言って、勢いよく湯舟から立ち上がった彼は、
「うじうじすんのはもうやめだ。やるからには――楽しくやろう」
と破顔して、葉月に背を向けて座った。
「おれだって、このまま一生インポでいたいわけじゃない。おまえのおかげでおれの“男”が復活できたら、スシくらいは奢ってやらなきゃ済まねえな」
「兄さん……」
そこにいたのは、弱味を突かれて苦虫を噛み潰していた兄ではなかった。彼は陽気で元気な、いつもの――弥生と葉月が愛してやまない一人の男に戻っていた。
「期待してるぜ、妹よ」
ペースを取り戻した冬馬の姿に、弥生はおもわず顔をほころばせた。
無論、彼女は、そんな弟の姿を直接見ているわけではない。弥生の熱い目が注がれているのは、携帯の画面越しの監視映像だ。
もはや長瀬は、そんな弥生に何も言わない。
ほったらかしにされて愉快であろうはずもないが、弥生の言った「妹が初体験をする」という言葉と、
――頼むから少しだけ、何も言わずに携帯をいじる自分の邪魔をしないでくれ。
という台詞に、このやんちゃな後輩は頷いた。
彼女の承諾が、半ば無理やりだということは弥生にも分かっている。
だが弥生は、今回は敢えて甘えることにした。
生徒会時代から、つねに弥生の傍にいた長瀬は、こういう眼をした弥生には逆らわない方がいいということを知り抜いているのだろう。だから、彼女は無言でカバンから文庫本を取り出し、しおりを挟んだページを開いた。それがすでに数分前だ。
そんな長瀬にすまないと思う一方で、やはり、このメールが着信した瞬間に急用を偽ってカラオケ屋を出るべきだったかと思わなくもない。他人に気を遣うことを苦にする弥生ではないが、事が事だけに、いまは長瀬の存在が少々鬱陶しい。
126 傷 (その10) sage 2009/01/19(月) 07:43:48 ID:NUg0CoQv
だが、どのみち弥生は家に帰る気はなかった。
せっかく葉月が“こちら側”に来る覚悟を決めたのだ。このままノコノコ帰宅して、葉月の“初めて”に水を差す野暮はしたくない。冬馬が不能だという話が本当ならば、挿入に伴う外傷を負うこともないだろう。
メールの文面的に、独りで兄の肉体と向かい合うことに葉月は不安を覚えているらしいが、それでも妹の覚悟を、自分と同じ土俵に乗せるための通過儀礼だと思えば、嫉妬など湧きはしない。むしろ、頑張りなさいよと画面越しに声援を送りたい気分だ。
形はどうあれ、想い人との初体験はロマンチックであるべきだ。なら自分の出る幕などある筈がない。――これがもし、弟と同席しているのが葉月でなく、どこかの雌ネコだったなら、野暮もクソも今すぐ飛んで帰って、あらゆる手段で事の成就の妨害をしただろうが。
それに、どうせ風呂場の監視映像は、自動的に弥生のパソコンのハードディスクに記録されるようになっている。いま観なくとも、帰宅してからたっぷり妹の“どきどき初体験”を拝見すればいい。あわてる必要などない。
そこまで思って、弥生は顔を上げた。
「ねえ、とーこ」
「はい?」
「あなたってバージン?」
そのイキナリ過ぎる質問に、口をパクパクさせる長瀬。
そんな彼女に、弥生は仏像のようなアルカイックスマイルを向ける。
「……中3のときに一応済ませましたけど……」
その相手が誰なのかを訊くつもりは、さすがに弥生にはない。
義務教育が満期終了せぬうちの性経験を早いとも遅いとも言う気もない。
長瀬透子が、これでも校内有数のモテ女なのは周知の事実だ。外見だけの話をすれば、彼女の美貌は弥生にさえ引けは取らない。もっとも、そのあまりに狷介な性格から、三ヶ月と交際が維持した例はないらしいが。
だから――というわけではないが、弥生はさらに悪趣味な質問をした。
「気持ちよかった?」
長瀬は、眉間に皺を寄せると、
「……いえ、あんまり」
と、呟くように言った。
「ふん?」
「痛いだけでしたから」
「でも、したのは初めてのその時だけじゃないんだよね?」
「それから三度ほど機会に恵まれましたけど、やっぱり痛いだけでした。それ以降はずっとプラトニックですよ。健全なものです」
普段の彼女からは想像しにくい覇気のない声で、吐き捨てるように長瀬は言った。
どうやら彼女といたした男たちは、凄まじく身体の相性が悪かったか、もしくは余程の下手くそぞろいだったらしい。
「弥生さんは、……まだ、なんですよね?」
「うん」
「正直言って、うらやましいです」
「まだ処女だって事が?」
「いえ、セックスに幻想を抱ける身分だってことが、です」
「…………」
バカにされた、とは弥生は思わなかった。
長瀬からすれば、彼女なりに真剣な悩みなのだろう。
性行為こそ経験済みであっても、性の快楽を知らない身であれば、自分の肉体に不安を覚えても何ら不思議ではない。ひょっとすると、自分は“男”を受け付けない体なのかも知れないという一抹の疑念は、年頃の女の子からすれば恐怖以外の何物でもないだろう。
ひょっとすると、長瀬が弥生に、ほのかに百合的な憧憬を抱いているのも(その感情に弥生本人が気付いているという事実を長瀬本人はまだ知らないが)、その不安の表れなのだろう。
そんな彼女ならば、訊いてみる価値はある。
「もし、セックスを前提としない男女交際を求められたら、とーこはどうする?」
長瀬は表情を変えなかった。
たっぷり十秒ほどの沈黙の後、彼女はようやく口を開いた。
「アリかも知れませんけど……でも多分、いずれ耐えられなくなるでしょうね。その人のことが好きになるほどに、不安になっていくと思います」
「セックスをしないことが?」
長瀬は頷いた。
「だって、どう考えても無理があるじゃないですか。60歳と70歳の交際ならともかく、肉体を重ねるという過程を経ずして男女が互いを理解できると思うほど、あたしは自惚れ屋じゃないですよ」
127 傷 (その10) sage 2009/01/19(月) 07:46:24 ID:NUg0CoQv
「でも、その過程を経たために、とーこは男を相手にすることがつらくなったんでしょう?」
「……人をレズビアンみたいに言わないで下さい」
「レズビアンは恥ずべきことなの?」
そう言われて、不意を突かれたような顔をした長瀬だが、
「……なんてね」
と言って、にっこりと微笑みを返す弥生に、彼女は恥かしげに頬を染めてそっぽを向いた。弥生は、そんな長瀬に、さらに悪戯っぽい目を向けると、静かに携帯を閉じた。
もういい。
とりあえず、いまはいい。
出来ることは、この星空の下から妹の無事と成功を祈るくらいだが、それでも弥生は、さほど深刻な心配はしていなかった。
葉月は仮にも自分の妹だ。13歳とはいえ姉がいなければ何も出来ない甘ったれではない。
そして何より、いまあの子の傍には弟がいる。冬馬がいる限り不安はない。たとえ何が起こったとしても、弟が無事に始末をつけてくれるだろう。――弥生は少なくとも、自分の弟と妹を、その能力面・人格面に於いて、ただの身内という以上に信頼していた。
彼が不能だったというのは意外だったが、それでも弥生はまるで動揺していなかった。現状はどうあれ、永久に冬馬の勃起不全が治らないとは弥生も考えてはいないからだ。
それに、いざとなれば、性器挿入というプロセスを経ずとも、セックスを楽しむ方法など幾らでも存在する。男としては少なからず意気消沈するのも当然かもしれないが、不能に伴う劣等感など、弥生からすればまるでナンセンスな感情にしか思えない。
「さ、――歌お?」
弥生は携帯をカバンにしまうと、何事もなかったかのような口調でリモコンに手を伸ばした。
兄の背中は、広く、分厚く、温かかった。
百聞は一見にしかず、百見は一触にしかず――という言葉を葉月は思い出していた。確か、冬馬の部屋にあった漫画の台詞だ。
その傷だらけの体躯を初めて直接触れて、葉月は知った。彼女にとって、兄の過去の悲惨さを物語るだけの証拠品でしかなかったその背中は、意外なほどに固い筋肉に鎧われた“男”の肉体であったことを。
ずば抜けた身体能力を誇る兄と、かたや体育全般には全く自信を持たない妹。自分の肉体のバネが旧型のディーゼルエンジンだとすれば、兄のバネは、まるで航空機用のガス・タービンエンジンだ。埋蔵されているスペックやポテンシャルがまったく違う。
“牡”を喪失したなど、とんでもない。
そのきめ細かい肌をどれほどの醜い傷が覆っていようが、それすら関係ない。
ボディシャンプーの泡越しではあったが、自分や弥生とは圧倒的に違うその肉体は、彼が単なる虐待被害者ではなく、凄惨極まる幾多の戦場をくぐりぬけて生き延びた、逞しい戦士の身体にさえ思えた。
「意外とやせっぽちでがっかりしたか?」
おれの手料理は不味かったか、と訊くような口調で、振り返りもせず冬馬が尋ねる。
「とんでもない」
葉月は泡まみれの胸を、兄の背に押し付ける。
「兄さんこそ、……わたしの身体に失望してはいませんか?」
「失望?」
「だってわたしは……弥生
姉さんのように豊満な身体を所有してはいませんから……」
そう。実は、妹は予想もしていなかった。
おびただしい傷に包まれた兄の肉体。だが、後ろめたいことなど何一つないと言わんばかりに無雑作に、堂々とそこにある冬馬の身体。それを前に、まさか自分の――シミ一つない自分の身体を引け目に感じてしまうなんて。
葉月は忘れていたのだ。
“女”として、自分のボディがいまだ発展途上にあるという事を。
薄い胸。
貧しい臀部。
女としては明らかに未成熟な己の肉体。
当たり前だ。まだ彼女は13歳だ。その肉体をして異性を煽りたてるには、まだまだ早過ぎる。たとえ数年後には大輪の花を咲かす女体であっても、今の彼女は所詮、花の蕾に過ぎない。
128 傷 (その10) sage 2009/01/19(月) 07:49:01 ID:NUg0CoQv
兄と自分が互いの裸身を晒しあえば、その傷痕の醜悪さゆえに恐縮し、身を竦ませるのは兄の方だと思っていた。心を開くのは兄の方であり、兄の心を解きほぐすのは自分であると、葉月は何の疑いもなく信じていたのだ。
だが実際のところ、葉月を無雑作に受け入れた冬馬の背に、自らの肉体を恥じる卑屈さは微塵もなく、かすかな威厳すら漂っている。
「どうした葉月、元気がないな」
冬馬にそう言われて、葉月は顔を上げた。
いや、顔を上げて、彼女は初めて自分が俯いていたことに気付いたのだ。
――このままではダメだ。
――いったい、何を気落ちしている?
――まだ中学一年生でしかない自分の肉体が貧弱なのは、自明の理ではないか。そもそも兄は、そんなことで相手の評価を下げるような人ではない。
そう思って気を取り直そうとした瞬間だった。
「おれに『証明してやる』って言い放ったお前がよ。らしくないな」
それは侮蔑の言葉ではない。冬馬が自分を元気付けようとしたことは分かる。だが、兄の笑いを含んだ声を聞いて、思わずカッとなった葉月は、そのまま手を伸ばし、力任せに彼の乳首を強く捻った。
「ひっ!!」
謝罪代わりに浴場に響く、兄の悲鳴。
だが、その声を聞いた瞬間、葉月の眉がぴくりと動いた。
いや、聞き違いではない。
確かに今、冬馬があげた悲鳴の中には、快感の喜びが含まれていた。
そのとき葉月は思い出していた。
彼の肉体に刻み込まれているのは、凄惨な暴虐の痕跡だけではない。彼は、おびただしい人数の男女によって、あらゆる刺激を快感として意識できるように、全身の性感帯を開発されている、他人の手垢のついた身体を所有する者なのだ。
「兄さん……!」
葉月は笑った。
無数の男女の精と愛液にまみれ、快楽に馴らされた肉を持つ冬馬。――そんな彼を不潔と罵倒する気は葉月には毛頭ない。
彼女はただ、嬉しかったのだ。
もはや、この身で女を愛せないと叫んだ彼の肉体は、まだ死んではいない。
いや死んだどころではない。一般人なら苦痛に顔をしかめるような刺激さえ快感として受信できる鋭敏な性感は、まだまだ健在ではないか。
それが分かっただけでも大いなる収穫――いや、そんな低次元の話ではない。勃起を失った彼の身体だが、それでも性感そのものを喪失したわけではないという事実は、それこそ兄のために欣喜雀躍すべきであろう。
自分の未成熟過ぎる女体を嘆いている場合ではない。
やらねばならないことは文字通り山積みだ。
「兄さんは、……痛いのが気持ちいいんですね?」
そう言いながら、葉月はふたたび乳首を捻る指先に力を込める。
「ッッッ!!」
兄の背中がビクンと跳ねる。
逃がさない。
上体を反らした冬馬を、そのまま背後からぎゅっと抱き締め、乳首をつねりながら、葉月は眼前の耳朶に、がぶりと歯を立てた。
「~~~~~~~~~~~~~~~ッッッッ!!」
両親が在宅中なら、間違いなく風呂場にカッ飛んでくるような叫びを上げる兄。
だが、彼の背にぴたりと身を寄せる妹には分かっていた。
冬馬の心臓が、先程までとはまるで別人のような激しい動悸を刻んでいることが。
(兄さんが興奮している……興奮してくれている……!)
魂が震えるような歓喜が葉月の全身を包む。
だが、ここで手を緩める気はない。緩めるわけにはいかない。
右手を兄の股間に下ろす。
――くにゅっ。
と言いそうな柔らかい感触が葉月の指先を襲う。
途端に葉月の眉が歪んだ。
やはりダメなのか。
葉月の鼻に薫るアドレナリン臭からも、冬馬が性感に打ち震えていることは明白な事実だというのに、肝心の兄の肉棒は、まるでそこだけ別の肉体であるかのように無関心を装っている。
だが諦めはしない。
葉月はそのまま指をペニスから、さらにその下へと這わせ、思い切り握り締めた――冬馬の陰嚢を。
129 傷 (その10) sage 2009/01/19(月) 07:51:24 ID:NUg0CoQv
まるで電気椅子に座った囚人だ。
今度という今度は、悲鳴すら上げられずに、激しい痙攣を繰り返す冬馬。
じたばたと暴れる兄を必死に抱き止め、引き剥がされないように懸命になるが、ボディシャンプーの泡がぬるぬると滑り、背後から胸と股間に回した両腕だけでは振り解かれそうになる。
だが、ここで逃げられては何もかも台無しだ。
「気持ちいいくせに」
妹のその一言で、電源を引っこ抜かれたように兄の抵抗は停止する。
そして、おそるおそるこっちを振り向いた冬馬の瞳は、潤みを含んでいた。
案の定だ。
人間のマゾヒズムは、苦痛系と羞恥系という二つに大別できるが、ただ刺激や恥辱を機械的に与えられても、そこには何も発生しない。被虐を快楽と認識するためには、それらの刺激を与え、さらに葛藤を煽り立てる観察者の存在が不可欠である。
観察者とはつまり“御主人様”“女王様”と一般的に呼称される場合が多い。
――かつて精神分析の論文と学術書を読み漁ったときに初めて目にした概念『SM』。
まさか実践に応用する機会が自分の人生にあろうとは、そのときは葉月も予想だにしていなかった。だが、その機会は来た。機会に恵まれた以上は、少女独特の潔癖さから思わず目をそむけた理論であろうと、科学者としての本能が、それを活用することに躊躇を感じさせない。
「気持ちいいって言いなさい、兄さん」
睾丸を掴んだ右手を握っては緩め、苦痛のシグナルを交互に彼の脳に送る。
そして今度は、いまだ泡で
真っ白になっている首筋に歯を立てて見る。無論、乳首を捻る左手の指は一切脱力させない。
「いっっ!! いやだああぁぁっっ!!」
だが、当然のように葉月はそんなワガママは許さない。
うなじに食い込ませた歯にさらに力を込め、無言の回答を返す。
「はっ、はづきぃぃぃっっっっ!!」
乳首に這わせた指を離し、間髪入れずに冬馬の臀部に移動させ、中指で肛門の入口をなぞる。
優しく。
そっと、赤ん坊の頬を撫でるように。
そして、
「あああああああああああああああああああああああああああああああっっっっっっ!!!!」
真っ白い泡を潤滑油代わりにした葉月の指が、無言で兄のアナルをえぐった瞬間、彼の視界は消えた。
数年ぶりに味わう前立腺の感覚。
かつては日常的と言えるほどの頻度で身体に覚え込まされた、そのエクスタシー。
そんな昔馴染みの快楽は、彼の中の何かを呼び起こした。
冬馬の深層心理が、あえて眠らせることに決めた旧き記憶。
フラッシュバックの中で、パズルのピースのように――あるいは走馬灯のように、忌まわしい記憶が次々と甦る。まるでリアルタイムで人生をやり直しているかのような新鮮さを伴って。
背中に突き立てられる彫刻刀。
胸に当てられるハンダごて。
肩に押し付けられるタバコ。
腹に叩き付けられる一本鞭。
腕に突き立てられる注射針。
無駄だと分かっていても喉を嗄らす悲鳴。
慟哭。
絶叫。
嗚咽。
そんな自分に浴びせかけられる侮蔑。
嘲笑。
怒号。
我を忘れるような快感と激痛を交互に与えられ、自我がボロボロに風化してゆく感覚。
現実から目をそむけ、肉体から意識を乖離させ、日常を懸命に否定して過ごした日々。
朝、並んで食事を取ったルームメイトが夕方には発狂し、その翌朝には首吊り死体として天井からぶら下がっている光景を眺めながら、怒りも、哀れみも、まるで何も感じない自分自身に恐怖する。
130 傷 (その10) sage 2009/01/19(月) 07:53:16 ID:NUg0CoQv
これは悪夢だ。
そう、文字通り悪い夢――起きたら忘れる夢の世界でしかない。
こんなことが現実なわけがない。
本当のおれは、今頃ベッドの中で寝返りでも打っているに違いない。
だから何でも出来る。
どうせ夢だ。
おっさんのちんこをおしゃぶりすることも。
おばさんのまんこをぺろぺろ舐めることも。
小便や精液や愛液や唾液やそれら汚物一切を迷わず飲み込むことも。
だから何でも言える。
どうせ夢だ。
ごしゅじんさま、このいやらしいかちくを、どうか、かわいがってください。
このにくどれいの、きたならしいけつまんこを、ごしゅじんさまのたくましいおちんぽさまで、おもうぞんぶんおかしてください。
ぼくのおすいぬちんぽを、ごしゅじんさまのしまりのいいおまんこさまにそうにゅうさせていただいて、なんとおれいをいっていいかわかりません。
ごしゅじんさまのにくべんきとしてしようしていただいて、まことにありがとうございました。
ぼくに、にんげんとしていきるしかくはありません。ですから、これからもおすいぬとして、ごしゅじんさまによろこんでいただけるようにどりょくします。
「きもち……いいです……ごしゅじん……さま」
だらしなく萎えた一物が立ち上がっていた。
しなびた状態からは想像できないほどの膨張率と硬度を誇り、その様はまるで逞しい一本の凶器だ。そして、ぱくりと開いた鈴口からは大量の白濁液が、惜しみなく発射され、壁のタイルを真っ白に染め上げた。
その壮絶な眺めに、葉月はしばし声を忘れた。
数年分蓄積された冬馬の射精は、眼前の壁を、まるで白ペンキをぶっかけたようにデコレートしている。そんな絵を目の当たりにして、13歳の少女が絶句しないわけがない。
だが、次の瞬間には、葉月はすでに己を取り戻していた。
――成功だ。
まさかこんなにうまくいくとは思ってもいなかった。
勃起どころか射精まで完遂したのだ。弥生でも千夏でもない、他でもない自分が――この柊木葉月が、兄の不能を治したのだ。
葉月は、彼の肛門から指を抜くと、へなへなと崩れ落ちる兄の正面に回りつつ歓喜の叫びを上げた。
「やりましたよ兄さん!! 成功です!! 成功ですよ兄さん!!」
「……ああ……ゆびをぬかないでください、ごしゅじんさまぁ……ぼくのおすいぬけつまんこを、もっともっとほじほじしてくださぁい……!」
まるで幼児のような口調とともに振り返る冬馬の瞳に、もはや理性の輝きはなかった。
「…………え…………!?」
事態が把握できず、きょとんとした葉月の声は――しかし、その声に兄が応えることはなかった。彼はそのまま身を縮めて妹の爪先に口付けすると、天使のような屈託のない笑顔を浮かべた。
「こんどは、ぼくにごほうしさせてください。ごしゅじんさまのおまんこさまを、ぼくのいぬじたで、ぺろぺろさせてくださいませぇ」
そこに、葉月が知る柊木冬馬の姿はなかった。
最終更新:2009年01月29日 20:36