480 かまわれたがりのしゃぼんだま (01/11) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/04/30(木) 08:46:42 ID:07W500MU
「ねえ、あっちゃん。私がんばって、あなたに朝ご飯を作ったの。
あなたの大好きな、目玉焼きと味噌汁だよ。ねえ、褒めて?」
目を覚ますと同時に、
姉さんからのお決まりの一言。
正直最初は戸惑いもしたが、いまや朝の風物詩となったやりとり。
だから、僕の次に取る行動は、ただひとつ。
「ありがとう、姉さん。毎朝僕のために、早起きしてくれて」
そう言いながら、近づいて来た姉さんの頭を、軽く撫でてあげる。
それを受けて、とても朗らかな笑顔で、身を捩る姉さん。
「うん……、ありがとうあっちゃん。
あっちゃんが私を見てくれるから、私は頑張れるんだよ♪」
そう言いながら、姉さんは僕に張り付いてくる。
正面から抱きつかれているから、胸がぁ……、唇がぁ……。
「ね、ねねね姉さん、お願いだから……、その、離れて……」
しどろもどろになりながら、最後は小声になって、姉さんを引き離す。
そんな僕に対して、姉さんはとんでもないことを言い出した。
「あ、そのゴメンね。私また調子に乗って、あっちゃんを困らせたね。
駄目だよね。朝だからアレかも知れないあっちゃんに、抱きついて。
ごめんなさい。私はやっぱり、悪い子だったんだよね、あっちゃん。
こんな悪いお姉ちゃんを、思いっきり叩いて叱ってね、あっちゃん」
そう言いながら、またも自分の頭を差し出して来た姉さん。
僕はそんな姉さんの態度に呆れながら、左手で握りこぶしを作る。
そしてそれを――姉さんのつむじあたりに、軽くコツンと当てる。
「ほら、姉さん。もうあんまり、僕に抱きついちゃダメだよ?
よし、おしかりオシマイ。じゃあ姉さん、朝ご飯にしよう?」
僕の言葉に、さっき頭を撫でた時と同様に、朗らかに微笑む姉さん。
僕はそんな姉さんの手を引いて、一緒に台所へ向かった。
僕の家族――もとい、姉弟を紹介しようと思う。
正直、父さんや母さんについては、僕も姉さんも興味がないから。
僕の名前は唄方沫雪(うたかたあわゆき)。
近隣の高校に通う、今年2年目の学生だ。
姉さんには、「あっちゃん」と呼ばれて可愛がられている。
学業は――まあまあ平均、といったところだ。
そして僕の隣にいるのは、僕の姉である泡姫(ほうき)姉さん。
いろいろあって大学を中退した、今年で20歳のニートさんだ。
僕のことを「あっちゃん」と呼んで、ひたすらくっついてくるブラコン。
学業は――結構良かったんだけど、それがいけなかったようだ。
481 かまわれたがりのしゃぼんだま (02/11) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/04/30(木) 08:51:51 ID:07W500MU
姉さんは、僕とは違いかなり要領よく、学業でもトップの立場にいた。
そんな姉さんに、父さんと母さんは期待と羨望と嫉妬の眼差しを向けていた。
その結果、姉さんの人生を勝手に縛り、挙句の果てに、姉さんは将来を閉ざされた。
確かに姉さんは、その辺の連中に比べ、出来はよかった。
でも、本来は年相応の夢をみるような、普通の少女だったのだ。
確か数年前に「私は誰かと一緒に、小さな定食屋とかをやってみたい」と言ってたっけ。
姉さんは料理が好きだったから、そんなささやかな夢を見ていたんだと思う。
なのに、何を勘違いしたのか、父さんと母さんは姉さんに、えげつない進路を強要した。
ありえないことに、姉さん本来の学力の2つ上くらいの大学に、無理矢理進ませたのだ。
当然、姉さんは父さんと母さんに反発した。
自分がやりたいことは、こんなことじゃあない、と。
しかし両親はその言葉に耳を貸さず、姉さんをその大学に進学させた。
その結末は、よくありふれた悲劇でしかなかった。
やる気のない人間に、それ以上の難度の学問など、苦痛でしかない。
結局、姉さんは大学に行くのを拒否し、家に引きこもるようになり――
最終的に、その大学自体を「自首退学」という形で否定した。
当然、父さんと母さんはこの結果に、大いに憤った。
高校中退のくせに学歴主義という、面倒な人間達の勝手な怒り。
姉さんは、毎朝毎晩蛇蝎の如く攻めたてられ、日に日に傷つき窶れていった。
正直なところ、あの頃の姉さんは、見ていられるような状態じゃあなかった。
そのうち、父さんも母さんも、何かを放棄するように、姉さんを無視し始めた。
あとに残されたのは、言われなき誹謗中傷に、ボロボロに蹂躙された姉さん1人。
だから、僕は必死になって、姉さんを慰め、助け、構うことにした。
最初から僕は、父さんと母さんには、目をかけられていなかったからだ。
とにかく、僕の努力の甲斐あってか、姉さんは無事に持ち直した。
一時は放っておくと、自殺しそうなほどに壊れかけていた。
それでも、僕の言葉に喜怒哀楽を見せ、声を出して、手を触れてくれるようになった。
僕はその事実だけで、自分がこの場にいることができてよかったと、本気で思った。
ただし、ここで困ったことが起きてしまった。
もともと姉さんは、僕のことを可愛がり過ぎるきらいのある、弱ブラコンの姉だった。
それが、たった半年の地獄と救済により、悪い方向へ化学変化を起こしたらしい。
そう、僕のためにばかり動いて構いたがる、排他的な女性になってしまったのだ。
まあ、わかりやすく言ってしまえば、「完全陶酔型の超ブラコン」というところか。
482 かまわれたがりのしゃぼんだま (03/11) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/04/30(木) 08:58:17 ID:07W500MU
「――やっぱり、こんなことじゃあ、ダメなのかなぁ…………」
「へ? なぁにどうしたの、あっちゃん?
あ、その……、もしかして、今日の朝ご飯、美味しくな――」
「ああ、いやいや違うよ! 考えコトをしてただけなんだよ。
今日の授業である発表に備えて、いろいろ準備があるからさ」
何気なく呟いた言葉が、偶然姉さんの耳に入ってしまったらしい。
その中の「ダメ」という言葉に反応して、姉さんがネガティブに走りだした。
この状態を放っておくと、姉さんはまた、昔の状態に戻り始めるのだ。
だから、僕は必死で、姉さんの恐れるものを否定してあげる。
「あ、なんだ。そうだったんだねあっちゃん。
大丈夫、あっちゃんがやってるくらいの勉強なら、私が手伝ってあげる」
姉さんなりの、僕への構い方のひとつ。
確かに、昔から要領よかった姉さんなら、僕の学習内容にはついてこられる。
けれど、さすがに存在しない課題に対し、助言を貰うわけにはいかない。
「大丈夫だよ。僕がなんとかできるレベルだから、姉さんは心配しないで。
――あ、でもね姉さん、そう言ってくれて、嬉しかったんだ。ありがと」
そう言いながら、姉さんの頭をまた撫でてあげる。
僕の前半の発言で、姉さんの表情がわずかに曇ったのが、見えたからだ。
「えへへ、ありがとあっちゃん。頭撫でられると、すっごく嬉しい。
だから、あっちゃんの頭も、私が優しく撫でてあげる」
そう言いながら、朝食そっちのけで、僕の頭を撫でてくる姉さん。
やっぱり、いつでも姉さんの手は柔らかくて優しくて、暖かい。
僕は昔から、父さんや母さんに頭を撫でられた記憶がない。
学生で出来婚→退学→中卒就職のコンボを決めた両親は、正直毎日が多忙だ。
今朝だって、2人して朝の6時から、職場に出向いている。
それ自体は自業自得だろうが、その被害――苦労を被るのは、子供達なのだ。
だから姉さんは、父さんや母さんに褒められるように、ひたすら要領よく成長した。
その結果、出来が良く見られるようになり、最後に崩壊したのは、悲しすぎるけど。
対して僕は、生まれた時から姉さんの優しさに触れて育っていった。
おかげで要領はあまり良くなかったが、あの両親に干渉されずに済んだ。
その結果、僕はなんとか狂わされずに済み、姉さんを救い出すことができた。
「あのぅ、姉さん……。そろそろ僕、学校に行かないと……」
なでなでされながら、僕は時計を見て、姉さんに懇願する。
「ごめんね、もう少しだけ、あっちゃんの頭に、触らせて……」
消え入りそうな声に、結局姉さんの行為を許す僕。
あはは、今学期何度目かの遅刻、確定しちゃったかなぁ…………。
483 かまわれたがりのしゃぼんだま (04/11) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/04/30(木) 09:01:27 ID:07W500MU
「ふぅん。それでまた、遅刻したというわけか。
オマエも大概、ややこしい生活、やってんだなぁ~」
「まぁ、僕が好きでやってるから、別に構わないけどね」
学校での昼休み。僕は友人の絹裡角(きぬうちすみ)と、昼食を囲む。
これも毎日の風物詩。僕が学校に通う、日常の風景。
姉さんも、昔はこんな風に、青春を謳歌してたんだろうなぁ。
ちなみに、僕の昼食は当然の如く、姉さん手作りのお弁当(激ウマ)だ。
「しかし、それにしてもオマエの弁当は、毎度美味しそうだよな。
俺のコッペパンを半分やるから、おかずのから揚げを、少しだけくれ」
「ダメ、絶対。姉さんは何故か、僕がおかずを食べてないと、気づくんだ。
そんで、そのことについて何度も理由を尋ねてくる。だから、禁止する」
そう、姉さんは僕がおかずに口をつけていないことがあると、それを察知する。
その後は、またいつもの詰問&自虐モードに入るのだ。
一番辛かったのは「美味しくなかったんだね?」って、一晩中囁かれたことだ。
あの時はひたすら謝り倒して、1週間くらい同じおかずを食べさせられたっけ。
「……前から思ってたけど、オマエの姉さん、ホントに凄いよな~。
どうなんだ? そろそろ社会復帰というか、バイトくらいさせてあげたら?
一応、俺のほうにもいろいろ、働き口のつてはあるんだが、どうだろうか?」
「魅力的な提案なんだけど、それは丁重にお断りさせてもらうよ。
姉さんは、いまだに僕のためにしか――あれ? 教室の入り口にいるのは――」
真面目な話をしていたが、つい僕は気づいたことを口にしていた。
姉さんのおかげで、周囲の微細な変化には、結構敏くなっているみたいだ。
「あ――しまった。すまねえ泡雪、今日は俺、もう行くわ。
これ以上ボケっとしてると、アイツにどやされちまうから、さ……」
「ああ、そうなのか。それなら仕方ないか。じゃあ、また放課後に一緒に帰ろう。
というか、もうちょっと円(まどか)ちゃんを、大事にしてやんなよ?」
「うっせ。わかってるよそんなこたぁ……」
そう言って、角は教室に来ていた円ちゃん――彼の妹と共に、どこかへ行ってしまった。
「さあて、僕はさっさと、姉さん特製の弁当を――」
「ねえ、沫雪くん。お話があるから、着いて来てよ」
なんというか、今日の僕は、ゆっくり昼飯も食えないらしい。
484 かまわれたがりのしゃぼんだま (05/11) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/04/30(木) 09:06:50 ID:07W500MU
「面倒だから、ココで話してくれよ、水包(みつつみ)さん。
でも僕は貴女の言葉には、応えるつもりはないから、そのつもりでね」
まず真っ先に、僕は声をかけてきた女の子に、牽制をかける。
彼女は水包さんといって、僕のクラスメートだ。
ただ何をどう間違えたのか、僕に惚れたらしく、先月告白された。
けれど僕は、そんな彼女の気持ちに応える気なんて、毛頭ない。
僕には彼女を愛するつもりはないから、いつも断っている。
僕は今は誰かを見る気はない。姉さんの面倒を、ずっと見ていたい。
……こう考えると、僕も姉さんに負けず、シスコンであるようだ。
「そんなこと言わないでよ、沫雪くん。私達はクラスメートでしょう?
それに、いま沫雪くんには、特定の恋人はいないって聞いたよ?
なのに、なんで私の一世一代の告白を、断ったりするの?」
いつもこれだ。正直なところ、邪険にもできないから困っている。
別に僕は女の子を泣かせる趣味もないのに、影で「女泣かせ」などと言われている。
「何でって言われても、僕は恋人を作るつもりはないんだよ。
別にホモとかロリコンではないけれど、あと数年は、そのつもりだから――」
「知ってるよ。沫雪くんは、お姉さんのことばかり、みてるんでしょう?」
突然そんなことを言われて、僕は硬直せざるをえなかった。
なんでだ? 僕は姉さんのことなんて、学校では角のヤツにしか話していない。
そしてアイツは、こういうことを言いふらす人間じゃあないはずだというのに!
「知ってるよ。だって私、あなたのことはいつだって、みているんだもの。
あなたが絹裡くんと喋っている内容だって、ちゃんと聞いてるもの。
ねえ、お姉さんばっかり見てないで、私みたいな普通の女の子をみてよ?」
とんでもない話だ。こっそり立ち聞きされていたということか。
それよりも、僕は水包さんの言い方に、妙に腹が立ってしまった。
「ねえ、なんでお姉さんだけ見て、他の女の子を見ないの?
おかしいよ、姉弟同士で仲良くしているだけなんて、絶対おかしいよ?
そんな働きもせずに、あなたに構われたがるだけの女なんか、ほっとけばいi」
「水包さん、姉さんの悪口なら、そこまでにしてくれないか?
僕の悪口までなら構わない。けれど姉さんを悪く言うな。
――正直に言うよ、僕はあなたが大っ嫌いだ。顔も見たくない。
だから、もう僕の目の前に来て、話しかけないでくれ!」
つい頭に血が上って、ヒドイことを言い返しすぎた。
これまで姉さんを含めた女性に対して、ここまでキツイ言い方はしたことがない。
どうやら、僕は姉さんのことが、よっぽど大切らしい。
「…………っ!? ご、ごめんなさ……い……!」
泣いて謝りながら、教室の外に走っていく水包さん。
僕に追いかけるつもりはない。そんな資格はないだろうから。
「…………」
気がつくと、教室内の全員の目が、こちらに向いている。
まずいな、今の口喧嘩も、僕の姉さんのことも、全部聞かれてしまったのか……。
「もう、来週からはどうやっても、普通に学生なんてできないかも……」
そう1人ごちて、僕は全てから逃避するように、机に突っ伏した。
485 かまわれたがりのしゃぼんだま (06/11) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/04/30(木) 09:12:12 ID:07W500MU
結局昼休みから放課後まで、角も水包さんも、1度も戻ってこなかった。
というか、姉さん手作りの弁当を食べるのを、5時間目開始まで忘れていた。
そんな訳で、残りの弁当を1人公園で食べきって、帰宅する。
しかし、いつもなら姉さんが迎えに出てくるはずの玄関に、誰もいなかった。
「姉さん……? 今日は出かけているの?
買い物なら、僕と一緒に行くって、一昨日から約束して……」
そういうと同時に、立っていた横手の扉が開いて、急に姉さんが飛び出してきた。
しかし、姉さんは僕の姿を一瞥することもなく、僕の部屋に駆け込んでいった。
一瞬、たった一瞬の出来事。だけど僕は気づいてしまった。
姉さんの顔が、まるで泣きはらしたかのように、真っ赤になっていることに。
「――沫雪か。オマエに話がある。さっさと中に入って来い」
突然、姉さんが出てきた部屋から、僕を呼ぶ声が聞こえてきた。
中を見ると、なぜかこの時間に、父さんと母さんが座っていた。
「沫雪、早くしなさい。あなたにも関係のある話だから、さっさと来なさい。
出来が悪いならともかく、耳まで悪くなったなんて、恥ずかしいんだからやめてよね」
母さんの、耳に障るイヤミ。いつ聞いたって、冷静ではいられない。
この人は、他人を小馬鹿にすることで、自分を保っている節がある。
正直、こんな人間が自分の親であることなんて、とてもじゃないが信じたくない。
「で、話ってなんだよ、父さ――」
「父親に向かって、そういう軽い口の聞き方をするな。
――まあ、そんなことはどうでもいい。これから大事な話がある」
いいから、さっさと座るんだこの馬鹿息子」
父さんは、体育会系出身らしく、自分の目下の人間に対する態度を崩さない。
はっきり言って、この人を父親だと呼びたくなったことなんて、1度もない。
だけど、呼ばないと怒鳴り散らすか殴られるかなので、仕方なく父さんと呼んでいるだけだ。
「これからする話は、オマエと泡姫の今後のことだ。1度でさっさと覚えるようにな」
「ふっ……っざけんなぁっ!? アンタら、それを本気で言っているのか!?」
2人の話を聞いて、真っ先に僕は激昂した。仮にも自分の両親に向かって。
話の内容は、正直この2人の正気を疑うような内容だった。
「何度言われようと、何を言われようと、これは決定事項だ。
オマエの高校の学費を出すために、あの馬鹿娘を追い出す。ただそれだけだ」
「正直、あの娘には失望してるのよ。タダ飯食らいの上に、家に引きこもり。
大体にして、あの娘がいるから、ウチの家計は火の車もいいところなの。
オマケに、あの馬鹿はあなたに構われたがって、迷惑ばかりかけてるじゃない?
だから、さっさと厄介払いして、あなたにはまともに、高校を出て欲しいのよ」
実の両親から、子を子とも思わないような、酷すぎる発言が連続で放たれる。
ふざけるな、アンタらが姉さんを、あそこまで貶めたんだろうが!
アンタらの無謀さが、これまで僕らを、苦しめてきたんだろうが!
「なにか文句があるようだが、受け付ける気などないからな。
それともオマエが、高校を退学して、学費分の出費を抑えるのか?
……無理だろうな、以上だ。さっさと、この部屋から出て行け!」
結局、僕はこの両親に殴りかかることもできず、部屋を後にしてしまった。
486 かまわれたがりのしゃぼんだま (07/11) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/04/30(木) 09:16:27 ID:07W500MU
1時間後、僕は姉さんの部屋のベッドに、腰掛けていた。
僕の部屋には、今姉さんが入っている。
僕も自分の部屋に入って、姉さんを慰めるべきなんだと思う。
けれど、今の僕にはそんな資格さえないだろうから、何もできないでいる。
「なんで、あの時父さんを、殴れなかったんだよ……。
なんで、姉さんを守ろうと、出来なかったんだよ……!」
そう、僕は何も出来ずに、すごすごと引き下がってしまった。
父さんから、「オマエが高校を辞めるか?」と問われて、手を出せなかった。
そう、僕は必ず、高校だけは卒業しようと思っている。
正直、父さんや母さんみたいなことになりたくないから、ずっと必死でやってきている。
けれど、だからって、姉さんを庇うことに、躊躇するだなんて…………!?
そんなことを、正面のアクアリウムを眺めたまま、ずっと考え続けていた。
このアクアリウムは、姉さんを立ち直らせるために、僕が一緒に造ったものだ。
姉さんが立ち直った後も、こうして常に綺麗なままに保つため、姉さんは頑張っている。
そのアクアリウム内で噴出す泡に、僕は姉さんの姿を重ね合わせる。
空気循環器から出る泡は、最初は小さく、水面に上昇するまでに、徐々に大きくなる。
大きくなるのは、他の小さな泡とぶつかり合体して、膨らんでいくからだ。
けれど残念ながら、水面に浮き上がる直前で、泡は自壊するように弾けてしまう。
膨らんだ分、壊れやすく脆くなり、水面や水自体に、耐えられなくなるからだ。
「姉さんも、こんな風に期待されて膨らんで、自分を保てなくなったのかな……」
落ち込みながらも、僕はそんなことを思考している。
そう言えば、姉さんは小さい頃、シャボン玉とかが好きだったな。
あの時も、姉さんは僕の吹くシャボン玉に、自分のシャボン玉をよくぶつけてきた。
「わたしのしゃぼんだまと、あっちゃんのしゃぼんだまがかさなって、おおきくなるの。
わたしたちのこころがつながって、おおきくなってあんしんして、うれしいんだよ」
舌足らずな姉さんの言葉に、なぜか気恥ずかしくなって、ムキになった記憶がある。
あの時の姉さんの笑顔に、僕はとっくに、心奪われていたんだよなぁ……。
そんなことばかり考えているうちに、僕の心の中のモヤモヤが、だいぶ落ち着いてきた。
とりあえず、目元にこびりついた涙を拭って、顔を洗ってこよう。
そしたら、まずはあの両親のことよりも、先に姉さんを慰めに行くんだ。
とりあえず、姉さんが泣いてしまうのは、もう避けなきゃならない。
そう自分の中で結論付けて、姉さんのベッドから立ち上がろうとすると――
「…………あ、あっちゃんだ。ここで待っててくれたんだね?」
まだ涙のあとが消えてない姉さんと、鉢合わせすることになった。
487 かまわれたがりのしゃぼんだま (08/11) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/04/30(木) 09:19:36 ID:07W500MU
2人きり。姉さんの部屋のベッドの上で、姉さんと2人きり。
どうしよう、正直なところ、何かを言い出せないくらい、気まずい。
姉さんも、そんな僕の態度に敏感に気づいたのか、何もしてこない。
いつもなら、姉さんのほうから構ってくるけど、僕から何をすればいいのかわからない。
「ああ、姉さん、その……、すぐに追いかけなくてゴメン。
あの後、父さんと母さんから話を聞かされてさ。
それで、どうしようもなくて、姉さんに会いに行けなくて……」
最初に勇気を出しての発言が、いきなり言い訳というのは、姉さんに悪すぎるだろうに。
しかし姉さんは、そんな僕の発言に、少し頬を緩めて、クスクス笑ってくれた。
「ううん、いいの。あっちゃんは、私に自分が泣いてるのを、見せたくなかったんでしょう?
まずは自分が落ち着いて、それから私を慰めに、私のトコに来るつもりだったんでしょう?
仕方ないんだよ、それでもあの2人は親なんだから。あっちゃんが殴れなくってもね」
なんというか、心の中が全部見透かされているような気がして、少し怖くも恥ずかしい。
やっぱりこの人は、僕の姉さんだ。僕が強がっても、この人には敵わないみたいだ。
だから僕は、姉さんに向かって、ちょっと苦手だけど笑顔を返してみせた。
「だから、謝るのは私のほうなの。ゴメンねあっちゃん、ツライ思いさせて。
私が、もっと私が頑張っていれば、こんなことにはならなかったのに、ね……」
けれど姉さんは、僕の笑顔に反応することなく、突然謝罪を始めた。
まずい、姉さんの思考が、徐々にネガティブに移行していくのがわかる。
「姉さん、違うよ。姉さんは全然悪くない!
僕も何も出来なかったけど、悪いのは間違いなく、あの両親2人で――」
「ううん、私が悪いの! 私が、あの時抵抗したから……!
あの時、父さんに犯されるのを、必死で抵抗したから…………!?」
姉さんの言葉を聞いた瞬間、僕は一瞬、理解ができなかった。
そして数秒後、思考が回復した僕は、瞬間で激昂することになる。
「な……、なんなんだよソレは!?
そんなこと……、なんでそんなことが…………!?
ふざけるな……、ふざけんなよあの馬鹿親父が…………!!」
飛び出しそうになった瞬間、姉さんの両腕が、僕の身体を包み込む。
「待って、大丈夫だから。私は本当に、無事だったから……。
ちゃんと抵抗して、身体はキレイなままだから、大丈夫なの……」
けれど僕の激昂を、姉さんが両手で抱え込んで、落ち着かせてくれる。
まだ怒りは収まらないけど、とりあえず無謀に部屋を飛び出す気はなくなった。
「けれど、どういうことなんだよ姉さん。
アイツは今日帰ってきてから、急にそんなことを…………?」
「ううん、違うの。本当は、一昨日の夜中くらいに、襲われたの。
なんだか酔っ払って帰ってきて、急に私の部屋に入ってきて――」
そんな話をしながら、震え出す姉さん。まだ恐怖が残っているんだろう。
そんな姉さんを優しく抱きしめて、今度は僕が、姉さんを宥める。
「突然『極潰しなら、このくらい役に立て』とか言いながら、私を押し倒して――
口に詰め物を無理矢理押し込まれて、パジャマも下着もビリビリに破られて――
でも、私はそんなのイヤだから、必死で抵抗したの。蹴って蹴って、押し返したの……」
「わかったよ、もういいよ姉さん、よく喋ってくれたね?
姉さんが無事なら、よかった。ツライ思いをしたんだね?」
そう慰めながら、僕は姉さんの頭を、いつも通りに撫でてあげる。
姉さんは震えながらも、いつもみたく頬を緩め、身を捩って反応を返してくれた。
488 かまわれたがりのしゃぼんだま (09/11) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/04/30(木) 09:24:32 ID:07W500MU
「でも、多分そのせいだと思うんだけど、今日あんなことを言われちゃったの。
ゴメンね、私がもう少し頑張れていれば――耐えていればよかったんだよね。
そうして私が我慢したら、あっちゃんにもこんな思い、させなかったのにね」
最後まで、僕に謝ってくる姉さん。
そこまで謝られると、逆に僕自身が不甲斐なくなってくる。
「ねえあっちゃん、やっぱり私、この家から出て行くよ。
あっちゃんと離れたくないから、今まであの2人に何をされても、我慢できた。
でも、あっちゃんがこれから、暮らしていけなくなるなら、私ココを離れるよ」
そう言って、僕から身体を離そうとする姉さん。
「待ってくれよ姉さん。僕だって、姉さんと離れたくないよ」
そんな姉さんを、必死で抱きとめて、離すまいとする僕。
「だから、僕がなんとかする。僕は姉さんと一緒にいたい。
なんとかして生活費を工面して、僕と一緒に暮らすんだ!」
もう自分が何を言っているのかわからないけれど、心の底から叫んでいた。
「ありがとう、あっちゃん。私はあっちゃんを、愛しています」
姉さんも、そんな僕の気持ちに、まっすぐに答えてくれていた。
「でも大丈夫よ。あの人たちは、私をただ放り出すのは嫌がっているから。
あの人たちにも世間体があるみたい。アパートだけは、確保するらしいの」
そうなのか? じゃあ、姉さんはそれでも、なんとか路頭に迷わないのか?
「だったら、僕も毎日、姉さんのところに通って――」
けれど、姉さんは僕の目の前に手をかざして、僕を拒絶しようとする。
「その時は私、もうあっちゃんの前に顔を出す資格、ないんだよ。
多分そのアパートで、カラダを売るもの。客を取らされるもの。
母さんが、そんなことを言ってた。父さんも、それに頷いてた。
その稼ぎから、私の生活費と足りない収入を、工面するんだって――」
もう、姉さんの言葉を最後まで聞く気にはなれなかった。
僕は、ほとんど無意識のままに、姉さんに強く抱きついて――
そのスキだらけの唇に、深い口付けを落とした。
「……ん、あっちゃん、ここまでしてくれて、本当にありがとう……。
……ねえ、もっとやってほしいの。もっと、あっちゃんをちょうだい?
……乱暴されないように頑張った私に、もっとごほうびをちょうだい?」
ベッドの上に倒れこみながら、両腕を僕の身体に絡ませてくる姉さん。
着ている服をわざわざ着崩して、艶っぽく僕に囁きかけてくる姉さん。
そんな姉さんに対して、僕は、抗うことなんかできずに――
489 かまわれたがりのしゃぼんだま (10/11) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/04/30(木) 09:28:36 ID:07W500MU
目が覚めたのは、そろそろ朝日が昇ろうかという時間だった。
隣を見ると、一緒に眠ったはずの姉さんの姿がなかった。
まさかあの両親に遠くへ連れて行かれたのかと思ったけど、違うようだ。
まだ姉さんの荷物が残っている以上、さすがにそれはないはずだ。
結局僕は、姉さんと身体を重ねてしまった。
今にして思えば、ずっと姉さんは、こうなりたがっていたんだと思う。
多分ずっと僕も、姉さんとこうして、一緒になりたかったんだと思う。
「やっぱり僕は、姉さんと離れたくなんか……ないんだよなぁ………」
僕はもう止まれない。子供の戯言と笑われても構わない。
僕はこれから、姉さんを守る。姉さんと引き離されるものか。
姉さんと最期まで共に居られるように、手段は選んだりなんかしない!
そう決意する――その瞬間、僕は気づいてしまった。
姉さんが大事にしていたアクアリウム内の、空気循環器が停止していることに。
そろそろ出勤するはずの父さんと母さんの足音が、まったく聞こえないことに。
「あっちゃん、ただいま。私帰ってきたよ……」
姉さんの声に僕は振り向き――姉さんの右手にあるモノを見て、言葉を失った。
「あのね、あっちゃん。私とってもとっても、がんばってきたんだよ?
私とあっちゃんを引き離そうとした父さんと母さん、殺してきたよ?
それと前に話してくれた、あっちゃんにちょっかい出してた雌猫――
えっと確か、水包さんとかだっけ? あれもちゃんと殺してきたよ?」
姉さんがいつものように、頑張ったことを報告してくる。
刃先にべったりと赤色の付着した、料理用包丁を携えて。
自分の身体には1滴さえも、赤色を付着させないままで。
「そうだったんだよね。最初っから、こうすればよかったんだ。
私とあっちゃんの邪魔をするヤツラなんて、皆刺しちゃえばよかったんだ。
そうしたら、あっちゃんはどこにもいかない。私もどこにもいかないで済む。
なんて、簡単だったんだろ……、なんて、いい考えだったんだろ!?」
姉さんの言っていることが、瞬時には理解できない。
ただ、姉さんは純粋な瞳で、微笑みで、自分の行為を説明している。
そうすることで、またいつものように、僕に構われると信じながら。
「私たちにちょっかいを出す連中は殲滅したよ。あっちゃん、褒めてくれない?
あ、でも殺しちゃったのはダメかな? じゃああっちゃん、叱ってくれない?
ねえ、あっちゃん。褒めて撫でて叱って叩いて褒めて撫でて叱って叩いて……」
姉さんの言葉が理解できた頃には、僕の心には絶望しかなかった。
姉さんはもう、僕の手に届かないところに、行ってしまっていた。
もう僕には、姉さんを守ることが、できなくなってしまっていた。
一度壊されて、なんとか再起した姉さんが、また壊れてしまった。
だから僕が、姉さんに対して、できることはもう、ひとつだけだ。
僕は、近づいた姉さんから包丁を奪い取り――
姉さんの臍のあたりを、その刃先で、深く薙いだ。
そしてそのまま返す刃で、自分の胴も深く薙いだ。
490 かまわれたがりのしゃぼんだま (11/11) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/04/30(木) 09:31:57 ID:07W500MU
「あ、あっちゃん………、どうしたの………、なんで………?」
かすれ気味の言葉とともに、崩れ落ちそうになる姉さん。
「ごめん、ごめんなさい、姉さん…………」
僕も崩れ落ちそうになり――姉さんの身体にもたれかかって、留まった。
今僕たちは、互いの身体にもたれあって、なんとか立ち止まっている状態だ。
「姉さん、泡姫……姉さん、ごめんなさい姉さん。
姉さんは頑張ったんだけど、それはやっちゃいけないんだ。
そんなことしたら、今度こそ僕らは、一緒に居られなくなる。
だから、僕は姉さんを……。本当に、ごめんなさい姉さん……」
腹部の痛みに耐えながら、なんとか姉さんと僕の傷口をぴったりと合わせる。
最期の瞬間まで、姉さんと1秒でも長く、会話を続けるために。
「そっかぁ……、私やっぱり、悪いことしちゃったんだね………?
だから、あっちゃんはわざわざ、こうやって叱ってくれたんだよね?」
僕に殺される直前でも、いつものように僕を信じてくれる姉さん。
僕は、そんな姉さんに、こういう形でしか、最期をあげられなかった。
「姉さんごめんね、僕は姉さんを守れなかったんだよ……。
僕は姉さんに、最期まで付き合うって、誓ってたんだ……。
だから、僕も一緒に逝くから、許してください、姉さん……」
「えへへ、いいんだよ、許してあげる。頭だって撫でてあげる。
あっちゃんと一緒に死ねるのなら、私はそれだけで嬉しいの。
懐かしいなぁ……、昔は私から、たくさん撫でてたのにねぇ……」
そう言って、僕の頭を片手で撫でてくれる姉さん。
バランスを崩し、よろめきながら、僕たちはベッドの上に倒れこむ。
それでも僕も姉さんも、お互いを掴む腕を離さなかった。
けれど倒れた衝撃で、くっつけていた傷口から、ますます血が流れ出す。
「姉さん、眠くなってきたね。子守唄でも歌ってよ。それで2人で眠ろう?」
「いいよ。でも子守唄は覚えてないから、シャボン玉の唄を歌ってあげる。
……ううん、一緒に歌おうよ。歌詞はちゃんと、覚えてるんだよね?」
その言葉に、僕は肯定の意思を言葉で返す。もう首さえ動かすのがツライ。
「しゃ~ぼんだ~ま~と~ん~だ~♪」「や~ね~ま~で~と~ん~だ~♪」
姉さんは――泡姫は、死んでもずっと、僕を愛してくれると思う。
「や~ね~ま~で~と~ん~で~♪」「こ~わ~れ~て~き~え~た~♪」
だから僕も、死んでもずっと、泡姫を愛してあげようと思う。
「「か~ぜか~ぜ~ふ~く~な~……しゃ~ぼんだ~ま~と~ば~そ~……」」
もし生まれ変われるなら、また泡姫と――今度は恋人として、生きていきたいな――
――最後の瞬間に、泡姫の口付けの感触を唇に感じて、僕の意識は泡のように弾け飛んだ。
― The good-bye that we split open. ―
最終更新:2009年05月08日 22:11