171 あまい
あまいあねのはなし (1/6) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/06/30(火) 22:44:16 ID:tdQV/6ZH
ただ無限に広がる暗闇。その中に漂う自分の身体。
奇妙な浮遊感に、何故だか意味もなく不安になる。
そんな時、不意に自分の身体が、柔らかな光に包まれた。
その光は、極端に眩いわけでも、熱を帯びているわけでもない。
けれど柔らかくて温かくて、そして懐かしい匂いがする。
ってちょっと待て。この匂いはもしかして……?
そんなボクの思考と葛藤をよそに、光は徐々に形を成す。
それは女性の輪郭を伴って、優しげな表情をこちらに向ける。
ボクはその人を、その表情を、とてもよく知っている。
そしてその人影は――彼女は、微笑みながら、ボクに口づけを――
「……ぅあぁっ!?」
嫌な予感がしたので、とりあえず気合いを入れて、覚醒してみた。
ボクは自分の部屋の布団の中にいて、窓からは朝日が差し込んでいた。
予想通り、さっきのよくわからない体験は、全部夢だったようだ。
とそこで、ボクは自分の身体にかかる、人肌の感触に気づいて――
前言撤回。夢だけど、夢じゃなかった。
夢の中でボクを包んだあの感覚は、どうやら現実のものの切片――
いまボクの身体に圧し掛かっている、ボクの
姉さんが原因だったようだ。
「……で、何をやっているんでしょうか、姉さん?」
「……ん、大好きな静二くんの匂いを嗅いでたの♪」
………………………………はっ!?
いけない。あきらかに意識が、どこかに飛んでしまっていた。
可愛らしい科白を、抱きついてくる女の子に、上目遣いで言われたせいだ。
例えその女の子が実の姉だったとしても、これは思わず照れてしまうって。
ボクの名前は雨音静二(あまねせいじ)。おそらく凡庸な、普通の高校生だ。
そして今僕に抱きついているのが、姉の雨音静香(あまねしずか)。
名前の通り物静かで無口な、少々過度なブラコンの、綺麗な黒髪の美少女だ。
「あのさ姉さん? 今日はボクら学校があるんだから、早くどいてくれないと……」
「えへへ~♪ 照れる静二くんも可愛いな~♪」(ぎゅ~~)
そう言いながら、姉さんはボクの胸元に鼻先を擦りつけて、深く抱きついてくる。
いつものことながら、姉さんが自分から離れてくれることはない。
「や、あのその……、なんでもいいので、とにかく離れてください……」
パジャマ姿の姉さんの柔らかさが、ダイレクトに伝わってきて――正直気まずい。
「……静二くんの匂い、いいにおいだから、もっともっと欲しいの」(ぎゅ~~)
「いやそのね、姉さん? 『もっと』じゃなくて、今日は学校……」
「……そんなの、別にどうでもいいよ。うん、どうでもいい。
わたしは学校よりも、優しい静二くんを抱きしめていたい。
……ねえ、静二くん大好き静二くん大好き静二くんだいs」(ぎゅ~~)
「わ……わかったから姉さんっ! もう昨日みたいな意地悪言わないからっ!?
一緒に手を繋いで歩きたくないなんて、言わないから!?
だから……、や、やめてえええええぇぇぇぇぇぇぇっ!?」
――だいたいこんな感じで、雨音家の朝は始まる。
172 あまいあまいあねのはなし (2/6) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/06/30(火) 22:45:59 ID:tdQV/6ZH
「それで、また2人で仲良く遅刻した、と。あはは、このバカップルめ!」
「誰がバカップルなのさ誰が。まあ2人で遅刻したのは本当だけどさ……」
「というかおまえら、そろそろ自覚したほうがよくないか?
傍目からみたら、おまえら姉弟というより恋人同士にしか見えねぇっての」
「だから違うって……」
昼食の時間、同じクラスの友人、浮雲騒太(うきぐもそうた)との会話。
結局ボクと姉さんは始業時間に間に合わず、遅刻扱いで学校に登校した。
遅刻自体は今の学年になって20回目くらいで、悲しいけれどもう慣れた。
そしていつ頃からか、担任や風紀委員からの説教や厳罰も受けなくなった。
それどころか生徒指導の教諭でさえ、呆れてボクらには注意しなくなった。
まあそりゃあね、毎回手を繋いで歩いてくる姉弟だし、気持ちはわかる。
というか姉さんも、いい加減進級できなくなったらどうするんだろうか。
もう1度同じ学年を繰り返すなんて、ボクは辞退願いたいんだけどなあ。
「でも2人とも、また学校中の噂になってるよ?
『相思相愛の姉弟が、また夫婦仲良く重役登校してた』って」
「……そ、相思相愛だなんて、わたしたち別にそんなことないよ?
わたしと静二くんは、どこにでもいるような、普通の高校生姉弟だよ?」
「はいはい。普通の姉弟は遅刻しても、仲良く手を繋いで登校しないもんよ?
まあ貴女がそう言うんなら、静二くんとは普通の姉弟ってことにしとくわ」
「……むうぅぅ。だからホントに違うんだってばぁ……」(ぎゅ~~)
こちらは姉さんと、姉さんの親友の鳴神硝子(なるかみしょうこ)さんの会話。
こちらもこちらで、ボクと姉さんを同時にからかうような話題を出している。
なんでボクが、姉さんとその友人の会話の内容を聞いているかって?
姉さんがボクのすぐ隣に居て、ボクの腕に抱きつきながら会話しているからさ。
「そんなにバカップル扱いされたくないなら、いい加減ボクの腕を離してよ姉さん?
そんなことばかりやってるから、ボクら2人とも、姉弟で恋人扱いされるんだよ?」
「……だったら、もし学校で自重したら、おうちではぎゅってしてくれる?
……それだったらわたし、ここではじっと、我慢してあげるよ?」
「いや、別に場所が違えばいいってわけじゃないんだけど……。
ていうか、そんなことこの状況で言っちゃうと、また……」
「ほほう、やっぱり君らはラブラブで、イチャついてるんだねぇ?」
「本当に、羨ましい限りだなオイ。美男と美女の姉弟カップルめ!」
姉さんを振り解くより早く、両側の友人たちから冷やかされる。
まあ、ボクたち姉弟がいつも一緒なんだから、当然その友人同士も仲がいいわけで。
「「いや、だから違うって!」」
ってしまった。またハモりながら返答してしまった。
「嘘吐きなさい。2人ともどう見たって、ただの姉弟以上に息ぴったりじゃない?」
「ブラコンやシスコンで許される年齢じゃねえけど、正直羨ましいよチクショウ!」
「「ううぅぅ…………」」
この後しばらく、騒太と鳴神さんにからかわれたのは、言うまでもない。
174 あまいあまいあねのはなし (3/6) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/06/30(火) 22:47:49 ID:tdQV/6ZH
――♪き~ん、こ~ん、か~ん、こ~ん……
「っと、もう昼休みも終わりじゃないか。いったい何やってたんだ俺ら」
「何って、ボクと姉さんをひたすらからかってただけだろう……」
「まあしょうがないわ。からかいがいのある、貴方たちが悪いんだし」
「……うう、絶対うそだぁ~……」(ぎゅ~~)
もう諦めよう、姉さん。今は何を言っても信じてもらえないよ。
だって姉さん、今もずっと、ボクの腕に抱きついているんだし。
「それより2人とも、冗談抜きでそろそろ離れたらどうなんだ?」
「そうだよ? もうすぐ授業が始まるんだし、怒られちゃうよ?」
「というわけで、姉さんもさっさと離れて、自分の席に戻って?」
「ううっ、今度は静二くんまで、わたしをいじめるだなんて……」
「「「いや、授業はちゃんと受けようよっ!?」」」
今度は思わず、姉さん以外の3人で揃って突っ込んでしまった。
姉さん、いったい貴女は学校に、何をしに来ているんですか?
「あ~、いいからおまえたち、早く席に着いてくれないか……?
さっきのは予鈴じゃなくて5限目のチャイムだし、次俺の授業……」
「「「「あ、ごめんなさい先生……」」」」
実はボクと姉さんは、クラスメイトの関係だったりする。
もちろん姉さんは、ボクたちとは1歳離れている。それは確かだ。
だから、本来なら2年生の教室にいるのが当然――のはずなのだ。
けれど姉さんは、中学2年の頃にいろいろあって、一度留年している。
年子だった姉さんとボクは、その間に学年が並んでしまい――
それから2年と少しの間、ボクと姉さんは同じクラスでやっている。
最初の頃は姉さんも、元後輩と並んで勉強することに辟易していた。
けれどボクがいつも同じクラスにいるうちに、そんな悩みもなくなった。
というか、いつもボクにくっついていることで、やり過ごしていたというか。
……あの頃からだろうか、姉さんがボクに半ば依存するようになったのは。
「なあ、雨音弟……、俺の授業が退屈なら、そう言ってくれれば助かるんだが……」
「あっ、その、すいませんでしたっ」
考え事をしていたら、授業のことを忘れていたらしく、先生に怒られた。
ボクたちが無事に学校に通えるのは、半分以上がこの人のおかげらしい。
だというのに、いつもいつも迷惑かけ通しで、正直申し訳ない。
「………ああ、わかったよ雨音姉。これ以上は弟のことを叱らないから。
だから無言でこちらを睨むのは、お願いだからやめてくれ。怖いから」
……本当に、迷惑かけっぱなしで、すみません先生。
175 あまいあまいあねのはなし (4/6) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/06/30(火) 22:49:46 ID:tdQV/6ZH
――♪き~ん、こ~ん、か~ん、こ~ん……
「ん~よし、今日の授業はここまで。次の授業までに覚えとけ。
ああそうそう、雨音姉は今日、保健委員の仕事があるそうだ。
だから放課後、帰宅する前に保健室に来なさい、とのことだ。
……ちなみに、雨音弟と一緒に来るのは駄目、とのお達しだ」
「…………えぇ~~?」(ぎゅ~~)
「姉さん、なんで授業が終わると同時に、ボクの真横に接近しているのさ……?」
疑問に思って尋ねるボクを、ただいとおしそうに見つめてくる姉さん。
姉さんの七不思議のひとつ、瞬間移動なみの行動力だ。
いつも授業終了のチャイムと同時に、僕の真横に移動している。
それもなんの移動音も、なんの気配も感じさせずに。まさに神出鬼没。
誰に聞いても、いつ姉さんが移動したか気づかない。まさに電光石火。
今日もまた、教室の廊下側の座席から校庭側の座席まで、誰にも気付かれずに移動する。
「また見えなかった……、本当にいつ移動してんだおまえさんは。
それに仕方ないだろ、あの保健教諭から直々の指示なんだから。
おおかた前に無理やり弟を連れて行って、仕事にならなかったんだろう?
おまえさんは学力も才能もある代わりに、やる気だけがないんだから……」
溜息混じりな先生の容赦ない口撃に、なにも言葉を返せない姉さん。
まあ、心当たりはあるし、しょうがないといえばしょうがない。
「……うう、静二くぅん……?」(うるうる)
またそんなすがるよう眼差しを向けて――あ~仕方がないなあもう!?
「1人で仕事をこなす女のひと――姉さんって、すごく素敵だと思うよ?」
ボクがそんな歯の浮くような科白を吐くと同時に、顔を真っ赤にする姉さん。
「……!? う、うんわかった! わたし、がんばってくるからねっ!?」(ぎゅ~~)
「うん、それでこそボクの自慢の姉さんだよ。ちゃんと頑張ってきてね?」
ボクの言葉に耳まで真っ赤にしながら、全力で抱きついてくる姉さん。
ああよかった、これでちゃんと仕事をやりに行ってくれそうだ。
……ざわ……ざわ……どよ……どよ……
……口説いた?……すごい……いい笑顔♪……ラブラブ……
……あの、お願いだからクラスのみんな、そんな目でボクを見ないで。
実は説得した本人こそが、一番恥ずかしい思いをしてるんだから……
176 あまいあまいあねのはなし (5/6) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/06/30(火) 22:51:21 ID:tdQV/6ZH
少し時間は進んで、夕暮れ時の放課後。
ボクはたった1人で、校門の前に立っていた。
「あれ? こんなところで雨音弟だけってのも珍しいな?
いつもくっついている『砂糖菓子(シュガーシス)』はどうした?」
隣のクラスの男子連中(たぶん再登場はないので名無し)に冷やかされる。
「ボクの姉を変な通り名で呼ぶな。姉さんには『静香』って名前があるんだ」
「ああ、いや悪かった。まあ偶には離れてることくらいあるよな?
まあ待ち合わせのところ悪かったよ。そんじゃあ……」
そう言って、そそくさと逃げるように立ち去る男子AとB。
う~ん、いくらなんでも少し怒りすぎたかな?
姉さんはその異常なまでのブラコンっぷりから、何故か通り名がついている。
その名も『砂糖菓子』――と書いて『シュガーシス』と読む。
常にボクに甘える姿と、誰からも愛される美しい外見。
そして弟を溺愛する姉、という特徴がその名の由来――って騒太が言ってた。
ちなみに、この名称を考案したのは騒太のやつらしい。何やってんだアイツ。
広めたのは自分じゃないって言っていたけど、とりあえず1発殴っておいた。
あ~もう、なんでボクは律義に、姉さんの帰りを待ってるんだろう……。
別に姉さんに「待ってて」なんて、一言も言われてないのに。
「……の、……あ…、……あのぅ…………」
でもまあ、ほったらかしにして帰ったら、また機嫌悪くなるしなぁ……。
そしたら、今日からまた1週間くらいはずっと、くっつかれるし……。
「あ、あ、あの、えっと……っ、1年の雨音静二さん、ですよねっ!?」
「うわぁっ!? びっくりした……って、あなたは誰ですか?」
「あ、あの突然でごめんなさいっ! 私は2年の氷雨玲子っていいます!」
「あ、先輩だったんですね。どうもこんにちは……」
「えっと、はい、こんにちは……」
ううん、なんだか気まずいな。よくわからないけど。
急に話しかけられたのは自分なのに、こちらから喋らないといけない気がする。
「ええと、氷雨先輩……? ボクに何か用ですか?」
「あ、はいっ! 私、あなたに言いたいことがあって、来ましたっ!」
あれ、なんだろう? なにか嬉しいことが起こる予感がする。
と同時に、なにか恐ろしい惨劇が起こる予感までしてきたぞ。
「あ、あの……っ! わた、私とおつ、おつき――」
「あ、静二くんだ~!」
その時、学校の玄関のほうから、いつも聞いている声が聞こえてきた。
「ん? この呼び声は姉さ――」
いつものように、ボクは振り向こうとして――何故かそこで視界が暗転した。
最後にものすごい衝撃と、ものすごい寒気を、全身に浴びたのを感じながら。
177 あまいあまいあねのはなし (6/6) ◆6AvI.Mne7c sage 2009/06/30(火) 22:53:02 ID:tdQV/6ZH
ただ無限に広がる暗闇。その中に漂う自分の身体。
奇妙な浮遊感に、何故だか意味もなく不安になる。
そんな時、不意に自分の身体が、柔らかな光に包まれた。
その光は、極端に眩いわけでも、熱を帯びているわけでもない。
けれど柔らかくて温かくて、そして懐かしい匂いがする。
それは女性の輪郭を伴って、優しげな表情をこちらに向ける。
そしてその人影は――彼女は、微笑みながら、ボクに口づけを落として――
「……あれ、ここはどこだ?」
「……あ、よかった! 気がついたね静二くんっ……!?
……ごめんなさい。眼を覚まさないかと思っちゃった……」(ぎゅっ)
なんだか怖いことを言われながら、姉さんに謝られて抱きしめられた。
どうやらここは、通学路の途中にある公園――のベンチの上らしい。
さらに言うと、ボクの頭は今、姉さんの太ももの上に乗っている。
単純に言えば、ボクは今姉さんに膝枕をされている、ということだ。
……とりあえず姉さん、胸が顔を塞いで苦しいので、解放してください。
「……もう一回謝るけど、ごめんなさい静二くん。わたしが悪かったの。
静二くんはさっき、飛びついたわたしにビックリして、気絶しちゃったの。
つい後ろから思いっきり抱きついたのが悪かったの。本当にごめんね……」
そうか、ボクは姉さんに飛びつかれた勢いで、倒れでもして気を失ったのか。
ちょっと前後の記憶が曖昧だけど、姉さんがそういうなら間違いないだろう。
「……あれ? そういや姉さん。ボクに飛びついた時、他に誰かいなかった?
たしかあの時、誰かに話しかけられて、立ち止っていたような気が――」
「……ううん、いなかったよ?」(ぎゅ~~)
「ん~、でも確かに」
「……いなかったよ。うん、静二くん以外誰もいなかった」(ぎゅ~~)
何故か真顔で、ボクの瞳をただただ見据えてくる姉さん。腕が痛い。
よくわからないけれど、これ以上詮索しても無駄だろうし、やめてこう。
思い出せないのなら、たぶんその程度のことなんだろうし。
「とりあえず、もうすぐ日が暮れるから、早くウチに帰ろう?
今日はボクの料理当番だったから、急いで準備しないと――」
「あ、それなんだけど、今日は大事をとって、静二くんは休んでて?
お詫びにわたしが、静二くんの大好きな料理をいっぱいつくってあげる」
「いや、ボクは別に大丈夫だs」
「……だから、楽しみにしていてね、静二くん?」(ぎゅ~~)
……まあいいか。今日くらいは姉さんに、思いっきり甘えよう。
「……じゃあ静二くん、また手を繋いで、一緒に帰ろう♪」
そうだね、と言いながら、ボクは姉さんの手を優しく掴んであげた。
それを確認した姉さんは、ボクの手を軽く握り返して、2人並んで歩きだした。
――隣を歩く姉さんの横顔は、夕日に照らされて、とても綺麗な笑顔だった。
― "The story" END & Next time "The cake" ―
最終更新:2009年07月21日 18:56