人と妖の姉 一話

38 人と妖の姉 sage 2009/10/09(金) 22:36:46 ID:HVyHnlDi
 現在は空で星が煌く夜。
 街のネオンサインや電光が、闇の世界に独特の魅力を彩りしている。
 遠くから見たその光景は、地上が星の海と化したような美しいモノだった。
「五月蠅くて空気が不味いあの街も、こんな所から見ると中々綺麗なもんだな……」
 呆れながらも何処か感心したような声が、静かな夜に響いた。
 街からはそれなりの距離が離れているこの場所は、今は廃墟となった工場の跡地である。
 山が近いということもあってか、森林地帯の中に建てられており、夜の闇と相まってより一層不気味さを醸し出していた。
 その工場の一室に佇んでいるのは、一人の少年であった。
 この少年が、先程の声の主である。
 夜風に何の抵抗も無く靡く鮮やかな黒髪。年齢は十代半ばであろうか、ややスラリとしたその目つきを、部屋の窓の外へと向けている。
 身に付けている衣服は何処かの学校の制服ではなく、ちゃんとした大人が着る黒を基調としたスーツである。だが上着のボタンは全て外しており、ネクタイは首元がだらしなく緩々としている。
 やがて少年は窓から見える街の光景に飽きたのか、どうでもよさそうな感じで窓に背を向け、工場の奥へと足を進ませる。
 夜の闇と無音が支配するこの錆びれた工場は意外と広く、中は複雑に入り組んでいた。
 少年は何かを探すようにあちこちへと視線を送り、何の躊躇も無くどんどん奥に進んで行く。
 そして彼はある一つの部屋の前に辿り着いた。
「作業場」と書かれたプレートの扉を開けると、そこにはそこかしこにミシンや電動鋸が放り捨てられている部屋だった。広さの規模は中々大きく、人数十人入っても十分余裕がある位だ。
 少年は部屋に入って扉を閉めると、辺りを見渡した。
「――当たりだな」
  そう呟いた瞬間、床から黒い手が覗き出し、少年の右足首を乱暴に掴んだ。


39 人と妖の姉 sage 2009/10/09(金) 22:44:30 ID:HVyHnlDi
『……ォオ……オオォ……』
 少年のとは全く違う、酷く低く不自然な声が、床から響いた。
 足を握る黒い手は、捥ぎ取らんばかりの握力を誇っている。
 だが当の本人は、平然とした顔でいる。
 しかしその直後、部屋の壁や床全体から、黒い手が無数に現れた。
『トモニ……ウマロウ……チノソコヘ――』
「地獄に叩き落とされるのはお前だけだ」
 不気味な声の言葉を遮るように、少年が静かに力強く言い放ち、同時に右足を勢い良く振り上げた。
 それに釣られて足首を掴んでいた手も引っ張られ、床に隠れていた手以外の部分がその姿を曝した。
 ソレは、人の形をした――黒。
 顔の部分は瞳が二つだけで、鼻と口は無い。
 見ただけで怖気の走るソレに向かって、
「吹っ――」
 少年は大きく息を吸い、
「――っ飛べ!」
 腕を振りかぶり、左ストレートをソレの顔面に放った。
 激しい打撃音が響き、ソレは空中で身体を回転させて奥の壁に激突。
 壁にはヒビが入り、ソレは力無く床に倒れた。
 少年は両手を合わせて骨をポキポキと鳴らす。
「俺は埋まる気なんて微塵も無い。俺がすることは一つだけ、お前を斃すことだ」
 余裕の表情で淡々と言い放つ彼と反して、黒いソレは怒りに身体を震わせる。
『ォ……ォォ…………オオオオオオオオ!!』
 ソレが叫び声を上げるのと同時に、部屋中に生えていた手が、一斉に少年に向かって伸びて来た。
(あいつが操っているように見える分、本体はあいつ一匹ってことか)
 向かって来る四方八方の手に目をやりながら、少年はなおも冷静だった。
 タンッと軽く足踏みをした直後、彼の両足が瞬時に紅く輝き始めた。
「はぁあっ!!」
 右足を軸に、少年は左足で回し蹴りを放つ。
 右足がドリルのように床を抉り、左足は目にも止まらぬ速さで回転し、襲いかかって来た手を容易く吹き飛ばした。
  驚愕する黒いソレに向かって、少年が喋る。
「俺は久衣那 綾斗(くいな あやと)。しがない退魔師だ。仕事の依頼でここに巣くっているお前を斃しに来た」




40 人と妖の姉 sage 2009/10/09(金) 22:49:40 ID:HVyHnlDi
『タイマシ……タッタ……ヒトリデ……クルトハナ……』
「もう一人来ているが、はっきり言って俺にやられた方がマシだぞ。おっかないからな」
 その言葉を最後に、少年――綾斗は腰を低くさせ、両拳を前に出して身構える。
 紅く輝いたままの両足を踏ん張り、床を蹴り黒いソレに向かって突進する。
 突進している間に、両足を包んでいた紅い光は消滅し、その代わりに今度は両手がその光に包まれた。
 ソレの眼前に迫った綾斗は拳を振り上げる。
 ソレはすぐさま自らの身体中から幾つもの手を生やし、それを全て身体に巻き付けて守りに徹した。
 綾斗の紅い右ストレートが直撃する。
『ヌウッ……!』
「硬いな」
 ズシンと重い振動が響くも、黒いソレは一瞬呻いただけで大したダメージは負っていない。
 綾斗はそれでも冷静とした表情。
「腕力が通用しないなら、その三倍の威力を持つ脚力なら――どうだ!」
 左手の紅い光を消えさせ、左足に再び光を纏わせてローキックを放った。
『ゴォ!?』
 蹴りの威力に流されるままに、ソレは真横に吹き飛ばされた。
 床に叩き付けられ怯むも、綾斗と間合いが開いたのを好機に身体に巻き付かせていた手を解き、その手を伸ばして突きを繰り出した。
 向かって来る鋭い手の脅威を、綾斗は身体を反らして紙一重で避ける。
 足元に飛んできた手を軽く飛んで避けると、その手に器用に乗って走り出した。
 瞬く間に二人の距離が無くなり、綾斗は紅い蹴りを顔面にめり込ませる。
 『ブホァア!?』
 間髪入れずに、紅い右フックを横腹に。
 紅い膝蹴りを顎に。
 連続で仕掛けてくる猛攻を、最早ソレはなす術無く喰らい続ける。
 勝敗は完全に決した闘いであった――一対一の闘いであったのであれば。
「終わりだ!」
 トドメと云わんばかりに、綾斗が渾身の一撃をソレに放とうとした瞬間。
 グイッと、身体が後ろから何かに引っ張られる感覚に、見舞われた。


41 人と妖の姉 sage 2009/10/09(金) 22:55:21 ID:HVyHnlDi
(何だ!?)
 綾斗が身体の自由が利かなくなったことに驚き、後ろに振り向く。
 そこには、自分の前方に居る黒いソレと全く瓜二つの黒いソレが、後ろから自分の両腕を掴んでいた。
(もう一匹隠れていたのか!?)
 てっきり敵は一匹だけと油断したことに自分を叱咤する。
『キャ――――キャキャキャキャキャキャ!!!!』
 背後にいる黒いソレは、目だけの顔を歪めて狂ったように笑い始めた。
 綾斗はすぐに頭を切り替えて後ろの黒いソレを迎撃しようとする。
 だが、前に居る先程斃しかけた黒いソレが無数の手を伸ばし、綾斗の身体に巻き付かせて手足を固定した。
「ぐっ!?」
『ユダン……シタナ……タイマシ……』
『オマエノソノレイリョクヲクラエバ! モットモットツヨクナレル! マズハハヤクシネ!!』
 二匹のソレが言い終わると同時に綾斗を拘束している手が、圧迫し始めた。
「ぬぅう!」
 ミシミシと身体が悲鳴を上げる。骨が軋む。
 これまでかと言う思いが頭を過ぎった瞬間、

「私の弟に手を出すな」

 とても無機質で静かな声が、はっきりとその場に響いた。
 その直後、この部屋の一つしかない扉が轟音を上げ、爆炎と共に吹き飛んだ。
 爆風に巻き込まれ、綾斗と二匹のソレはバラバラの方向に散らばる。
 爆炎が消えると、今度は黒い煙が部屋中を覆った。
「げほっ! ごほっ!」
 咽る綾斗を尻目に、二匹のソレらは一体何が起こったのか全く理解出来ずに混乱していた。
 しかし綾斗自身は、この事態が何の仕業かすぐに分かった。
 煙の向こう側から誰かがゆっくりとした足音で、こちらに近付いて来る。
 やがて影が見える位まで近付くと、煙がまるで操られたかのように強風と共に晴れた。
 そこに佇んでいたのは、腰まで伸びて風に流されるように靡く黒髪をし、身体のラインにぴったりと合っている紺のスーツを着た、
年齢は二十代前半であろう凛々しい女性であった。
 あまり感情の感じさせない静かな表情をしているが、鋭い眼つきは意志の強さを表している。
「……姉さん……」
 彼女の姿を見た綾斗がそう呟くと、目の前の女性は鋭かった眼つきを変え、慈愛の籠もった視線を彼に送った。



42 人と妖の姉 sage 2009/10/09(金) 23:00:47 ID:HVyHnlDi
「大丈夫?」
 女性は綾斗に近付くとしゃがみ込み、彼の頬に手を添えた。
「ちょっとヤバかったけど大丈――」
 問いかけの返事が遮られ、むぎゅっと、綾斗の顔が柔らかいモノに包まれた。
 女性がその豊満な胸で、綾斗の頭を抱きかかえたのである。
「良かった……本当に良かった」
 心の安寧を取り戻したかのように、女性は綾斗の感触を確かめる。
 髪を撫でながら頭に頬を寄せ、表情に笑みが零れる。
「ちょっ……ちょっと姉さん! 今はこんなことしてる場合じゃ……」
「ええ、ええ。分かってる。でももう少しだけ……このままで」
 弟の言うことを対して聞き流すように返事をし、なおも愛おしそうに抱き続ける。

『キャ――――――――ッ!!!』

 しかし、二人の世界を破るように、黒いソレの片割れが狂った叫び声を響かせ、両手を振り上げて背後に迫っていた。
「姉さん!」
「無粋」
 慌てる綾斗とは裏腹に、女性は声と表情を氷のように冷たくさせる。
 右手は綾斗を抱いたままで、左手を黒いソレに向かって薙ぎ払った。
 左手からヒュッと風を切る何かが飛び出し、それが敵の顔面に命中した。
『ムォ?』
 だが命中した割には痛みは無く、黒いソレは怪訝に思う。
 顔面に当たったのは、一枚の紙片であった。
 手の平サイズの紙片は縦に長い長方形をしており、見たままの御符という代物だった。
 御符には細かい文字が羅列されているが、一文字だけ「爆」と、大きく中央に書かれていた。
『コンナカミガナンダッテイウン――!!』
 黒いソレが叫ぶのも束の間、突如ソレの顔が、派手な爆音と爆炎を上げて吹き飛んだ。
「その声を聞くと耳が腐りそう。私が聞きたい音は自然の音と綾斗の声だけ」
 完全に顔が無くなった黒いソレは、残った首から煙を上げて床に倒れる。
 そしてその身体は風に流されるように、消えていった。
 その一部始終を見ていたもう片方の黒いソレは言葉を失った。
  女性は残りのソレに目を向け、冷徹に言い放つ。
「私は退魔家系・久衣那流現当主――久衣那 綾架(くいな あやか)。
私の弟を苦しめた罪と罰、受けてもらう。ただで殺しはしない。覚悟しなさい」
 女性――綾架はそう言い放つと、左手のスーツの袖から五枚の御符を取り出した。

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最終更新:2009年10月17日 22:17
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