青年の詩、少女の季節 第4話

286 名無しさん@ピンキー sage 2010/01/11(月) 02:49:18 ID:1bZR+LLh
 「あれ?おっかしーな……」
リビングの時計が八時を告げたころ、俺は年代物の冷蔵庫の上段に顔を突っ込んで、まるで大昔の鉱夫のごとく冷凍食品をかき分けていた。
確かこの前買ったはずのが……。と試しに製氷室も開けてはみるが、そもそも製氷室にそれが入るようなスペースは無かった。
あっれ?とか、おいおい。とか呟きながら、俺はひたすらに冷食と保冷剤と冷凍エビしかないような冷凍室をひっくり返す。
「兄さん?」
俺はその声に冷凍室から顔を離すと、俺の背後にはこちらを怪訝そうに眺めるそらの姿があった。
「ああ、そら」いいところに来た。とばかりに俺は口を開く。「俺がこの前買ったアイス知らないか?」
「アイスなら切らしてる」
「本当にか?」
「本当に」
おかしい。昨日見たときはお徳用のソーダ&バニラバーがまだ冷蔵庫の中に数本ほど残っていたはずだ。
「じゃあなんで余ってたのが消えたんだ……」
多分誰かが食ったに違いないだろうが、一体誰が食ったんだ。と、そらの方を振り返る。
案の定、そらは平静を装いながらも視線をそらす。
「…………ちょっと夜に、お腹がすいて……」
なるほど。と俺は頷きながら冷凍室を閉める。
こういう場合、あえて俺はそらを責めない。
だが別に俺は妹を甘やかして責めないのではない。責めればそらのお菓子をちょこちょこつまみ食いしている自分の犯行が責められるからだ。
「仕方ねえなぁ……」
俺はキッチンを後にして、ダイニングの扉を開く。扉一つ隔てた廊下は、これほどまでに寒暖差があるのかと驚きたくなるほどにうすら寒かった。
廊下を駆けるようにして自室へ戻ると、コート掛けから冬用の分厚いジャンパーを取り出し、普段着の上からそれを羽織る。
そのまま無造作に机の引出しをあけると、お菓子の箱を改造した小物入れの中から少しくたびれ気味な鍵を取り出す。
そして通学鞄から財布を抜き取ってジャンパーのポケットに突っ込むと、俺は部屋の隅に転がっていたヘルメットを拾い上げた。
「そらー」再びダイニングの扉をあけると、ダイニングから一間続きのリビングでくつろいでいたそらに向かって叫ぶ。「アイス買いに行くけど何かリクエストあるかー?」
「え?今から買いに行くの?」呆れたような顔でそらは俺の顔を眺めていたが、やがて立ち上がって、こちらの方へと歩いてきた。
「じゃ私も行く」そらはぶっきらぼうな口調で言った。「他にも買いたいお菓子とかあるし。ちょっと待ってて」
そう言ってそらは兄妹共用の部屋に消えると、しばらくして冬用のコートを羽織り、ちょこんとリサイクルショップで買ったヘルメットをかぶった姿で再び現れた。
二人揃って玄関を出て、まるで刑務所か何かのような厳めしいエレベーターで一階まで下りると、そらを玄関で待たせて、俺は駐輪場へと向かう。
それは駐輪場の片隅に止められていた。
ほぼ年式不明のヴィンテージ・ベスパの150ccモデル。父さんが一年前に知り合いから三万で譲り受けた代物である。
俺はスクーターに跨りエンジンを始動させると、無秩序に色とりどりの自転車が並んだ駐輪所を後にして、再び玄関へと向かう。
マンションの薄暗い玄関口で一人立っているそらを見つけると、俺は傍によってスクーターを止める。
「遅い」開口一番、そらは不機嫌な口調で言った。
「遅くは無いさ」
そらは後席に跨り、細い腕がきゅっと俺の体を捕まえる。
よし。と俺はヘッドランプをオンにして、ハンドルを握っている右手首を少しばかり回した。
まだ八時なのに、電車通りはやけに静まり返って、車の量もまばらなほどだった。
すれ違った新緑色の路面電車もまるで櫛の歯を欠いたかのように窓に映る影が少なく、この通りだけ二時間ほど時間が進んでしまったようにも思えていた。
あの電車はすすきの行きだ。時間のあやふやになってしまっている市電通りを通って、時間という感覚を失った街へと、決められた時刻を守って向かうのだろう。
それはそれで酷い矛盾だ。と俺は一人ごちに考える。
不意に、そらがきゅっと、強く俺の体を掴んだ。
俺は、何も言わずに夜の市電通りにスクーターを走らせ続けた。


287 名無しさん@ピンキー sage 2010/01/11(月) 02:49:50 ID:1bZR+LLh


東急ストアは閑散とした市電通りとは打って変わって、結構な人であふれていた。
アイスの入った籠を脇に会計を済ませているそらを傍目に、俺はレジ前でぼうっと佇んでいた。
 一瞬、惣菜を抱えた眼鏡の若い男と眼があったが、すぐに俺は眼を逸らす。
逸らした視線の先には真っ白な再生紙のプリントがいくつも貼られたコルクボードがあった。
近くの小学校の行事予定や学校バザーのお知らせ。見るのも億劫なほど退屈な紙面に、それでも俺は目を通す。
頭上からは歌詞の部分がソプラノサックスの柔らかな音色に置き換わった何年も前の流行歌が降り注ぎ、レジ前のありとあらゆるノイズと混じり合って不協和音に限りなく近い和音を奏で続けていた。
ふと、紙面の罫線で囲まれた部分に目が行く。
「そういや、最近映画見てないなぁ……」
学校での映画の上映会。という文字を追いながら、俺はそう思った。
「兄貴」会計を済ませたらしいそらが俺のそばに戻ってくる。「何見てたの?」
「いや、コレ」俺は小学校の月報を指差す。
「そう……」
そらが包装台の上でアイスを籠からビニール袋へ移し換えてゆくのを眺める。
おお。生意気にダッツまで買ってやがる。
「そら」俺はアイスをあらかた詰め終わったそらに訊く。「お前、最近映画見たっけ?」
「昨日ロードショーでラピュタ見たじゃん」
「本当に映画館で。って意味だ」
ああ。とそらは頷く。
「それなら一年くらい見てない」
そうかい。と答え、俺は台の上のビニール袋を掴むと、入口の方へと歩いていった。
「じゃあさ」外に出ると、俺はそらの方を振り返る。「今度見に行くべ」


ラリホーマの親戚のごとき現代文の授業が終わり、ようやっと訪れた昼休み。俺は弁当を机の上に広げる、とすっと机の下から携帯を取り出した。
授業中からあまりにも退屈な授業を途中から放棄してちまちまと目を通していたその画面には、iモードの映画の上映情報のページがあった。
「どれもこれも微妙なのばっかだなぁ……」俺は携帯画面をスクロールさせる。それが底につくと、俺は電源ボタンを二度連打して、折りたたんでポケットの中へと突っ込む。
「何やってたんだ?千歳」
見上げると、パンを持った健史が自分の席の前に立っていた。
「いや、な。映画でも見に行こうかなって思ったんだけど、何見ようかなーって……」
それを聞いた瞬間、「お前は何を言ってるんだ?」と言わんばかりに健史は呆れた顔をする。
「お前、普通そういうのは見たい映画があって、はじめて映画館に行くんじゃないのか?」
「いいだろ。行きたいんだから行きたいんだ」
健史はまd亜不思議そうな顔で俺を見つめていたが、やがて口を開いた。
「ミニシアターはどうだ?」
「ミニシアター?」はじめて聞く言葉だ。
「昔の映画とか、ちっちゃい映画を上映するトコだよ。中島公園の近くと狸小路に一軒ずつあるはずだ」
それは盲点だった。と俺は再び携帯を取り出し、慣れた手つきでⅰモードを呼び出す。健史が教えてくれた館名を検索ワードにブチこんでみるとすぐに反応があった。
「中島公園の近くのシアターの土曜日がいい感じだな……古い映画の三本立て」
健史は上映演目を覗き込む、
「劇パト1かぁ……いいなぁ」
「お前も見に行けばいいだろ」俺は再び携帯を閉じると、携帯をポケットに突っ込み、軽く伸びをした。
「お前ほど暇じゃないんだ」


288 名無しさん@ピンキー sage 2010/01/11(月) 02:50:13 ID:1bZR+LLh


「でさ、うちのバカ兄貴結構成績やばいらしくてさ、この前模試の判定がやばかったとかですっごい嘆いてたワケよ」
昼休みの教室。購買のおにぎりを口に含みながら、千尋はひたすらに喋った。
「そうそう、千歳さんはどうなのよ。千歳さんも結構ヤバかったんじゃないの?」
「あ……うん。ボーダーはぎりぎりだったみたいだけど、結構困ってたみたい」
C判定と言うのがどれほどのものなのかは分からないが、珍しく机に向かって入試問題に頭を抱えていた兄貴の姿だけはよく覚えている。
「じゃあ大丈夫かもね~」気の抜けた景の声が言う。「ウチのお姉ちゃんも似たような感じで学園受かってたし~」
「景、あんたのお姉ちゃんとうちの兄貴じゃ比較にならないわよ」千尋はすかさず景に突っ込む。
まぁ、景そっくりの天然かつマイペースで、超がつくほどラッキーガールなお姉さんじゃ何の参考にもならないのは確かだ。
「ねぇ、藍はお兄さんとお姉さんいたよね」そう言って千尋はシマリスのようにサンドイッチをかじっていた眼鏡の少女に話をふる。
藍がこの教室でお昼をとるようになったのは最近になってからだ。
図書室で気のあった私たちはこの数カ月の間にいつのまにかいっちょ前の友達となっていて、私と絡んでたためか自動的に景や千尋とも仲良くなっていったのだった。
ちなみに、ふたりとも藍とあったときにめちゃくちゃ驚いてたのは今も忘れられない。
まぁ、気持ちは分からないでもない。とっくの昔に絶滅したと思われた文学少女だし。
「うん……でもウチは全然参考にならないと思うよ」
「どうして~?」
「ウチの姉さんはもういろいろ規格外だし、兄さんは大学蹴って就職しちゃったから……」
恥ずかしそうにぽそぽそとつぶやく藍。
「藍のお兄さんって何やってるっけ」
「自衛隊」
へー。と私達は妙な声をあげる。
絶滅危惧種の文学少女と自衛隊員のお兄さんと、彼女曰く規格外のお姉さん。なんとも奇怪な兄弟なんだ。と私は一瞬思ったが、私は失礼だな。とそれを振り払うようにしてちくわの石垣揚げを掴んだ。
休み時間も午後の授業もいつもと同じように退屈なまま終り、掃除当番も無い私はすぐに昇降口に駆け下りる。
靴をローファーに履き替えると、とん、とんと軽く走るようにして電停の方まで向かっていった。
案の定、といえば良いのか。電停にごった返す生徒達の中に、兄貴がいる。私はそばまで駆け寄ると、ぽん。と肩を叩く。
本当は抱きついたりしてみたいんだけど、それは流石に諦めた。
兄貴も私に気づいたのか、ああ。とかおお。とかそんな感じの声をあげる。
「兄貴」私は兄貴のだらんと垂れ下がった手をきゅっと強く握ってみせる。
ついこの前気温がマイナスまで行ったというのに、手袋もつけない兄貴の冷たい手。
「一緒に帰ろ」なら、こうやって温めてあげるのが一番だろう。
兄貴も手があったかくなるし、なにより私が嬉しくなる。
ちょうどその時、お客もまばらな連接車が電停に舞い込んでくる。私は手を握ったままで、兄貴を導くように学生の波に乗って車内の奥へと進んでゆく。
なんとか私は座れそうな席を確保すると、兄貴もその隣りに座る。
学生たちの熱気と座席の下の電気暖房の恩恵を受けた兄貴は、もう私の手を解いていた。
連接車はあれほどいた学生を残らず飲み込むと、いつものごとく轟音を唸らせながら車体を揺らして、徐々に冬へと変わりゆく街を横切っていった。
「なぁ、そら」隣の席の兄貴が口を開く。「今度の土曜日、開いてるか」
開いてるけど。と私は返す。兄貴は少し照れくさそうに、視線をそらしながら言った。
「もしよかったら、映画行かないか」
私はその瞬間、ぼうっと、心の内側から電気暖房で温められるような温かさが広がっていた。
この年になって兄が妹を映画に誘うようなことはまず無い。たとえ妹がそれを望んでいたとしても確率は絶望的だ。
だが、それが実現したのだ。
「なんで私?」私は喜びに顔がほころびそうになりながらも、いつもの表情で、兄貴に返す。
「映画は二人とか三人で見た方が面白いからだ」
連接車がゆっくりと曲線を通過してゆく。眩しいほどの夕日が反対側の窓から入り込み、私と兄貴を照らした。
「それに、一度見た映画は筋を知らないヤツがをいっしょに連れてった方が楽しいからな」
私の返事は、もちろんイェスだった。
しかたないから。とちょっとだけ素直になれないように取り繕って応えた私に、兄貴は「素直になれよ」と案の定言ってくる。
もうとっくの昔に、私は自分の気持に素直になっているっていうのに。


289 名無しさん@ピンキー sage 2010/01/11(月) 02:50:48 ID:1bZR+LLh


日曜日はすぐにやって来た。
俺は出掛け支度で忙しいそらを家に残して、一人駐輪所へと向かう。
駐輪所の隅の二輪車スペースで他のスクーターに混じって眠っているベスパを始動させ、跨ると、俺はすぐさまマンションの玄関へと戻った。
マンションの玄関口には既にヘルメットを被り、余所行きのためにおめかししたそらが待っていた。
結局散々何を着るか悩んだ挙句落ち着いたらしい、そらのお気に入りの白いフリルのカットソーに、灰色のティアードスカート。その上に冬用のコートを羽織っている。そして口元には慣れない口紅が引いてある。
「今日のお前、案外可愛いかもな」お世辞ではなく、本気でそう思った。
「兄貴もやっと私の魅力に気づいたんだね」
そらは笑いながらくるりと舞う。
半ば呆れた俺は、上機嫌のそらの腕を引っつかむと、強引に自分の方に引き寄せた。
「もう、兄貴ったら大胆♪」
「……なんならこのままベスパ出すぞ」
それは困る。とそらは慌ててベスパの後席にまたがる。
腰にきゅっとそらの手が巻き付いたのを確認すると、俺は右手を軽く回す。
ふたり乗りのスクーターはマンションの前の路肩を眠たそうに駆け出した。
ギアを徐々に変えてゆくと、それに答えるようにベスパの寝ぼけたような走りがどんどんと軽快になってゆく。
ベスパは表通りに躍り出ると、車の群れに混じって落ち葉の混じる直線路を東へと進んだ。
ブルーの表示看板の通りに幾度かの角を曲がると、すぐに中島公園の近くにたどり着いた。
そこから俺は記憶を頼りに、信号機の住所表示をひとつずつ注意深く見ていきながら進む。そのうちに記憶と合致する住所を発見すると、そのまま裏道へと入っていった。
裏道の先には、あたりを商業ビルに囲まれて、一軒だけほかより高いビルぽつんと建っていた。
それがお目当ての映画館だった。
「お」ベスパを停めようと、映画館のすぐ隣の、商業ビルとの共用らしき駐車場に足を踏み入れると、俺は間抜けな声をあげる。
「すげぇ……本物の二代目スカイラインだ」
俺の視線の先には、駐車スペースにちょこんと鎮座した古式ゆかしい車―――二代目日産・プリンススカイラインがあった。
しかもあの側面の赤いエンブレムからして、おそらく2000GT-B。こんなレアな車に出会えるなんて、今日はついてるのかもな。
「ほら、兄貴! 行くよ!」スカイラインにかぶりつく俺はそらに引きずられるようにして映画館の中へと入っていったのだった。


映画館といえばすすきのの東宝公楽や駅ビルのシネコンが思い浮かぶような私にとって、この小さな映画館はそれだけで新鮮だった。
俗っぽいポップコーン売り場や売店も無く、劇場以外にあるのはあるのはパンフレットを一緒に売っている小さなカフェだけ。
すべてがせせこましく、なんとなくかわいい空間だった。
「あ、そらちゃんに千歳さん!」突然私と兄貴は聞き覚えのある声に引き止められる。
振り返ると、そこには普段の彼女では想像できないような可愛らしい姿の藍が、私の見知らぬ男女とともにいた。
女性のほうは年齢は二〇代前半だろうか、藍とよく似た質の黒髪を腰辺りまで伸ばしていて、少しきつめの両眼が鋭い印象をあたえている。
だが決してきつそうな印象は無く、藍ほどではないが柔らかい印象を持った、理想の大人の女性をそのまま具現化したような酷く魅力的な女性だった。
対して男性の方はというと掴みどころが無い、いたって普通といった感じの青年だが、すこしばかり体つきが良いのが目立った。
「よう、里野」兄貴が言う。「そっちの人たちは?」
藍は少し照れくさそうに、兄貴に答えた。
「うちのお姉ちゃんと、お兄ちゃん」
と言うと、どうもこの二人こそが件の自衛隊員のお兄さんと規格外のお姉さんらしい。
同じように頭を書きながら照れくさそうに藍のお兄さんが口を開く。
「どうも妹がお世話になってます。ボクは、里野大(ひろし)です。こっちは姉の育(いく)」
よろしく。とお姉さん――育さんも微笑み混じりに答えると、育さんは大さんと藍の体を押した。
「ほら、ひろくん。早くしないと映画始まっちゃうよ」
ああ、そうだった!と叫ぶ大さんとうちの兄貴。
私も時計を見ると上演時間までもう少ししか無い。私達は急ぎ足で劇場へと向かっていった。


290 名無しさん@ピンキー sage 2010/01/11(月) 02:53:41 ID:1bZR+LLh

小さな劇場の中はそれなりに人が入っており、もう何度もビデオ化されている古い映画にこれだけの人が集まるのか。と私は変に感心する。
私たちは席に座ると、やがて照明が落ち、しばらくしてスクリーンには夕焼けに照らされた巨大な工場建築が映し出された。
そこからはまるでジェットコースターに乗ったみたいに、私は時間を忘れて食い入るようにスクリーンに釘付けになってしまっていた。
私は登場人物やうさぎの耳のようなアンテナをつけた白いロボットが薄暗い銀幕を縦横無尽に走り回り、戦ってゆく様を一瞬でも逃すまいと凝視し、一つ危ういシーンがある度に私はぎゅっと強くてを握って、更に強くスクリーンへと惹かれていった。
隣で映画をみている兄貴は既に筋がわかっているからか私よりも冷静だったが、それでも肘掛の上で強く手を握っている。
やがて勇ましい音楽と共に上映が終わり、館内照明がついてゆくと、私は兄貴の方を振り返る。
「すっごい面白かった!」
その反応に兄貴はきょとんとした顔で「はぁ……」と答えた。
「久々にすかっとする映画が見れたよ、兄貴、本当にありがとう」これは偽ること無く本当の、率直な感想だった。
「そうか……」兄貴はそういうと、また銀幕の方を振り返る。「俺は実は2のほうが好きなんだけどな」
「あー、2かぁ……」口を挟んできたのは後ろの席に座っていた大さんだった。「オレ、あれもう素直に見れないんだよなぁ」
「どうして?」更に隣の育さんが口を挟んでくる。
「ほら、オレ本人がもう陸自づとめだから……結構複雑な気持ちで見ちゃうワケよ」
「え?お兄さんって陸自だったんですか?」
すかさず食いつく兄貴。
「あ、うん。一応輸送科でトラック乗ってるの」
「え、じゃあ……」
そのまま話がコアな方向へ発展してゆくと、もう見てられない。とばかりに私は顔を伏せた。
そのまましばらくすると、また照明が暗くなる。
今度の映画は先程のやけに動く映画と違い、酷く動きの少ない、淡々としたものだった。
兄貴が言うには同じ監督の映画らしいのだが、妙に哲学的な雰囲気が鼻につく映画で、わけがわからなくなった私は途中で考えるのをやめて、ただぼうっと、何も考えずに画面に映る不気味な少女人形を眺めていた。


三本立ての最後の映画が始まったのは、二時を少し回ってからだった。
からからと映写機の回り始める音が聞こえ始め、少し遅れて、真っ暗だった銀幕にほんのり明かりがともる。
そして次の瞬間、私の眼に飛びこんだのは一面の桜並木だった。
わぁ。とその華麗な画面に嘆声をあげる私。
「ねぇ、秒速5cmなんだって」映画の中の少女が言う。
ふと、兄貴がちらりとこちらの方を向くと、すぐにまた眼を戻す。
その時私はもう、映画の中に吸い込まれていっていた。
きっと他人が私を見れば間抜けなままに口を開けて、ただ呆然と映画を眺めている用にしか見えないだろう。
だが兄貴は、わたしがこの甘酸っぱい恋愛映画に吸い込まれて行っているのがわかってたのか、自身もじっと銀幕を凝視していた。
そして、甘酸っぱいラヴ・ソングとともに物語が終わると、私はちらりと兄貴の方を眺めた。
「兄貴」
「なんだよ、そら」
「今の映画、面白かったね」
「ん、まぁな」
兄貴はがりがりと頭を掻く。
「でも、ちょっと俺には破壊力が強すぎたな」
「へー」私はいたずらっぽく笑って、兄貴の頬を突っつく。「まぁ、恋愛経験の無い兄貴は耳をすませばで死にそうになるからねー」
「なんだよ……その言い方は」
「その通りのことだよ」私は席を立ち上がって、出口の方へと向かってゆく。「なんならわたしが彼女になってあげよーか?」
「お断りだっ!」兄貴は頬を赤くして叫んだ。
その後ろでくすくすと里野兄弟が笑っていたのは言うまでもなかった。

 本当は、映画はすごく切なくて、私は泣き出しそうになった。
 初恋なんかかなうはずが無い。
 それが兄と妹なら、なおさら。

 それが悔しくて、映画の主題歌に私を重ねて、もう気を抜いたらすぐに泣いてしまいそうだった。


291 名無しさん@ピンキー sage 2010/01/11(月) 02:54:52 ID:1bZR+LLh


私たちはその後、里野兄弟と一緒に電車通りのファミレスへと向かい、お兄さんとお姉さんのおごりでちょっとしたスイーツタイムを取ることになった。
「でもあのスカイラインがお兄さんのだって、思っても無かったですよ」
「君こそ高校生であんなベスパ乗ってるなんて、相当渋いよ」
男二人はテーブルの隅で私たちをそっちのけで車の話題や私たちがついていけないような話にまで盛り上がっている。
私はそれを横目に、少し大きめのパフェをつつく。
「でもそらちゃんって本当に思ったとおりの子だったわねぇ」お姉さんはチーズケーキを口に運びながら藍の方を向いて言った。
え?ときょとんとしている藍。
「本当に千歳さんと仲が良いみたいね。って意味」
その言葉に一気に私は、皮膚の温度が上がっていく感覚に襲われた。
「もう遠目で見ると千歳さんの彼女みたいだったわよ」お姉さんは更に追い打ちをかける。
凄い嬉しいのに、なんでだか酷く恥ずかしくて、申し訳ない気がしたのだった。
「……どうしたんだ?そら」最悪のタイミングでこちらを向く兄貴。
「なんでもないわよ! バカァッ!!」
思わず、そう叫んでしまった。
これじゃステレオタイプのツンデレじゃない。私はこころの中で呆れながらも、まだ恥ずかしさに火照っている頬を鎮められなかった。
さっきあんなに感じた切なさは、日常と言う時間の中に吹っ飛んでしまったかのようだった。

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最終更新:2010年01月23日 19:55
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