四月朔日
三月も終わりを迎え、今学園都市は春休みに包まれ、都市全体がどこかまったりのんびりした空気に覆われていた。
我らが不幸少年も今回ばかりはそれは例外ではなく、一人部屋の中で春の陽気を満喫していた。奇跡的に進級することができ、彼は人一倍安心感とまったり感に心身をゆだねていた。
「とはいえ、さすがに暇だ」
インデックスは今、同じく春休みを満喫している小萌先生と姫神と一緒に「春のうまい物全国巡りなんだよ!」とやらに行っており、3人とも学園都市にはいない。
「いたら騒がしいし時々迷惑だけど、いなくなると寂しくもなるこの不思議はなんでせう」
無事進級がきまり、補習も厄介事もない平和な一日。しかし、今まで良くも悪くも充実しすぎた感のある日々を過ごしてきた上条には今の時間はもったいないと感じてしまう。去年ならきっと「今日くらいはゆっくりしよう」と惰眠を貪っていただろう。
「冷蔵庫は空だし、今日の昼は贅沢に外食にするか」
そしてそのあと散歩でも行こうと思い、適当に服を引っ張りだし靴を履いて玄関を出る。と、同じタイミングで隣のドアも開き、土御門と出くわした。
「よお~、土御門」
「おお、上やん。奇跡の進級おめでとうぜよ」
「いきなりそれか…。まぁ確かに俺も奇跡だと思ってるけどな」
「まぁそんなことより、今日はなかなか見ない私服でどっかお出かけかにゃ?」
普段は制服で過ごしている上条だが、さすがに補習のない休みの日まで着たい物ではない。
ジーパンに白のTシャツ、春先だが風があり肌寒そうだったので黒の薄手のパーカーを羽織っている。ちなみ今の天気は快晴。
「冷蔵庫が空だから飯食いにな。ついでに散歩でもしようかと」
「相変わらず暇人だにゃ~」
「魔術師(お前たち)が絡んでこなけりゃ大体こんなもんですよ」
「でもいいのかにゃ、上やん」
「なにが?」
「舞夏情報によると、上やんがいつも行っているスーパーが70%オフの大特価セールやってるらしいぜよ」
「それは本気と書いてマジでせうか!?」
「舞夏を疑うのかにゃ?」
「うおぉぉぉぉぉ!! こうしちゃいられない~!サンキューな土御門ぉぉぉ!!」
オリンピック選手どころか『肉体強化』の能力者も真っ青な瞬発力で階段を駆け下り、あっという間にその姿が見えなくなる。
「…人間でもドップラー効果って出せるんだにゃー……」
しばらくあっけに取られる土御門。この後、愛しの義妹とデートなのだが遅刻し散々な目にあったというが、それは上条は知る由もない。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「やられた……」
毎度ごひいきにしているスーパーでは大特価セールなんていう物はやっておらず、いつも通りの通常開店だった。
「そうだよ、すっかり忘れてた。今日は四月一日じゃないか……」
地味な不幸が一年で最も上条に降りかかる日。といってもあまり差支えはない気もするエイプリルフール。それを家から出てすぐかまされた。なんという幸先の悪さ。
「くそぅ! 今日は俺も嘘をついてやるぞ!」
と、スーパーの前で大きく意気込む。平日であるが、春闇という期間のため人は割と多い。当然、上条は周囲の好奇の視線をほしいままにしていた。
「あ、あは、あははは…。どうも~‥失礼しましたぁ……」
いそいそとその場を駆け足で去る間もしばらくその姿は注目されていた。
昼飯は適当にファミレスで済ませ、食後の運動にと散歩をしている上条少年。なんとなしにその足はいつもの自販機へと向いていた。
「はぁ~・・・。嘘って言っても、どんな嘘がいいんだろうな・・・」
自販機の前で百円玉2枚を取り出し投入しながらつぶやく。もともと嘘という物をあまりついた事がない上条には地味に難しい問題だった。
とりあえず、一番無難そうなヤシの実サイダーを押す。
「ん?」
押し方が足りなかったと思い、再び今度は確実に押す。が、出てこない。今度は残像を残すほどに連打してみるがやはり出ない。いやな予想が頭をよぎるがそれを無視して、レバーを回し二百円を回収しようとする。が、さも当然のようにお金は帰ってこない。
「おいおい自販機さん~?」
なんか変なしかし焦りと力のこもった声を出しながらレバーが壊れるんじゃないかという勢いで回すが、やっぱり戻ってこない。
「あなたは百円玉も飲み込むのでいらっしゃいますのですかーーー!?」
この国で一番流通しているだろう通貨も飲み込まれるなんて。自販機の食欲が怖くてしばらく自販機で買えそうに思えません。自販機の食欲に相当なショックを受けた上条少年は、割と深刻に自販機に突っ伏し項垂れている。
「ちょろっと~。アンタまた飲まれたの?相変わらず不幸ね~」
「ほっといてくれ・・・」
が、上条はここで思いついた。
(そうだ!こいつに嘘をついてみよう!こいつならリアクションも大きそうだし楽しそうだ!)
と、美琴に突き飛ばされながらなんか小さく意気込む。
上条を突き飛ばした美琴はいつものように小さく跳ね、体のバランスを確認する。そしていつもの如く―
「チェイサー!!」
食欲旺盛な自販機は少女の蹴りの餌食となり、スープカレーを献上奉っていた。プハーとスープカレーを飲みながら美琴は上条に向き直る。……スープカレーってプハーとか言いながら食べる(飲む?)物でしたっけ?
「で、不幸少年はいくら飲み込まれたのかな~」
楽しそうな目で尋ねてくる少女に、上条は今しがた思いついた嘘を発表すべくばれないよう虚勢を張ってみる。
「…ふっふっふ。今の上条さんはちょっとやそっとじゃ不幸と叫ばないのですことよ!」
「へ~? なんかいいことあったの? 臨時収入でもあったの?」
「臨時収入なんてあっても、上条さんの財布は住み心地が悪いらしく諭吉さんも一葉さんもすぐにお引っ越しされますのですよ!」
「な、なんか、こっちまで悲しくなるからあんま胸張って言わないでよ…。で、結局何がったのよ?」
「聞いて驚け! 上条さんに彼女ができたのです!!」
我ながら会心の嘘だと思う。自称駄フラグメイカーの上条から見れば、彼女なんてできるわけのない存在だ。もしこの場で上条のこの考えをクラスメイトが知ったら、ここは地獄となるだろう。
それとは対照的に美琴は落ち着き払っている。ように見えた。
今目の前の少年は何と言った?かのじょ。カノジョ。彼女? 頭では分かっているのに、心がその言葉を拒否し、否定し、理解することを拒絶していた。
「わが世の春が来たのですよ!! これからは学生らしい青春を謳歌できる!」
学生らしい青春。そこにとっても力が込められているのはきっと気のせいじゃない。
「って、御坂さん? ぼーっとしてどうしたのでせう?」
「あ、いや、なんでもないわよ。でも、よかったじゃない。アンタみたいなのと付き合ってくれる人がいるなんて」
(違う! 言いたいことはこれじゃないのに・・・!!)
―アタシイガイガコイツノチカクニイルノハイヤ―
「全くですよ~」
上条の言葉の直後、美琴の携帯がメールの着信を知らせる。
「黒子から? ‥‥‥ゴメン、ちょっと行かなきゃダメみたい」
「気にしなくていいぞ。待たせるのも悪いから早く行ってやれ」
「ありがと。あっ、そうだ。今度彼女紹介しなさいよ!」
美琴の走りながらの言葉に手を振りながら適当に返し、姿が見えなくなったことに小さくガッツポーズをとる。
「ふっふっふ~。御坂は気づかなかった様子。上条さんのステキ演技力をもってすればこれくらいは朝飯前!」
だけど、何だろうこの気持ち。虚しいような、寂しいような、このやりきれない気持はなんなのでせう?馬鹿な上条さんに教えてください未来の彼女さん。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
黒子からのメールというのは本当だ。けれど行かなきゃならないというのは嘘だった。適当に返信してメールはすでに終わっていた。
あの時はただあの場から離れたかった。あの少年の笑顔を見ていられなかった。今はあの橋の欄干に立ち川を見下ろしていた。
―ナンデアタシガカノジョジャナイノ?―
(アイツの彼女、いい人だといいなぁ)
―ナンデコンナニクルシイノ?―
(アイツの周りってなんでか美人が多いのよね。刀持ったあの変な服の巨乳の人かな。それとも、黒髪のきれいな淑やかで大人しいあの人なのかな)
―クルシイヨ。タスケテヨ。ヒーローナンデショ?―
(美人でなくてもいいけど、幸せにならなかった超電磁砲お見舞いしてやるんだから)
―クルシイヨ。サミシイヨ。ナニモミエナイヨ―
(アタシ、これからちゃんとアイツの前で笑えるかな)
ぽた
「え?」
美琴の目から、たった一粒だけど、確かに涙が零れ落ちた。そして溢れるようにポタポタと滴が頬を伝う。
「ゴミ、でも入っ、たかな。何、も悲しい、こと、なん、てなかった、んだから、きっ、とそう、よ、ね」
力のない言葉。目から流れ落ちる滴。嗚咽交じりで途切れる言葉。拭っても手を濡らすだけの滴。
なのに、変わらない表情。痛々しいほどにまで笑顔であろうとする、不器用な笑顔。
「お姉さま、こんなところにいらしたのですね。完全下校時刻も近いですから、寮にお戻りになりましょう」
僅かな音とともに白井黒子が美琴の背後に空間移動してきた。
先ほど、白井からのちょっとした頼みごとのメールに『無理。ごめん』という、彼女らしからぬ淡泊過ぎる反応が気になり、風紀委員の仕事を速攻でかたずけ美琴の姿を探しまわっていた。
(よかった。杞憂で・・し・・・)
「あ、黒、子。大変、なの、よ。目に入っ、た、ゴミがな、かなか、取れな、くて」
「お姉さま・・・?」
泣いているのに、それを無視して無理に笑おうとして、その笑顔はとても歪で彼女らしさなんてどこにもなくて、まるで不細工な仮面のような笑顔だった。
負わなくていい責任を勝手に背負って、泣くのをこらえようとしている少女の姿となった美琴が、白井の前にいた。そんな少女を白井は言葉もなく、優しく、そして深く抱きしめた。
「黒子、アン、タ、いい、かげ、んにしな、さい、よ、ね!こん、なところ、で・・・」
「……いいんですのよ、泣いても。我慢しなくていいですの。ご安心くださいな。お姉さまの泣き顔は黒子の独占状態ですの」
と、安心させるように笑顔で優しく温かい言葉を美琴に向ける。その言葉に美琴の中に何かかが音を立てる。
「……ふぇ‥く、ろこぉ…。なん、で! なみ、だが、止まら、な、いの? ……くろこぉ………」
泣きじゃくる子供をあやすように白井は少女の背中をポンポンと優しく叩く。
「アイ、ツがっ、笑って、いたんだか、らっ。あたしもっ、笑いたい、のにっ……」
ズキッ
美琴の口から出た『アイツ』という言葉に白井は鈍い痛みを覚える。それは間違いなくあの少年のことを指している。
これで予想は確信に変わり、黒子の恋は静かに終わりを迎えた。
「それは簡単な事ですわ、お姉さま」
「‥‥‥‥?」
「お姉さまは『アイツ』のことをどのように思っておりますの?」
「‥アイツの、事…?」
最初は断トツでいやな奴だった。初対面の女子に対していきなりガサツだと子供っぽいだの言うし、あたしが努力して辿りつた学園都市第3位、超電磁砲って呼ばれるほどになったあたしを右腕一本であしらうし。
それから何度も挑戦するけど全戦全敗。そのくせアイツは本気を出さない嫌味な奴だった。いっそのこと、本気で勝負してぼろ負けしたら諦められたかもしれないのに。
でも、いつからだろう。いつから?ううん、きっとあの時。橋の上で助けてとつぶやいたら、本当に助けてくれたあの後からだと思う。勝負よりも、アイツと一緒にいることが楽しいと思い始めたんだ。
楽しくって、とっても楽しくって。あたしがレベル5だとか全然気にしなくて、一人の女の子として見てくれて、モノクロだった世界に色をつけてくれて、もっとアイツを知りたくて、もっとアイツに知ってほしくて、ずっと一緒にアイツといたくて。
―アナタニアイタイヨ―
(ああ…、そっか…。あたし、アイツのこと)
―(アイツのこと好きなんだ)―
でも、もう終りなんだよ、ね。
「…っ!」
涙が止まらなかった。声を押し殺せなかった。体の震えを止められなかった。
「泣いていいんですの。泣いていいんですの、お姉さま」
今までこらえてきた物が全て溢れだして止まらなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
30分くらい経っただろうか。眼前下校時刻を知らせるアナウンスがなっても美琴は泣いていた。今は泣き疲れて、黒子に体を預け眠っていた。
「こういう時は空間移動は便利ですわね」
自分よりも体の大きい美琴を体全体で支えるよう体勢を変える。
ポツッ
空間移動で移動しようと瞬間、降ってきた滴がコンクリートにしみを作る。
「おや、雨ですのね。急がなければお姉さまが濡れてしまいますわ」
言ってすぐ空間移動し、2人はその場から姿を消す。
それからコンクリートにしみを作ることはなかった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
寮監にばれない様、空間移動で自室に戻り黒子は美琴を静かにベットに寝かせた。ベットで寝ている彼女の顔は涙の跡で汚れ、目の周りは腫れていた。
水で濡らしたタオルで涙の跡を慎重に拭い、今は新しく冷やしたタオルで目の周りの腫れを冷やしていた。
「さて、あとは・・・」
携帯を開き彼女はある番号へ電話をかけた。
『こちら上条さんです。どうした白井? なにかあったのか?』
「今、お時間よろしいですの?」
『おお。全然大丈夫だぞ』
「今どちらに?」
『いつものベンチにいるけど、なんかあったのか?』
「直接会ってお話しますわ。でわ」
返事も待たず電話をきり、一度美琴の顔を見てからあの少年がいるであろうベンチへ黒子は空間移動する。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
一方的な会話をこれまた一方的に切られ、呆然と携帯を見る上条。
結局、あの感じが何なのか考えていたら完全下校時刻をすぎていた。
「それにしても何なんだ? 白井の奴」
「奴、というのはレディに対して失礼でなくて?」
「おう!?」
携帯をしまおうと一瞬視界ずらし戻すと、目の前に黒子が立っていた。
「空間移動ってはびっくりするよなぁ」
「それより、と言いたいところですが、貴方も何やら沈んだ表情をしていますわね」
「んー、ほら、今日ってエイプリルフールだろ?」
「そういえばそうでしたわね」
「どうも嘘をつくってのは性に合わないみたいでなぁ。なんか虚しいというか寂しいというか、とにかくアンニュイな上条さんなのですよ」
言った相手が美琴だったから余計にそう感じるのかなぁ。
上条のそのつぶやきを黒子は聞き逃さなかった。
「……やはり貴方でしたのね、原因は」
「俺がどうかしたのか?」
「…単刀直入に申しますと、貴方の言葉でお姉さまがボロボロになっています」
「‥やっぱ、エイプリルフールでも嘘はつくもんじゃねぇよなぁ・・・」
「いえ、そのことではございませんの。問題は言った内容ですの。上条さん、お姉さまになんて嘘を?」
「いや、『彼女ができた』って…」
「思ったとおりですわね…。その言葉が原因ですの」
「でも、それは嘘なんだから…」
「それは関係ありませんの。重要なのは、貴方の口から『彼女ができた』という言葉出たことですの」
「だ、だから、それは嘘で…」
「関係ないと言っています。もし逆だったら、上条さん、貴方ならどうしましたの?」
「逆だったら‥‥?」
「質問を変えます。貴方はお姉さまをどう思っておりますの? 貴方にとってお姉さまはなんですの?」
(俺にとっての、アイツ、御坂は・・・)
御坂と自分はどういう出会いをしたのか。記憶を失った俺には分からない。記憶を失う前の俺はどういう風に御坂と接していたのかわからない。
でも、初めて自販機の前であった時からの記憶はたぶん、ずっと消えることなく残っていくと思う。
いきなり電撃をぶちかまされたり、勝負といって追いかけまわされたり、恋人のふりをしたり。そのどれもが、記憶を失った俺の、俺だけの大切な記憶だ。
最初はうるさいやつだなと思った。でも、いつからだろう。一緒にいるのが楽しくなっていた。アイツに会えないと、その日一日がなんか落ち着かなかった。気づいたらアイツに会いたいと思っていた。もっと笑顔を見たいと思っていた。もっと一緒にいたかった。
(ああ、そっか。気づいてみりゃ簡単な事なんだな…)
思いを整理しているときに一つの発見と一つの疑問を見つけた。その発見をより確かなものにすべく、疑問を白井にぶつけることにした。
「なぁ、白井」
「なんですの?」
「アイツの笑顔を見たいって思ったり、アイツと一緒にいたいって思ったり、アイツと一緒に笑いたいって思ったり、幸せにあってほしいって思ったり、俺がそうしてあげたいって思うのってさ」
「ええ、それは間違いなく『好き』という感情ですわね」
「そっか…。ありがとな、白井」
「れ、礼を言われる筋合いはありませんの。私はあくまでお姉さまの幸せのため…!」
「それでも、俺はありがとうって言いたい」
何かをふっ切り覚悟を決めた清々しい笑顔を取り戻した上条は、その顔のまま白井に正面から例を言う。
出来ることなら今すぐ美琴の元に行きたい。けれど、その前にやらなくてはいけないことが目の前にある。
「さぁ、早くお姉さまのところへ行ってくださいませ」
「その前に白井。お前は、ちゃんと泣いたか?」
「え…?」
どきっとした。いきなりそんなことを言われたのは初めてだった。
上条は右手で黒子の腕を握り空間移動を封じる。
「俺が言うのはおかしいってわかってる。でも、きっと、俺だから言わなきゃならないんだ」
「な、何を、ですの…?」
「お前だって、美琴が好きだったんだろう?その好きな人が俺みたいなやつに持っていかれるのは悔しいはずだ。悲しいはずだ。だから、そんな泣きそうな目で、我慢した顔をしなくていいんだ」
「な、何を、言っているん、ですの…?私は決してそんな顔なんかに‥‥‥」
すっ、っと黒子の体が上条に優しく包まれる。
「いいんだ。我慢しなくて。全部俺に吐き出すんだ」
優しい声だ。低くて安心して身を委ねたくなってしまう声とその手。
それに、黒子の理性が決壊する。上条の胸に両手の拳を叩きつける。
「…っ!! どうして!? どうして貴方なんですの!? 私だってお姉さまが好きですのに!! 私が、私がお姉さまのことを幸せにしたいのに!! どうして私じゃダメなんですの!? どうして、貴方のっ、ようなっ……!!」
何度も、何度も、力いっぱい拳を上条の胸に叩きつける。声を、拳を上条は何も言わず全て受け止めていた。
しばらく黒子は上条の腕の中で泣き続けた。今までこらえていた物を吐き出すように。今だけはただの子供に戻って泣きじゃくっていた。
少し落ちつてきたところに、上条は静かに声をかける。
「白井、『お前じゃダメ』なんじゃない。『お前じゃないとダメ』なんだ。美琴はお前のことを親友や、大事なパートナーって思ってるはずだ。美琴がお前に向ける感情は、お前が本当にほしい物じゃないかもしれない。でも、美琴はお前のことは大好きなはずだ。お前が居ないと、アイツは幸せにならないんだ。これは絶対だ。だってそうだろ? 親友がいなくなったりしたら、どんなにうれしいことがあっても悲しいだけだ。だから今は泣いていいんだ。泣いて、泣いて、涙が枯れるほど、声が擦れるほど泣いて、そんでどれだけ時間がかかってもいい。いつかはちゃんとふっ切って、そんでその後は、精一杯、恥ずかしいほどに笑うんだ」
頭を撫でながら、その言葉がちゃんと届くように静かにゆっくり口にする。全部聞いていなくてもいい。ただ、思いが通じてくれればそれでいい。
「…っ。もう、大丈夫、ですの…」
「そっか」
「…お見苦しいところを、お見せ、しましたの……」
「気にしてないよ。ほれ、ティッシュとハンカチ」
「…ありがとう、ですの」
持っていたハンカチがもう役に立たないほど泣き、上条からもらったハンカチとティッシュで見苦しいところ吹いていく。
「私はもう、大丈夫、ですの。早くお姉さまのとこへ行ってくださいまし」
「本当に大丈夫か? もう暗いし、行先は同じだし送っていくぞ」
黒子と話しているうちに何だか大分時間が経ってしまい、今はもう11時半と深夜だった。
「上条様? 女性にはいろいろとありますのよ? どうか先に行ってくださいまし」
「…本当に大丈夫なんだな?」
「しつこいですわね。これでも大能力者で風紀委員ですのよ?」
「でもおまえは女の子だろう。…まぁ、いいや。お前を信じるよ。なんかあったら電話しろよ」
そう言って上条は常盤台の寮の方へと足早に駆けていく。残った黒子はそれを見送った後、先ほどまで上条が座っていたベンチに腰を下ろす。
『これでも大能力者で風紀委員ですのよ?』
『でもおまえは女の子だろう』
「こんなことを言われたのは初めてですの…。お姉さまが上条様を好きになった理由、黒子、わかった気がしますの」
お姉さま。どうか上条様とお幸せになってください。私も、微力ですがお二人の幸せのため尽力させていただきますわ。
「私もいなくてはお姉さまの幸せはない。そうでしたわよね。上条様・・・」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
周りに誰もいないベンチで一人、空へとつぶやく。不思議と、今の心は雲ひとつない夜空のように澄み渡っていた。
「寮の前まで来たはいいものの、どうやって御坂と会うかだ…」
当然、今は部屋の中にいるだろう。直接知っているわけではないが、聞くところによるとここの寮は相当厳しいらしい。無断で入り込むのは難しいだろう。
「仕方ない。ここは御坂に脱走してもらおう」
「誰に脱走してもらうって?」
「うおぅ!?」
「馬鹿! 声が大きい!!」
お前も大きいという突っ込みは何とかこらえ、いきなり声が飛んできた後ろへ振り向くと、制服姿の美琴が居た。その表情はいつも見せる活発な物ではなく、どこか暗い。
「ねぇ、黒子知らない? 部屋にいないのよ。抜け出して探してるんだけど、見つからなくて」
「ああ、さっき会ったぞ。あと少しで戻ってくるんじゃないか?」
「そっか。ならよかった。んじゃ、あんたも早く帰りなさいよね。おやすみ~」
寮の方へと歩みを進める御坂の腕を掴み、その歩みを止めこちらに振り向かせた。振り向いた美琴が見たのは、真剣な顔をした上条の顔。
「少し話がある。来い」
「え、あ、ちょ・・・」
上条にしては珍しくかなり強引に美琴を引っ張り、ついたところは近くの全く人気のない公園だ。
「で、何よ、話って。こんなところ誰かに見られると彼女さんが怒っちゃうんじゃない?」
「‥な‥‥い」
「ん? もっかい言ってくれない? よく聞こえなかったから」
「彼女なんていないって言ったんだ」
…カノジョナンテイナイ?
「今日はエイプリルフールだろう? だからお前をちょっと驚かしてやろうかと思って、そんな嘘をついたんだ。だけど、思った以上に大変なことになったって、白井から聞いてな」
「え、嘘? ちょっと、待って、話が・・・」
突然過ぎる話しに美琴がフリーズし見るからに行動が不安そうな物となっている。そんな美琴を安心させようと、上条は優しくも力強く美琴を抱きしめる。
「でな、白井に言われて気づいたんだよ。遅いよな、他人に言われて初めて俺にとってお前がどんな存在かわかるなんて。これじゃ鈍感とか言われても仕方ないよな。白井に気づかされたんだけどさ、俺、お前のことが『好き』みたいなんだ。みたいって、おかしいだろ? だから、『好き』って言葉じゃなくて、俺の言葉でちゃんと気持ちを伝えようと思う」
上条の独白を美琴は彼の腕の中で固まりながらも、一字一句逃さず聞き取ろうとしていた。
「最初さ、お前のことはうるさい奴だとしか思えなかったんだよ。だけどな、気づいたらお前は俺の中にいたんだ。お前の声を聞きたいと、顔を見たいと、その手に触れてみたいと、その笑顔をもっと見たいと、気づいたらそう思ってたんだ。ずっと一緒にいたいと思った。お前には本当に、世界で一番幸せになってほしいと思った。出来るなら俺がお前を一番幸せにしたいと思った。俺の不幸でお前を巻き込むかもしれない。でも、それでも俺がお前を幸せにしたいっていう気持ちに変わりはないんだ。だって、そうだろう? お前は俺にたくさんの幸せをくれたんだ。それを返さなくちゃいけない。いや、違うな。俺だけが幸せだと悪いから、お前も一緒に幸せになってほしくて、そんでもって一緒に馬鹿みたいに笑っていたんだ」
長い。けど、一瞬とも思える告白の沈黙の時間。美琴は上条の腕の中で呆然としていた。まるで、夢でも見ているかのような、幸せすぎる夢を見ているように驚いている顔だった。
でも、なんでだろう。悔しいほどに、ちょっと自分が嫌になるくらいに素直になれない自分がいる。でも、そんな自分が今は、ちょっとだけ心地よかった。
「でも、今日はエイプリルフールなんでしょ…?」
「ばぁか。ほれ、時計見ろ」
上条の携帯の待ち受けの時計に示されている時間は0時10分。エイプリルフールは終わっていた。
続く・・・とは限りませんよ?