小ネタ おんぶお化け
上条当麻は、緩む頬を抑えるのに苦心していた。
街中を笑みを浮かべながら歩いていては、どんな誤解を生むかわからない。
ましてや彼の右手には幻想殺しと呼ばれる、あらゆる異能を打ち消す力が宿っている。
それは、神様の加護も例外ではない。
だから、どんなきっかけで不幸が舞い込んでくるかわからないのだ。
そうならないように、心の中で平常心平常心と唱えながら、必死ににやけ顔を消そうとしていた。
そんな時、向かいから女性が歩いてくるのが目に入った。
ちらほらと見受けられる通行人の中でも、特に目を引いている。
顔立ちの整った、出るところは出て、締まるところは締まった女性だった。
しかしそれよりも、本人から滲み出る、自分に対する確固たる自信が人々の目を惹き付けているのかもしれない。
上条もその例に漏れず、つい彼女を目で追ってしまい、すれ違うときには顔を真横にまで向けてしまっていた。
そこで、目が合った。
その目で追っていた女性とではなく、背中に背負った彼の愛しい人である、美琴と。
彼女は顔を真っ赤に染め、明らかな怒りの表情をしていた。
心なしか、両の目もかすかに潤んでいるように見える。
上条が口を開くよりも早く、美琴は上条の耳に噛みついた。
首に回った美琴の腕も強く締まり、息が詰まる。
「――――!!」
思わず悲鳴を上げそうになるが、何とか堪えた。
咄嗟に頭へと伸ばそうとした手を、何とか抑える。
今手を離したら美琴を落としてしまうし、更なる苛烈な攻撃に見舞われることは目に見えているからだ。
言い訳できる状況にはないと、痛みを堪え、周りに不審がられないよう平静を装って上条は道を急いだ。
う~~、と後ろから呻き声が聞こえる。
美琴は上体を起こし、上条から少しばかり身を離していた。
上条はごめん、と美琴に謝るが、頭の中では美琴の体が離れたことを残念に思う気持ちで占められていた。
「ちょっと、血が出てる」
そこまで強く噛んだのかよ、と思うが、自業自得なので何も言えなかった。
「はむっ」
「――みっ、美琴さん!? 何をしていらっしゃるのでしょうか!?」
周りに聞こえないよう、上条は小声で話しかけた。
「何って、傷口を舐めてあげてるの」
「貴女は街中で一体何を始める気ですか!?」
「大丈夫よ。周りには顔を寄せているようにしか見えないから」
そういう問題じゃない、と声を大にして言いたいところだが、こうなったら何を言っても聞かないことは経験上身に染みている。
耳に触れる唇の感触や、這う舌の感触を忘れるためにも、上条はさらに先を急ぐことにした。
「もっとゆっくり~」
背中から聞こえる甘えるような声に、思わず歩みを緩めてしまう。
そこでまた耳に走る感触に、身悶えしそうになるのを何とか堪える。
体温よりも温かな舌が傷口を撫でていく感触に意識の全てを持っていかれそうになりながら、上条はひたすら前を凝視し続けた。
しかし、その一点から全身へと広がっていく熱が、首に回された腕や、頬に掛かる彼女の髪、そこから漂って鼻腔をくすぐる匂い、さらには背中に乗った彼女の体や手で支えている脚に、いつもとは違う艶やかさを与えている。
美琴を揺らさないようにという気持ちと、早く開放されたいという思いと、しばらくこのままでもいいかもしれないという欲求がせめぎ合い、上条の歩調は終始乱れたままだった
部屋にたどり着くと、すぐさま美琴をベッドに座らせ、自身もベッドに飛び込んだ。
枕に顔を埋めながら、荒く脈打つ心臓に早く静まれと念じる。
するとまたそこで、背中に重みが加わった。
今度は脇の下から両腕が回される。
「美琴、少しでいいから休ませてもらえないか?」
「だ~め」
「さっきまで十分抱きついてただろ?」
「まだ足りないの~」
結局上条は諦め、息が整うまではこうしていようと思った。
しかし、それをすぐに後悔することになった。
五分もしないうちに、上から寝息が聞こえてきたのである。
自分も抱きしめたいという想いと、美琴を起こしたくないという気遣いに挟まれながら、上条は結局、それから数時間身動き出来ずにいた。