とある魔術の禁書目録 自作ss保管庫

588

最終更新:

NwQ12Pw0Fw

- view
だれでも歓迎! 編集

不自然なガール



 雨が降っていた。
 分厚い雨雲が空を覆い、細かい水滴が絶え間なく降り注ぐ。
 御坂美琴は学舎の園から徒歩で自分が暮らす寮まで帰る途中だった。
 学園都市の各校はバス通学を推奨していたが、決められたバス停を往復するだけの毎日など性に合わないと、美琴はいつも徒歩で通学していた。
 大体、その方が健康にだって良い。
 サラサラにとかされた茶色の髪をくすぐる風も、四季によって変わる陽射しの色も、日々形を変えていく白い雲も、四角い鉄の箱の中からでは何一つ感じ取る事ができない。
 でも雨の日は別だ。
 道路を叩く雨粒が跳ね返って靴や靴下が濡れてしまう。傘という荷物が一つ余計に増える。それに傘を差すのは面倒だ。
(失敗したなぁ。今日くらいはバスに乗れば良かったかしら)
 そう思っていても日頃の習慣のせいか、つい徒歩を選んでしまう。
 こんな日はどこに行く当てがあるわけでもない。
 美琴は雨の街を一人、薄っぺらなカバンを片手にぶら下げ、黄色い花柄の傘を差して歩いていた。いつもなら大股に風を切って歩く彼女も、今日だけは頭上に広がる傘の範囲内に収まるよう挙動を小さくしている。
 ふと、美琴は対向二車線の車道の向こう側、反対側の歩道に目を向けた。
 ただ何となくつられるようにして美琴はそちらを見ると、
「!」
 ツンツン頭の少年だった。
 彼は手にした学生鞄を傘の代わりに頭上に掲げ、もう片手にはコンビニ袋をぶら下げて美琴とは反対方向に走っている。いくつもの傘の花が咲く反対側の歩道で、彼は一人雨に濡れていた。
 美琴はその姿に違和感を覚えた。
 彼の手に本来あるはずの傘がない。
 この雨は今朝から降っていたのだから、登校する時点で彼も傘を持っているはずだった。
『不幸な人』(オカルト)で何もかもが片付けられてしまう彼の事だ。おそらく途中で傘が壊れたか、立ち寄った先で傘がすり替わってしまったのだろう。
 少年はとある店頭の屋根の下に入り、一息つくと辺りをキョロキョロと見回した。どうやら次に雨宿りができる屋根まで後何メートル走るのか距離を測っているらしい。
 美琴は足を止め、じっと少年を見つめる。
 少年は屋根の下から出るそぶりを見せない。
 雨宿りできる次の屋根までは結構距離がある。あるいはこの雨が止むのを待つつもりなのだろうか。
 そんな少年の動きを見つめていた美琴は、

 歩道の真ん中で、自分が差していた黄色い花柄の傘を閉じた。

 行き交う人々の中で一つだけ不自然に傘が閉じられたら、もしかしたら向かいの歩道に佇んでいる彼は気がつくかも知れない。
 美琴は手にした傘を閉じて、ツンツン頭の少年の挙動を目で追いかける。
 美琴の頭上で容赦なく雨は降り続き、美琴の茶色の髪や細い肩を包むように丸い水滴が付く。
 そんな美琴の思いに気づく事もなく、少年は頭上の雲行きや自分の走る先だけを気にして視線をキョロキョロと動かしていた。
(……気づくわけないか)
 美琴は小さくため息をついてから、通り過ぎる人々の邪魔にならぬよう歩道の端に寄って、傘を開いた。美琴を狙い撃ちにしていた雨粒が傘によって行き場をなくし、丸く大きな粒となって傘の表面を伝い地面にポトリと落ちる。
 美琴は左手に持った鞄を小脇に抱え、ポケットから携帯電話を取り出すと、
『そこで何やってんの?』
 向かい側の歩道で雨宿り中のツンツン頭にメールを打った。
 本当に聞きたいのはそんな話ではないけれど。
 屋根の下で雨をよけていたツンツン頭の少年がポケットから携帯電話を取りだし、待ち受け画面を見て首をひねっているのが見える。
 携帯電話を握りしめた彼の手がちょこちょこと動く。程なくして、反対側の歩道からメールが返ってきた。
『お前こそどこにいんの?』
 美琴が反対側の歩道でツンツン頭の少年の姿を見ている事には気がついていないらしい。これでは美琴が傘を閉じてみたところで彼が気づく訳もない。
 きっと彼にとって美琴は雨の街に咲くたくさんの花の傘のうちの一つにしか見えないのだろう。彼にとって美琴は取り立ててどうという事もない、彼の横を通り過ぎていくたくさんの人のうちの一人。
 美琴は液晶画面に表示された文字を見つめて、何と返事しようか思案する。さんざん悩んだあげくたわいもない言葉を選んでメールで送る。
 向かい側の歩道で雨宿りをしていた少年は視線を手元に落とした。メールを確認し終えたらしいツンツン頭の少年は顔を上げ、車道をはさんで立つ美琴に向かってコンビニ袋と学生鞄をぶら下げた両手をぶんぶんと振り回す。
 美琴はもう一度小さくため息をつくとポケットに携帯電話をしまい、来た道を逆戻りして横断歩道を渡った。

 美琴はとある屋根の下で雨宿り中の、ややしょぼくれた顔の少年に向かって、
「……アンタ、傘はどうしたのよ?」
「……、大変不幸な事故によってお亡くなりになりまして」
 ここへ来るまでに風もないのに傘の骨が全部折れたんだ、とツンツン頭の少年―――上条当麻はため息混じりに告げた。骨が折れた傘は荷物になるから途中で捨てた、とも。
 まぁ大体予想通りね、と美琴は呟いてから、
「コンビニで傘を買うなり、バスに乗れば良かったじゃない」
「貧乏学生にそんな余裕はねーんだよ」
 部屋に帰ればビニール傘のストックはあるしな、と答える上条。
 美琴は自分が差していた花柄の傘を上条の目の前にずい、と差しだし、
「……入れてあげる。その代わり私を寮まで送って。アンタはそこからこの傘差して自分の部屋まで帰りなさい」
 常盤台の寮の場所は知ってるでしょ? と上条に尋ねる。
「お前、どっか行く予定があったんじゃねーの?」
 上条は怒鳴りもせず傘を差しだした美琴に怪訝そうな表情を向けて、
「向こう側から逆方向の横断歩道を渡ったって事は、お前と俺が行く方向は逆じゃねえのか?」
 良いよそんなの悪いから、と頭を横に振る。
 美琴は再び鞄を小脇に抱え、ポケットから今度はハンカチを取り出してツンツン頭の先から落ちる滴を丁寧に拭うと、
「……知り合いがずぶ濡れになってて放っておけるわけないでしょうが」
 アンタに風邪引かれちゃ困るのよ、と告げる。
「……何で俺が風邪引くとお前が困るの?」
 何だその意味不明なバタフライ効果は、と最近覚えたばかりの言葉でツッコむ上条に、
「なっ、なっ、ななな、何だって良いでしょ! 知り合いが風邪引いたら良い気はしないって事よ。ましてや目の前でずぶ濡れになってたらなおさらじゃない。ほら良いから行くわよ!!」
 少しだけ顔を赤くしつつ、『知り合い』という単語をことさらに強調して傘のハンドルを持ったまま上条の腕を引く美琴。
「……良いって。ご覧の通りもうずぶ濡れだしさ。今だって雨の中を走るのに疲れたからちっと休憩してただけで」
 ハンカチさんきゅー、と上条は少しだけ笑い、屋根の下から飛び出すべく一歩を踏み出すと、
「大体な、お前の言う通り傘に入れてもらったとして……俺と相合い傘になるけど、お前はそれで良いの?」
「!! ……あっ、あっ、相合い傘とか小学生みたいな事言ってんじゃないわよ!! 単に一本の傘をシェアしようって言ってるだけじゃない。そうよ別にアンタと一緒に歩いてるところを誰かに見られたってどうって事ないわよ恋人同士って訳でもないんだから!!」
「もしもし。たかが相合い傘に何でそこまで重くなってんの?」
「うっさい! つべこべ言わずに傘持ちなさいよほら!!」
 美琴は開いたままの傘をぐいぐいと上条に押しつけると、振動で傘布についた雨粒がまとまってボタボタと伝い落ち、美琴がハンカチで先ほど拭いたばかりのツンツン頭を濡らしていく。
「…………、」
「……、あの」
 先に口を開いたのは上条だった。
「お前はさっき俺の頭を拭いてくれたと思ったんだけど。もう一回俺の頭を濡らして一体何がしたいんだ?」
 これじゃ傘差す意味ねーぞとムッとしながら髪の先から水滴を垂らす上条に、
「……もういい! アンタこの傘差して帰りなさい!!」
「お前はどうすんの?」
「アンタの知ったこっちゃないわよ!」
 美琴は一声叫ぶと上条に黄色い花柄の傘を押しつけ、通りを流していたタクシーに向かって手を挙げて勢い良く振る。
 黒塗りのタクシーがキキーッ、とブレーキをかけて停車し美琴の目の前でガバッ、と行儀良くドアが開く。美琴は後部座席に飛び乗るように乗り込むと『常盤台中学学生寮まで』と告げた。
「あ、おい! 傘! 傘どうすんだよ! おい御坂!!」
 上条の呼び止める声を振り切るようにバタン、とドアが閉まってタクシーは発車する。

 窓の外は相変わらず雨模様だった。
 雨雲に覆われた空は黒く、晴天時なら太陽が沈んでいる時間である事を告げる。
 美琴は寮の自室の窓から外を眺めつつ、もう何度目になるか分からないため息をついて、窓ガラスにおでこを押しつけた。
 火照った顔に雨で冷やされたガラスの温度が心地良い。
 窓に吹きかけた吐息がガラスを曇らせて、外の景色を一瞬だけ遮断する。その曇った部分に美琴は細い指できゅっ、きゅっ、と傘の絵を描いた。
 美琴は何本か傘を持っているが、上条に渡した傘はその中でも特にお気に入りの傘だった。
 女物の黄色い花柄を男子高校生が差すのは少々厳しいかも知れないが、傘の出来もハンドルの造りもそんなに悪くないと思う。それをあんな形で上条に渡してしまっては、今さら『返してくれ』と言いづらい。
 たまたま雨が降っていて、たまたま上条は美琴の住む寮の場所を知っていた。美琴は上条がどこに住んでいるかを知らないから『傘に入れてあげるから送ってくれ』と頼んだだけで、
「あ、相合い傘なんて別にどうって事ないわよ。そんな事よりたまには少しくらい人の話をちゃんと聞きなさいっての」
 もう少し上条と話をしてみたい。ただ漠然と思った。
 確かに上条の事は何となく気になるが、
「べっ、べっ、別に愛とか恋とかそう言うんじゃなくて毎回毎回人の話をちゃんとスルーするわ妹にちょっかい出すわで見てられないからこの機会に一発ガツンと言っておこうと思っただけよ」
 そのつもりが上条の頭を盛大に濡らしてしまった事は脇に置いて、美琴は誰も聞いていない言い訳を口にする。
「……い、今考えんのはあの馬鹿の事じゃなくてあの馬鹿からどうやってスムーズに傘を取り戻すかよ! アイツが言う通りアイツが風邪を引こうがどっかに飛ばされようがそんなの私の知った事じゃないわよ」
 この何日か後に上条が本当に時速七〇〇〇キロオーバーでフランスまで飛ばされるとは思いもしない美琴である。
 不意に、部屋の壁に取り付けられたインターホンが鳴った。
 門限までは若干余裕があるが、こんな時間に来客とは珍しい。
 白井がまた怪しげな薬でも通信販売で取り寄せて、宅配便が配達に来たのだろうか。
 ひとまず品物が何なのか確認するのが先よね、と考えながら美琴はインターホンの通話ボタンを押して形式通りに、
「……はい、どちら様ですか?」
「上条だけど。その声は御坂か?」
「ぶっ!!」
 このタイミングでまさか上条が寮に来るとは思わず盛大に吹き出す美琴。
 ななな、何よ何の用なのよとインターホンに向かって動揺する美琴に、
「ああ、いたいた。悪りぃんだけど、ちっと外へ出てきてくんねーか?」
「……用があるなら鍵開けてあげるから上がってきたら? 私の部屋がどこかは知ってんでしょ?」
「そこまでするほどじゃねーんだよ。さっき借りた傘を返しに来ただけだから」
 こっちが借りといて呼び出すのも何だけど、と上条が告げる。
 美琴と上条が別れてから一時間以上経っていた。
 美琴はほんの少しだけ迷う。
 玄関のロックを解除するのは簡単だ。受け取りに行くのが面倒だから上がってこいと言って上条にここまで来させる。そのまま、美琴があの時したかった話の続きをすればいい。
 しかし、
 知らない間柄ではないとはいえ、まかりなりにも乙女の部屋に男子高校生の上条を招き入れてしまうのはためらわれる。
 しかも、同室の後輩・白井黒子が今ここにいないのだ。
 それではまるで白井がいない事をこれ幸いに男を引っ張り込んでいるようで、
「…………………………………………………………!」
 上条が二〇八号室に上がった後の光景を想像した美琴の顔が一瞬で真っ赤になる。
(何馬鹿な事考えてんのよ私! アイツは傘を返しに来ただけなんだからぱぱっと下に降りて受け取って追い返せばいいでしょ!! 大事な傘を返せって連絡しないで済んだんだからラッキーじゃない!! そうよ、今一番大事なのは傘を受け取る事よ)
「……あの、御坂?」
 俺はいつまでここにいればいいんだとインターホン越しに聞こえてくる上条の戸惑う声に、
「今すぐ行くからそこで待ってなさい」
 とにかく外に出りゃいいんでしょ、と切り返して美琴は会話を打ち切った。
 大事なのは傘だ。貸した傘を取り返すのだ。
 自室を出ると、美琴は寮の長い廊下を心持ち早足で歩く。
 本人はさっぱり自覚していないが、まるでスキップでもするようにエントランスに向かう。
 美琴が玄関の大きな扉を開けてエントランスに出ると、そこには上条が所在なげに突っ立っていた。
 通常、来客はこのエントランスにあるインターホンで中の人間を呼び出す。その際、場合によっては部屋から寮生が扉のロックを開けて客を招き入れることもある。
 と言っても、それは来客が学園都市のIDを持つ女性や事前に許可を得た保護者に限られる。
 ここは女子寮だ。
 世界有数のお嬢様学校・常盤台中学の寮だった。
 許可なき者はたとえ誰であれ寮内に足を踏み入れる事は許されない。
 そんな訳で美琴の傘を返しに来ただけの『招かれざる客』上条はインターホンの前で美琴を待っていた。
 美琴は上条の姿を良く見てみた。
 やや濡れたツンツン頭。制服に湿っぽさは感じられない。右手にはきれいに畳まれた美琴の黄色い傘、もう片方の手には滴のついた安っぽいビニール傘がぶら下がっている。
 何だか居心地が悪そうにキョロキョロと辺りを見回していた上条が、
「御坂、傘さんきゅーな。っつー事で返しに来た」
 ありがとよ、とほっとした表情で美琴に黄色い傘を差し出す。
 美琴はどういたしまして、と傘を受け取りながら、
「アンタ、傘一本返しにわざわざここまで来たの? 明日にはこの雨も止むって言ってたし、こっちは別に急いでなかったんだけど」
「でもこれ、大事な傘なんじゃねーの?」
「……何でそう思うのよ?」
 上条は美琴が手にした傘のハンドルを指差して、
「それ、持ち手のところにゲコ太のマークが入ってたから。たぶんお前のお気に入りの傘だったんじゃねーかなって」
 そんな傘を借りておいて万が一ぶっ壊しでもしたら後が怖いぜ、と上条が息を吐く。
 美琴は上条をへぇ、と感心した顔で見やって、
「……良く気づいたわね」
「持った時妙な感触がしたんで良く見てみたらたまたまそれを見つけてな」
 それは美琴しか知らない傘の秘密だった。
 この傘はハンドルの部分に目立たぬようにゲコ太の焼き印が刻まれている。ハンドルを握り込むと他人からはゲコ太が見えなくなるので、美琴はこの傘を気に入っていたのだ。
「それにしても、人に大事な傘押しつけて自分はタクシーに乗って帰るとか、かなりムチャクチャだぞ?」
 つかそれって変じゃねえか? と上条が告げると、
「……へ、変じゃないわよ。アンタには傘がなくて、私には選択肢があった。その選択肢を有効に使っただけでしょうが」
 美琴の選択は庶民を自称する上条からすれば十分不自然なものだろうが、上条がわざわざ傘を返しに来た事で舞い上がり気味の美琴はそれどころではなかった。
「んじゃ、俺これで帰るからさ」
「あ、待ちなさいよ。そこまで送っていくから」
 いいってそんなの、と美琴を片手で制しエントランスを出た上条が手にしたビニール傘をぐっと開くと、

 美琴の目の前で上条が差したビニール傘の受骨がピキパキビシッ!! と連続で親骨から外れた。

「………………、」
「………………不幸だ」
 なす術もなかった。
 目の前で『不幸な人』(オカルト)を見てしまった美琴には何もできなかった。
 重力に従ってろくろからだらりとぶら下がる受骨、細い二等辺三角形になって用をなさなくなったビニール製の傘布、何の役にも立たないビニールと金属とプラスチックの複合物体を空に向かって差している上条。
 無情に降る雨が生乾きのツンツン頭を濡らしていく。
 上条は美琴と共に雨に濡れまいと常盤台中学学生寮の屋根の下に飛び込んで、
「…………俺はこれからどうすれば?」
 かつては傘だったオブジェを手にしたままがっくりと肩を落とす。
「……この傘使う?」
 上条の不幸を目の当たりにし、気の毒を通り越してかわいそうに思えてきた美琴が黄色い花柄の傘を差し出す。
 上条は『それはお前の傘だろうが』と頭を横に振ると寮の向かいの建物を指差し、
「……、仕方がないからそこのコンビニで傘を調達して帰るよ」
 常盤台中学学生寮の向かいには車道をはさんでコンビニがある。そこで売っているビニール傘を買って雨をしのごうというのだ。
 ああそれなら、と美琴はコンビニの方向を向いて、
「売り切れてたわよ? さっき用があってちらっとのぞいただけだけどね」
 それを聞いた上条はもう一度『不幸だ』と呟いてその場にしゃがみ込む。
「……雨、今すぐ止む訳じゃなさそうだからあきらめてこの傘使えば?」
 上条は美琴の手の中にある傘と美琴の顔を何度も見比べて、
「俺が開いたらその瞬間にお前の傘が壊れそうだし、そんな事になったらこんな高そうな傘弁償できねーから良いって」
 貧乏人はおとなしく濡れて帰ります、と肩を落として歩き出す上条に美琴は手元の黄色い傘を開き、差し掛けた。
「……アンタが風邪を引く不幸を傘が引き受けるなら安いもんでしょ。壊れても弁償しろとか言わないからさ」
「……じゃあ、お言葉に甘えて」

 上条が傘のハンドルを握る美琴の手の上から自分の手を重ねた。

「……ちょ! あ、あ、あああアンタ何やってんのよ!!」
 上条に手を握られて瞬時に限界まで顔が真っ赤になる美琴。
「いや、お前が直前で持ち手をずらすと思ってたんだけど」
 お前が手を離してくんねーと俺が傘を差して帰れねーだろ、と告げる上条。
 美琴は手を握られたまま傘を上下にぶんぶん振って、
「はっ、離しなさいよ! 傘渡せないでしょ!!」
「あ、ああ。悪りぃ」
 ばつが悪そうに上条は美琴の手を離す。
 美琴は重ねられた手のぬくもりが名残惜しく思えて
(……! な、何で余韻を感じてんのよ私!! ここは断りなく手を握られて怒る場面じゃない!!)
 上条は改めて美琴の傘の中軸をつかむと神妙な顔で、
「……借りてくぞ?」
「へ? ……あ、ああ、うん、使って」
 美琴は怒る事も忘れて傘のハンドルから手を離すと、
「……急いで返さなくて良いからさ。その代わり、なくしたりしないでよね。……その、気が向いた時にでも返してくれれば良いから」
「……気をつける。そ、それじゃーなー」
 上条は美琴に手を振って雨の中を歩き出す。
 美琴は上条の後ろ姿を見送りながら一連のやりとりを思い返して、
(……っつーかこれって、傘をわざわざ返しに来たあの馬鹿が馬鹿を見たってことなのかしら? それより傘を返してもらうんだったら今から私がアイツと一緒にアイツの寮まで行って、そこから引き返せば良かったんじゃない? そうすればあの馬鹿がどこに住んでるかも調べられて……ってアイツがどこに住んでいようとそんなの関係ないじゃない!! 大体男の部屋にのこのこついて行ってそのまま何かされでもしたら……ああ、やだもうさっきから何考えてんのよ! 傘よか・さ! ここで一番大事なのは私のゲコ太マーク入り傘であって……)
 美琴はそこで小さく息を吐いた。
 雨が降り続く空を見上げる。
 この雨は明日には止むと言う。
 次に雨が降るのはいつだろう。
 雨が降れば、きっとまた上条に会える。晴れたなら、それを口実にあの黄色い花柄の傘を返してもらえばいい。
 そんな事を思いながら美琴は大きな扉を開けて寮の中へ。
 美琴には、一本の黄色い傘を巡って二人の距離がほんの少しだけ近づいたような気がして、
 雨が降るのも悪くないわね、と自分でも気づかないほど淡い笑みを浮かべた。


終。


ウィキ募集バナー