☆このページでは、霧雨の野望における北条幻庵について詳細に解説しています。
史実での北条幻庵について詳しく知りたい方はwikipediaなどの北条幻庵を調べてください
北条幻庵(ほうじょうげんあん)(明応2年(1493年)?-)
北条家家臣。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率24 |
武勇2 |
知略77 |
政治84 |
義理69 |
足軽D |
騎馬D |
弓D |
鉄砲D |
計略A |
兵器B |
水軍D |
築城A |
内政A |
|
(Act65現在)
小田原北条氏初代・早雲の三男。五代百年に及ぶ小田原北条氏の
ほぼ全てを見届けた一族の大長老。文武に秀でた教養人として名を残す。
信長の野望ではなぜか常に内政専門。史実ではしばしば軍勢を率い、
軍事面でも北条家の関東制覇に大きく貢献していたはずなのだが。
正直、文官として知略・政治も天海僧正並みにチートして構わない程の
実績と名声を持つ人です。
記録では上泉伊勢守とも交流があり、弓馬家中随一と称された采配も確かな勇将。
工芸にも秀で、鞍作りの名人としても知られている。本名は長綱。
後に上杉謙信の養子となる景虎は彼の養子(実父は氏康)。武術にも優れ特に馬術と弓術の名人だった。
他にも太鼓や尺八、書道に和歌...と実に多彩な人物である。
「後北条の終始を見届けた程度の人物」
最終更新:2008年02月28日 02:11