☆このページでは、霧雨の野望における蜂屋頼隆について詳細に解説しています。
史実での蜂屋頼隆について詳しく知りたい方はwikipediaなどの蜂屋頼隆を調べてください
蜂屋頼隆(はちやよりたか)(天文3年(1534年- )
姉小路家家臣。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率59 |
武勇72 |
知略41 |
政治23 |
義理58 |
足軽C |
騎馬D |
弓D |
鉄砲C |
計略D |
兵器D |
水軍D |
築城C |
内政D |
|
(Act71現在)
美濃の人。信長の馬廻衆として転戦。
信長死後は
羽柴秀吉につき、山崎や賤ヶ岳の合戦で活躍。秀吉からは羽柴の姓を授かるほどの厚遇を受けた。
地味ながら多くの合戦でその名が出る、まさに「叩き上げ」と呼ぶべき存在。
実戦派としては信頼厚かったと思われるが、革新ではただの平凡な武官に過ぎない。
あちこちの史料に功績が残る割には、やたらと出世の遅かった人。それが祟ったか嗣子にも恵まれなかった
秀吉からはそれなりに厚遇されていたようだし、養子の受け入れ元には不自由しなかったとも思えるのだが
信長の死の直前には
荒木村重の乱後の摂津を任されており実質信長軍団のナンバー6であったとされている
その荒木の一族の処刑を行ったもの彼。信長の命令で、だけど。
「一代限りで家が消滅する程度の能力」
最終更新:2008年03月29日 06:34