☆このページでは、霧雨の野望における可児吉長について詳細に解説しています。
史実での可児吉長について詳しく知りたい方はwikipediaなどの可児吉長を調べてください
可児吉長(かによしなが)(天文23年(1554)- )
ザリガニではない。可児(かに)である。(同時代の資料では本当に蟹才蔵吉長と表記されてたりする。)
Act87の紙芝居で足軽頭として登場。ゲームパートでは登場年が1569年であるため未登場。
堀秀政の策で上層部に不満を持っていた足軽達をまとめて斉藤義龍に協力する。
羽柴秀吉は前々から可児、堀、仙石に目を掛けていたらしく、
三人に修行をさせるために
八雲紫に推挙する。
しばらくは紫の雑用に追われる日々が続くようだ。(罪袋?)
足軽頭(足軽大将)と小姓は基本的に似たような石高であるため栄転ではないが、
上級武士の小姓となるのは一般的に出世の第一歩である。
(八雲紫が足軽と言っているため足軽組頭であった可能性もある。その場合は栄転である。)
笹の才蔵との異名で知られるが、ちゃんと左手に笹を持っている。
決戦編Act7にてようやく登用。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率58 |
武勇94 |
知略20 |
政治4 |
義理28 |
足軽S |
騎馬D |
弓D |
鉄砲D |
計略D |
兵器D |
水軍D |
築城D |
内政D |
|
戦法:槍衾 槍突撃 (決戦7現在)
うp主解説
通称は才蔵。宝蔵院流槍術の使い手。合戦の際に討ち取る首が多すぎるため、
いちいち持ち帰らずに笹の葉を噛ませ目印とした事から笹の才蔵と呼ばれる。
戦国武将と言うより叩き上げの豪傑。能力は武勇と足軽適正のみが突出。
秀吉や二兵衛のような戦闘型知将と組ませて槍衾を連鎖させるだけで強い。
緑の人解説
可児才蔵。槍の名手。笹の指物を背負って戦い、討ち取った首が多すぎて運べない時、
笹の葉を噛ませて目印としたので笹の才蔵の通り名で有名となった。武将と言うより歴戦
の兵士と呼ぶのが相応しい。槍の師は小説宮本武蔵やバカボンドで有名な宝蔵院胤栄。
はじめ斎藤龍興に仕え、滅んだ後は柴田勝家→明智光秀→前田利家→織田信孝→豊臣秀次
→佐々成政→福島正則と渡り歩く。ご覧の通り前田利家以外は衰退、滅亡した家である。
しかし、武功は確かなもので関が原において17の首をとった時には家康からも賞賛された。
「自分の命日を予言する程度の能力」
愛宕権現の敬虔な信者であったため、「縁日の日に死にたい。」という話が転じたとの説も。
何度も主君を変えたためかゲーム中の義理は低めの評価だが、逆に忠臣ぶりを示す逸話も多く残る人。
最終更新:2009年12月29日 20:09