☆このページでは、霧雨の野望における穴山信君(穴山梅雪)について詳細に解説しています。
史実での穴山信君(穴山梅雪)について詳しく知りたい方はwikipediaなどの穴山信君(穴山梅雪)を調べてください
穴山信君(穴山梅雪)(あなやまのぶきみ(あなやまばいせつ))(天文10年(1541年- )
武田家家臣。
☆出生・家族構成
☆官位・役職
☆参加合戦
革新能力 |
統率38 |
武勇19 |
知略53 |
政治74 |
義理15 |
足軽D |
騎馬D |
弓C |
鉄砲D |
計略C |
兵器D |
水軍D |
築城D |
内政B |
|
戦法:罵声、鼓舞(Act92現在)
穴山梅雪とも。武田家親族衆の重鎮。従兄弟に当たる勝頼と折り合い悪く、
信長に通じ家を保つも本能寺の変のどさくさで落ち武者狩りに遭い落命。
不忠者と言うよりは現実主義者だが、義を捨てて利を選んだ割には
最後が情けなさすぎて印象面で損している。治績が評価されてか政治はまあまあ。
本能寺の際は家康に同行していたが、信長に贈る筈だった本領安堵の礼品を抱えたまま
伊賀越えに臨んでしまったのが運の尽き。
ただし駿河に帰り着いても家康に破滅されられていた可能性は高い。
商業物流振興の手腕では武田家中でも随一だったのにねぇ。
「鴨が葱を背負ってしまった程度の能力」
最終更新:2008年09月09日 13:52