概要
新燃岳は、九州南部の霧島山中央部に位置し、有史以降も噴火を繰り返している活火山である。三角点は山頂のカルデラ縁にあり、噴火口およびカルデラは鹿児島県霧島市に所在する。尾根筋は宮崎県小林市にまたがる。
| 標高 |
1,421m |
| 所在地 |
鹿児島県 |
| 位置 |
北緯31度54分34秒,東経130度53分11秒 |
| 山系 |
霧島山 |
| 種類 |
成層火山 |
山系
獅子戸岳と中岳の間に割り込むようにして聳えるなだらかな円錐状の火山であり、山頂に直径750メートル、深さ180メートルの円形火口を擁する。火山活動は現在も継続しており、火口内では噴気が観察されることもある。火口の底には平成噴火前まで直径150メートル、水深30メートルの青緑色を呈する山頂火口湖(新燃池)が存在していた。火口壁の南側に2つの岩峰が屹立しており、「兎の耳」と呼ばれている。
高千穂河原から中岳を経由した登山道が整備されているが、火山活動によってしばしば登山禁止の措置がとられる。山頂付近の植生はススキを中心とした草原となっており、所々に低木のミヤマキリシマ群生地が散在する。
地質は輝石安山岩からなる基盤山体の上に火砕丘が重なった構造となっている。
噴火史
新燃岳は霧島火山群の中でも新しい部類である新期霧島火山に属し、その山体は2万5000年前から1万5000年前の間に形成されている。火山活動は数千年間にわたって休止していたが、江戸時代に再開した。1637年(寛永14年)から1638年(寛永15年)にかけて断続的に噴火が起き、野や寺院を燃やしたという記述もあるが、新燃岳周辺の地層に該当する噴出物が見られないことから、御鉢の噴火が誤って記録されたものと考えられている。
享保噴火
1716年3月11日(正徳6年2月18日)、大音響とともに水蒸気爆発が発生し、黒煙が巻き上がった。新燃岳東方を流れる高崎川では泥流が発生している。一連の噴火活動は断続的に約1年半続き、八丈島での降灰が観測された。
同年11月9日(享保元年9月26日)夜半から再び噴火が始まった。周囲に数ヶ所の火口が形成され火砕流が発生し、付近の山林に火災が広がった。負傷者は31名、焼死した牛馬は405頭にのぼった。神社仏閣など600軒が焼失し、石高で6万6000石の農業被害が報告されている。
1717年2月7日から10日(享保元年12月26日から29日)にかけて噴火を繰り返し、霧島山東側の広範囲にわたって火山灰が降下した。2月13日(享保2年1月3日)朝9時頃、火砕流の発生を伴う大規模な噴火があり、死者1名、負傷者30名、焼死した牛馬420頭の被害があり、神社仏閣や農家など134棟が焼失した。周囲の田畑は厚さ10 - 20センチメートルの火山灰に覆われ、農業被害は3万7000石にのぼった。2月17日から21日(1月7日から11日)にかけても断続的に噴火している。
同年9月19日(8月15日)、享保噴火の中で最大規模の噴火が発生した。高温の噴石を噴出し、火山灰が広範囲に降り積もった。住民の間に流言飛語が広がったため、当時の薩摩藩主・島津吉貴は怪異説・神火説を唱えることや祈祷などを禁じる触れを出した。
享保噴火の際に火砕流に包まれ炭化した樹木が山中に残されている。
総噴出量は1億立方メートルとされる。
総噴出量は1億立方メートルとされる。
明和噴火
1771年(明和8年)から翌年にかけて噴火活動があった。水蒸気爆発に始まり、溶岩の流出、火砕流の流下、火山灰の噴出などがあった。
文政噴火
1822年1月12日(文政4年12月20日)朝、山頂付近に白煙が観察され、夕方に水蒸気爆発を伴って噴火した。14日(22日)には南方を流れる天降川で泥流が発生している。8合目付近に新しい火口が形成され、軽石や火砕流の噴出を伴う噴火が繰り返された。
昭和噴火
1959年(昭和34年)2月13日に小規模な爆発があった。2月17日14時50分に空振を伴って噴火が始まり、黒色の噴煙が上空4000メートルに達した。その後数日間にわたって噴火を繰り返した後、次第に終息していった。噴出物総量は数十万トンにのぼり、周辺の農作物や山頂付近のミヤマキリシマ群落に大きな被害を与えた。
平成噴火
1991年(平成3年)11月13日に山の直下で地震が急増し、26日までに小さな揺れが多発した。1991年12月から翌年2月にかけて火山灰の噴出を伴う小規模な噴火が発生。このため、1991年11月26日から2004年(平成16年)1月30日まで登山禁止の措置がとられた。
その後2008年(平成20年)8月22日にも再び噴火。2009年(平成21年)4月下旬頃より山頂火口湖の色がエメラルドグリーンから茶色に変色するという現象が見られた。変色した山頂火口湖は7月初旬頃に、再び元のエメラルドグリーンに戻ったことが確認された。
2010年(平成22年)3月30日、2008年以来の小規模な噴火が確認された。その後、断続的な火山性地震及び火山性微動と、5月から7月にかけ火口外へ影響を及ぼさない小規模な噴火活動が観測された。
【現在進行形の噴火】
2011年の噴火
2011年(平成23年)1月19日から再び噴火、22日、26日と短い間隔で噴火し、宮崎県都城市や遠隔地の
日南市にまで降灰が及び、26日15時40分には火口から1500メートル上空まで噴煙が上がるのが確認された。1月27日15時41分には52年ぶりとなる爆発的噴火が麓から確認され、火口から2500メートル上空の高さまで噴煙が上がり、山頂付近では火砕流の発生も確認された。噴火警戒レベルはレベル2からレベル3へ引き上げられた。新燃岳において噴火警戒レベルが3へ引き上げられたのは、噴火警戒レベルの導入後初めてである。空振が九州地方各地で発生し、最も離れた所では四国地方の愛媛県や高知県にまでに伝わった。火口付近では火山雷なども起きた。地元高原町では避難する世帯もあり、暫くは地響きに伴う振動も継続中である。
1月28日の午前中に東京大学地震研究所による観測が上空からなされ、火口内では火口湖が消失し、直径数十メートル程度の溶岩ドームが出現したと発表された。同日午後12時47分に再び爆発的噴火が起き、噴煙は火口の上空1000メートル以上に上がった。
宮崎市や都城市に火山灰が降り積もった。国土地理院は新燃岳は火口の真下の深さ約3キロメートルと、火口からの西北西に約10キロメートル離れた深さ約6キロメートルの2ヶ所にマグマが貯留していることを報告した。火口の真下には東京ドームの0.8杯分にあたる約100万立方メートルのマグマが、西北西には東京ドーム5杯分にあたる約600万立方メートルのマグマが溜まっていると推定され、今回の噴火によって膨張傾向にあった新燃岳の体積が縮小したことも判明した。
1月30日に海上自衛隊鹿屋航空基地第72航空隊の協力を得て上空からの観察を行ったところ、火口内の溶岩ドームが直径500メートルにまで成長し、中心部の高さは火口縁付近に達していることが確認された。宮崎県高原町は30日深夜、「火山が非常に危険な状態にある」として火口の東側にある町内の512世帯約1150人に避難勧告を出した。火口から2キロメートル以内の入山規制が3キロメートル以内に拡大された。この噴火によって火口内に出現した直径500メートルの溶岩ドームにより、観光地として有名だった新燃池は消滅した。2月1日7時54分に4回目の爆発的噴火が起こり、火口の南西3.2キロメートル地点で458.4Paの空振を記録し、100枚以上のガラスが割れ、6キロメートル地点の霧島市牧園町の霧島温泉クリニックでは負傷者が出た。火口から南西約3.2キロメートルの地点に70×50センチメートルの大きさの火山弾と、直径6m×深さ2.5メートルの広さの穴が見つかった。そのため、入山規制が4キロメートル以内に拡大された。火山灰や噴石の噴出量は26日の噴火から2日間だけで約7000万トンと推計される。4回目の爆発的噴火の後に溶岩ドームの直径がさらに拡大し600mとなった事が判明した。溶岩ドームが火口に蓋をする形となったため、内部の圧力が高まり、溶岩ドームの頂上を吹き飛ばず形で爆発的噴火の間隔が狭まった。山体の収縮の速度は31日から鈍化している。
防災
新燃岳は現在も活発な活動を続けており、状況の変化に応じた噴火警戒レベルが設定されている。最新の警戒レベルについては気象庁のウェブサイトで確認することができる。霧島山の山々は「霧島山(新燃岳)」と「霧島山(御鉢)」の2つがそれぞれ警戒対象に指定されている。
地方自治体も防災に関する情報を提供している。
鹿児島県
霧島市
都城市
宮崎県
最終更新:2011年02月03日 20:18