墓地について
以下遊戯王に対する批判なので閲覧注意。マジでこの記事はなんのために作られたのかわからない。
遊戯王OCGの
カードは基本的にフィールドでその効果を発動するのだが、他の場所で発動する効果を持つ
カードも存在する。
その中でもフィールドでの発動に次いで多いのが、「使い終わったカードの置き場」という概念が
一応ある墓地での発動であり、遊戯王OCGにとって墓地はとても重要な場所になっている。
その重要性は、「墓地の
カードの使用を封じる
カード」や「墓地の
カードを除外する
カード」が、多くのデッキにとっての弱点になる程。
ただ、墓地の
カードはあくまで墓地の
カードであり、手札のように自由に使えるわけではない。
雑な言い方になるが、墓地の
カードは自分の行いたい戦術のための伏線のような存在である。
しかし、3作目となる遊戯王5D's以降、遊戯王では「墓地のカードを手札同然に使う」展開が多くなってしまっていた。
それに伴い、墓地の概念も大きく変わってしまっている。
もはや墓地は、「第二の手札」になってしまっていると言えよう。
墓地活用が頻発する原因
何故このようなことになってしまったかと言うと、要は「カードを水増しする手抜き」である。
勝敗などの結果を決めた上でデュエル構成を作る都合上、「手札が余る」ことや「手札が足らなくなる」ことは制作過程で度々起こる。
本来はその問題を解消するために
カードの役割や効果を調整して無理のない展開にするものなのだが、墓地に存在する
カードをまるで手札のように扱うことで、
カードを水増ししているのである。
一応断っておくが、別に墓地の
カードの活用を否定しているわけではない。
例えば、原作ではバクラが「墓地に死霊モンスターが溜まる程強くなる」オカルトデッキを使用している。
これはこういうコンセプトのデッキというだけなので、何の問題もない。
そしてGXでも十代が墓地で効果を発動する《E・HERO ネクロダークマン》を度々使用しているが、多くの場面でコストや効果で手札から墓地へ送られるなど、手札の水増しに見えないような工夫がされてきた。
しかし後半で登場した《ネクロ・ガードナー》が常にデッキトップからのランダム墓地肥やしで墓地へ送られ、1度も場や手札に加わった事がないという露骨な調整が疑問視され始める。
ただ、5D's以降は墓地のイメージを持たないデザインのカードも墓地で手札代わりになっており、しかもその展開が頻発しているのである。
「墓地のイメージを持たない」という点に関しては主観だという言い訳が通用するとしても、頻発することに関してはどうしようもない。
頻発に伴う問題
カードの水増し自体は昔から行われており、GXでは「困った時の強欲な壺」と揶揄されていたりもした。
これも決して褒められたことではないのだが、墓地の
カードを手札代わりにする行為は、更なる問題も生じさせている。
それは、「ピンチが茶番になる」ことである。
某満足さんでもない限り、手札やフィールドに
カードがないことは本来ピンチでしかない。
しかし、「手札も0でフィールドにも
カードがない」という絶体絶命の状況でも、墓地の
カードを手札同然に使えるのならば、ピンチでもなんでもないのである。
あまつさえ墓地活用が頻発しようものなら、「どうせ墓地の
カードでなんとかするんだろ」としかならないだろう。
ここまで見てくださった皆様ならわかるだろうがこれ遊戯王に対する批判である。
このwikiマジでどうなってんの…?
最終更新:2025年09月23日 04:12