弦が奏でる旋律がなくとも、瞼を閉じれば鮮やかによみがえる記憶。
脳裏によぎる過去は彩られた思い出か、それとも美しく描かれた悪夢か。
立ちはだかる現実から逃れたいと願うとき、人は自分の影を見つめる。
闇色を染み込ませた影は、忠実なる僕。
主が望むことならば、全てと引き替えに楽園へと誘ってくれるだろう。
思い出を連れ立って。
呪文を唱える時、ククールは瞼を閉じ闇の中で意識を集中させる。この時
も、何度目になるか分からない回復呪文を唱えようとして瞼を閉じたのだ。
しかし、集中したはずの意識は彼の脳裏にある光景を呼び起こしたのだった。
***
旅の途中、なんの事はない会話だった。
「どうしてククールは弓を?」
尋ねられて足を止める。質問者の方を向いて、はぐらかすように言葉を返す。
「どうしたんだよ? いきなり」
「いや……。騎士団で弓使いってあまり聞いたことがないような気がして」
トロデーンに弓兵はいなかった、と彼は言う。
「そう言えば、出会った頃は弓なんて持ってなかったでがすよね?」
そこへヤンガスも加わったものだから、濁せば終わるという話でもなくなって。
「……あそこでは剣を持たなきゃならなかった。それだけだ」
不機嫌を隠さずにそう答えてやった。事実、聖堂騎士団員は剣しか携えない。
口に出してから、ククールは本当のことをばか正直に話してしまったことを後悔した。
(イヤなことを思い出しちまった)
そうだ、せっかく修道院から解放されたってのに。
「先を急ごうぜ、日が暮れちまう」
そう言ったククールに、笑顔はなかった。
それから街へ到着するまで、ククールは仲間達と言葉を交わすことはなかった。
宿に着いてからも、その日は誰とも口を利きたくないと早々に酒場へ出かけて行った
のである。
修道院を出てからと言うもの、今日ほど酒を浴びるように飲んだ日はない。珍しく
ククール自身がそう思ったのは、足もとがややふらつくことを自覚したからで。
それでも泥酔するほどではなく、意識もはっきりしている。まあるい月が西の空に
傾き始めた頃に、ようやく宿へ帰る道を歩いていた。酔わせてくれない安酒と、酔えない
自分になぜだか無性に腹が立った。
***
脳裏によみがえった光景に邪魔をされ、うまく意識が集中できずにククールは
僅かに苛立った。瞼を開き強い口調で短く詠唱を終えた後、右手を振り上げて不完全な
ままの力を解放した。
覚えたての回復呪文が、これまでに何度も訪れた危機を脱する糸口となり、仲間達の
命を救ってきた。仇であるドルマゲスと対峙した時も、とどめの一撃を与えた訳ではなかった
けれど、仲間の傷を癒してきたのは常にククールだった。
ヤンガスのような力がなくても、ゼシカのように強力な攻撃呪文がなくても、呪いの力を
はね除ける不思議な力を持っていなくても。
それが自分の役割だと、不満を感じることはなかった。
――淡い緑色に輝く光が、自分と、横に立つ2人の仲間達を包み込んだ。
いつもは自分の横に立っているはずの彼女の姿は、ない。
放った魔力は大地の上で心細い光を放った後、回復すべき相手を見いだせぬまま
静かに立ち消えた。
***
宿に入る前、見上げた建物の一角に明かりが灯っているのに気がついた。他の部屋
どころか、町中が眠りの中にあるはずなのに、いったいなぜ?
そう言えば今日だけではない。いつも夜遅くまで明かりが灯っているのは確か――。
些細なことを真剣に考えている自分が、妙におかしかった。
その理由を知るのは、それからすぐ後になってからだった。
ドルマゲスの居場所を突き止めて、闇の遺跡も難なく進めるようになった頃。ちょうど
俺がベホマラーの呪文を習得した直後だったと記憶している。
ドルマゲスと対峙すべく遺跡を進んでいた時の事。後ろを歩くゼシカが小さく呟いた。
「……呪文」
この俺が女の声を聞き逃すはずがない。だけどあんまりにも小さな声だったから、
聞き間違いかと思ってさ。
「どうした?」
「…………」
返事がないから振り返ってみれば、重い足取りでしかも俯いてるもんだから、最初は
てっきり疲れたのかと思ったんだ。で、先を歩いていた2人を止めようとしたら、逆に
制止された。顔を上げたゼシカの表情が、いつもと明らかに違っていることには、すぐに
気づいた。
「違う、ごめん、なんでもない。気にしないで」
ちょっと待て。何が違うんだ? 何がごめんなんだ? なんでもない? どのツラ下げて
そんなこと言うんだか。
「『なんでもない』って顔じゃないだろ?」
呪文が何とか、と言っていた。だから袋から魔法の聖水を取り出して渡そうとしたんだが、
首を横に振るだけで受け取ろうともしない。
「……邪気にでもあてられたか?」
疲労の類でないとすればそれが妥当な線だと思った。確かにこの遺跡はまがまがしい
気に満ちている。ドルマゲスのいる場所に近づけば近づくほど、空気に混じるそれが強く
なっているのを確かに感じたからだ。
「無理すんなよ。休もうぜ」
……無言だった。
まったくコイツは。そうも思ったが、そりゃ仕方ないか。少しは肩の力を抜いた方がいい、
だからわざと茶化すように言ってやった。
「分かった、ゼシカ。緊張してるんだろ?」
「……勝てる気がしない」
相変わらず俯いたままでゼシカはそう呟いた。風のない遺跡内でもゼシカの髪が揺れて
いるように見えたのは、気のせいか。
「驚いたな、ゼシカがそんな弱気になるなんて。安心しな、オレがついて……」
そう言いかけた俺の言葉を遮って、ゼシカは顔を上げた。真っ直ぐに向けられた瞳には、
強い意志が宿っている。
「ドルマゲスは私が倒す」
いつものゼシカだと思ってホッとした。同時に、疑問が浮かぶ。
「倒すって言っても、勝てる気がしないんだろ?」
「ドルマゲスじゃないわよ……」
少しだけ口ごもった、きっと声に出そうか迷っているのだろう。何も言わずに言葉の先を
待った。ここで俺が問い返せば言わざるを得なくなるだろうからな。言いたくなければそのまま
歩き続ければいい。
やがてゼシカの足が止まる。
「兄さんに」
その言葉に、俺も思わず足を止めた。
「兄さん?」
「……サーベルト兄さんは剣も魔法も強かった、兄さんは私に魔法の才能があると
言っていたけれど、私は今でも……兄さんに勝てないと思うの」
ゼシカは遺跡の天井を見上げながら、ほんの僅かな愁いを帯びた声でそう言った。
それから、いきなり視線を戻すと明るい声で告げる。
「あ。でもドルマゲスには勝つわよ、絶対に」
「もしかしてお前……旅の間も呪文書とか読んでるんじゃないのか?」
「魔術師として、そのぐらい当然よ」
「夜中、他の奴らが寝静まった後まで?」
「…………」
一瞬、目を大きくあけて驚いた表情を向けられてこっちが驚いた。ゼシカは
「どうしてそれを?」とでも言いたかったのだろう、目を細め訝しげに見つめている。
両手を広げ、笑顔で言ってやった。
「……ま、ゼシカの事はなんでもお見通し……」
「のぞき見?」
「違う、断じてそれはない。誓って」
ゼシカの顔があまりにも恐かったから……っていうのもあったけど。まあ、なんて
言うの?
「お前の兄貴のことは知らないけど……少なくともゼシカは、立派だと思うぜ?
……オレと違って、な」
「えっ?」
疑問の表情を浮かべるゼシカに、俺は抱えていた弓を持ち上げて見せた。
「こういうこと」
「弓……?」
「そ。俺が弓を使うのには2つの理由がある。そのうちの1つは、ゼシカと同じさ」
自分でもよく分からない、どうして俺はこんな話をしているんだろう? 気持ちとは
裏腹に、口はひとりでに動いている。
「聖堂騎士団に弓使いはいない。ああ、確かに俺は修道院にいた当時は弓なんか
持たなかった。だけどな、……ホラ、いくら才能がある俺でも、努力とかそういうの
嫌いだからさ?」
ゼシカはまだ、無言で俺の方を見つめている。なんていうか、今はそんなに見ない
でほしいな。
ゼシカに背を向けて、言葉を続けた。
「剣を持って、俺が兄貴に勝っちゃったらあいつの立場ないだろ? だから」
「…………」
「でもな、オレは一生あいつに剣で勝てないってことなんだよ。情けない話
だと思うだろ? 自分でも呆れるぐらいさ」
「…………」
言い終えてから天を仰ぐ。当然、この場所から空なんて見えない。ゼシカは無言だし、
参ったよ。
自分で切り出した話だったのに、苦手な雰囲気を作っちまったと後悔した。
ゼシカの方を振り返ってから、努めて明るい声で問う。
「だけどな、オレが弓を使うのはもう1つの大きな理由がある。教えてやろうか?」
その声に、ゼシカはためらった後にゆっくりと頷いた。
「オレの異名は『恋の天使』、だからね」
それを聞いてばっかじゃないの、とゼシカは言った。
そうそう、その調子。なんと言われようと俺が見たかったのはその笑顔なんだよ。
***
周囲を取り囲む影、自らの主を守るように彼女を取り巻くたくさんの影に俺達は
鉾を向けてきた。倒しても倒しても、新たな影が現れるばかりで埒が明かない。
呪文を唱えようと瞼を閉じれば、あの日の光景が蘇って意識が集中できなかった。
だから俺は詠唱を諦めた。瞼を開き眼前に立ちはだかる“彼女”を見据えると、弓を
構えた。
「……エイト、回復は任せた」
「ククール!?」
皆、ゼシカに刃を向けることをためらった。当たり前だ、いくら杖に操られているとはいえ、
ゼシカは仲間だ。だからずっと、周囲に現れる影ばかりを倒してきたのだ。
だが、所詮は影だ。本体がなくならない限り消えることはない。
162 :呪われしゼシカ戦 7[sage]2005/09/24(土) 02:44:31 ID:ECHSRRO+
降り注いだ氷の刃が砕け散る。鋭い痛みが体中に走ったが、お陰で決意は固まった。
ああ、それから後で伝えてやろう。ゼシカの魔力はホンモノだ、ってな。
「……いいぜ、マヒャドのお礼にオレの本領を発揮してやるよ。ゼシカ」
――恋の天使、そう言った俺の事を笑ったろ?
「ククール」
「大丈夫だオレに任せろ、……なぁに、死なせやしないさ」
ククールは意識を集中した。目を開き、視界の中央に彼女をとらえたまま、決して
視線をはずすことはなかった。
弓を引き、思いを込めてその一矢を放つ。
それは杖の呪い、悪しきものの呪縛から解き放つかわりに、さらに大きな“呪い”を
かける一矢だ。
「死なせやしない。だが、目覚めたときには――覚悟することだな、ゼシカ」
恋という名の、やっかいな呪い。
ククールの言葉が実現したかどうか、その真相を知るのはゼシカただ1人のみである。
-呪われしゼシカ戦<終>-
最終更新:2008年10月23日 12:00