ベルガラックのカジノが再開し、オレたちは護衛の報酬にもらったコインで遊ぶことにした。
一番得意なのはポーカーなんだが、残念ながらこのカジノにはカードゲームは無いんで、仕方なくルーレットで勝負する。
ビンゴやスロットは機械任せだから、実力を発揮しようが無い。その点ルーレットは人間のディーラーが相手だから、まだ腹の探り合いをする余地があるからな。
「カードならともかく、ルーレットってイカサマできないわよね。それなのにどうして、こんなに当てられるの?」
ゼシカが無邪気に感心したような声を上げる。いろいろとコツが無いでもないが、勝負の真っ最中にさすがに言うわけにはいかない。
「それは企業秘密さ。まあ、一つだけ覚えておいた方がいいことはある。ここのディーラーみたいに一流どころになると、狙った所に玉を入れてくるからな。ギャンブルなんてのは胴元が勝つようになってるから、大事なのは目をつけられる前にやめることだな」
「そんな真っ赤な服着て、目立たないようにしようってのは、間違ってると思うわ」
「オレの場合、この美貌でもう目立ってるから、服は関係ないんじゃねえの?」
「あいかわらず、自意識過剰ね」
いつもと変わらない軽口の応酬。
「ねえ、今更なんだけど、どうしてククールだけ制服の色が赤いの?」
いきなりのゼシカの質問に、オレは少しとまどった。
「本当に、今更だな」
「自分でもそう思うけど、急に気になったのよ。そうなったらもう、聞かずにはいられないの」
普段ならたいしたことはない質問だが、ギャンブルとイカサマと赤い服。この組み合わせはあまりにも、揃いすぎていた。
「別に深い意味はないさ。敢えて言うなら、青よりも似合ってたから、かな」
「うそ。あんたらしくないわ。普段だったら、オレはどんな色でも似合うんだ、ぐらいは言うじゃない」
こういう時だけ、ゼシカは妙に鋭い。
どうしても秘密にしなきゃならないことではないけど、改めて話すにはちょっとテレくさいんだよな。
もう何年も経ってるっていうのに、オレの中では思い出として語ってしまうには、まだ色鮮やかすぎるんだ・・・。
オレが両親を失い、修道院で暮らし始めたのは八歳の時だった。そして十歳の頃から貴族たちに指名されて自宅へと招かれ、祈りを捧げることを務めとしていた。
あの頃のオレは自分で言うのも何だが、柔順でおとなしい子供だった。そして天使のような愛くるしい容貌。さらには没落した領主の家の息子だったっていう悲劇性が、ゴシップ好きの婦人たちの心をとらえたんだ。
オレにとっても初めのうちは、貴族の家への訪問は楽しいものだった。まだガキだったオレにとって、規律でがんじがらめの修道院の中よりも、華やかな外の世界の方が素晴らしいものに思えたとしても無理はない。
きらびやかな衣装を身に纏う貴婦人。美しい食器に盛られる、珍しい菓子や料理の数々。それらは全て、両親が生きていた頃の何不自由ない暮らしを思い出させた。
人々はみな親切で、誰もがオレに良くしてくれていたように思えた。
同じ修道院で暮らす異母兄のマルチェロは、オレがどんな態度を取ろうと、いつでも変わらない憎しみを向けてきた。時に冷たい態度で憎しみを露にし、時に初めからいないもののように、完全に無視してくれた。
オディロ院長を初め、何人もの人が何とかオレたちの仲を取り持とうとしてくれたが、それはますますマルチェロの心を頑なにするだけだった。初めのうちはオレにしか見せなかった敵意を、他の人間にまで示すようになっていってしまった。
まだ純粋だった頃のオレには、自分が冷たく扱われることよりも、優しかったはずの兄貴が自分のせいで荒んでいくのを目の当たりにする方がキツかった。
だから少しでも、兄貴の目に触れない場所に身を置きたいと思った。そうすれば、互いに傷つけあうことも少なくなるだろうと考えていた。
貴族の家を訪問して、寄付金を集めてくることは、育ててくれたオディロ院長への恩返しにもなるし、一石二鳥だと思えたんだ。
オディロ院長は初めは猛反対したけど、オレはそれを振り切った。止めてくれる理由をわかってなかったんだ。オディロ院長はオレのことを心配してくれてたっていうのに、オレは自分がヘタなことをしたら、修道院の迷惑になるからだと勝手に思い込んでた。
今思うと、心配してくれる気持ちを受け入れられないところは、その頃からだったのか。本当にどうしようもないヤツだよな、オレって。
最初の頃は、貴族の家を訪問する時には騎士団員の護衛がついていたが、二年も経つ頃には護衛は行きだけになり、滞在時間も帰る時間も、オレの判断に任されるようになっていた。
オレはルーラの呪文を習得していて、護衛付きでも魔物の出る道を歩くより、ずっと安全に修道院に帰れたからだ。オディロ院長は、貴族の家への訪問を了承してくれた後も、オレがルーラとバギを習得するまでは絶対に外に出してくれなかった。
聖職者として、人を疑うようなことはしたくなかっただろうに、汚れた貴族の欲望から自分の身を守るための手段を、オレに授けてくれていたんだ。本当に実の子供のように守ろうとしてくれてた。
だけどオレは気づいてなかった。自分がどんどん擦り減っていっていたことに。
修道院の中では『憎むべき疫病神』であり『柔順な金づる』であること。貴族達の家では『姿のきれいなお祈り人形』でしかないこと。
それを、オレの心は無意識のうちに感じ取っていた。自分が人間として扱われていないことに気づいてしまっていたんだ。
そして、オレはドニの町を訪れるようになっていた。
初めのうちは修道院から逃げ出してきたんじゃないかと困惑していた町の人たちも、窮屈な生活の息抜きのためだけに来ているんだと強く示すうちに、オレを歓迎してくれるようになった。
ちょっとばかり汚いやり方だったとは思う。
不幸な境遇の元領主の息子に同情こそしながらも、何の手も差し伸べてこなかったことに負い目を感じてるのはわかってた。だからその『元ぼっちゃん』が屈託なく接することに、安堵していたのも感じてた。要は弱みに付け込んだってことだ。
でもオレには必要だった。昔からの自分を知り、憎みも利用もしない人たちの中で、道具や見世物じゃない『人間』だった頃の自分を感じる時間ってやつが。
その頃のオレはいつも穏やかで、行儀も人当たりも良かったから、修道院の方でも旧知の人たちを訪ねるという、たった一つの規律違反は、多額の寄付金を集めてくる功績に免じて、目をつぶってくれた。
おとなしく柔順にさえしていれば、誰も自分を邪険には扱わないことを学んでいた。ただ一人の例外、マルチェロを除いてだがな。
そして、そんな暮らしの中であの人に出会った。
自称、世界一のギャンブラー。えげつなくてロクでもないことばかり教えてくれた、オレにとって師匠と呼べる人だった。
その日もいつものようにドニの酒場を訪れていたオレは、カードゲームに興じている、見かけたことのない男の姿を目に止めた。
屋内だっていうのにサングラスをかけ、豊かに蓄えられた口ひげと顎髭の間からパイプをくゆらせていたその男は、体格が良く、熊をも絞め殺せそうな太い腕を持っていた。
相手のゴロツキは店の常連で、弱いくせに大の博打好き。いつも宿屋の主人や酒場の客に勝負を挑んでいたが、勝った姿を一度も見たことが無かった。
三大巡礼地の一つ、マイエラ修道院に近いあの町で、見かけぬ男の姿なんて特に珍しいもんじゃなかったし、上品さとは無縁のあの酒場で博打が行われることもよくあることだった。だけどオレは何か違和感を感じて、その光景から目が離せなかった。
そして、見ちまったんだ。器用にカードがすり替えられる瞬間を。イカサマだった。
「あっ・・・」
マヌケだったのは、思わず声を出してしまったことだ。
他の誰も聞き取れない程の小さな声だったはずなのに、髭の男はその声に気づいて視線を向けてきた。
オレは慌てて顔を背けたが、確かに一瞬目が合ってしまった。
「ちょっとだけ待ってろ。すぐに戻る」
ゴロツキにそう声をかけ、髭の男はオレの方へ歩み寄ってきた。
「こんなところで、お前さんみたいなガキが何してるんだ? 坊やは帰ってミルクでも飲んでな。おっと、ここで飲んでるのもミルクか」
男はオレのカップを覗き込み、自分の言った言葉に大笑いしていた。オレもさすがにその年では、まだ酒は覚えてなかった。
でも、そんなことよりもオレは生きた心地がしなかった。
博打にイカサマは付き物だ。だけど、ドニの酒場で行われるイカサマなんで稚拙なもので、大抵バレて、くだらない乱闘になる。
だけどその男の手さばきは、相手のゴロツキも、勝負を見物している客たちも、誰ひとりとしてそれに気がつかなかった程に見事なもんだった。気づいたのはオレだけ。
思わず声を出してしまったことを後悔した。自分がイカサマに気づいたのがバレたら、どんな目に合わされるのかと思うと気が気じゃなかった。
男はオレの隣にドカッと腰を下ろした。身なりは良いのに、男の体はかなり匂った。軽く見積もっても一週間は風呂に入ってなかったと思う。
「お前、見てたのか?」
小声で問われ、背に冷たい汗が流れた。
男は見るからに強そうで、その太い腕にかかれば、当時のオレの華奢な首なんて一瞬でへし折られてしまうに違いないと思った。周りの人間の助けは期待してなかった。
「どうなんだ?」
ドスのきいた声で再度訊ねられ、オレは完全に竦み上がった。
「ん? なんだ、お前、ビビッちまってんのか? 別にとって食いやしねえよ。あー、でもよく言われんだよなあ。お前の顔は怖いから、言葉だけでも優しくしろってよ。そんなに怖くもねえと思うんだがなあ。なあ、お前、どう思う?」
男はサングラスを取って、ニカッと笑いかけてきた。
サングラスに隠されていた目はクリッとして丸く、顔全体の造形はお世辞にも可愛いものではなかったが、不思議な愛嬌を感じさせた。
「それとも、やっぱり怖いか?」
大きな背を丸め、しょんぼりとする男の姿は、怖いという言葉からは程遠いものだった。
何となく気の毒になって、オレは首を横に振った。
「そうかそうか、そいつは良かった。で、話を戻すけどよ、お前、さっきのアレ、見てたのか?」
三度目になる問いに、ようやくオレは小さく頷いた。
「ああ、やっぱりそうか、ちくしょう。おめえみてえなガキに見破られちまうとは、オレもヤキが回ったもんだぜ。ちっとばかり気を抜きすぎたみてえだな。世界一のギャンブラーの名が泣くぜ」
そして男は懐から財布を取り出し、オレの前に札の束を投げ出した。
「これはおめえのもんだ」
いきなりのことに、あの時はかなり面食らったもんだ。
「えっ、だって、どうして・・・」
男は、オレの耳に口を寄せて囁いた。
「イカサマってのは、バレたらそこで負け。見破ったヤツの勝ちになるんだ。だから、あのカモからぶんどった金は、オレのイカサマを見破ったお前のもんだ」
言いたいことだけ言って、男はまたゴロツキの待つテーブルへと戻っていった。
後に残されたのは、千ゴールドもの大金。
オレは完全に混乱してしまっていた。
その場で金を返しちまえば良かったんだが、カードゲームを再開したテーブルに近づく程の度胸はなく、結局その日は、そのまま金を持って修道院に戻った。
そうでなくても眠りの深い方じゃないっていうのに、大金を持つ緊張で、その晩は一睡も出来なかった。
それで次の日、貴族宅への訪問を終えたオレは、金を返す為にドニの町に大男を訪ねた。男は留守にしていたが、宿屋に荷物は残されてたから、まだ引き払われていないのがわかり、少しホッとした。
オレは外で男の帰りを待つことにした。選んだ場所は川のそば。人のいる場所にはいたくなかった。
その頃のオレは、もうドニの町を訪れることでも自分を保つのが難しくなっていた。大事な何かをつなぎ止めていた糸のようなものが少しずつ擦り切れていて、それを完全に失ってしまう寸前だったのかもしれない。
誰とも会いたくないとも思うのに、誰かにそばにいてほしいとも思ってた。
相反する感情、矛盾する思い。それは人間なんてものをやってたら仕方ないことなのに、まだガキだったオレには理解できなかった。
水面には決して目を落とさなかった。自分の姿を目にしたくはなかった。それがあの頃の自分の境遇を作り上げた最たるものだってことを感じて、無自覚に疎んでいた。恵まれた容姿だけが自分の存在価値だなんて、純真な少年だったオレの心にはキツすぎた。
そうしていると、水音に混じって何かかぼそく鳴く声が聞こえてきた。
初めは気のせいかとも思ったが、川面を覗いてみると、一匹の猫が中洲に取り残されていた。犬にでも追われて落ちたんだろうか、おびえきって悲しげな声で鳴き続けていた。
あの時は本当にどうしようかと困り果てたもんだ。あの町の川は低いところを流れていて、そこまで降りていく道はなく、小さいながらも切り立った断崖を降りていくしかない。川の流れそのものは緩やかだが、深さはかなりあった。
更に、オレは泳げなかった。いや、泳いでみようとしたこともなかった。
領主の嫡男に生まれ、豪華な屋敷の中で箱入り生活をした後は、規律の厳しい修道院暮らし。泳がなきゃらない事態に遭遇したことなんてあるわけがない。
それでも目の前の、弱くて儚くて、誰にも気づかれないところで鳴いている小さな命を、見捨てるつもりにはなれなかった。
そしてオレは、転落防止に張り巡らされているロープをくぐった。
「おい! そこのお前! ちょっと待て、早まるな!」
大きな声と共に、地鳴りのような足音。その方向を見上げると、前日酒場でイカサマギャンブルに興じていた大男が、すごい形相で走ってきていた。
「命は一個しかねえんだ、バカなマネすんじゃねえ!」
大男は、その勢いにあっにとられているオレをロープの向こう側から引き戻し、軽々とかつぎ上げた。
「ふう、危ねえとこだったぜ。何があったか知らねえが、おめえみたいなガキが命を粗末にするようなマネすんじゃねえ!」
オレは地面に下ろされるや否や、問答無用の拳骨を頭に浴びせられた。目に星がとぶっていうのは単なる比喩表現じゃないことを、あの時知った。
「何か困ったことがあるなら、話してみろ。オレに良ければ相談に乗ってやる。死ぬなんてのは、いつだって出来るんだ、男ならまずは戦ってみろ」
自分が自殺未遂をしたと勘違いされてることに気づいたオレは、ガンガンいってる頭を横に振った。
「ち、違います・・・」
そう言って川の方を指さすと、男は川面を覗き込んだ。
「・・・お前、あの猫助けようとしてたのか?」
オレが頷くのを見て、男は自分の額をピシャリと叩いた。
「すまねえ、早とちりだ。オレはいっつもそうなんだ。よし、ちょっと待ってろよ」
言うが早いか、男は上着を脱ぎ捨て勢い良く川に飛びこんだ。激しい水しぶきがあがり、目まぐるしい展開にオレの頭はついていかなかった。
ようやく我に返って川を覗いてみると、男は猫を懐にいれ、絶壁の岩壁を軽々とよじ登ってきていた。
「おう! ちょっとすまねえが、何か拭くもの持ってきといてくんねえか? あと、酒とミルクも頼むぜ!」
絶壁をよじ登ることの苦労など、全く感じさせなかった。
オレは言われた通り酒場にタオルと酒とミルクを取りに行き、戻ってきた時にはもう、男は岩壁を昇りきっていた。
オレがタオルを差し出すと、男は自分のことはそっちのけで、ガシガシと乱暴な手つきで猫の体を拭き始めた。
あの時のあの猫は気の毒だったと思う。犬に追いかけられた方がマシだっていう勢いで悲鳴を上げてた。メチャクチャに暴れて、命の恩人の手を引っ掻きまくって、元気に逃げていったけどな。
「あれだけの元気があれば、大丈夫だな」
男は体を拭きもせずに、酒を呷りながら笑っていた。
「せっかくミルクまでやろうと思ったのに逃げられちゃあ仕方ねえ、それはお前が飲め。そんな女みたいな顔してヒョロヒョロしてやがるくせに、こんな岩棚おりようなんざ、勇敢通り越してバカだぜ」
確かに、あの頃のオレは同じ年頃のヤツらと比べてもチビで弱っちかったと思う。でも、そこまで不躾な言い方をされると、さすがにムッときた。
その男に会いに言った理由を思い出し、サッサと用件を済ませてしまおうと思った。
「こんなお金をいただくわけにはいきません。お返しします」
男は札束とオレの顔を交互に見比べ、金を受け取った。
「そうだなあ、あの後、お前みたいなガキにこんな金持たせるのは考えなしだとは思ったぜ。それに酒場なんかにいたから気づかなかったが、お前マイエラ修道院の人間だろ? 清く正しく生きる僧侶様には金は無用のモンだよな」
わりとアッサリと金を返せたことに、オレは少し安堵した。
「だけどお前、よくオレのイカサマを見破れたもんだ。どうしてわかった?」
だから、その男の問いにも、答えてみるつもりになった。
「ずっと見てたからです。どうしてかわからないけど、あの時、全体に何となく違和感があったから・・・」
とは言っても、こういう答えかたしか出来なかったけどな。
「ほう・・・」
男は感心したような声をあげた。
「まあ、確かにお前みたいなガキに金を渡すのはアレだからな。代わりに何かやらねえとなあ。何か欲しいもんはないか?」
いきなりの言葉に、オレは訳がわからなかった。
「イカサマだって、バレるかどうかのリスクを楽しんでやってるんだ。見破られれば、何かを失う。そういうリスクがなけりゃあ、つまらねえ」
本当に付き合ってられないと思った。
「結構です。もう帰らなければならないので、失礼します」
「ああまあ、すぐには思いつかねえよな。ゆっくり考えてこい。オレはまだしばらくこの町にいるからよ」
しばらくが、どのくらいかわからなかったが、その男がいる間はドニには近づかないようにしようと心に決め、オレはルーラの呪文を唱えた。
なのに、その二日後、意外なところで再び男の姿を目にすることになった。
週に一度は訪問していた、当時のオレの一番のお得意様の貴族の屋敷でだった。
オレも相当ビックリしたが、向こうの驚きっぷりは更に上だった。サングラスと髭で表情なんてものは全く読み取れなかったんだが、雰囲気でわかった。
「そうか・・・。元領主の息子ってのは、お前のことだったのか・・・」
そう呟いた男の声が沈みきっていたのは、今でも覚えてる。
「まあ、お知り合いだったんですの?」
その家の夫人がつまらなそうな声を上げた。
彼女は顔の造形としては美人の部類に入ったんだが、何というか品性に欠ける御婦人だった。オレが訪問する時には必ず他の客を屋敷に招いていて、自分が、不幸な境遇の元領主の息子にいかに親切にしているかをアピールするのを、何よりの楽しみにしていた。
多い時には両手の指でも足りない程の人数の前で祈らされることもあり、本当に見世物なんだっていうことを強く意識させられた。
「ええ、親友です」
男はあっけらかんとした声で、とんでもないことを言い出した。
夫人は一瞬あっけにとられ、その後、慌てて取り繕うような笑い声を上げた。
「まあ、そうでしたの。それならご紹介するまでもありませんわね」
オレは本当は紹介してほしかった。身なりからして、その男がそれなりの地位や収入のある人間だっていうのは見当がついてはいたが、ドニの安い宿屋に滞在していたことや、酒場でイカサマカードなんてやってたこと、何よりも粗暴な言動。それらがどう考えても一致しなかった。
でも、そんなことはすぐにどうで良くなった。
その日も、その男の他に三人の客がいて、いつものように綺麗な顔と声で、心の籠もらない口先だけの祈りを捧げていた間、ずっと居心地が悪かったからだ。
明らかに男はその場の空気に不快感を感じていた。
オレにしてみたって、面白くはなかった。知り合いと呼べる程ではなかったにせよ、会うのが三度目にもなる人間に、寄付金目当てに祈る姿を見られるなんて、気分がいいはずがない。
その頃だって、その程度のプライドは、まだギリギリで持ってたんだ。
祈りを捧げ終わり、修道院での生活の苦労話を、ほとんど芝居の台本を読み上げるような気持ちで話して貴族の虚栄心と同情心を満足させてやり、多額の寄付金を受け取って暇を告げたオレに、男は声をかけてきた。
「お前、ルーラ使えるんだよな。悪いけど、ちょっとドニまで送ってってくれ」
それなりに自分の感情を抑え込むことに慣れてなければ、もの凄くイヤな顔をしていたと思う。だけど不快な場所であったとはいえ、お得意様の屋敷の客に無下な態度を取ることも出来ず、渋々ながらも承知するしかなかった。
でもドニの町に着いて、男の発した言葉を聞いた途端、我慢の限界がきた。
「お前、いつもあんなことさせられてんのか? あれじゃあまるで見世物みたいじゃねえかよ。マイエラの修道院長は大層立派な人物だって聞いてたが、お前みたいなガキを寄付金集めに利用するようじゃあ、嘘っぱちだったようだな」
はっきりいって、キレたね。
オディロ院長は忙しい人だったから、そう頻繁に会って話が出来るわけじゃなかったけど、あの頃のオレにとって、唯一尊敬できる人だったんだ。それを悪く言われて黙ってるわけにはいかなかった。
「知りもしないくせに、勝手なこと言わないでください! オディロ院長はそんな方じゃありません、これはボクが自分の意志でやってるんです!」
正直、心臓が破裂しそうだった。悪い人間じゃないのは何となくわかってたけど、ゴツい大男にくってかかるようなマネしたのは初めてだったし、怒鳴り声あげること自体、あんまり体にいいもんじゃないしな。
「・・・そいつはスマンかった、許してくれ。オレはいつでも一言多いんだ。ホントにすまねえ」
アッサリと謝られ、オレはかなり拍子抜けした。そして、続いた言葉に混乱させられた。
「だけど今の言い方じゃあ、お上品すぎるぜ。『うるせえんだよ、てめえに何がわかるってんだ。オレの意志でやってることにゴチャゴチャ口出ししてくんじゃねえよ』とまあ、このぐらいは言わねえとな。相手によってはナメられるだけだ。ほれ、言ってみろ」
ムチャクチャだった。
ドニの酒場で多少はゴロツキの会話を耳にすることはあっても、基本は聖職者と貴族に囲まれて生活してたんだ。礼儀作法は完璧で、汚い言葉なんて使ったことが無かった。
「何だ、言えねえのか。どうもお前は危なっかしいガキだな。実力が伴わねえのに無理なことしようとするしよ。よし、さっきの暴言の詫びに少し鍛えてやる。明日からオレのところに来い。世間の荒波を乗り越える強さってヤツをたたき込んでやるぜ」
誰もそんなことは頼んでないのに、何だか勝手なところで男は盛り上がっていた。
オレはもちろん、そんなことを承諾した覚えはないんだが、その男は一度決めたことは絶対にやり通すタイプの人間だった。
その日、どうやって男に別れを告げて修道院に戻ったのかは、覚えてない。そのくらい動揺させられてた。そして翌朝、オレはその日以降の日程が大きく変化させられていたのに驚いた。
一カ月先までの貴族宅の訪問予定が全てキャンセルされていて、代わりにある家に通い詰めになることが決められていた。
その家では、ある貴族の老婦人が一人で暮らしていた。
家督を継いだ息子に追い出されるように与えられた小さな家で、使用人は料理人とメイドが一人ずつという質素な暮らしを強いられていた。
だから高額の寄付金を積むことができなくて、滅多にその家を訪れることはなかったけど、彼女のことは好きだった。
大抵の貴族のご婦人は、美貌と不幸な境遇なんてものにしか興味を示さなかったけど、彼女だけは下手くそなオレの祈りの言葉に熱心に耳を傾けてくれた。普段は口先だけで祈っていたオレも、不思議とあの家では真剣な気持ちで神様と向き合う気持ちになれた。
まあ何はともあれ、そんな不自然なこと、裏で何かが糸を引いてるに決まってるのに、あの頃のオレは素直にそれを喜んじまった。
だから、老婦人の家で例の大男の姿を見た瞬間、目眩がしたね。
「おう、よく来たなチビスケ。約束どおり鍛えてやるから、気合入れろよ」
本当に、そんなこと頼んだ覚えは一度もないのに、いつの間にか全てが決められていた。
やり方がえげつないよな。おそらくかなりの大金も積んで裏で手を回し、オレが一番悲しませたくないと思ってるご婦人を利用して、逃げられないようにしやがった。
ただ後で気づいたんだが、どう考えてもオディロ院長も一枚かんでたんだよな。そうじゃなかったら、オレが心を許していた貴族なんてのを知ってる人間なんて、他にいなかったんだから。
つまりオレはあの頃、オディロ院長の目にも危なっかしく見えてたってことなんだろうな。
最終更新:2008年10月23日 05:25