『チェルス・・・。その名前を聞くと胸が痛むわ・・・』
ゼシカが悲しげに呟いた言葉が、頭から離れない。
空を飛べるようになって、訪れることができるようになった三角谷。
まさかここで、あのチェルスの名前を聞くことになるとは思わなかった。
ゼシカがチェルスの死に、責任を感じてるのは知っている。
だけど何も言ってやれない。
事が起こったばかりの時ならともかく、過ぎてしまったことを気に病んでる人間に『気にするな』という程マヌケな慰め方もないしな。
こんな所からは早く離れた方がいいのに、自由に歩けることにトロデ王が大喜びしちまってるもんだから、ここに一晩泊まるハメになっちまった。
デリカシーの無い奴が揃ってるぜ、まったく。
姫様の相手をするのにゼシカも一緒に連れていってくれるようにエイトに頼み、オレは一人でエルフのラジュさんの所へ向かった。
チェルスの最期の様子を報告するためにだ。
最期を看取ったのがオレたちだと話しただけで、その後は宝物庫を開けてもらうのが先になって、詳しい話は何も出来なかった。
ゼシカのことだ。後で事情を話しに来るに違いない。自分が殺したも同然のように言うかもしれない。
ラジュさんも、あのギガンテスも、そのことでゼシカを責めるようには見えないが、犬に杖で刺し殺されたなんて悲惨な最期を聞いたら、動揺はするだろう。そんな姿を見ることになったら、ゼシカの傷はますます深くなる。
オレが先に話をして、予備知識を持っておいてもらった方がいい。
さすがに何百年も生きてきただけあって、ラジュさんもギガンテスも精神力は強かった。
チェルスの最期の様子を悲しむよりも、そのチェルスが最後まで慕っていたハワードが無事だったこと、チェルスの心がちゃんと通じたことを喜んでくれた。
ゼシカが杖に操られてチェルスの命を狙ったのは不可抗力だってことも、もちろんわかってくれた。
でも、やっぱり悲しみの気配は消しようもなくて、あの時その場にいながら、何もできなかったことが改めて悔やまれる。
ギガンテスがしつこく勧めてくるんで、洞穴の奥の伝承画を見ていくことにした。
かつて暗黒神を封印したという、七賢者について記されている。
随分バリエーションに富んだ面子だったらしい。
それにしても、魔法剣士や呪術師はわかるとして、予言者や学者がどうやって暗黒神なんかと戦ったんだ? その辺りの戦術や暗黒神の弱点なんかも記してくれりゃあいいのに、やることが不親切だよな。
まあどういう戦法を取ったしにろ、七人掛かりで封印するのが精一杯だった暗黒神。それに対して、オレたちは四人で戦ってる。
確かに今の段階で何とかしないと、手に負えなくなるのは間違いない。
だけど、イヤな予感が消えてくれない。
昔からそうだった。期待は裏切られ続けるのに、不吉な予感だけはイヤになる程当たりやがる。特に口に出してしまうと、まるでその瞬間に確定事項になったみたいに外れてくれない。
おかげで、あのマルチェロ以外にも、結構疫病神呼ばわりされたんだよな。明らかにオレがその悪い事態を引き起こしたわけじゃないって、わかる場合でも。
悪い予感が当たるなんて、何の得にもならないことがわかったから、そういうものはなるべく口に出さないようにしてきた。言葉ってやつには、何か現実を引き寄せるような力があるのかもしれないしな。
だけど、この伝承画を見ていると、何かが頭の中で警鐘を鳴らす。
この先起こるロクでもない何かのヒントが、ここにある気がする。
ゼシカの先祖のシャマル=クランバートルやギャリングのように、現在まではっきりと由来が伝わって、結構な名士をやってるところもあれば、長く一緒にいたオレも賢者の末裔だなんて聞いたこともなかった、貧しい粉屋のオディロ院長の血筋。
力だけ他人に渡して、封印はそのままだったクーパスの血統。結局その行為は裏目に出たわけだ。ラプソーンは力じゃなく、封印の方を嗅ぎ付けるんだから、素直に自分の方に力を残しておけば、チェルスは自分の身を守れていたかもしれない。
そして、シャマルが姿を変わらせたという、暗黒神を封じた岩。
・・・ダメだ。どうにも頭に雑音が鳴り響いて、うまく考えがまとまらない。
何かに別の次元から糸を引かれているようで、苛立ちがつのるだけだ。
・・・とりあえず戻るか。エイトにゼシカを引き留めさせてることだしな。
そう思って洞穴を出た途端、ゼシカとばったり会ってしまった。
・・・。
エイトのヤツ、こんな少しの時間も引き留めておけないのかよ! あいつに頼んだオレがバカだったのか? 意外と姫様に頼んでおいた方が良かったのかもしれない。多分、身体を張ってでも止めてくれただろうし、ゼシカもそれを振り払ったりはしないだろうしな。
こんなふうに余計な気を回して、先回りした行動を見られるほどみっともないことはない。こういうのはあくまで、隠れてやるところに意味があるんだ。
「エイトから全部聞いたわよ」
オレが心の中でエイトに悪態ついてる間に、ゼシカが口を開いた。
「気が利いてるようでマヌケなんだから。トロデ王がバーに入り浸りでせっかくエイトとミーティア姫、二人きりなのよ? そんなところでお邪魔虫になんてなりたくないわよ。だからエイトに問い詰めたら白状したわ。『ククールに頼まれたんだ』ってね」
あのヤロウ、当てにならないだけじゃなくて、口まで軽いのかよ。後で覚えてろよ。
「ありがとう、いろいろ気にかけてくれて。でも私、もう大丈夫よ」
ゼシカの真っすぐな視線にドキッとした。
「確かにチェルスの事を考えると胸が痛むわ。私がもっと慎重に行動してれば、彼を死なさずに済んだのかもって・・・胸が痛むの。でも、大丈夫。ただ気に病むだけじゃ、自己満足でしかないもの。
私がやるべきことはレオパルドを倒して杖を封印すること。そうしたからってチェルスの命が戻ってくるわけじゃないけど、それがせめてもの罪滅ぼしだもの、必ずやり遂げてみせる。だからもう心配してくれなくても平気なのよ」
ゼシカの揺るがなさに、オレの方が揺さぶられる。
「だから、せっかく気を遣ってくれたのに悪いんだけど、ラジュさんたちには私の口からちゃんと話したいの。行ってくるわね」
洞穴の中に入っていくゼシカの後ろ姿を、オレは黙って見送るしかできなかった。
・・・まいった。ゼシカが強いってのは知ってたつもりなのに、つもりだけで何にもわかってなかった。どこかで甘く見てたのかもしれない。
多分、エイトたちの方がゼシカの強さを信じてたんだろう。だから慌てて三角谷を出ようとしなかったのかもしれないな。オレは一人で空回りしてただけか。
ほんとに、どうしてこう何もかもうまくやれないんだろうな。カッコ悪いったら、ありゃしねえや。
だけど、忘れちゃいけないことがあるのは知ってる。
「・・・何で、まだいるの?」
しばらくして洞穴から出てきたゼシカは、オレの姿を見て驚いた顔をする。
「誰も待っててなんて、頼んでないわよ」
虚勢を張ろうとしてるのが、却って痛々しい。一生懸命いつも通りにしようとしてるんだろうけど、声が震えてる。
「おいおい、心外だな。オレがレディを置いて一人で戻るような男に見えるのか?」
ゼシカがスカートのすそを握り締める。泣くのを我慢してる時のクセだ。
オレが近づいて肩に手を置くと、それが引き金になったように、大きな目からポロポロと涙をこぼし始めた。
一応これもオレが泣かせたことになるのかな? 最近、泣かしてばっかりだな。
「気を利かせるつもりなら、一人にしてよ。そのくらいわかってるくせに・・・」
「わかってるから、一人にはしない」
ゼシカの心が強いのは、よくわかった。それには改めて驚かされたけど、だからって大事なことは忘れやしない。
どんなに強くたって傷つくことはあるし、傷つきゃ痛いんだってことはな。
「何よ、バカ。私、ほんとはこんな泣き虫じゃないのに」
「知ってるよ」
ゼシカの額がオレの胸に当たる。その可愛い仕草に思わず抱き締めたくなるけど、そうしたら離したくなくなりそうだ。軽く身体に腕を回すだけで我慢しておく。自分が自制が効く人間で、つくづく良かったと思う。
「ラジュさんたちに、ひどいこと言われたわけじゃないのよ。優しくされちゃったから、かえって辛いのよ」
「ああ、わかってる」
泣いてる姿を可哀想だと思う一方で、たまらなく可愛くて、愛おしくなる。辛いことなんて、全部忘れさせてやれたらいいのに。
「ククールの前でだけよ、こんなふうになっちゃうの。どうしてくれるのよ」
「・・・ゴメン」
今のは殺し文句だよな。結構グラッときた。
「あんたの軽そうな顔と声は、気が抜けるのよ」
「・・・ああ、そうですか」
・・・こうやって容赦なくトドメを刺してくれるところが、最高にステキだな・・・。
ゼシカに言われて初めて気づいたけど、エイトと姫様は二人きりになる最後のチャンスかもしれなかったんだよな。オレとしたことが、無粋な頼み事しちまったもんだぜ。
ゼシカが宿で眠りについた後、お詫びの印に二人で不思議な泉まで行ってこいと提案しに行った。
エイトがゴチャゴチャ言いやがったんで、ルーラで強制連行して、マホトーンかけてキメラのつばさも取り上げて、オレは一人で三角谷に戻ってきた。
絶対、後でシメられるな。まあいいさ、馬なんかにされても健気に頑張ってる姫様のためだ。
吊り橋の所に馬車は置いていったんで、一応見張っておこうと思ったんだが、バーサーカーが代わりに見ててくれるっていうから、お言葉に甘えることにした。
いい所だよな、ここは。人間の中にもロクでもない奴がいるように、魔物の中にだってイイ奴はいる。大して話をしたわけでもないけど、こういう所で育ったチェルスはやっぱり良い人間だったんだと思う。
何とか助けてやれりゃあ、良かったんだけどな。
明日から本格的に黒犬の追跡に入る。身体を休めておかなきゃならないのはわかってるけど、頭に雑音が鳴り響いて、すぐには眠れそうにない。
何となく歩いている内に、教会の前にきてしまった。何げなく空を見上げるとそこには満月。
この組み合わせはイヤなことを思い出させる。オディロ院長がドルマゲスに殺された夜。
かなり時間は経ったっていうのに、過去のこととは割り切れない。
そうだ。あの時もオレは自分の中の異変にとまどってた。それまで持ってなかった力の意味するものがわからなくて、もしかしたら与えられていたのかもしれないチャンスをつかめなかった。
今オレの中にある、この不可解な現象も、何かのために使える時が来るのか?
それともまた、同じ失敗を繰り返すだけなんだろうか・・・。
「ククール」
いつの間にか、ゼシカがすぐ後ろに立っていた。特に気配を殺して近づいたわけではなさそうだ。それなのに声をかけられなきゃ気づかないなんて、普通の状態ならありえない。やっぱり感覚が鈍くなってる。
・・・それとも自分で思ってる以上に、初めから鈍かったのかもしれない。
次にゼシカが口にした言葉に、オレは本気で驚かされたからだ。
「悩んでることがあるのなら、私に話して」
本当に、ゼシカを甘く見すぎてたんだと思った。
最終更新:2008年10月24日 02:53