ラプソーンを倒し、リーザス村に戻ってきてから、もう一カ月。
本を読んだり、刺繍なんかしたりして、一日のほとんどを家の中で過ごしている。
ただ心だけが世界を飛び回っていた頃に戻る。たった一カ月しか経っていないのに、もう何年も前のことのような気がしてしまう。
痛いことや辛いこともたくさんあったけど、生きてるって実感できた日々。毎日が楽しかった。
だけど、懐かしく思い出したいのに、どうしてなのか悲しい気持ちになってしまう。
ラプソーンを倒せば、もう悲しいことはなくなるって思ってたのに、どうしてこんな気持ちになるんだろう。
ドルマゲスを倒した時、仇を討ったって兄さんが戻ってくるわけじゃないという当たり前のことを再確認させられて、虚しさに負けてしまった。
それに懲りたから、ラプソーンを倒した時はそうならないようにしようと決めていたのに、結局私は何も成長していない。
ククールが今の私を見たら、どう思うかしら。
あんなに何度も『戦いが終わった後のことを考えろ』って忠告してくれてたのに、私ったら全然それを活かせてないんだものね。
そりゃあ、子供扱いもされるわよね。
それなのに『心配でほっとけないからリーザス村で暮らさない?』なんて傲慢だわ。本当にバカみたい。
『ゼシカはほっとけないからな・・・世話のやける可愛い妹みたいでさ』
別れ際のククールの言葉が耳を離れない。
額にキスされたのはイヤじゃなかった。だってすごく優しかったから。
それなのに思い出すたびに、胸が締め付けられるような苦しさを感じる。
大事に思ってくれてるのは伝わってきたのに、どうしてなんだろう。
・・・とうとう最後まで対等な仲間になれずに、一方的に守られる存在でしかいられなかったんだとわかって、悲しかったのかもしれないわね。
「どうしたの、ゼシカ。あなたも熱が出たんじゃなくて?」
お母さんが心配そうに訊ねてきた。
いつの間にか額に手を当てていたから、そう見えたのかもしれない。
「ううん、何でもないわ。ちょっと考え事してただけ」
私が家に帰ってすぐ、お母さんは心労が祟って倒れてしまった。
ずっと一人で家を守ろうと気を張り詰めていたのが、緩んでしまったらしい。
要するに精神的なものなんだけど、やっぱり放っとけないので、こうして看病はしてる。
「少し外を歩いてきたら? 家の中にずっといたんじゃあ、気が滅入るでしょう?」
サーベルト兄さんが生きていた頃、家の中でジッとしてるのが大嫌いだった私に『少しは女らしく、家で花嫁修業しなさい』って言い続けてたお母さんの口から、こんな言葉を聞ける日が来るとは思わなかった。
この一カ月、私とお母さんは、今までに無いほど良好な関係を保っている。少なくとも一度も怒鳴りあってはいない。
お母さんの気が弱くなってるっていうのと、私も病人相手にケンカするつもりはないっていうだけなのかもしれないけど。
でも少し考えないといけないとは思う。
以前はサーベルト兄さんが仲裁してくれていたけど、その兄さんはもういないんだもの。
「私もそろそろ起きようかと思ってるのよ。今日の夕食は食堂で一緒に摂りましょう。最近あまり食べてないって聞いたわよ。少し動いて、お腹を空かせてらっしゃい」
せっかくお母さんが心配して勧めてくれるので、少し外の風に当たりにいくことにした。
教会までゆっくりと歩き、サーベルト兄さんの墓に参る。
兄さんのお墓を守りたいというのも、私がこの村に留まる理由の一つ。
旅が終わって仲間と離れるのが寂しくて、ずっと皆で旅を続けられたらいいなって思ってたけど、それは夢みたいな話で、皆それぞれの人生がある。
私はこうしてリーザス村で暮らしていくのが、やっぱり一番自然なことなのかしら。
「ゼシカお姉ちゃん、見て見て! 私、本当にモシャスが使えるようになったの!」
陽が落ちかかり家へ向かう道の途中、魔法使いを目指す村の女の子、ミーナが嬉しそうに駆け寄ってきた。
「ほら、スライムにモシャス!」
・・・ミーナは見事に変化した。
「あれー! 変だな、動けない。それにゼシカお姉ちゃんが大きく見える」
スライムピアスに。
「あーあ、つまんない。今度こそって思ったのに」
元の姿に戻ったミーナはボヤいている。
「ほら、だからメラから練習しなさいって何度も言ってるでしょう? 基本が出来てないからそうなるのよ」
それでも一応変化は出来てるんだから、才能はあるのよ。ちゃんと伸ばさないともったいないわ。
「ねえ、ゼシカお姉ちゃん、『コイワズライ』って何?」
この年頃の子の無邪気な言葉には、時々ドキッとさせられる。以前も『ボンッキュッボーン』て何? なんて訊かれて、返事に困ったことがあるもの。しかもそれ、村の人が私のことをそう言ってるんだっていうんだから、どう答えろっていうのよね。
「う~ん。恋煩いっていうのはね。好きな人がいるんだけど、その人とうまく仲良くできなくて病気みたいになっちゃうことよ」
「病気になっちゃうの? それなら仲良くすればいいのに、どうして?」
これは難しいわ。私だって造形が深いわけじゃないのよ。
「だってね、好きな人が同じように、その人を好きになってくれるとは限らないのよ。二人ともが同じくらい好きじゃないと、仲良くはできないの」
ミーナが泣きそうな顔になってしまう。
「病気になっちゃヤダ・・・」
「ああ、違うのよ、本当に病気になるわけじゃないの。あくまで『病気みたい』になるだけ。だから大丈夫よ」
「ほんと?」
「うん、本当」
何度も頷いてしまう。苦手分野の話の途中で泣かれるのは辛いわ。
「じゃあ、ゼシカお姉ちゃんも大丈夫なの?」
「・・・私?」
「お父さんとお母さんが話してたの。ゼシカお姉ちゃんが帰ってきてから元気がないのは『こいわずらい』してるからだって」
それからの数時間、私の頭は考えるということを拒否したようだった。
普通にミーナと別れ、家に帰ってお母さんと夕食を食べ、お風呂に入って部屋に戻った。
だけどドアを閉めた途端、洪水のようにいろんな感情が溢れ出した。
あんな小さな子供に言われるまで気が付かなかった鈍い自分への腹立たしさ。村の人達に知られてしまっている恥ずかしさ。相談できる人が誰もいない寂しさ。そして気づいてしまった気持ち。
「ククール・・・」
名前を口にしただけで、涙が抑えられなくなった。
そばにいる時は、名前を呼ぶのが嬉しかった。私を見てくれる瞳も、返事をしてくれる声も、差し出してくれる手も、全部嬉しかった。きっとずっと好きだったから。
『世話のやける可愛い妹』
この言葉が頭を離れなかったのは、恋愛相手としては対象外だと言われたのと同じだったから。それがずっと悲しかったんだ。
だけど今さら気づいたってもう遅いのよ。私はもう一カ月も前に失恋してしまってるんだもの。
一晩中泣き続け、それでも明け方少し微睡んで、目を覚まして起き上がり鏡を見た時には、自分の顔のひどさにショックを受けた。
瞼は腫れ上がって、目の下には隈ができてて、とても人前には出られない。
こんな風になったのは、サーベルト兄さんが殺された時以来だわ。
・・・でも旅の間にだって、眠れずに泣いた夜は何度もあった。
だけどチェルスを死なせてしまった時も、メディおばあさんを助けられなかった時も、こんな顔にはならなかったのに。
そして私は、また気が付く。
こんな風に泣きあかした夜、明け方にやっぱり少し微睡んでいる時、緑色の柔らかい光を感じることがあった。今思うと、あれはホイミの魔法。きっとククールが、私が眠っている時を見計らってかけてくれてたんだ。
・・・私、本当に何もわかってなかった。
ククールが優しい人だってこと、知ってるつもりだった。いっぱい助けてもらって、守ってくれてたこと、ちゃんとわかってるつもりでいた。でもきっと他にもたくさんあったはず。私が気づかない間にしてくれていた優しさが。
・・・でもそれは全部『妹みたい』な私に向けられていたものだった。
そう思うとまた悲しくなって、一日中部屋に閉じこもって泣き続けた。
だけど不思議なもので、その後の私は、それまでの一カ月よりはずっと元気になった。
原因のわからない悲しさよりも、理由がはっきりしてる悲しさの方が幾分マシだったみたい。ポルトリンクへ定期船の様子を見に行ったり、リーザス像の塔の見回りをしたりと身体を動かし、食事も普通の量を摂るようになった。
私は面と向かってフラれたわけじゃない。少なくとも大事に思ってくれてはいたんだもの。今は『妹』でも、私が好きだと打ち明けたら女性として見てくれるようになるかもしれないんだし。
でもそう思う一方で、あれだけ勘のいい人が私の気持ちに気づいてないとは考えにくくて、遠回しに拒絶するつもりで、あんなこと言ったのかもしれないとも思ってしまう。
ククールはいつでも来いって言ってくれたんだから、ドニの町に行って確かめればいいんだってわかってるんだけど。
迷っている間に時間だけがどんどん過ぎていき、更に二カ月近くも時間を消費してしまった。
そしてリーザス村に、トロデーン城からの使いの人がやってきた。
使いの人に渡された手紙はエイトからのもので、ミーティア姫とチャゴス王子の結婚式の日取りが決まり、一週間後にサヴェッラ大聖堂へ向けて出発するので、その道程の護衛に付き添ってほしいという内容だった。
そして、ヤンガスとククールにも同じ内容の手紙を出したから、久しぶりに皆で会おうとも書かれてあった。
返事は口頭で構わないということだったので、もちろん護衛を引き受けると使いの人に告げ、お母さんにも許しをもらった。
久しぶりに皆に会えることはもちろん嬉しい。
だけど同時に怖くなる。どんな顔してククールに会えばいいんだろうって。
自分の感情を隠しておく自信なんて私には無い。たとえ自分では隠せてると思っても、ククールには絶対見抜かれてしまう。いつだって見透かされてきたんだもの。
もう臆病になってる場合じゃないんだわ。自分の気持ちに決着をつけないと。
キメラのつばさを使ってドニの町にとぶ。
だけどククールを探そうとして、彼がこの町でどういうふうに過ごしているのか、何も知らないことに気づく。住んでる所もわからない。
とりあえず酒場に行って訊いてみることしか思いつかない。
「ねえ、ちょっとそこのお嬢様、もしかしてククールに会いに来たの?」
町の入り口で客引きをしていた踊り子さんに、声をかけられた。
「えっ、あ、はい、そうです。・・・でも、どうしてわかったんですか?」
この町には何度も来てるけど、この人は初めて見る顔だわ。すごくキレイな人だから、会ったことがあるなら忘れたりしない。
「その胸見ればわかるよ。ククールから聞いてた通りだもん」
・・・ククール。一体私のこと、どんなふうに話してるの?
「残念だったね。ククールは人に会うって言って出かけてったよ。だけど、そんなに長居はしないって言ってたから、待ってればすぐ戻ってくると思うけど。良ければあたいたちの部屋で待つかい? 狭いとこだけど、座る場所ぐらいはあるよ」
せっかくの親切だけど、初対面の人の部屋にいきなりお邪魔するのは気がひける。
・・・ちょっと待って。
「・・・あたい、たち?」
「そ、ククールは今、あたいの部屋で一緒に住んでるの」
踊り子さんは、実にあっけらかんとした口調で教えてくれた。
来なければ良かったのか、トロデーン城で会う前に知っておいて良かったのか。
よく考えればククールは女の人には大人気で、お付き合いしてる人がいてもおかしくないのに、全くこういう事態を予想してなかった。
ショックが大きすぎて、案内されるままに町の外れにある家に入る。
「酒場のおかみの家の二階を、あたいたち踊り子やバニーの住まいに貸してくれてるの。本当は男を連れ込んじゃいけないことになってるんだけど、おかみさんもククールだったらって、特別に許してくれてるんだ」
一番奥の部屋に通された。
「本当に狭いけど勘弁してね。どうぞ座って、楽にしてよ」
私は勧めてくれた椅子に腰をおろす。
「何か飲む? って言っても安ワインしかないけど。昼間っからお酒なんて飲まない?」
「いえ、いただきます」
辛い時にお酒に逃げるのは最低の人間だと思ってたけど、今はそういう人の気持ちが少しわかる。飲まなきゃやってられない時ってあるのね。
「潔癖で真面目なお嬢様だってククールから聞いてたのに、結構イケるじゃない」
三度目のおかわりをした私に、踊り子さんは感心した声を上げる。
「ククールは、この町ではどんなことしてるんですか?」
忘れるためにお酒飲んでるのに、思考能力が落ちてくると、逆にククールのことしか考えられなくなる。
「ククール? そうねえ、外で魔物と戦ったり、教会でケガ人の治療したりしてる。結構忙しいみたいで、ここには寝るために帰ってくるだけ。ちょっと寂しいかな」
忙しい・・・。そうよね、私みたいに帰る家があった人間と違って、ククールは何もない状態から新しい生き方を始めなくちゃいけなかったんだものね。
「あたいとククールは、別に何ともないよ。まあね、こうやって男と女が一つの部屋に寝泊まりしてれば、何もないとは言わないけど、でもそういうんじゃないの」
あまりにも唐突に意外なことを言われて、ほろ酔い加減も吹き飛んだ。
「あたいね、出戻りなの。結婚して引退してたんだけど、たった二年でダンナに死なれたもんだから、最近復帰したってわけ。だからククールのことも昔から知ってる。あいつは寂しい未亡人を慰めてくれてるだけで、お互いに本気なわけじゃないの」
「・・・いいんですか? それで」
時々思い知らされることがある。ククールには、私には全く理解できない部分があるって。
「いいの。だってククール、昔からそうだったから。あいつ寂しがり屋だから、女と見たら誰にでもいい顔するの。本当に誰にでも変わらないから、あたいたちみたいな場末の女でも、お姫様みたいに大事にしてくれる。
気分いいよ、あんな王子様みたいなキレイな男に優しくされるのは」
「でも、そんなの本当に優しいっていうのとは違うわ」
ククールはそんなまやかしみたいなものじゃない、本当の優しさだって、ちゃんと持ってるのに。
「本当に優しいよ、ククールは」
静かだけど、はっきりとした言葉で返された。
「初めは誰もククールのこと、本気では相手しないの。本気になっても意味ないってわかってるから。でも、いつの間にかすっかりノボせ上がっちゃう。それでもやっぱりククールだけは変わらないから、すぐに冷めちゃって別れることになる。
だけどキライにまではなれないんだ。むしろイイ関係になれる。一緒にいる間だけは本当に大事にしてくれてたって、わかるからなんだよね。だから、あたいとククールは今、調度そういうイイ関係の状態なの。
それにあたい、亭主に死なれてまだ半年だよ。もう少し感傷に浸ってたいよ」
「・・・でも、好きなんですよね? ククールのこと本気で」
そうでなければ、こんなに優しい顔、優しい声では話せない。
「・・・驚いた。鋭いね、お嬢様。・・・ほんとに罪な男だよね、ククールは。本気になるもんかって、何度思ってもダメ。気がついた時には手遅れになってる。
でもククールが悪いわけじゃないの。前みたいに、こっちに期待を持たせるようなこと言わなかった。それどころか『オレは誰にも本気になれない理由がある』って念押しされたのに、こっちが勝手に本気になったんだから」
「本気になれない理由って・・・?」
「う~ん、そこまでは訊かったんだよね。多分アレと関係あると思うけど。お嬢様知ってる? ククールが首から下げてる指輪。時々その指輪をジッと見て物思いにふけってるの。サイズから見て女のものじゃないから不思議なんだよね」
・・・それはきっと、マルチェロの指輪。
そうよね、あんな形でお兄さんと戦って別れて、今どうしているのかもわからないのに、恋愛なんてしてる心の余裕はないのかもしれない。
でもきっと一人で思い出すのは辛い時があって・・・誰かにそばにいてほしいと思う気持ちを責める権利なんて私にはない。
「私・・・帰ります」
「どうして? ククールだったらもうすぐ帰ってくるよ」
踊り子さんが引き留めてくれるけど、ここはやっぱり私のいる場所じゃない。
「いいんです、多分またすぐ会うことになると思うから。・・・あの、私がこんなこと言うの変なんですけど・・・」
私は立ち上がって、踊り子さんに頭を下げた。
「ククールのこと、よろしくお願いします」
ククールはいつも優しくて人に気を遣っていて、だからいつも心配になった。
自分のことは後回しにしてしまう人だから、せめて私だけでも心配してあげたいなんて思ってしまった。私の方がずっと子供なのに。
この人はとても大人で、ククールのこともよく理解してくれていて。いつか彼が自分の気持ちの整理をつけたいと思う日が来た時、きっと力になってくれる。
「・・・あんたが訪ねてきたって言ったら、きっとククール喜ぶよ」
「ワイン、ごちそうさまでした。失礼します」
もう一度頭を下げて部屋を出た。そして建物を出たところで気がつく。あの人の名前も聞いてなかったことに。
・・・また来よう。ちゃんと気持ちの整理をつけて、今日のお礼をしに。あの人とはお友達になりたい。
私は、ただアルバート家に生まれたっていうだけで『お嬢様』なんて呼ばれて、苦労もなく育ってきた。何もしなくても暖かく迎えてくれる世界で生きてきた。それに甘えて、人に好かれる努力をしてこなかったから、今度のことでも誰も相談できる人がいなかった。
それに比べてククールは、全て自分で努力して手に入れてきたんだ。心配してくれる人たちの気持ちを。
私も負けたくない。
・・・なんて思ったのよ。トロデーン城でククールたちに再会するまでは。
ククールはあの踊り子さんの他にもう一人バニーさんまで連れてきていた。
「ククールのいくとこなら、どこだってついてくって、決めたんだからさ」
聞こえよがしの大声で踊り子さんが言う。一週間前は大人の女性だって思ってたのに、何なのこれ。遊びに来てるんじゃないのよ、お姫様の護衛の仕事なのよ? 信じらんないわ。
あっさりエイトと離れて暮らしてるヤンガスも、チャゴス王子なんかと結婚するミーティア姫も、それを止めないトロデ王もエイトも、皆信じられない。
そして、あんなククールのことなんかを、まだ好きだと思う自分のことが、何より一番信じられない!
最終更新:2008年10月24日 03:43