リズに案内されたのは、子供が生まれたら狭いんじゃないかと思うような、簡単な造りの小さな家だった。
そのすぐそばには、大量の木材や石材が家を何十軒も建てられそうなほど山積みになっていて、男が一人、地道に土台らしきものをを積み上げている。
「ただいま、あなた!」
結構な大声で呼びかけても、リズの旦那は気づきもしない。いるんだよな、こういうヤツ。何かにのめり込むと、何も見えない聞こえないってタイプ。
「もう、マリウスったら」
リズは足元の土を拾い上げ、器用に泥団子を造って、旦那の頭に投げ付けた。見事に命中、ナイスコントロール。って、いいのか? これ。
「やあ、おかえり、リズ。そちらの方は?」
旦那の方も動じずにこっちに歩いてくる。この二人の間では普通のことなんだろう。
「ナンパされちゃったの。というのは冗談で、魔物と戦ってる時に助けてもらったの。夫のマリウスよ。それで、こちらはククールさん」
おい、変な冗談やめてくれよ。一瞬、旦那の発する空気が怖くなったぞ。こういう、一見おとなしくて人の良さそうな顔したヤツほど、情け容赦なかったりするんだからな。
「そうだったんですか。妻が大変お世話になりました。ありがとうございます」
魔物に襲われたって方はスルーかよ。まあ、こんなところで二人だけで暮らしてる辺り、その辺はお互いに納得済みなんだろうな。夫婦の間に、よけいな口出しはしないさ。
「ちょっと待ってて、ククール。あなたに渡したいものがあるの」
そう言ってリズは家の中に入っていく。渡したいものって何だ? マリウスも訳知り顔でその姿を見送っている。まあ、貰えるものはとりあえず貰っとくけどさ。
「乱雑にしててすみません。これでも建築家の端くれでして、ここに大きな塔を建てようと思ってるんですよ。そしてリズの彫った像をその最上階に飾って、いろんな人が見に来てくれるような場所にしたいと思ってるんです。彼女は見事な腕の彫刻家なんですよ」
物事っていうのは、わからない時はいくら考えてもわからないが、逆に何げない一言で全てのことがしっくりはまるように出来てるもんだ。
強力な魔法と剣、彫刻家。そして魔物の恨みを買うほどのことをした先祖を持つ女性。このフレーズから導き出される答えは一つだ。
「お待たせ。いきなりこんなもの渡されても困るだろうけど、何も言わずに受け取ってくれない?」
戻ってきたリズが布包みを差し出してくるが、今はそれどころじゃない。
「リズ、あんたリーザス・・・リーザス=クランバートルだったのか・・・」
身体が覚えていた。ポルトリンクとの間の海岸線から、リーザス像の塔へと続く道。何度もゼシカと二人で歩いた、その距離感を。
マリウスが建てた塔の最上階に、リズが彫った像が飾られている。年に一度の聖なる日に、リーザス村の皆が昇るのを楽しみにしている場所。
今立っているのはオレがいた時代から、遥か昔の同じ場所。
「あら、もうクランバートルじゃなくて、アルバートよ。リーザス=アルバート。間違えてもらっちゃ困るわ」
リーザス嬢は人差し指を立てて横に振る。
「やっぱりこれを渡す相手は、あなたで間違いないみたいね。あのね、私と同じように魔物の恨みを買ったご先祖を持った人の中に、予言の力を持った人がいるの。
ちょっと悩んでることがあって、その人に見てもらったら『満月の夜に出会う、風の魔法の使い手』にこれを渡せば、全てうまくいくって」
リーザス嬢が手にしていた布包みを解く。そこには強い魔法の力を宿した血のような色の二つの宝石。
クランバートル家に代々受け継がれてたという、クラン・スピネルだ。
そう、その宝石をオレが受け取るのは間違いじゃない。ゼシカをラプソーンの杖の呪いから解放するための結界の材料に、どうしてもなくてはならないものだった。
でも、だからこそ、今のオレが受け取るわけにはいかない。世界に二つしかないこの宝石は、リーザス像に埋め込まれた状態で塔に収まってなきゃいけなかったんだ。
「だから、人助けと思って持っていって」
リズに手を取られ、クラン・スピネルを握らされそうになって、慌てちまう。
「ダメなんだ。今オレがこれを持っていっちまったら、ゼシカがっ・・・」
ここでゼシカの名前なんて出してどうすんだ。動揺しすぎて、うまい言葉が出てこない。
・・・でも、何だかこのクラン・スピネルは、オレの記憶の中にあるのと比べて、随分デカい気がする。倍くらいはあるような・・・。それに形も違う。リーザス像に埋め込まれてたのは片方だけが尖ってて、もう片方は平らだったはず。でもこれは、両側とも鋭く尖っている。
「・・・ゼシカ・・・。そうそう、リズ、言わなきゃいけない一言を忘れてるよ」
それまで傍観を決め込んでたマリウスが口を開いた。
「こう言えば全部わかるはずだって言われたじゃないか。『ゼシカをよろしく頼む』って」
それはまるで魔法のようだった。マリウスのその言葉と同時に、二つのクラン・スピネルの中心に亀裂が入り、鋭い刃で切断されたように綺麗に半分に別れる。リズの手に二つ。そしてオレの手にも二つ。そう、リーザス像に収まっていたのは、確かにこの形だった。
「あらら、すごいわね、言葉の魔力ってやつかしら」
こうなっても、リズは全く動じない。本当に肝が座ってる。
「そうだった、すっかり忘れてたわ。最近ちょっと熟睡できなかったもんだから、ついうっかり。この子を身ごもってから、時々変な夢見るのよ。誰かが泣いてるんだけど、顔は見えないの。ただ泣き声が聞こえてくるだけ。『私のせいで瞳が無くなっちゃった』って。
何のことかサッパリわかんないんだけど、どうしても気になっちゃって、予言者の友人に相談したってわけ」
・・・瞳が無くなったって、リーザス像のことか?
「そういえば、女の子の声だったわね。・・・そのコがゼシカなの?」
バカだな、あいつ。そんなこと気に病んでたのかよ。
オレはもう、クラン・スピネルを握り締めて頷くしかない。
「・・・お言葉に甘えて、こっちはありがたく貰ってくよ。そっちはあんた達が預かっててくれ、いつか必ず貰いに来るから」
遠くから、月影のハープの音が聞こえた気がした。
「その時はさ、できればキレイなドレスとか着て、ちょっとでいいからネコかぶってくれるとありがたいな。もちろん、そのままのキミの方がステキだけど、その頃のオレにとっては、場の雰囲気っていうか、イメージっていうのは結構重要なんだよ」
「・・・何かよくわからないけど、検討しておくわ。それに今のセリフは、また会えるって意味だと受け取っていいのよね?」
これはちょっと返事に困る。次に会う時はきっと、彼女は生ある人間ではないから。
「きっとずっと先のことになると思う。そうだな、マリウスがこの塔を完成させて、そこにリズの最高傑作の像が置かれるようになって。その後くらいになるかな」
「それは困ったな。この塔が完成したら、今度はちゃんとした家を建てようと思ってるんだよ。子供が十人できても大丈夫なような大きな家をね。
そんなに遠くには行かないつもりだけど、ここに訪ねてもらってもボクたちはいないかもしれない。どこかに印でもつけておこうか・・・」
マリウスは真剣に考え込んでる。人の良さそうな顔して、本当に人がいいらしい。
「そうだ! キミは風の呪文を使うんだから、塔のてっぺんに風車をつけておこう。次にここに来た時は、魔法でそれを回してくれればいい。それが見えたらすぐにここへ駆けつけるから」
ハープの音が少し大きくなった気がする。もう時間切れってことか。元の世界に戻りたい気持ちに変わりはないけど、妙に名残惜しい気はする。
あんまり余計なことは言わない方がいいんだろうけど、これだけは言っておいてもバチは当たらないだろう。
「リズ、いつになるかはオレにもわからないけど、あんたの子孫が魔物に狙われずに済む日は必ず来る。そんなことがあったことさえ忘れられて、誰も彼もが呑気に生きてるような未来が待ってる。だから、あんたはそのまま、自分の信じた道を進んでいってくれ」
空間が歪むような感覚。目眩と耳鳴りが一気に襲ってきた。
「もちろん、いつだって自分の信じた道を進むわよ。ククールこそ、忘れないで。ゼシカのことは、よろしく頼むわよ。今度また、あのコが泣いてる夢なんか見させたら、テンション溜めてメラゾーマだからね」
意識が遠のいていく。このまま目の前からいきなり消えたりしたら、オレは幽霊扱いにでもなるんだろうか。でも二人とも、案外ケロッとしてそうだな。
オレともあろうものが、こんな美女を見忘れるなんて、ありえなかったけど仕方がない。リーザス嬢がこんなはっちゃけたレディだったなんて、誰が思う? でも不思議と納得はいく。なんてったって、あのゼシカのご先祖だもんな。
「ククール! ねえ、しっかりしてよ。ククールってば!」
目を開けると、ゼシカが泣きそうな顔でオレのことを覗き込んでいた。
「ゼシカ・・・どうして、こんなとこに?」
何とか上体を起こすが、頭痛と吐き気と耳鳴りがする。それなのに妙にフワフワしてて、これが自分の身体だって実感がしない。
「それはこっちのセリフよ。ポルクたちが教えに来てくれたのよ。ククールが普通じゃない様子でこの塔の方に行くのを見たって。それで心配になって来てみたら、こうやって倒れてるんだもの。死んじゃったのかと思ったじゃないの!」
最後の方は涙声になってしがみついてきた。そういえばサーベルトは、ここでドルマゲスに殺されたんだったっけ。ちょっと刺激が強すぎたか。
それにしても、やっぱりゼシカは抱き心地いいなぁ。極上の柔らかさと弾力に、一気に現実感が戻ってくる。でも、さっきまでのことが夢じゃないことは、手の中にあるものが証明してくれている。
「心配かけてゴメン。ほら、ちゃんとお詫びの品もあるから、元気出せよ」
「・・・お詫びの品?」
ゼシカの手の平に、二つのクラン・スピネルを乗せる。二つの宝石と同じ色の瞳が、大きく見開かれた。
「これ・・・クラン・スピネル!? どうして? だってこれはもう・・・」
「その件は後でゆっくり説明するとして・・・。そのことよりも、オレの知らないところで、一人で気に病んで泣いてたっていう、このお嬢様をどうしてやろうかと思ってんだけどな。何で言ってくれなかったんだよ」
長い間ほったらかしにしてたのはオレの方だってことは、この際棚上げだ。
「えっ、だって、そんなずっと気にしてたってわけじゃないし・・・。ただ、みんな毎年聖なる日を楽しみにしてるのに、リーザス像の瞳が無かったら、やっぱりガッカリするんじゃないかと思うと・・・」
「そのことは、もう村中みんな納得してんだろ? ガッカリなんてするわけないだろ、バカ」
「バカって何よ。この像は、村が出来る前からずっとあったものなのよ? その瞳が私のために無くなったんだから、気にするのが当たり前じゃないの」
ヤバイ、泣かしちまった。リズに泣かすなって言われたばっかりなのに、メラゾーマくらうな、これは。
「あのな、家宝だか三大宝石だか知らないけど、結局はこんなもん、ただの石ころなんだよ。ゼシカ自身に代えられるもんじゃない。このクラン・スピネルは、ゼシカが泣いてるのが辛いって、リーザス嬢が渡してくれたものなんだ。
お前、百年以上前のご先祖からまで愛されてんだからさ、そのことだけは忘れるなよ」
そしてオレも忘れない。その大切なゼシカを『よろしく頼む』と言ってもらえたことを。何にも持ってないオレでも、ゼシカのためにしてやれることはあるんだってことをな。
ゼシカが落ち着いてから、二人でリーザス像にクラン・スピネルをはめ込んだ。
元の姿に戻っただけのはずなのに、初めて見た時よりも像が優しい顔をしているような気がする。
「ありがとう、ククール。もう一度、この姿を見られるなんて思ってなかった。本当に嬉しい。夢みたい」
クラン・スピネルのような瞳が、真っすぐにオレを見つめてくる。まるで魔力を持っているように、心の中の深いところまで入り込んでくる瞳。
本当は自分でもわかってた。この瞳から目を逸らしたくなるのは、奥底に隠して見ないフリしてた本心が、全部さらけ出されてしまいそうになるからだってことは。
今までずっと、オレの勝手な都合でゼシカを振り回してきた。もうこれ以上、ゼシカに寂しい思いはさせたくない。だけど・・・。
この気持ちから目を背けたままじゃあ、いつまでもゼシカの視線から逃げ続けてしまう。
「ごめんゼシカ。今度こそ幸せにするって・・・ゼシカだけ見て、そばで守ってくって約束しなきゃいけないはずなのに。オレ、マルチェロを・・・兄貴を捜したい。居場所の心当たりなんてないけど、どうしても、もう一度あいつに会いたいんだ」
そこからやり直さないと、オレはきっとこの先、どこかで前に進めなくなる。
「会ってどうしたいわけじゃない。だけど、オレは決めたはずだったんだ。憎しみだろうが何だろうが、真っ正面から受け止めるって。それなのにオレはゴルドで、あいつの目を見て話せなかった。最後の最後で、背を向けて逃げたんだ。
一度でいい。ちゃんとあいつと向き合って、目を見て話したい」
「うん、わかった。いってらっしゃい」
また悲しませると思ってたのに、あんまりアッサリした調子で言われて、一気に肩の力が抜けた。
「そんなにまくしたてなくても大丈夫よ。マルチェロのことに関しては、いつかそう言い出すんじゃないかと思ってたから。ものすご~くイヤだけど、ククールのお兄さんてことは、私にとってもお兄さんになるってことだし、このままにはしておけないわよね」
「・・・それって、プロポーズ?」
何て言っていいのかわからず、つい茶化したようなことを言っちまう。
「それはちょっとイヤ」
「うん、オレもイヤだ」
ゼシカは呆れたような溜め息を吐く。
「しょうがないわよ。私は何だかんだ言っても、お兄さんを心配して捜しちゃうようなククールが好きなんだから、気の済むようにすればいいわ」
・・・何か、どっかで聞いたようなセリフだな。
「それにね、私は一度だって『私だけ見て』とか『私だけ守って』なんて言った覚えはないわよ。私一人のことで精一杯なんて器の小さい男、こっちから願い下げだわ。自分のためには生きられないような不器用さんだから好きになっちゃったんだもの。
後回しにされるのは、それだけ近い存在になれたんだって思うとイヤじゃないし。幸せにしてもらおうなんて、初めから思ってないわよ」
そうだな、それはわかってる。ゼシカは何でも自分で選んで、自分で決める。オレなんかより、ずっと強い人間だ。
「だからククールのことも、私が幸せにしてあげる。心配で、とてもじゃないけど、ほっとけないんだもの。・・・こっちはプロポーズと受け取ってくれてもいいわよ」
「・・・ゼシカ、男らしいなぁ」
思わず口をついた。本当に、オレなんて足元にも及ばない。
「・・・念のために訊いておくけど、それは褒めてるのよね?」
「もちろん、最大級に」
「何かスッキリしないけど、まあいいわ。あ、でも私だけ見なくてもいいって言ったけど、浮気はダメよ。それだけはイヤよ、絶対許さないからね。本来待つタイプじゃない私が、こんなに何度も待つなんて特別なんだからね。それは忘れないでよ」
ゼシカは真剣だ。オレって、そういう点では信用ねぇんだな。
「ああ,もちろん。・・・今夜はこのまま、一緒にいよう」
瞳の戻ったリーザス像の前では、キスより先にはいけないけどな。
思えば、イシュマウリは初めから言ってたんだよな。『美しい像』の願いを聞き届けてくれって。
リズが見た夢はリーザス像の感じていたものなんだろう。何も見えないのに声だけが聞こえたのは、像が瞳を失っていたから。
ラプソーンを倒したオレたちが、手下の魔物に狙われることもなく呑気に暮らしていけてるのは、リズのように子孫のために戦ってくれてた人たちがいたからなんだよな。
クラン・スピネルが戻ったことで、またリーザス像はこの地を、そして子孫を見守ることが出来るようになった。このことでゼシカが泣くことも、もう無い。
願いっていうのは、これで叶ったって、そう思っていいんだよな?
夜の外出を止めに入った用心棒に、ラリホーかけて飛び出してきたとゼシカから聞かされ、一緒に謝るために、朝一番で塔を出た。これでまた、アローザさんの心証が悪くなってんだろうな。
でも、村の名前の由来にまでなったご先祖は認めてくれてるんだと思えば、どれだけかかっても認めてもらうことを諦めずにいられる。
随分時間は経ったけど、マリウスとの約束通り塔のてっぺんの風車をバギマで回す。結構これが難しい。それに自然の風でいつでも回ってるから、目印の意味なんてほとんどねぇし。もう少し風の制御を練習してみるか。
そういえば、リーザス村の入り口にも同じように風車があったっけ。
「何かさ、急にリーザス村が、オレにとっても故郷みたいに思えてきた。イヤミな兄貴を捜す旅でも、帰るところがあるんだって思うと、少しは気持ちが軽くなるもんなんだな」
「うん・・・。辛くなったら、いつでも戻ってきてね。私はずっと、待ってるから」
「ああ。必ず戻るよ。ゼシカのところに。そうしたら今度こそ、どこにも行かない」
ゼシカはまるで世界中の全てから祝福されてるようだった。大事にされて、愛されて。だから、こんなにまっすぐで強い人間になれたんだと思う。
それに比べてオレは、生まれてきたことが元凶だの、疫病神だの、散々言われてきた。
だけど、こうしてゼシカの瞳に映ってる自分の姿を見ると。
オレだってちゃんと祝福されて生きてるんだって、そう思うことができる。
・・・オレは幸せだ。
<終>
最終更新:2008年10月24日 12:54