呪われし杖からゼシカを取り戻し、俺達は一路北へと向かっていた。ヌーク草のおかげで寒さは
しのいでいるが、慣れない雪道やモンスターとの戦闘に、予想以上の苦戦を強いられていた。
もう皆の体力も魔力も心許ない。そろそろ次の町に着かなくてはまずい、と誰もが思っていた矢先、
厄介なモンスター集団に出くわした。残る体力と魔力とアイテムを振り絞ってボロボロになりつつ、
なんとか最後の一匹を倒せるか、と思った時だ。
そいつが、HPの残り僅かなゼシカを狙って攻撃をしかけたのが視界の端に見えたんだ。
だから、彼女の前に躍り出て、その攻撃を受けた。
条件反射だった。
*
「…道らしきものがあるから、もう少しでどこかの町に着くはずだって。…エイト達が先に行って、
キメラの翼とやくそうを買ってすぐに戻ってきてくれるわ」
一面の雪の上、仰向けに寝ているオレの横にペタリと力なく座り込み、ゼシカは覇気のない声でそう言った。
2人とも瀕死に近い。無駄に動くより大人しく助けを待った方がいいと、エイト達は俺達の周囲に
聖水をまき散らしてから急ぎ足で先に進んだらしい。オレが気付いた時には、彼女と2人きりだった。
おいしいシチュエーションなんだが、身体が言うことをきかない。…死ななかっただけマシか。
うつむいたまま微動だにしない彼女の顔は、見上げる形のオレからも影になってよく見えない。
しかし珍しく静かだな。経験上こういう時は決まって「かっこつけるからこんなことになるのよ!」と
手厳しいお叱りを受けたあと、素直じゃない「…ありがと」が聞けるんだが。
…あ、そういやHP少ないんだった。そんな元気もないんだな、かわいそうに。
そんなことを考えながらぼんやり彼女を見つめていたら、ふいに上げた視線同志がぶつかった。
怒ってるような、悲しんでるような、わずかに眉を寄せて…苦しげに、何かを言いたげにしている…
でも、言えないでいる、そんな表情に、不覚にもドキッとする。
ゼシカはなんでも顔に出る。でも、おかしくねぇ?ゼシカがオレに対して言いたいことを
我慢したことなんて、今まで一度たりともなかったと思うんだが。
どうした?そんな顔するなよ、襲っちまうぞ?
そう口に出そうとして笑いかけた瞬間、頬に鋭い痛みが走って思わず眉をしかめた。
「…っつ」
痛みのある箇所に手で触れると、縦に走った深い切り傷があるのがわかる。当然血も出ている。たちまち脱力し、
「あーあ…オレの唯一の取り柄が…」
情けない声音をあげると、
「…………バカ」
ゼシカの顔が、少しいつもの勝ち気なものに戻った。
「バカってお前、世界の損失だぜ…あつつ」
「黙って」
ピリ、と傷口に痛みが走り、次にはひんやりと冷えていく感覚が気持ちいい。ゼシカが雪で濡らしたハンカチを
オレの頬にあててくれている。もう片方の頬や、まぶた、額と、傷以外の場所も彼女は優しく拭ってくれた。
「……………役得」
「バカ」
ニヤけたオレの一言に、間髪入れない鋭い切り返しが心地いい。それでも白く細い指先は、
なすがままのオレの頬をゆっくりとすべる。…まるで慈しむように。
残り少ない力が身体の奥から徐々に抜けていくのがわかる。
…なんだろう。すごい気持ちいい。
「……………あーー…。………なんか、このまま、死にそう」
目を閉じたまま呟くと、彼女がピクリと反応するのを感じた。
怒るかな。「女々しいこと言わないでよ!」「情けないわね!あんたそれでも男なの!?」ってね。
しばらく待ったけど返答がなかったから、オレはボソボソと続ける。
「……別にいいかな………なんか今、最高にいい気分だし」
死の際ってのはこんなもんなのかな。
「まったく…ロクでもない人生だったし。………ホント、最悪なことばっかで…………
オレなんか、まともに、死ねるのか…なんて、思ってたけど」
頬にある小さな手を片手でそっと掴むと、顔だけを横に向けてまぶたを開き彼女を見上げた。
「…………こんな風に、愛しい
ハニーに看取られて……愛しいハニーのために死ねるなら、悪くねぇかな」
”君のために”
それは無意識に出た言葉で。
どうしようもなく迂闊だった。
「…………………………本気で言ってるの?」
聞いたこともないような強張った声音に、ハッとして目を見開いた。
蒼白とも言える顔でオレを凝視している彼女の瞳を見つめていると、いきなりボロリとこぼれ出る透明なしずく。
「!」
オレは言葉もなく無理矢理ガバッと上半身を起こし、すぐにその涙を拭おうとしたがなぜかできなかった。
行き場をなくした手がどうしようもなく宙を泳ぎ、結局彼女の肩におそるおそる置かれる。
嘘だろ、なんだよ、オイなんで?てっきり怒って怒鳴られるか一発殴られるかと思ってたのに、
ちょっと待てよオイ、意味がわかんねぇ。どうしたらいいんだどうしたら。ゼシカ、ゼシカ泣くな。
焦りだけが空回りするオレを瞳の中に映さず、ただハラハラと流れ落ちる涙にも気付いてすらいないように、
ゼシカはぼう然とした表情でかすれた声を出した。
「…………やめてよ」
その目は何かちがうものを見ている。
「……死ぬ…なんて、簡単に、言わないでよ」
細い肩が、震えた。
「わたしのためにとか」
「わたしのせいで」
「わたしのせいでこれいじょう」
ふいにゼシカの表情が崩れた。引き歪んだ瞳からは今度こそ止めどなく大粒の涙が溢れ出る。
「わたしのせいでまただれかが死ぬなんて…ッッ」
こらえていたものが堰を切って放たれたように、ゼシカは声を出して泣き始めた。
オレは肩に置いた手を背中に回し、ようやく彼女をそっと、そして次第に力をこめて抱きしめた。
今になってようやく気付いた自分のニブさに怒りがわく。
ゼシカが脅えているものの正体。彼女の心から未だ拭えない恐怖。
呪われた杖、操られ、多くの人達を傷つけた自分自身を許せない思い。守れなかった命。罪の意識…
平気なフリをしていても、彼女の心の傷は決して癒されていなかったんだ。
彼女が誰かにつけてしまった傷は、その何倍もの痛みをもって彼女自身に返っていた。
オレがとったただの条件反射も、惰性で紡いだ何気ない一言も、同じように今の彼女を傷つけていた。
オレが彼女をかばって目の前で傷を受けた瞬間、どれほどの恐怖を感じたことだろう。
耳元で聞こえる嗚咽に、その大きさを痛いほど感じて胸がしめつけられる。抱く腕にさらに力をこめる。
「……………ごめん」
はじめて見たゼシカの涙。
それはオレに強い後悔と、新たな決意を与えた。
*
彼女の涙が少しおさまり、お互い身体を離してから。
「…でも、オレはお前を守るのはやめねぇよ」
「……それで2人してこんな状況になってたら世話ないじゃない。かっこつけるからこんなことになるのよ」
「ははっ まったくもって」
涙に濡れた真っ赤な瞳で、それでもきっぱり言い切るゼシカがなんともかわいい。
「………だから、強くなるよ。ゼシカを守ってもケガ1つしないように。
ゼシカがオレに、安心して守られることができるように」
「そんなの頼んでないわ」
「オイオイ」
「ただ守られてるなんてごめんよ。私だって強くなるわ。………もう、誰も傷つけたりしないように。
ククールを、今度は私が守れるくらいに」
「え、それはちょっと…。騎士及び色男としてどうかなぁと…」
「いいのよ。あなたは背中を貸してくれれば、それでじゅうぶん」
上目遣いの少し
いたずら気なほほえみに、毒気が抜かれた思いがして、不覚にも言葉が返せなかった。
もう、平気。その目はオレにそう告げていて、やられた、と思うと同時に安心する。
ゼシカは視線を自分の手許に落とし、しばらくしてから戸惑いがちに顔を上げた。
「…………ねぇククール。………最悪の人生でも最高の人生でも、みんな必ずいつか死ぬのよ。でも、
だからこそ、私がそばにいる間は絶対にククールを死なせないわ。私はあなたに…死んでほしくないから」
「……………マジで?」
思わぬ言葉にあっけに取られて聞き返すと、真っ赤になった顔で悔しそうに目線をそらし、
「ククールはあの時敵に襲われたのが私じゃなくても、かばったでしょう?
あなたの取り柄は顔だけなんかじゃないわ。私はそれを知ってるもの。…私だけじゃないけど」
そうかなぁ、ゼシカじゃなかったら反応が2秒くらいは遅れてたんじゃないかなぁ、と考えながらも、
一生懸命こんなオレを諭そうとしてくれる彼女の不器用な優しさが嬉しくて、素直にありがとうと告げた。
もう一度抱きしめたい。そういやさっきはけっこ長い間抱き合ってたな。まぁあれは特殊イベントだった
ってことであきらめよう。今同じことをすればMPが足りないから燃やされることはないが、確実に殴られる。
「ありがとう、ゼシカ」
もう一度ゆっくりとそう言うと、彼女もさっきのことを思い出したのか再び顔を赤らめながら、思い切り
顔を下に向けた。そして、
「………………………私も、ありがと」
聞き取れないくらいの小さな声でそう言った。
*
最終更新:2008年11月03日 00:35