懊悩ククゼシ

ゼシカを抱えて部屋に戻ってきたククールは、腕の中で泣き疲れてぐったりとしている彼女を
そっとベッドに乗せ、背もたれにもたれさせるようにしてやった。
うつむいたまま、ゼシカは身動き一つしない。チラリと見えた濡れた目元は、真っ赤に染まり、痛々しい。
ククールは宿屋の主人から氷水とタオルを借りると、ベッドに腰掛け顔をのぞきこんだ。
頬に触れ、顔を上げさせようとすると、ゼシカは子供のように顔をイヤイヤと振った。
「冷やさねぇと腫れるだろ」
それでもしばらくククールの手を拒んで小さく暴れていたが、やがてまた力を失ったように動きを止めた。
顔を上向かせると、ゼシカは眉根を寄せてギュッと耐えるように目をつぶる。
ククールは赤くなった目元を拭き、冷たいタオルをしばらくそこにあてがって熱をとる行動をくり返した。
その間も、されるがままでありながらもゼシカはキツく瞳を閉じたままで、
決して目の前のククールを見ようとはしなかった。

一通りの処置が済むと、ククールは頬に触れた手はそのままに、優しい声音でゼシカ、と名を呼んだ。
ゼシカの身体が震えた。ククールは彼女が反応するまで、何度も何度も呼びかける。
やがて、ゼシカは突然横を向き、頬に触れている手を離し ひじでククールを押しのけた。
そして再びうつむき、右手を胸元で握り、もう片手でシーツを強く掴んだ。
「………。―――どう…して」
あんなこと、と。
ほとんど聞き取れないほどの掠れた声に、ククールは少しだけ黙り、静かな表情のまま答える。
「ホントにわからないか?」
その声がとても穏やかで優しく聞こえて、ゼシカは自分がいけないことを聞いてしまったような気持ちになった。
「………わかる、けど」
でも、と、握る手に力をこめる。
「…どうしてあんなに怒ったのか…わからない」
「今も怒ってるよ」
ゼシカは思わず顔を上げてククールを見た。しかし言葉とは裏腹に、彼の表情は風のない波のように静かで。
「………どうして…?」
混乱しているのは自分ばかりで、ゼシカは彼に置いて行かれたような気がして泣きそうになる。
ククールはそんなゼシカをじっと見つめていた。そして、やがて小さな誓いを立てるように、厳かな声で告げた。

「―――ゼシカが大事だからだ」

あまりにストレートな口説き文句にふいうちをくらい、一瞬の間を置いて、ゼシカの頬がボッと赤くなる。
ククールはそんな幼いゼシカに、小さく苦い笑みをこぼした。
「………お前が大事すぎて、大事すぎて、自分でも戸惑ってる」
まっすぐゼシカの目を見つめながら、ククールはゆっくりと己の胸の内を吐露する。
「こんな感情はじめてだからさ。どうしたらいいのか持て余してる」
今まで女の子に対して、守るだの大切だの好きだのと散々口にしてきたものの、
本気でそう思ったことなど一度もなかった。己の存在が常に倦厭されていたあの修道院の中で、
いつでも心を冷たく低い位置に置いて、感情を荒立てたり表に出すことなど、滅多にしなかった。
こんなに心が振り回され制御すらできなくなるなんて、自分でも信じられないくらいだ。
「ゼシカが薄汚い連中に触れられると思っただけで、簡単に理性なんかふっ飛ぶ」
そう言ったククールの目に、ふいに激しい色が宿り、ゼシカはビクリと身体を強ばらせた。
脳裏に急激に蘇る、今とはまるで別人のように自分を手荒く扱った彼の顔。ついさっきのことだ。
思い出すだけで血の気が引くくらい脅えてしまう。
「………でも」
ゼシカは力無く目を伏せた。
「でも、大事だからって………―――あんなことして、いいの?」
その言葉にククールの動きが止まった。
手元のシーツを色を無くすほどに握っているゼシカの指。全身が細かく震えている。
ククールはすっと目を細めた。こんな彼女を見ても、罪悪感のわかない自分が不思議だった。
「………怖かった?」
「………………こわかった………」
当たり前じゃない、という弱々しい呟きに、ククールは自分が彼女にした酷い行いを思い起こした。

謝ってしまえば、いいのだろう。ごめんごめん、なんか我を忘れちまってさ。なんでもするから許してくれよ。
そんな風にいつも通り、手の早い軽薄な男を演じれば、丸く収まるのはわかっていた。
ゼシカも本当はそれを望んでいた。謝ってくれればそれでいいのに。彼が謝って自分は怒り彼にお仕置きして、
それでいつもの2人に戻れる。元通りの自分達に戻れればいいだけなのに、と。
―――わかっていてもククールは、謝る気にはならなかった。

「………ゼシカが感じた、恐怖とか。脅えとか。それは、オレがいつもいつも抱えてるものだよ」
「え…?」
「お前がいつ危ない目にあうか、ひどい目にあうか、オレ以外の男にカンタンに触られてないか。
 お前がそのかわいい顔で、お色気振りまいて街歩くたびに―――オレは怖くて怖くてたまらねぇんだよ」
それを伝えたかった。だからあんなことをした。100回言うより、一度体験した方が身に沁みてわかるだろう、と。
ゼシカが大きく目を見開く。今にも泣きそうに見えて、ククールはそっと目を逸らした。
非道いことを言ったのはわかっている。しかし敢えてそう告げたのは、それが本心に違いないからだ。あの時
月光の下で暴走した自分の心情は今となってはよくわからないが、多分心の底で確かにそう考えたのだ。
他の男の手でわからせるくらいならオレが―――と。
「………嫌ってほどわかっただろ?男と女の力の差が。自分がどれだけ過信してたのか」
ゼシカは歯をくいしばり、俯いた。
ククールは無言で彼女に手を伸ばす。あからさまにビクッと反応し、反射的に引いた身体を許さず、
未だ握りしめられている彼女の手を強引に掴んだ。
袖をまくると、細い手首にうっすらと残る、自分の遺した跡。そこにそっと触れ、慈しむように撫でる。
そこからゼシカの体温が急激に上がったのがわかった。そして、当然のようにククールはその跡に口づけ、
「………『ホイミ』」
肌の上に唇を滑らせながら呪文を唱えると、ほのかな光が拡散し、痛々しい痣が消えていった。
ゼシカは真っ赤な顔でそれを見つめている。
どうしようもなく戸惑っている眼差し。怒るべきなのか、どうすればいいのか、わからないのだろう。
ククールは静かに立ち上がった。ゼシカがハッと見上げる。じゃあな、と告げる背中に、ゼシカは思わず叫んでいた。
「ヤだ…ッ、………ククール!!」
こんなに混乱しているのに、一人にしないで。ゼシカの心は不安と心細さで一杯だった。
しかし、ククールはとても切なそうな微笑を浮かべて彼女を振り返る。
ベッドの上で、自分にすがるような目を向けるゼシカ。
このオレに。―――君に乱暴した、この男に、だ。
あり得ねぇよゼシカ。ククールは心の中で、諦めたように笑いをこぼす。
「………ゼシカをこれ以上傷つけたくないんだよ」
ゼシカは何か言いたそうに口唇を開いたが、ククールは再び背を向け、部屋を出ていった。

取り残されたゼシカは、そっと手首に触れた。今自分が彼に何を言おうとしたのか、自分でもわからない。
ククールに噛まれた首筋がチクリと痛み、瞳を歪めた。






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最終更新:2008年11月25日 00:07
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