懊悩ククゼシ・完結

医者は、過度の貧血と食べていなかったことによる体調不良、そこから少し風邪をひいたのだと診断した。
栄養と休養をしっかりとれば心配はいらない、と言われ、一同はホッと息をつく。
ゼシカが倒れたとのトロデの叫びに、誰よりも早くその場にかけつけたのは血相を変えたククールだった。
しかし今は部屋の壁際で、腕を組んで突っ立ったまま、眠る彼女に近付こうとはしない。
「………熱があるね…」
エイトがゼシカの額に手を置いて、かわいそうに、と呟く。よく冷えたタオルをしぼって、額にのせる。
ゼシカの口から、か細い息がもれた。隣でヤンガスも心配そうに眉をひそめている。
しばらくしてエイトは、彼女をここに運び込んでから一度も口を開いていないククールを振り返った。
「―――ほらククール、いつまでうらやましそうに見てるのさ。ここからは君の仕事だろ」
「………誰がうらやましいって………」
「いいからつべこべ言わない。それよりゼシカに言うべきことがあるだろ。
ぼくらは出るから、一睡もせずにちゃんと看病するんだよ。いい?」
エイトの容赦ないパキパキした物言いに、険悪な表情をのぞかせたククールは思わず押し黙った。
こんな時のエイトに逆らってはいけないのはわかってる上に、明らかにこちらの劣勢だ。言い訳の余地はない。
用があったらいつでも呼んでとだけ言い置いて、エイト達はぞろぞろと部屋を出て行った。

ククールは溜めこんでいた息をはぁっと吐き出した。
そっとベッドの傍に寄る。今は落ち着いているのか、少し息は荒いものの穏やかに眠るゼシカの顔を覗き込む。
触れることに怯えている自分がいた。少しでも自分の手が彼女に触れれば、彼女を汚してしまう気がして。
伸ばした手が震える。一度引っ込めた手を、もう一度おそるおそる頬に伸ばした。
ふぅ…と、ゼシカが息をもらす。
ククールは無意識のうちにベッドの端に腰掛けると、両手でその頬を包み込んでいた。
「………ゼシカ………」
閉じられたまぶたに口づける。
熱で汗ばんだ彼女の両手を握りしめ自分の額に押しつけながら、祈るように呟いていた。
「――――好きだ」


                     *

眠っているわけではないのに意識が朦朧として体の自由がきかない。
あぁ、風邪で倒れるなんて何年ぶりだろう…ずっと小さい頃に雪遊びしすぎて高熱出したなぁ…
あのときは…サーベルト兄さんが…

―――かわいそうに―――
(兄さん?)
ふわりとおでこに何かが触れた。冷たくて気持ちよくて優しくて、懐かしくてたまらない手の平。
あの時も兄さんは、こんな風にずっと傍にいて看病してくれた。
そうだ、私は知っている。私を愛してくれる、男の人の大きな手を。
その力強さは私を怖がらせるものではなく、私を守ってくれるためにあったのだと、ふいに思い出した。
そして―――

次に頬に触れたのは、やっぱり、大きくて、優しくて、冷たいのに熱い手の平。
そしてこの手は、父さんでも兄さんでもない。私を護ってくれる―――騎士の手。

「………ゼシカ………」
名を呼ばれ、意識が徐々に浮上する。
まぶたに熱いものが降り、両手を握られたのがわかる。
「――――好きだ」
そう告げられた瞬間、急速に眠りから覚醒した。

                   *


目が合った瞬間、ククールは思わずぎょっとして、握っていたゼシカの手を放した。
ゼシカは熱で潤んだ瞳を、まっすぐにククールに向けていた。ククールは無言でそれから目を逸らす。
突然放り出された手をゆっくりと伸ばして、ゼシカはシーツの上の彼の手にそっと手の平を重ねた。
「………ククール」
掠れた声で、それでもしっかりと意志をもって名を呼ぶ。
ククールは突然立ち上がり、「宿の人呼んでくる」と言った。ゼシカは思い切り不満そうに眉をひそめる。
「…どうしてよ」
「…オレじゃない方がいいだろ」
「逃げないで」
ぐっと言葉を詰まらせたのをごまかしきれず、しばらくの躊躇ののち、ククールは諦めて再びベッドに腰かけた。
ゼシカもそろりと起き上がり、もう一度ククールの手に触れた。
「……ククールがいいの」
いつもの強がりな態度など微塵も感じさせない、静かで素直な声音。
ククールはその言葉を嬉々として受け止められず、静かに手を振り払い、片手で顔を覆って大きなため息を吐いた。
「―――お前はオレを信用しすぎてるんだよ」
「…それじゃいけないの?」
「お前、オレに何されたか忘れたの?」
「…忘れるわけないじゃない」
「…ッ、だったら!オレが今ここで、あの時とおんなじことするかもとか 思わねぇの?」
「そんなこと―――」
突然ククールが振り向き、覆いかぶさるようにしてゼシカをベッドに押し倒した。
安ベッドが軋んだ音を立てる。咄嗟に目をつぶるが、そっと見上げた彼の顔は、苦しそうに歪められていた。
「――-オレを、怒れよ。お前を傷つけたオレを怒れ。でないと意味がない。頼むから……」
顔の脇に突かれた両手がかすかにわななき、キツくシーツを掴んでいる。
ゼシカの視線から顔を背けるように、ククールがガクリと頭をたれた。
「――-………オレを、許さないでくれ」

自分がしでかしたことを間違いだったとは思わない。思いたくない。
だからオレは謝らない。謝らなければゼシカもオレを許さない。許されなければこの距離は保たれたままで、
もうあんな狂気じみた真似はしないでいられる。あんな凄まじいまでの欲―――独占欲は、もうたくさんだった。
ゼシカが大切だ。それは変わらない。でも、心乱されるのが怖かった。自分が自分でいられなくなるあの瞬間が。
これ以上傷つけたくない。二度とあんな思いはさせたくない。壊してしまうのが怖いんだ、だから。
頼むから―――オレを、信じないでくれ。

そして、唐突にゼシカは理解した。
ククールを許せないのはククール自身なのだと。ククールが怒っているのは私じゃなくて、自分なのだと。
ククールを信じられないのは、ククールだ。
そして、私の気持ちは―――

ゼシカは手を伸ばして、ククールの頬に触れた。
「…ククール。信用してるとかしてないとか関係ないよ。私は自分の甘さとか軽率さとかが、まだわかってない
わけじゃないの。誰にでもこうなんじゃないのよ。…ククールだから。あなただから…信じてるの」
ククールが顔をあげ、複雑な表情でゼシカを見る。
「ゼシカ…」
「許してるわ―――最初から」
ククールの顔が泣きそうにゆがんだ。ゼシカはそれを見て、優しく微笑む。
「私本当は、怒ってないし、傷ついてなんかいない。言いたいことはひとつだけなの。やっとそれがわかった」
ゼシカはククールの身体を押し戻しながらゆっくりと起き上がり、
戸惑いを隠せなくて苦しそうな表情の彼の胸元に両手を当て、そっと額をくっつけた。
ククールが驚いているのがわかる。心臓の音が聞こえるくらい、お互いドキドキしている。
ゼシカはぎゅっと目を瞑り、小さな声で、せがむように告げた。
「――-もう、あんな怖い顔しないで。…あんなの、私の知ってるククールじゃ、ないもの…」

ゼシカは最後に、おねがい、と言って、ククールの胸に顔をうずめたまま、黙り込んだ。
そのたったひとつの“お願い”に、抑えてきた感情が一気に溢れ出るのをククールはもう止められなかった。
加減など全然できないくらい彼女がかわいくてかわいくて愛しくてたまらなくて、力の限りに抱きしめる。
自分のしたひどい行いも、かっこ悪い姿も、醜い欲望も、全てを彼女は許してくれた。
そんなことどうでもいいことだとでもいうように、笑ってククールを信じてくれた。
彼女を怯えさせたのは“いつもと違うオレ”だった。ただそれだけだったんだ。
「………………ごめん」
頑なに口にするのを拒んでいた言葉が、簡単に滑り落ちる。ごめん、ごめんな、と
うわごとのように囁くと、ゼシカが胸の中で小さく震えて、「やっと謝った」と笑った。

―――もうダメだ、とククールは思った。
こいつはオレを甘やかしすぎた。この想いに歯止めをかける理由を見失ってしまった。
ゼシカ。オレはもう、お前に対して欲のカタマリになる、間違いなく。
わかってるか?お前のせいだぞ。やっぱりお前が悪い。お前がそんなにかわいいから。
ちくしょう、ああもう知らねぇからな。覚悟しろよ。
ククールは心を満たしていく際限のない幸福感に酔いしれながらも、
まだ事態に追いつけず混乱する心中で、延々とそんなことを考え続けていた。

「…クク…いたい」
背中がしなるくらいキツく抱かれて、ゼシカは顔を真っ赤に染め、心底困った声で訴えた。
しかし半ば茫然自失状態のククールは聞く耳を持たず、わずかにでも身じろぎする
ゼシカの身体を逃すまいと、抱きしめる腕にさらに無意識に力をこめてくる。
ゼシカは戸惑いながらも、自分もおずおずと彼の背中に手を回した。
ククールはただごめん、と言いながらちっとも離そうとしてくれないので、
私の言いたかったことちゃんと伝わったのかしら?と思いながら、ゼシカはふと思い出して尋ねてみた。
「ねぇ、ククール。さっき言ったこと、本当?」
「……………さっき?」
「私が起きる直前に言ったこと」

―――数秒ののち、突如ピキ…ッと音をたてて、ククールが固まったのがわかった。
抱きしめられているゼシカには見えないが、一瞬にして我に返った顔は、明らかにひきつっている。
「…おま…今、それ言うか…」
「なによ、いけないの?」
「いや、その、なんつーか…」
「もう一度言って」
「…………言うと思った…」
「言えないの?」
「そんなことねぇよ。………。………………好きだよ、ゼシカ」
「ちゃんと目を見て言って」
納得がいかない、といった風に、ゼシカは不満な声をあげる。
ククールは額に手を当ててはーーっと大きなため息をつき、それから静かにゼシカの背に回した腕を解いた。
左手は彼女の頬に、右手でそっと手を繋ぐ。自分で言っておきながら、ゼシカは思わず頬を紅潮させた。
ククールの端正な顔。今まで見たことがないくらいの真剣な瞳。
「――-――-好きだ」
青い眼に魅入られ、その言葉を頭の中で反芻しないうちに強く腕をひかれ、口唇が重なった。
ほんの刹那。すぐに離されたその口唇で、ククールは低い声で囁く。
「………お前は?」
恥ずかしさに我に返り逃げ腰になるのを許さず、ククールの腕は再びゼシカの腰を抱き込んでいる。
息がかかるほどの距離で、ゼシカは彼の瞳から目を逸らせなかった。
「…わたし、も」
「…わたしも?」
「好き………」
ポツリと呟かれた答えに、ククールが優しく微笑む。むしろそれは安堵の笑みかもしれなかった。

しばらく放心したようにククールを見つめていたゼシカは、彼の手が自分のブラウスのボタンを
外しているのに気づいて、きゃあ!と悲鳴を上げた。慌ててその手を押しとどめるが、
「じっとしろ」
「だ、だ、だって、あのね、だからってそんないきなり…っ」
「違う…」
ククールは冷静な動きでゼシカの抵抗を押さえ、上から1つしか外さなかったブラウスの首元に手を差し入れた。
長い指が首筋を撫でる感覚に、ゼシカは体を震わせる。そのうちククールが、あった、と呟く。
「ごめんな…」
「………え…?」
指が、ある一点を何度も何度も往復している。くすぐったさとかすかな痛みが沸き起こり、
ゼシカは顔を真っ赤にしながら、やっとそこに何があるのか気づいた。
ここ数日、鏡で見るたびにあの夜のことを思い出した、小さな傷痕。
少し腫れて盛り上がり、さらに強く吸われたことで今では赤味から紫がかってしまった―――彼の噛んだ跡。
「綺麗に消してやるから」
ククールはそう言って、回復呪文を唱え始める。
それを拒否するために、自分でも理解できないまま、ゼシカは咄嗟に傷に触れている彼の手をぎゅっと掴んでいた。
「…ゼシカ?」
「いいの…」
小さく首を振る。
見つめあったまま、握り合った手にお互い強く力を込める。
「いいの。消さないで」
ゼシカは、熱のせいではなく潤んだ瞳で、そう告げた。
ククールにとっては、キスマークでは足らず、噛み跡までつけて独占欲を満たそうとした蛮行の跡だ。
それをゼシカは残していいと言った。
そしてククール自身も、本当は消したくなかったのだと気付かされた。

ククールが吸い込まれるようにその首元に顔を埋め、傷跡に口付け、あの時よりもさらに強く吸い上げる。
ゼシカは彼の背中に腕を回した。まるで、もっと、とでも言うように。
そして再び重なり合った口唇は、長い間離れることはなく。

ようやく得られた大切なものの存在を全身で感じながら、ただ無心に求め合う2人を、
三日月のほのかな光だけが照らしていた。





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最終更新:2009年01月17日 14:51
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