レティスの影を追いかける日々。
この土地は暑い。いや、熱い。
元々の服装が厚着なうえ(もちろん上着は脱いでいても)そこに防具を身に着け、
さらに言えば最初から暑さに弱い不良僧侶は、たったの数日ですでに完全にバテていた。
「…ちょっとククール、テーブルに突っ伏さないでよ行儀悪いわね」
エイト、ヤンガス、ゼシカがそれぞれ夕食をとる中、オレはその通り死にかけていた。
隣に座るゼシカが怪訝な目を向ける。
「それにあんた、今日も何も食べないつもり?この前からろくに食べてないじゃない…
食欲ないのはわかるけど、少しでいいから何かおなかに入れなさいよ」
「…………ぁ~…ぅ~」
「あーうーじゃなくって!」
ゼシカの困ったような怒ったような声に、無視する方が面倒くさいと悟って、
半しかばね状態のオレはのっそりと体を起こし、
机に突いた片ひじに顔を乗せて心底ダルそうに、大――きな溜息をはいた。
「…むり。今なんか食うとか絶対むり」
「少しでいいのよ、いきなりたくさん食べたら胃がびっくりするもの」
「マジいらねぇ」
「もう!明日もレティスを追うのよ、明日こそ追いついて、それからまた何があるかわからないでしょ?
そんなんじゃ体力もたないに決まってるわ、絶対倒れるわよ」
「だいじょーぶだって…」
「あんたね、気力だけでなんとかなると思ったら大間違いなんだから。
かっこつけてる暇があったら、スープの一杯くらい飲みなさいってば」
チラ、とゼシカの手元のスープに目をやるが、たちまち顔をゆがませる。
「…だめ。本気でむり」
「一口くらい!」
「あーもしつこいって!」
「強情なのはククールでしょ!?」
ゼシカの意見が正しいのはわかってるが、いかんせんオレも本気で参っているのでゆずれない。
しばらく不毛な言い争いが続き、ただでさえシンドイのにどんどん不快感が募っていく。
「…っ、ちょっと食わねぇくらいでなんともなんねぇよ、バカにすんなって」
「バカになんかしてないでしょ?!」
「あぁもう、ゼシカうるさい」
「だって!」
「……」
オレが顔を覆ってハアッとあからさまな溜息をついたので、ゼシカはグッと押し黙った。
沈黙がしばらく続く。
ゼシカの心配は痛いほど伝わるのだが、体が参ると心にも余裕がなくなり、いつものように
レディにとるべき態度が取れない。わかっているのだがどうしても先にイライラが募ってしまう。
早くこの会話を終わらせて席を立とう――そう考えたとき。
「…ッ!」
突然目の前に突きつけられた物体に、オレは目を見開いた。
「くち開けて」
毅然としたゼシカの声。
スプーンの上に、野菜の具を乗せたスープが盛られている。
咄嗟に拒絶の言葉を返そうとするが、ゼシカのつり上がった眉と泣きそうな瞳にう、と息をつまらせた。
「…………騎士が私より先に倒れるなんてかっこ悪すぎるじゃない」
ゼシカは口をへの字に曲げてそう言い、
「私を守るんでしょ?」
だったら、食べて。
ほとんど強制的な命令口調で、だけど、その目は最後に お願いだから、と言っているように思えた。
―――肩の力が抜ける。長い息が勝手に漏れる。
オレは何かを諦めたような気になって、それからゆっくりとスプーンを口にくわえた。
わずかに咀嚼し飲み込んだのを見て、ゼシカの顔が花を咲かせたようにほころぶ。
「おいしい?」
「………うん、まぁ、思ったより」
冷たいコンソメスープは案外すんなりと喉を通った。久々の味覚に、かなりやられていた神経が
少し復活するのを感じる。
「もう少し食べられる?」
言いながら再び掬われたスープを、一瞬躊躇したがもう一度口に含み、ゆっくりと飲み込む。
おいしい、と素直に感じると、たちまち食欲が正常の機能を取り戻しはじめたようだ。
「……もうちょっと」
いささかかっこ悪いのを自覚しつつも、食欲に勝てずにボソリと催促すると、
ゼシカはからかいもせず嬉しそうに笑い、ホッと安堵の息をついた。
「スープはこれで終わり。もうひとつもらう?」
三口目を食べさせてもらいながら首を振る。
「んー…なんかもう少し、さっぱりしたやつ」
「じゃあイチゴは?」
「ん」
ゼシカはオレが食欲を取り戻したことが本当に嬉しいらしく笑顔が絶えない。
白い指で苺をつまみ、オレの口元に運んでくれる。オレはそれをパクリと食べる。
熟しきっていない、甘味より酸味の強い苺は、瑞々しくてとてもおいしかった。
一つ食べると、もう一つ。まるで雛鳥のように口を開けて、ゼシカが苺を運んでくれるのを待つ。
オレがあんまり文句も言わず次々食べるので、ゼシカが思わず苦笑した。
「指まで食べないでよ」
「バレたか」
「バカ」
4つあった苺を全て食べると、ゼシカは満面の笑みでいきなりオレの頭をよしよしと撫でてきて、
「よく食べられましたーえらいえらい♪」
「………………~~園児かオレは…」
がっくりと脱力するが、声をあげて笑うゼシカの顔が眩しくて、それ以上何か言い返す気にはなれなかった。
オレはまったくゼシカに甘い。…と、思う。
いや、女性にはすべからく甘いものであるからして、ゼシカの場合は甘いというか…。
そもそも自分がレディに「甘い」のは、彼女たちの言い分を譲り、わがままを通すからだ。
でもゼシカにはそうじゃない。正直ゼシカと意見をぶつけ合う時は自分も相当意地を張るし、
間違いも正せば、怒る時は怒る。それはもちろん女性ではなく対等な仲間として接するからこそなのだが、
結果として…必ず、と言っていいほど、けっきょく最後は彼女に負けている。
――――そう、「甘い」んじゃない。
オレはゼシカに「弱い」んだ。
「明日の朝も、少しでいいから食べるのよ。それから今夜はいっぱい睡眠とって、体力回復させて、ね。
そうだ、明日はできるだけ早く支度して、太陽が高く昇る前にレティスを追いかけようよ。
――ね!エイト…」
上機嫌のゼシカが前にいた…はずのエイトに話しかけるが、返答はなかった。
「お連れさんなら、とうの昔に長老さんちに戻られましたよ~」
ご飯を出してくれた家の人が、ほがらかにオレたちに声をかける。
オレたちは顔を見合せて、またやってしまった、と苦笑した。
食器を片してお礼を言って、立ち上がり、ゼシカに手を差し出した。
それを取らないで、しばらくの間オレの顔を真顔でじっと見上げている。
「…なに」
「……顔色、よくなったね」
大きな瞳を眇めるように優しく微笑む。ふいうちの笑顔に頬が赤くなったような気がして
慌てて、でもさりげなく顔を入口の方に向けた。
「いいから、ホラ。…行くぞ」
オレの動揺を見抜いたわけじゃないだろうがクスクスと笑いながら、ゼシカの手がオレの手に重ねられる。
何度も握ってきた手なのに、どうも気持が落ち着かない。立ち上がったゼシカの手をゆるく
掴んだまま歩き出そうとしたら、逆に彼女の華奢な指が、オレの指をキュッと握ってきた。
「―――――明日もしっかり守ってね、騎士さん」
指先が心臓になったみたいに熱い。
気の利いた言葉も返せず、オレは無言で彼女の手を強引に引っ張った。
最終更新:2009年03月12日 11:03