潮時




                   ☆
「久々だな、同じ部屋って」
「そうね」
2人旅をはじめて2か月弱といったところ。これまでも空き部屋が足りなくて、何度かこういうことはあった。
…もちろん色っぽい展開になんかなったことはない。最初の一回くらいは、ゼシカ曰く「最悪の女たらし」
という肩書の面目を保つため、お約束のようにその手の誘い文句を口にもしたが。
軽くいなされて終わり。さらにわざとしつこくすれば、メラが飛んできて部屋を追い出される。
追い出されたオレは酒場で一晩を過ごすか、適当な女のところで癒しとベッドを拝借し、
一方ゼシカは不埒な狼に狙われる心配もなくぐっすりと眠ることができる。
それがオレ達の基本的な「一人部屋」の夜の過ごし方だ。実際に2人同じ部屋で夜を過ごしたことはない。

なんていうか…予防策、という感じだった。別に2人でそうしようと決めたわけでもないが、
なんとなくそうするべきだろう、という暗黙の了解が最初から存在していた。
お互い今さら隠すこともない慣れた間柄。親友や仲間といった枠を超えて、同志、とでもいうような
絆がオレ達にはある。何も言わなくても伝わる。理解している。空気のようであり、しかし必要な存在。
お互い便利な旅の相棒。ただひとつ形だけでも気にしておく必要があるのは性別だった。

オレ達は決して恋人同士じゃない。
互いの間に「恋愛感情」はあり得ない。そういうスタンスだからこそ年頃の男女が始められた2人旅だ。
まさか、今さらあり得ない、とお互い笑って手を振りながらも、万が一何かの拍子で
この均衡が崩されてしまうことも皆無とは言えない。世の中に絶対は存在しないから。
だからこその、「予防策」。2人して毎度、慣れたやり取りの演技をする。
ゼシカは、別にオレのことを一人の男としては見てない。
そして、もちろんオレも―――

「…で?今夜はどうなさるのかしら?カリスマナンパ師さんは」
荷物を床に置いて一つしかないベッドにポスンと腰掛けながら、ゼシカが含み笑う。
すでにいつもの演技モードに入っている。そのベッドの所有権も最初から彼女のものだ。
――そりゃあもう久々のチャンスなんだから、今夜こそ愛しのゼシカちゃんをこの腕に…――
頭の中ではお決まりのセリフが一瞬にして並べられていく。
だけど、なんだか口が重くて開かない。なんだろう。気まぐれか?
…繰り返されたパターンに、飽きたんだ、きっと。
「……今夜は疲れたしここで寝るよ。ゼシカはベッド使いな。オレは床で適当に寝るから」
「え」
思いもかけない応答にゼシカから間の抜けた声がもれた。
演技でも、下心でもない、それ以外の意味に読み取れないオレの声音に、きょとんとする。
オレは荷物を置いて、ソファでも借りられないか聞いてくる、と言い残して部屋を出た。
……なんだろう。なんでこんなこと言いだしたのか、自分でもわからないが。
変わらないオレ達の関係に、ちょっとした変化が欲しくなったのかも…な。

運よく使ってないソファを借りられた。3,4人は座れる長さなので、ある程度足を伸ばして
横になれそうだ。壁際に運んでもらったそれにどっかりと座り込む。
一連の流れを目を丸くして見ていたゼシカは、一息ついたオレに心なしか遠慮がちに声をかけてきた。
「…大丈夫?疲れてるって…何かあったの?」
どうやらオレの意外な発言を、本当に疲れてて遊びに行く元気がないからだと思ったらしい。内心苦笑する。
「いや、気分じゃないってだけ。酒もたいして飲みたくないし」
「じゃ、今夜は、ここ…で、寝るのよね?」
わざと明るい声音だが、押し隠したなんらかの不安と不審はにじみ出ている。
それに気づかないフリして、オレも飄々と答える。
「もちろん。ま、このソファならオレの長い足もなんとか伸ばせるし、それなりに快適だぜ」
「ぅ、うん」
彼女の不安に対してわざと言及しない。ゼシカは曖昧に笑ったあと、考え込むように黙りこんだ。
オレが一言「大丈夫、変なことはしないよ」と言えば、彼女もそれに関して思ったことを言えるのだろうが。
オレの方から言い出さない限り、ゼシカからは言い出せない微妙な雰囲気がある。
今のところオレに変な気はなさそうなのに、自分が言及してしまったことで変な気を起こさせて、
心変わりされたらどうしよう、という感じだろう。
オレはそれをわかってるうえで、わざとその反応を楽しんでいる。
オレに対してすでに遠慮も何もなくなっているゼシカの、初心な態度が久々に新鮮だ。
どんなに強く世慣れて見えたって、ゼシカが男女関係において箱入りであることに今でも変わりはない。
「仲間であり騎士」の栄誉を得ているオレは、(仲間なら)恋愛感情はない、(騎士なら)手を出したりしない、
という点において、ゼシカに全幅の信頼を置かれていると言っても過言ではないだろう。
それに若干の疑いが生じて、でもまさかそんな、と葛藤しているのが手に取るように伝わる。
そんなゼシカが妙に可愛くて、オレは笑った。
対等な関係であるべきゼシカをからかって翻弄してみる。たまにはこんなのもいい。

静かに扉が閉まる音で目が覚めた。夜も更けて、いつの間にかソファで横になってうたたねしていたらしい。
薄闇で目を開けると、風呂から帰ってきたゼシカが月明かりを頼りに部屋を横切り、ベッドに腰かけていた。
オレが眠っていたから、明かりを消して部屋を出たのだろう。今もオレを気遣って暗闇のままでいてくれる。
オレに背を向けて座っているゼシカの斜めからの後ろ姿を、月明かりにじっと盗み見た。
こんなに暗くては見えづらいだろうに、鏡を掲げながら濡れた髪の毛にブラシを通している。
薄いシルクの寝着は、ふくらんだ袖がかわいらしいが肩はむき出しで(ゼシカはやたら肩の出る服を好む)
そのアンバランスさが妙に艶っぽい。なまめかしい体と胸のラインが月光にかすかに透けている。
髪の毛を一つにまとめあげると、白いうなじと細い肩がさらに露わになった。
…まったくの無意識で、この色香。というか色香とか通り越して単純にエロい。
すがすがしいくらいたやすく、男の欲を煽るフェロモン。さすがおいろけスキルマスター…
―――いい女、だよなぁ。ホント。
ぼんやりと思った。こんな女と2人きりで旅してんだなぁ、オレ。

………よく手ぇ出さないですんでるよなぁ。
なんでだろう、と考える。正直こう見えてオレはそんなに性欲旺盛じゃない。セックスで大概の事が
片付けられる汚れきった世界に身を置いて生きてきたおかげで、自由の身になれた今となっては
やらないで済むのなら一生それでいいとさえ思っている。まぁ健康に生きてりゃそういうわけにもいかないんだが。
…だからなのか?男なら無条件で抱きたくなるような魅力的な女を前にして、これだけの隙を見せつけられて、
それでもたいした我慢もしないでいられるのは。未だに彼女の信頼を損ねないで
共に旅を続けていられるのは、すでにセックスに大した興味がないからなのか。

―――ちがう。
そこまで枯れてない。たった今も心底から、抱きたいと…思ってる。
今までだって、あの男を誘う顔と体を持ちながら性の何も知らないアイツに最初に手を出せるなら、
一体何からどうしてやろうかと考えたことがないとは言わない。
他の男に取られるくらいならオレのものにしてしまいたいという独占欲もないわけじゃない…

でも。…ちがう。ゼシカに対して性欲はあるが、それが今この場でアイツを抱くという行為に直結しない。
………オレ達はお互い、男と女である前に「仲間」でいすぎたんだと思う。
「恋人」なんて、なんの冗談、何を今さら、というノリだ。
オレ自身ゼシカに単純に欲情はするが、いわゆる恋心はというと…
少なくともオレにとってのゼシカは、すでにどうあっても取り替えの利かない存在なのは間違いなく。
いなくなったら相当のデカい穴が心にポッカリ開くだろうというのも間違いなく。
しかしこれを「恋心」と呼んでいいものなのか、非常に微妙…多分ゼシカの方も大差はないと思う。
惚れてるとか惚れてないとか好きだとか嫌いだとか、そういう段階はとっくの昔に気づかぬうちに
飛びこえてしまっている。要するに都合よくタイミングを失ったので、放置してきたわけだ。
…いや、今さら確認なんかするまでもないと言いつつ、ただ確認するのが怖いだけなんじゃないのか。
そのへんをはっきりさせてしまうと、何かが取り返しのつかないことになる気がして。
だから2人して何も言葉にせず、曖昧なままでつかず離れずここまできてしまった。
無邪気に旅をしていたあの頃より、オレ達は少なからず大人になった。
見ないフリをしていても、そういつまでも封じておけないモノがあることに、そろそろ気づいている…

―――オレ達はこれからもずっとこのままの関係でいるんだろうか。
この感情を飛び越えたら、今度はどんな関係がそこにあるんだろうか。
本当はそれが知りたくて、オレはこの状況を作ったんじゃないのか?
絶妙なバランスを保ってきたオレ達の均衡を破壊して、一体何が起こるのか知りたかったんじゃないのか。
……今のところ特に変化はない。
スイッチを入れる役目はオレ以外あり得ない。オレが、この夜に、何も動かなかったとしたら、何も変わらないはずだ。
―――立ち上がって、後ろからいきなり抱きしめてみようか。耳元で、抱きたいと囁いてやろうか。
……あぁ、ここまでツラツラ考えながら、ちっとも行動に移せねぇ自分のチキンっぷりがうざい。
どうでもいい女なら即座に手ぇ出せるくせによ。
そもそも当たって砕けるっての、実はオレの最も苦手とする分野なんだよな…

―――ふいにゼシカが静かに立ち上がってこちらの方に歩いてきたので、焦らずそっと両目を閉じ、
眠っているフリを再開した。トイレにでも行くのかと思っていたが、静かな足音がオレの手前で止まる。
サラリと衣擦れの音がして、いきなりゼシカの声が間近に聞こえてきたのでひそかに心臓が跳ねた。
「クク……寝てるの?」
可愛い声。本当に寝ていたら起こしてしまうから、囁くような控え目な声だ。
しかし若干懐疑的にも聞こえる。嘘寝かもしれないと感づいてるらしい。
オレは敢えて寝てるフリを続けた。シャンプーの香りが実に近い。吐息も近い。
ゼシカはしゃがみこんで、オレの耳元に顔を近づけているのだろう。なかなか心地いい状況だ。
「…ねぇ、ククール…わたし、もう寝ちゃうわよ…?」
重ねて尋ねてくるあたり、やっぱりバレてんのか。気のせいか声音にも不満な響きが感じられる。
でもゼシカなら何タヌキ寝入りしてんのよ!って問答無用でげんこつ入れそうなもんだけどな…
殴られる前にそろそろ目を開けようかとタイミングを計りだした、その時。

「……もぅ……なんでほんとに寝ちゃうのよ。………………バカ……」

そんな呟きと同時に、額にそっと暖かいものが触れた。
それがゼシカの口唇だとわかった瞬間、オレの中のあらゆる感情が一気に弾けた。

「――――……じゃあ、2人で眠れなくなることしようか?」
「ぇ…っ、――キャッ」
すかさず下からゼシカの身体に腕を回して抱きしめると、バランスを崩したゼシカがオレの上にドサリと
かぶさってきた。デカいおっぱいがオレの胸で押しつぶされ、オレ達の顔は触れ合うギリギリまで近づく。

…参った。―――まさかゼシカの方からスイッチ入れてくるなんて。

「お前と同じ部屋なのに、このオレが大人しく寝るわけないだろ」
「……ッ、や、やっぱりそういうこと考えてたんでしょ…ッ」
「お前追い出さねぇんだもん。そりゃ期待もするさ」
「だ、だって疲れてるっていうから…!!勝手にやらしい期待してるんじゃないわよ!」
「お前だってしてたくせに」
やらしい期待、と言ってやると、ぎゅーんとメーターが上がるみたいに、一気にゼシカの顔が赤くなった。
「~~~ッッ!!!~~~してないッッ!!!!!!!」
「じゃあオレ、明日に備えてもう寝ちゃっていい?」
最高に意地の悪い笑顔を向けるオレに、ゼシカは今度こそ絶句した。
無理やり何か言い返そうとする口唇にオレは人差し指をピタリと当てる。
「もっかい言ってくれたら寝ないでやるよ」
「…………ッな、なにがよ…っ」
ゼシカは半ばヤケになって、半泣きみたいな顔で悔しそうにオレを睨む。
もはやオレは楽しすぎて笑い声が抑えきれなかった。
「『私をおいて寝ちゃうなんてヒドイ。つまんない。一緒に朝まで楽しいことしようよ』って」
「い、言ってないわよ!!言ってない!!バカバカ!!バカじゃないの!?バカッッ!!!」

ついに羞恥心がパニックを起こしたゼシカがオレの上からガバリと身を起こしたが、
オレが逃がすわけもなく、強い力で腕を掴むと困ったような顔で黙り込んだ。
オレも静かに身体を起こす。目を合わせないようそむけられた頬に手を添えこちらを向かせると、
潤んだ瞳がオレを戸惑いがちに見上げた。
あぁ…これだよ。お前は本当に、男を煽るのが上手い…
すでにスイッチが入ってしまっているオレには、タチの悪い媚薬のようだ。
その視線は悪魔の囁きのごとく何かを訴えかけてくる。ゼシカ自身はまるで意識していない、確かな「期待」を。
「……ゼシカ。……潮時、って言葉、知ってる?」
「…知ってるけど…」
「オレ達いい加減、そろそろいいと思わねぇ?」
「………なんのことよ」
「もうデキちゃおうぜ、オレら。オレやっぱお前のこと好きだわ。ただの仲間でなんていられない。
この旅が終わっても手離したくねぇし。もうお子様でもないんだし。だから、そろそろしよう」
「…ッ、なに、を」
ゼシカはいきなりの告白に顔を真っ赤にして口をパクパクさせている。
「セックス。オレ、ゼシカとエッチなこといっぱいしたい」
ビクンと跳ねた身体に手を回して、至近距離でにっこりと笑った。
「ゼシカもだよな?」
否定なんかできないことを知っているのだから、完全にオレの勝ちだ。
スイッチを入れてきたのはゼシカであって、オレじゃない。それは今さら変えようのない事実。
弱味、握っちゃったぜ?
「……開き直ったわね………このバカリスマ…!」
ゼシカは嵌められた、とでもいいたげに悔しげに呟いたが、口元にはほんの少し笑みが漂っている。
「お前のおかげで、な。ゼシカも開き直っちゃおうぜ?なんかオレ今、すっげー清々しい」
「バッカじゃないの!?」
「いいじゃん、好きなんだから」
ぐっと声を詰まらせて、ゼシカはオレから目を逸らした。…バカ、と小さく呟いたあと、
しばらくしてからもう一度見上げてきた視線には、明らかに「誘惑スキル」が宿っていた…

「―――いいわよ…。………私をおいて先に寝ないで…一緒に朝まで楽しいこと、しよ…?」


潮時。っていうか、降参。やっぱりコイツ小悪魔だ。オレ、これから先ものすごく苦労しそう。
……もちろん、幸せな苦労を。


続き→翌朝



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最終更新:2009年09月05日 11:13
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