ぬくもりの正体1




                   ☆
ポルトリンクの船着場のベンチに腰掛けて、ゼシカはボンヤリと海を眺めていた。
船が着く時分に仕事の手を止め港まで散歩に出ることは、
既に生活のリズムになってしまっている。
降りてくる人々の中に、無意識に銀髪を探すことも、だ。

あの男はルーラが使える。キメラのつばさだってある。
初めての土地ではないのだから、なにも船で来なくてもいいのだ。

分かってる、そんなの。
ゼシカは心の中で呟く。
来る気になればいくらでも方法はある。
…そう、来る気に、なれば。

分かってた、そんな男だって。
そんな男だと分かってるのに、待ってしまう。期待してしまう。
逢いたくて、逢いたくて、壊れてしまいそうな自分に
ゼシカは気付いてしまった。


トローデンでの別れ際、その男は真顔でゼシカに聞いた。
逢いに行ってもいいか、と。

あまりの真剣さに気後れしたゼシカは思わず、一体何しに来るのよ!と、
つい切り返してしまった。
その男は表情を変えずに…いや、なおさら表情を引き締めて、
用がなきゃ逢いに行っちゃダメか?と聞いて、
左手で、ゼシカの右手を取った。
咄嗟に、メラを打つのを防いだのだと思ったゼシカは、
捕らえられた右手に恭しく口付けられて驚きのあまり動けなくなった。

愛してる、ゼシカ。二人で暮らそう。

まるで呪文の詠唱の様に想いを込められたその台詞に、
吸い込まれそうな美しい瞳に、長い間保ってきた均衡は、
観念するように崩れ落ちた。

一度だけ交わしたキス。

なんか緊張した、と笑ったククールの笑顔がゼシカの心に焼き付いて離れない。
身の回りの整理をして、すぐに行く、とその男は言った。

ゼシカの時間は…それから止まってしまった。
すぐに来るはずだった男、ククールは、2ヶ月経った今も、今日も、現れない。

ポルトリンクの海は、小春日和の空の下、ゼシカの心を映し出すように、
押しては、返した。

「…ナーン…ニャーン」

ゼシカがはっと我に返ったのは、鳴き声と同時に、
ブーツに何かが擦りつけられたからだった。

「…あら…猫」

ベンチに座るゼシカの足首の辺りに、白っぽい猫が寄り添っている。
ちょっと見ただけでも、とても綺麗な猫だった。

「…ナーン」
「よしよし、どこの子かしら?」
ゼシカは身を乗り出して頭を撫でた。
すると白猫は目を細めて指先を舐めた。

「うふふ…あら。あなた白じゃないのね。銀色だわ」

首を伸ばして舐める仕草に、陽の光がキラキラと躍った。

かつて、毎日の様にその耀きに目を細めていたことがゼシカの胸をかすめ、
チリと痛む。

「…おいで」

痛みを振り払うように両手を猫の前脚の脇に差し込み、抱き上げた。

…え……?

「ククール…」

ゼシカと、猫は長い間見つめ合っていた。
ククールの瞳がゼシカを見つめていた。
深い、でも澄んだ、吸い込まれそうに美しいサファイアの碧。

「ニャーゴ…」

まるで案ずるかの様な鳴き声にハッとした。
瞬きをすることすらも忘れていたゼシカは、まぶたを閉じた時、
こぼれ落ちた涙に自分で驚いた。

「…びっくりした…。あなた…ククールみたいだわ」

猫相手に、まるでククールと再会したかの様な錯覚を起こしたことにゼシカは呆れる。

「まったく…私も重症ね。あいつのせいでいい迷惑だわ」

猫はなぜか目を逸らし、ナーォ、と鳴いた。


「はい、どうぞ」

扉を開けてゼシカは猫を床におろした。
猫はキョロキョロと部屋を見回している。

猫を抱いて、ねえ、この子の飼い主知らない?、と
街中を歩き回る羽目になったのゼシカは、風の向きがすっかり変わり、
そろそろ街灯に光が宿りはじめる頃に家に戻った。

ポルトリンクの小さな一軒家に住むゼシカに、母親も理解を示していた。
熱心に海運業の仕事を勉強する様子に、もう子供ではないと感じてくれたのか、
止めても無駄だと思ったのか。
数回使用人を手伝いに寄越したが、意外と家事にマメなゼシカに不要と判断したらしく、
ここ最近は誰も来ない。
結婚の話になると喧嘩になるのは相変わらずだが。

「ミルク、飲むかしら…」

ゼシカは指先をミルクに浸して猫の鼻先に近付けた。
猫は匂いも嗅がずにペロリと舐めた。

「あ、大丈夫みたいね」

嬉しくなったゼシカは皿にミルクを注ぐ。

「んもぅ…こっちよ」

皿のミルクに見向きもせず、指先を舐め続ける猫にゼシカは笑う。
無理やりミルクに向わせると、猫は仕方なしにミルクを飲みはじめた。

その様子が余りにもつまらなそうで、ゼシカは笑いが止まらなかった。

ゼシカは食事の支度を始めたが、ふと猫の姿が見えないことに気付いた。

「あら?猫ちゃん、どこ行ったの?」

探すと猫は部屋を次々と興味深そうに見て回っていた。
閉まっている扉の前では、碧い瞳でゼシカを見上げて、
ナォン、とドアを開けさせた。

「だめよ、ここは寝室なんだから」
「ナァン」
「入りたいの?仕方ないわね。でもベッドに上がっちゃだめよ、お風呂に入ってからね」
「ニャ」

言い付けどおりベッドには上がらない猫を見て、会話が成り立っている様で可笑しかった。

ゼシカはやおら猫を抱き上げ、その美しい瞳を覗き込んだ。

「綺麗な目の色ね…ホントにククールみたい…。でもククールって付けるとややこしいし…」

そこまで言って、ゼシカの表情が曇る。

「…別にいっか。どうせあいつはもう…」
来ないわよね、という言葉は飲み込む。

俯いて黙り込んだゼシカの頬を、猫が伸び上がってザラリと舐める。

「…うふふ…慰めてくれるの?」

笑ったはずなのに、猫には雨粒がパラリと降り注いだ。

「ナォーン」
「ごめんね…私、どうしたのかしら」

ゼシカは猫を抱いたまま座り込んでしまった。
両手で顔を覆ってすすり泣き始めたゼシカに、猫は体を摺りつけ続けた。

「ひくっ…クール…ククール…どうして…ひくっ…来てくれ…ないの…?」

泣き続けるゼシカを猫は心配そうに見上げて、ニャーン、と鳴いた。

「ごめんね、お腹空いたわよね?」

やがて落ち着いたゼシカは、猫を愛しげに撫でて聞いた。

「…あなたのこと、ククって呼んでいい?…あのね、私の好きな人、ククールって言うの。
彼も私のこと好きだって言ってくれて…でもね…気が変わっちゃったみたい」
「…ナーン」
「あなた、ククールに似てるわ。でもククールって付けたら…
もう会えなくなりそうな気がするの…。だからね、悪いけどククでいい?」
「ニャーン」
「いい?ありがと。いい子ね、クク」

ゼシカはククをそっと抱き締めて、また、少し泣いた。

ゼシカとククの暮らしは、そんな風に始まった。




タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2009年09月12日 02:56
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。