今まで、女のことを苦手だと思ったことはなかった。
甘え方が苦手だとか、鼻につく香水の香りが好きじゃないとか、
そういう意味の『苦手』とはまた違っていて。
「ククール? 起きてる? まだ寝ぼけてるんじゃないの?」
突然かけられた声に目の焦点が合う。
肌色の、細い指の隙間からちらちら青い空が覗く。
ゼシカが目の前で掌をひらひらと動かしているようだった。
「ん、ああ…起きてる」
そよそよと緩やかで心地いい風が頬を撫でる。
もうすぐ太陽が頭上に来そうな時間で、旅の一行は腹ごしらえも兼ねた休憩を取っている
ところだった。
ククールは一行とは少し離れた位置に立つ樹に腰を下ろし、一人何をするでもなしに、ぼ
ーっとしていた。
「何かオレに用かい、
ハニー」
「うん、剣の稽古に付き合って」
ククールのいつもの軽口に、呆れたような視線を向けたあと、気を取り直したようにそう
切り出した。
「はい?」
「だから剣だってば。 重い剣は使いこなせないから短剣だけど」
「……」
ホント変な娘だよ。
今までいろんな女を見てきたが、その誰とも全く違う。
自分に剣を教えろ、なんて言う女は初めてだ。
「それに、気晴らしにもなるでしょ?」
「なんの」
ゼシカは少しだけ沈黙を置いて、言葉を紡いだ。
「あんた、アイツのこと、考えてたんじゃないの?」
ゼシカを苦手だと思う、一番の理由。
それは、自分の心を見透かされていることだった。
彼女は他人の心にとても鋭い。
もちろん、それは自分とて例外ではなくて。
真面目で、感情にとても素直で、そしてその真っ直ぐな視線で心を射抜く。
彼女に対するイメージは、そういったものだ。
自分では本心を隠して振舞っているつもりでも、あっさり見破られるものだから、そんな
自分を虚しく感じるくらいだ。
自分の中のものをどこからどこまで知られているのかなんてわからない。
ゼシカには見られたくないような渦巻いた感情だって、ある。
だから時々、彼女に接するのが怖くなる。
自分の中を見られるのが怖くて。
今だってそうだ。
彼女の言う「アイツ」が誰を指しているのかなんて分かっていた。
「聖堂騎士団員の話じゃあ、サヴェッラに向かったみたいだしね。
向こうで会う可能性もそりゃあるけど……会ったらどうするの?」
「わかんね」
「そう」
彼女も深くまでは追及しなかった。
内心、ほっとした。
彼女は、苦手だ。
自分の心に、自分以上に鋭いから。
自分が気付かなかったことにも、彼女は気が付くから。
その印象は変わることがないと、そう思っていた。
ここに来てから幾日が過ぎただろう。
全てが虚ろで思い出せない。
今まで何があったのか、何を考えていたのだったか。
うっすらと色を帯びていく記憶を振り払う。
思い出すのがだるい、忌々しい記憶。
途端に辺りを包む闇に押しつぶされそうになる。
微かに動く感触で、隣に誰かがいるのに気がついた。
「……ゼシカ、か」
独り言のように、小さく零す。
隣で膝を抱えて、規則的な寝息を立てながら、彼女は眠っていた。
湿気混じりの空気、冷たくて硬い、土色の壁と床。
辺りを見回すと、まるで死体のように、床を枕に眠る人々。
少し離れた壁際に、背を預けて眠るエイトとヤンガスの姿も在った。
思い出したくない記憶を、それでも途切れ途切れに思い出す。
ククールたちがこの煉獄島に連れて来られたころ、彼女は何かと気に掛けてくれていた。
何も考えたくない、見たくない、酷く虚ろだった自分。
何を言うでもなしに、彼女はそんな自分の側にずっといてくれた。
彼女の頭が僅かに揺れる。
自分が起きている気配を感じたのだろうか。
ゆっくり顔を上げると、細く開いた目でククールを見る。
「……ククール?」
「ん?」
「…もう、大丈夫なの?」
「……。 …少しだけ、マシになったかも」
「そう、よかった」
寝ぼけているのだろう。
普段見せないような顔で柔らかく微笑むと、彼女はまた眠りに落ちていった。
彼女は何だかんだ言って、構ってくれる。
それはきっと無意識に、彼女の性分がそうさせるのだろう。
いつも自分の軽口に、眉間に皺を寄せて反発ばかりする彼女だけど
自分が本当に不安なときは側にいてくれることに気づく。
サヴェッラであいつを見かけた時だってそうだ。
ふと気が付くと、心配そうに自分の顔を覗きこむ彼女の姿があった。
全て自分の心を悟られた上での行動だったがゆえに、それを苦手だと思っていた。
しかし、それは確かに自分の心を落ち着かせてくれたことを思い出す。
今も、そう。
張り詰めた身体に、空気が満ちていくのを感じる。
彼女の、自分にはない真っ直ぐな心に救われることだってある。
広い砂漠の小さなオアシスのように、自分の闇の中でそれは小さな光でしかないけれど、
苦手なだけではない、それは、自分を安心させる場所。
ありがとう、と彼女に届かないような声で零して、
起きている時には絶対触らせてもらえないだろうやわらかな髪に、そっと触れる。
考えなければいけないことは、まだ沢山在る―
最終更新:2008年10月22日 19:21