もしも君が死んだら 前編



ククールが死んだ―――
そんな知らせが届いたのは、彼がゴルドに発った翌日のことだった。

「…ゼシカ、とりあえず僕たちは起きてるから。何か知らせが入ったらすぐに知らせるから、
君はちゃんと寝るんだよ」
小さな部屋の真ん中で椅子にぽつんと腰かけ、テーブルに重ねた手を乗せたまま
身じろぎひとつしないゼシカに、エイトは小さくため息をつくしかなかった。
すぐに闇が訪れて、この部屋は真っ暗になるだろう。エイトはランプに火を点けて、扉を閉めた。
―――ゼシカの瞳には、何も映っていなかった。

マルチェロとの戦いの後。
しばらくの間、ククールは心を整理する時間を必要とした。
仕方のないことだった。時だけがすべてを解決すると本人も仲間たちもすでに知っていたから、
時折上の空になる自分に苦笑したり、仲間にさりげなく背中を叩いてもらったりしながら、
少しずつククールは最後の決戦に挑むための気概を取り戻し始めていた。
そしてその間、彼のそばにずっと寄り添えたのは、唯一ゼシカだけだった。
ククールが望んだわけではない。ゼシカもそれを強要したわけではない。
頻繁に言葉を交わすことも、特別に触れ合うこともなく、ただ、そばにいた。
ただの仲間ではなく、ましてや恋人同士なんかじゃ決してない。
かけがえのない存在。今はただそれだけで、2人は満足だった。

「…あんな大惨事起こしやがって、あの…馬鹿」
ククールが無表情に呟いたのをゼシカは聞く。
「…どれだけの人が犠牲になったと思ってんだ…」
ゼシカはそっと彼に近寄り、テーブルの前から彼の顔をのぞきこんだ。
「行ってみたら?ゴルドに」
「…なんで?」
「今でもたくさんの人がケガに苦しんでるのよ。アンタの回復魔法、こういう時にこそ使うべきなんじゃないの?」
目からうろこが落ちたように、ククールは彼女の顔をまじまじと見つめた。
「気分転換にもなるでしょ。行って、あの人がしでかしたこと、もう一度しっかり心に刻み込んでくればいいわ。
 …二度と後悔しないように、ね」
次の日、ククールはエイトに決戦までの日をもう少しだけ伸ばしてほしいと頼み、ゴルドに向かった。
ゼシカは共に行かなかった。お互いそんなやり取りもせず。
「若くて可愛い女の子だけじゃなくて、ちゃんと老若男女分け隔てなく治療するのよ」
「おっと、釘刺されといてよかったぜ。まさしくそれが目的になるとこだった。さすがゼシカ」
「バカ。……いってらっしゃい。アンタも、十分気をつけてね」
「あぁ。行ってくる」
それだけのそっけない別れ。それだけで全てが通じ合っていた。


ゴルドで突然地盤が裂け、その場にいたククールが裂け目に飲み込まれた――
そんな知らせが入ってきた一行は真相を確かめるためすぐに現地に向かったが、危険すぎるため
ゴルド一帯はすでに全面立ち入り禁止になっており、関係者のエイト達も例外なく締め出された。
ただ、回復魔法でケガ人を癒し続けていたククールという青年が巨大な大地の裂け目に落ちたというのは
事実であり、捜索救出に全力をあげている…ということだけしか知らされなかった。
もちろん反発――とくにゼシカはとにかく中に入れろと本気で抗議したが、
これ以上“犠牲者”を増やすわけにはいかないと、相手も絶対に譲らなかった。
仲間達には、それ以上どうすることもできなかった。
自ら確かめることも助けに行くこともできないのなら、あとは無事を祈るしかない。
「絶対にそんなのウソよ、アイツのことだもの生きてるにきまってるわ、そのうち何事もなかったように
ひょっこり帰ってきて、へらへら笑って適当に謝るのよ、あぁもう中に入れたら私が直接行って
探してきてやるのに!そして思いっきり殴ってやるんだから、ホント世話ばっかりかけて…ッ!!」
ずっと、ずっと、飽きることなくククールの悪口を言い続けながら、ゼシカはゴルドの壊れた入口に張られた
バリケードの前から動かなかった。何時間も居座り続け、陽が落ちてきた頃には
ゼシカはもう一言も発さず、拳を握りしめてじっと地面をみつめるばかりだった。
エイト達が半ば強引に彼女を宿に連れ帰る時、周囲のヤジ馬たちは口々に、
落ちた青年の生還は絶望的だろうと囁きあっていた――

その日から、長い長い数日が過ぎた。
ただ待ち続けることの辛さに、全員が精神の限界を感じ始めていた。中でも。
「…ゼシカが、このままじゃもたないよ。薬でも飲ませて無理やりにでも眠らせないと」
「ほとんど飲まず食わずでろくに寝もしねぇんじゃあ、あんな細っこい身体すぐにイカレちまいやすぜ…」
エイトとヤンガスはため息をつく。
何もできないというのはこうも苦しいものか。それは、彼女に対しても同じだった。
エイトは血が出るほどに拳を握りしめ、床を見つめて呟く。
「――…死体もないんじゃ、信じられるわけないだろ…バカククール…!!」
信じられないのではなく、信じたくない。彼は絶対に生きていると信じられるのは、
今ここに彼の姿がないからこそ。それだけの根拠のない希望にすがるしかないのだ。
大地の裂け目に落ちたとすれば、亡きがらなど見つかるわけはない…
エイトは消しても消しても浮かんでくるその思考を打ち消し、じっと扉を見つめた。
今にも「ひょっこりと」あの銀髪の色男が帰ってきそうな気がして。

              *

柄にもなく緊張しながら、ゼシカがいると言われた部屋の扉をコンコンと叩く。
返事はない。もう一度だけ叩いてしばらく待ち、静かに扉を開いた。
あまりにも暗い部屋。今夜は月すら出ていない。窓と家具の形がぼんやりとわかる程度で、
人の気配すら感じられない。本当にいるのだろうか?
「…ゼシカ?」
緊張のためか妙にかすれた声が出る。手探りでランプを見つけ出し火を点けると、ようやく室内が見渡せた。
…ゼシカは、居た。窓際の椅子に座り、テーブルに突っ伏して身動ぎ一つしないで。
眠っているわけじゃないのは、どこも弛緩していない身体の線を見れば一目瞭然だった。
こわばった細い肩。交差した腕に食い込む震える指。テーブルの隅には追いやられた食事。
いつもの元気なツインテールではなく、乱れた長い髪が机上に広がっていた。
さっきの呼びかけは聞こえなかったのだろうか。
「………ゼシカ」
反応は、ない。
足音を立てるのもなぜかはばかられ、躊躇しながらも、ゆっくりゆっくりと、彼女の背後に立つ。
「……ゼシカ」
今度はもう少しはっきりと、本人に対して呼びかける。
彼女が伏せた頭を小さく横に振った気がした。…聞こえている。
「ゼシカ…ごめん。心配かけた」
もっと近寄り少しかがんでみるが、やっぱりゼシカは顔を上げない。
「…なぁ、怒ってんのか?謝るから、顔、見せてくれよ…」
急激に不安になり懇願するように告げると、今度こそゼシカは大きく首を振って
ますます小さく身を縮こませ、己の腕の中に顔を埋めた。決して顔をあげようとはしない。
途方に暮れ、しゃがみこみ床に膝をついて、うつ伏せたままの彼女を見上げた。
―――意を決し、剥き出しの細い肩に手を伸ばす。どうしてこんなに緊張するのか自分でもわからない。
きっと、彼女が今にもバラバラに壊れてしまいそうに見えるからだ…
指先が、肩に触れた。冷たく冷え切った肩。ゼシカが確かにピクリと反応する。
「ゼシカ」
祈りを込めて名を呼びながら、勢いのままに力を込めて肩を揺すった。
―――その瞬間。
ガバッ!!と。
唐突に顔をあげたゼシカの目と、彼の目が間近でぶつかった。
「―――――ッ…。……わるい。驚かせたか…?」
「…………」
慌てて肩から手をどけ、目を見開いて無表情に自分を見つめるゼシカを見つめ返す。
ゼシカは妙なほどじっと、ひざまずき自分を見上げる彼の顔を凝視した。
やたらと長く感じられる沈黙が過ぎて、やがてゼシカがポツリと言葉を落とした。
「……………………ク…ル?」
「…あぁ。ちゃんと帰ってきたぜ」
「……ククー…ル…?」
「ごめんな。心配かけたよな。でもなんとか、生きてるからさ、この通り」
「…………ぅ、そ」
「ウソじゃねぇよ」
ゼシカの目に映る“ククール”が、困ったように笑う。
そしてゼシカに向かって大きく腕を広げた。
「なんなら、抱きついて確かめてみる?オレならいつでも大歓げ――…うわっ!」
その言葉を待たず、ゼシカは椅子から飛び降りるようにククールの頭に抱きついた。
ククールは尻もちをつきながらほとんど押し倒されるような態勢で、ゼシカの身体を受け止める。
小さな身体は冷たかった。そして震えていた。
ゼシカはククールの胸に顔をうずめて、彼の名を何度も呼ぶ。そしてククールはそのひとつひとつに答えた。
やがて叫びは嗚咽に変わり、涙がククールのシャツをまたたくまに濡らしていく。
「…っひ、あ、く、ククール…ッ、クク、クク…ッ!!ううぅうぅ…っ!…うわぁああ…っ!!」
「ゼシカ…ごめん、ゼシカ…ごめんな。…ごめんな…」
彼女の激しい嘆きに驚きながら、それをこの上なく嬉しく感じ、ククールは思いのままに力を込めれば
今にも壊れてしまいそうな小さく細いその身体を、できうる限りの優しさで抱きしめた。
冷たい床に座り込んだまま、2人は気のすむまでそうして抱き合い、お互いの存在を確かめあっていた。

                     *

少しゼシカが落ち着いたのを確かめて、ククールは彼女の頬に手をかけて顔を上げようとした。
しかし、ゼシカはかたくなにククールの胸に顔を押し付けたまま、シャツを握る指を離そうとしない。
「…ゼシカさん。顔、見たいんですけど」
困ったように言ってみるが、思った通り無言で顔を横に振るばかりだ。
そりゃあまぁ、これだけ泣きじゃくったわけだから、ひどい顔であることは確かだろう。無理強いはすまい。
ゼシカのかすれた声がくぐもってククールの耳にかろうじて届く。
「……ほんと、に、…帰ってきたの…?」
「あぁ。ここにいるのは正真正銘本物のカリスマ騎士ククール様だぜ?」
「ほんとに…?」
「ほんと」
「……」
何がそんなに不安なのか。ゼシカはククールの背中に腕を回してぎゅっと力を込める。
ククールは、さっきからあまりに意外なゼシカの行動に思わず赤面してしまう。普段の彼女からはとても
想像できない、まるで小さな子供のようだ。しかしそれほどに心配させてしまったのかと思うとたまらず、
ククールは彼女の丸い後頭部を優しく撫でた。
「もう安心していいから…本当にごめんな…」
また、胸の中で小さな嗚咽が聞こえ始める。
そしてそれが聞こえなくなった頃、ククールが少し身体を離してみると、ゼシカは彼に抱きついたまま
眠っていた。もしかしたら、気が抜けて気を失ったに近いのかもしれない。それくらい彼女の顔は疲れていた…
「……ごめんな、ゼシカ」
胸が痛み、心から謝罪して、軽い身体を静かに抱きあげベッドに寝かせる。
かわいそうに。ろくに食べもせず、眠れもしなかったのだろうと容易に想像がついた。
こんなにも想われていることが、ククールには歯がゆかった。信じられない気持ちだった。
それでも、彼女の存在を神に感謝せずにはいられなかった。
―――ふと、ゼシカの握りしめられた手の中に鈍く光るものを見つける。
そっと指を開かせると、そこにあったのは“騎士団の指輪”だった。
ククールは苦しみにも似た表情で指輪ごとその手を握った。何も、言葉にできなかった。
広がる赤い髪をなでつけ、前髪をよけると、おでこにキスをする。
頬に残る涙の跡が痛々しくて、そこにも口唇を這わせ、塩味のするそれを…舐めとる。
深く考えないまま口唇にも口付けようとして、ハッと留まった。
(…どさくさにまぎれて)
自分自身にあきれ、どうせキスするなら起きてる時がいい、と言い訳して、ククールは立ちあがった。
これ以上こうしていたら、無防備に眠る彼女に何をしでかすかわかったもんじゃない。
置いていくのは少し躊躇したが、ククールは引かれる後ろ髪を振り切って、静かに部屋を出た。





タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2009年12月03日 02:22
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。