『Honey for My Honey』
「オレは僧侶じゃなかったのか?聖堂騎士団員ククール?」
ベッドサイドに腰掛け、聞こえないくらいの声でククールは自嘲の言葉を吐く。
目の前のベッドにはゼシカが横たわっていた。
暗黒神が封じられた杖の呪縛から、ゼシカの命を失うことなく解放できたことは幸いだった。
それは分かっているつもりだ。ドルマゲスの時は殺すことでしかそれが叶わなかったのだから。
しかし、心身共にやつれ果て眠り続けるゼシカを見ていると、自分にもっと何かできたのではないか?とククールは思わずにはいられなかった。
ハワード邸の庭で杖に呪われたゼシカと相対した時、ククールは後悔した。
僧侶が修行を積んで身に付ける技能には様々なものがある。
蘇生術や毒の治療術が代表的なもので、これらは教会を訪れる旅人に神父が施すものでもある。
しかしその中に、ククールには扱えない術があった。
それは、呪われた装備の解呪をする術。
もっと真面目に修行をしていれば、あるいは修得できていたかもしれない。
ゼシカと戦わずして、その手から杖を離させる事ができたかもしれなかったのに…。
「サボっていた事を今更後悔しても仕方ないよな。今のオレに出来ることは、このくらいか…」
フッ、と苦笑してそう呟き、ククールは腰に下げていた剣を外して背後に放り投げた。
剣を持っていては自分自身に感じられることが少ない痛みを、この手で受け止めよう。
これからゼシカに与えてしまうであろう苦痛を、せめて共有したい…。
そんなククールを見てエイトとヤンガスは驚きの表情を見せたが、その一瞬後には二人ともククールの意図を悟ったようで、それぞれ背負う武器を同じように背後に投げ捨てた。
三人は互いを見合い、無言で頷く。
そうして、今に至った。
「…いい奴らだよな」
ククールは手袋越しに、戦いの余韻が残る拳をさすった。
ゼシカは相変わらず眠り続けている。
その肌には血の気が無く、燃えるような緋の髪からも、さくらんぼのような唇からも、いつもの艶は失われていた。
あまりに痛々しいその姿を見て、ククールは眉をひそめる。
ただ見守っているだけだなんて耐えられない。
何でもいい。今の自分に何か出来る事はないのか?
「
おとぎ話だったら、眠り姫はナイトのキスでお目覚めになるんだけどな」
呟きながらククールは、やや乱れていたゼシカの毛布を整えた。
(…そういや、最近誰ともキスしてないよな)
いつからだ?と記憶を手繰るまでもない。そう、この旅に出てからだ。
町で女の子に色目使おうものなら、間髪を入れずに風紀係殿から容赦のない罵倒が浴びせられるのだ。
「何してるの!?物見遊山でここに来てるわけじゃないのよ!」
と。
いつもそれで調子を狂わされてしまっていた。
修道院を抜け出し、ドニの町で気ままに遊んでいた時は挨拶代わりという程だったのに。
「やあ、今日もキレイだね」
と言いながらバニーの頬に軽くキス。
「ありがと。今日も楽しんでいってね」
と腕を回してククールを座席に誘うバニー。
「いつデートに誘われてもいいように、私には元気のもとがあるのよ」
うふふと笑いながらバニーがそう言っていたのを、ふと思い出した。
(…元気のもと……)
「休める時に休んどいた方がいいでげすよ」
看病の交代に来たヤンガスにそう言われたが、ククールの耳にその言葉は入らなかった。
「すぐ戻るから。その後で休ませてもらうさ」
ククールはルーラを唱えてドニの町に降り立ち、脇目もふらずに酒場に入った。
「もうもうもう!来るなら来るって言ってよ!今日、お化粧手抜きなんだからっ!」
一階で客の相手をしていたバニーに目ざとく見つけられ、問答無用でカウンターに連行される。
こういった歯に衣着せぬ物言いや接され方がククールには心地よかった。
「プロなら手抜きはいけないんじゃないのかい?」
「もぉ~。ククールは特別なのよ!」
「またまた、嬉しい事言ってくれるじゃないの」
ククールはそんな軽口を叩きながら、出された酒を口にした。
飲みたい気分ではなかったが、ここに来て飲まないわけにもいかない。
ましてや、これから頼み事をするのだから。
そんな状態でひとしきりバニーの質問攻めに応じ、ククールはようやく切り出した。
「あのさ。前話してくれた元気のもとのハチミツを分けてもらえないかな?」
「え?ククールってばお肌の曲り角なの?」
飲んでいた酒が気管に入り悶絶してしまった。
「ちっ…ちが…オレじゃ…な、…ぃ」
「ごめん、だいじょぶ?」
「…な…なんとか」
「でもククールも顔色あんまり良くないよ?疲れてるんじゃない?」
「オレはいいんだ。仲間が…ちょっと…」
ククールはまだ呼吸が苦しいようで、ところどころ言葉が途切れる。
「…で、分けてもらえるかな?今ここでオレに出来る事なら何でもするからさ」
咳き込むククールの背中をさすりながら顔を覗き込んだバニーは、しばし絶句した。
その語気とは裏腹に、瞳の光があまりに切実だったのだ。
「いいわよ。他ならぬククールの頼みだものね」
「ありがとう。恩に着るよ」
ふう、と、ククールは息をついた。バニーはその顔を再び覗き込む。
「ねぇ。ククールの頼みを聞いたんだから、今度は私のお願い聞いてくれる?」
「あ…ああ。給仕でも皿洗いでも、何でもするよ」
真面目な顔でそう答えるククールに、バニーは噴き出した。
「準備ができるまでの間、そこで飲んでてくれればいいわ。売り上げに貢献してちょうだい」
ククールが待たされたのは時間にして30分くらいだっただろうか。
バニーはカウンターの中のかまどを一か所占領して小さな瓶を煮沸消毒し、そこにハチミツを移し替えてククールに渡してくれた。
「ありがとう」
「今日はもう行っちゃうのね」
「ああ。また来るよ」
「またね。約束よ」
それじゃ、と手を振り、ククールは酒場を後にした。その直後。
ドゴーン!!と、外で派手な衝突音が鳴り響いた。
「なっ…ククール!!?」
慌ててバニーが外に飛び出すと、ククールの姿は既にそこには無かった。
「ふぉっふぉっふぉっ」
テラスを指定席にしている常連客の老人は笑いながらバニーに言った。
「あれはあれなりに苦労してるようじゃの。ま、結構なことじゃわい」
ルーラでリブルアーチに戻ったククールは、着地をも失敗してエイトに激突してしまった。
何でそこにいやがるんだよ…と思ったが、馬車の様子をこまめにエイトが見に来るのは、ククールがこの一行に加わる前からのエイトの日課なので仕方が無い。
後頭部やら肘やら膝やら、とにかく身体のあちこちが痛かったが、そんなことはどうでもいい。
エイトの肩を借り、急いで宿屋に向かう。階段の多さと宿屋の位置にククールは苛立った。
一刻も早くゼシカの所に行きたいというのに…。
ようやく宿屋に辿り着くと、ヤンガスに出迎えられた。
ゼシカはベッドに起き上がっており、見ると少し食事を取れたようだった。
着地失敗をエイトが暴露して笑い者にされてしまったが、まぁいいか、とククールは思った。何よりゼシカの笑顔が見られたのだから。
失敗談が一息ついたところでエイトとヤンガスにはご退場願って、ククールはゼシカのベッドサイドに座った。
「お酒くさっ!」
全く、一言目からこのお姫様は容赦がない。
が、これがゼシカらしさでもあるので、ククールは安心した。
「参ったな。そんなに匂うか?」
事の成り行きで酒を口にはしたが、大した量は飲んでいない。
もしや、咳き込んだ時にでも服に付いたのか?
試しに袖口やケープの匂いを嗅いでみたが、よく分からない。
「ばっかじゃないの?飲んだ本人には分からないわよ」
そういうものなのか、と、感心している場合ではなかった。
…ヤバい。
これは、明らかに腹を立てている状態だ。
ゼシカが冷めたスープの皿を抱えたままだったので、ククールはとりあえずそれを片付けた。
酒くさい事だけで咎められるのなら、それは筋違いだ。
酒を飲む事こそがハチミツを分けてもらう為の交換条件だったのだから、やましい事ではないはずだ。
「ドニの町へ行ってきたんだ」
そう言いながらククールは、今度は奥のベッドに腰掛ける。
「知ってる。ヤンガスが教えてくれたわ」
ヤンガスの奴、余計な事を…。
とククールは思ったが、続くゼシカの言葉で全てを理解した。
「バニーさんたちは元気だった?」
これは、嫉妬だ。
途端にククールの悪戯心に火がついた。
「ああ、元気だったぜ。その元気を分けてもらいに行ってきたんだ」
「はぁ?」
嘘は言っていない。
いや、それどころかこの上無く正直に状況を説明しているのだが、慎重に言葉を選んだ成果で誤解に拍車がかかったようだ。
「おかげでこんなに飲まされちまった。まったく、酒酔いルーラなんてやるもんじゃないな」
これも本当の事だ。
ゼシカはしばし呆然とした後にため息をつく。
「ふーん、良かったじゃない。元気を分けてもらえて」
そう言ってそっぽを向いてしまった。
(…さてと。悪戯はこのくらいにして、そろそろ本題に入らなきゃな)
見られていないことを幸いとばかりにニヤついていたククールは、ゼシカに気付かれないようにそっと深呼吸をした。
素早く気持ちを切り替える。
「あのさ。目、つぶっててくれないか」
「なっ…なんでよ?」
向き直ったゼシカは、いつになく真面目なククールの表情を見て動揺を隠せない様子だった。
普段の気力が発揮できないせいもあっただろうが、何しろ目の前の男…ドニの町でその名を轟かせていたククールの表情作りは半端なものではない。
この顔で女もギャンブラーも、数えきれないほど翻弄してきたのだ。
戸惑うゼシカの様子を見てククールは内心ほくそ笑む。
しかしその表情はもちろん、髪の一筋すら乱れることは無かった。
「秘密。すぐ分かるけどな」
ゼシカは思いのほか素直にククールの要求に応じ、その瞳を閉じた。
ククールは手袋を両手とも外し、腰掛けていたベッドに置いた。
ポケットから小瓶を取り出し一瞬悩んだ後、左手の中指でハチミツをすくう。
自分の側に向き直らせようとゼシカの顎に指をかけたククールは、その肌の予想以上の冷たさに驚いてしまった。
肌は未だ青白く、指先には微かな震えが伝わってくる。
「なっ…なにす…」
「動かないで、そのまま」
ゼシカの唇を人さし指で制し、ククールは暫しの間ゼシカの姿を見つめた。
自分よりはるかに華奢なその身体で暗黒神の強大な力を耐え切ったゼシカ。
彼女の兄は七賢者の末裔で、封印を継ぐ者であったがために殺されたのだと言っていた。
その兄と同じ血を持つゼシカもまた紛れもない賢者の末裔なのだ。
賢者の末裔…。
その存在の何と大きい事だろうか。
出会いの時に言ったこの言葉。
あの頃は誰にでも言えた言葉だった。
それがいつの間にか、ゼシカにしか言えない言葉になっていた。
この言葉がこんなに重くなるとは、夢にも思わなかった。
まさか賢者の末裔の騎士を志願したことになっていようとは…。
ククールは左手の中指でゼシカの唇にハチミツをそっと撫で付けた。
強くなろう。
この言葉に負けないように。
ゼシカを二度とこんな目に遭わせないように。
この先ゼシカがその内に秘めた才能を存分に発揮できるように。
そして、二度と後悔をしないように…。
役目を終えた中指をククールは軽く口に含み、静かに目を伏せる。
…今は、これでいい。
そしていつの日か、この旅の目的を果たした後。
その時には全ての想いを込めて、ゼシカの唇にキスを贈ろう。
ククールはその想いを胸の内にしまい込み、ゼシカに呼びかけた。
「もういいぜ」
~ 終 ~
最終更新:2008年10月23日 11:52