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妻子ある年上の男、公平との関係を断ち切れずに悩んでいる29歳の絹子。元バイト仲間の女の子、聖は、そんな絹子を密かに愛していた。
不倫を描いた作品。今なぜ不倫なのだろう。結局描かれていたのは「寂しい女」の姿だった。これは余りにも当たり前な展開に思えてむしろ不思議だった。
ほほえましい人間関係。主人公の女性とその不倫相手が作る穏やかなテンポ。冒頭の深い冬の林を望む芝山で寝転がる二人。そこでの世界は、「はかなさ」の裏返しのように存在していた。それは「うしろめたい」という思いが何の結末をも導かず、ただ先送りされたそれによって、刹那的に支えていく時間を示している。
寂しさを癒す、望まれない恋人の存在もありがちな展開だ。しかしこの映画でのそれは「女性」だった。思えば不倫相手役の小日向文世は「非パランス」でのオカマ役などで知られている「中性的」な雰囲気を持つ俳優だ。そう思うとこれらの恋愛に、本来的な男女の性差を感じさせているものは不倫という関係性でしかないように思える。描き方もいたってドライだ。
しかしそう言った「曖昧性」によってやはり浮かびあがってくるのは、部屋にこもった女性の「濃密さ」と言おうか・・・無制限にそれを煮詰めていく姿である。男性にはそんな濃さは感じられない。女性特有ではないだろうか。絹子を愛する元バイト仲間の女の子・聖の姿。そして彼女が絹子と壁一枚隔てた空間で深めていく時間。その二つがとても質量の大きな存在感をともなって、映画の中で鮮明さを増す。男ははたして存在していたのだろうか。最後の夢のように、作られた世界の一部でしかない。そんな小ささを感じて、少し寂しい気持ちになった。
ところで次週のイメージフォーラム特集はタルコフスキー。なんと初日夜には阿部和重と中原昌也のトークショ!あり。ウーン。なんとしても行きたいのだけど・・。
2002.10.13k.m