歌意考・おのれいと若かりける時

おのれいと若かりける時、母とじの、前に古き人の書けるものどものあるが中に、かぐ山を、「いにしへの、事はしらぬを、われみても、久しくなりぬ、あめの香具山、」子のもろこしへ行くを、其はゝ、「旅人の、やどりせむ野に、霜ふらば、吾子はぐくめ、あまの鶴群(つるむら)、」つまのいせのみゆきの、大御供なるを、「長らふる、つまふく風の、寒き夜に、わがせの君は、ひとりかぬらむ、」つくしよりのぼるとき女に別るとて、「ますらをと、思へるわれや、水ぐきの、水城(みづき)のうへに、泪のごはむ、」題しらず、「したにのみ、戀ればくるし、紅(くれなゐ)の、末摘花(すゑつむはな)の、色に出ぬべし」、ものがたり、「ある時は、ありのすさみに、語らはで、戀しきものと、別れてぞしる、」たび、「名ぐはしき、いなみの海の、おきつ波、千重にかくりぬ、やまとしまねは、」「あはぢの、ぬしまが崎の、濱風に、妹がむすびし、ひもふきかへす、」など(猶イ) いと多かり。こをうちよむに、刀自のたまへらく、近頃そこたちの、手ならふとて、いひあへる歌どもは、わがえよまぬおろかさには、何ぞの心なるらむもわかぬに、此いにしへなるは、さこそとはしられて、心にもしみ、となふるにも、やすらけく、みやびかに聞ゆるは、いかなるべきこととか聞きつや」と。おのれもこのとはするにつけては、げにと思はずしもあらねど、くだれる世ながら、名高き人たちの、ひねり出し給へるなるからは、さるよしこそあらめとおもひて、もだしをる程に、父のさしのぞきて、「たれもさこそ思へ、いで物ならふ人は、いにしへにかへりつゝ、まねぶぞと、かしこき人たちも、教へおかれつれ」などぞありし、俄に心ゆくとしもあらねど、「うけたまはりぬ」とてさりにき。とてもかくても、其道に入り給はざりけるけにやあらむなど覚えて、過にたれど、さすがに親の言なれば、まして身まかり給ひては、文み歌よむごとに、思ひ出られて、古き萬のふみの心を、人にもとひ、おぢなき心にも、心をやりて見るに、おのづからいにしへこそと、誠に思ひなりつゝ、年月にさるかたになむ、入りたちたれ。しかありて思へば、先にたちたる、さかしら人にあともはれて、遠くわろき道にまどひつる哉。しらぬどちも、心靜にとめゆかば、中々によき道にもゆきなまし。歌よまぬ人こそ、なほき古しへ歌と、くるしげなる後のをしも、わいだめぬるものなれと、今ぞまよはし神の、はなれたらむ心地しける。






1990年・奈良女子大学
冒頭部「おのれいと若かりける時、母とじの、前に古き人の書けるものどものあるをうちよむに」と短縮

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最終更新:2015年06月14日 10:15