■NHK国際放送で起きた大失態!
■本題
満州事変から支那事変に至る「日中歴史問題」全般については、
中国はなぜ反日か?
を参照願います。
ここでは「南京大虐殺」に焦点を絞って説明します。
「南京大虐殺」については、
(1)現在では、中国や朝日系・毎日系メディアの主張する(かって主張していた?)「30万人虐殺」説については、もは
や信じる者は国内では少ないものと思われます。
(2)問題は、規模はずっと小さいが通常の戦闘行為とは別に数百人から数万人規模の市民虐殺があった、とする説です。
保守派の一部や当サイトの閲覧者にも、この説を信じ込む者が相当数見受けられます。
(3)更に、"日本は中国に侵略戦争を行ったのだから、事実関係や人数に関わらず日本は中国の言い分を(事実とは限ら
なくとも)無批判に肯認せよ"とする論調もあります。現在の朝日系・毎日系メディアの基調はこちらと思われます。
以下、史実に即して(2)及び(3)の当否を論証します。
1.「南京」までの経緯:支那事変(日中戦争)は侵略戦争だったのか
◆「侵略」か「侵攻」か・・・まず言葉の定義から
①侵略…他国の領土に侵入してその領土や財物を奪いとること(例:侵略戦争)[広辞苑]
= aggression…the action of attacking without provocation[ODE] (挑発によらない攻撃行為)
②侵攻…他国または他の領土を攻め侵すこと。侵犯[広辞苑]
= invasion…an unwelcome intrusion into another's domain[ODE] (他国の領域への招かれない侵入)
◆支那事変(日中戦争)は中共の陰謀工作で勃発(侵略戦争ではない)
支那事変に至る過程を丹念に調べると、共産党の延安移転後に連続して不可解な事件が起きている事が分かる。
①共産党討伐を優先し満州国を半ば容認していた蒋介石の国民政府と、②事変不拡大方針のはずの日本が、何者かによって無理やり戦争に引きずり込まれていった様子が下の年表から伺える。
1 |
昭和11年(1936) |
10月 |
共産党延安に移転 |
蒋介石の討伐を避けるため、江西省瑞金から陝西省延安に移転 |
2 |
|
12月12日 |
西安事件 |
共産党討伐軍督励のため西安に入った蒋介石が、旧満州軍閥の張学良に拘禁され助命と交換に共産党への攻撃停止を呑まされた事件 |
3 |
昭和12年(1937) |
7月7日 |
盧溝橋事件
|
北支事変勃発(※但し日本は戦線不拡大方針) |
6 |
|
9月 |
第二次国共合作 |
12月7日には、国民政府(蒋介石)重慶に移転 |
※
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南京大虐殺の証拠としてショッキングな写真・映像がよく示される
が、時間・場所・人物の特定のない写真・映像をもって一方的に虐殺があったとするのは無理がある。
The Fake of Nangking(南京虐殺は捏造)
で分かるように写真・映像は、政治目的によって如何様にも捏造・改編でき、実際にも第一次世界大戦の頃から現在まで、対戦国同士、あるいは対立するマスメディア間で盛んに捏造写真・映像によるプロパガンダ合戦が展開されている。※参考:
レバノンでの戦闘におけるロイター通信のねつ造写真(MeineSache氏ブログ)
次に、NHK,TBS,朝日系メディア等で盛んに流される元兵士の証言のカラクリについて検証します。
この人はいわゆる「中帰連」運動家で 悪名高い「撫順戦犯管理所」で中共の思想教育を受け 帰国後一貫して日本の戦争犯罪を糾弾し続けている。
731部隊にも参加して 慰安婦性奴隷狩りもやって 南京大虐殺もこの人がやって コレラ菌や毒ガスもばらまいたと証言している
およそ史実とされる旧日本軍の戦争犯罪には すべて1枚噛んでいると言っていいほど証言している
入隊が40年なのに南京攻略が37年なのはご愛嬌「俺は全部やった!日本は謝罪しろ!」まさにスーパー日本兵
なにしろマスコミが旧日本軍の悪事について書きたいと思ったら みんなとりあえず結論ありきでこの人のところに行く。
そして金子が「俺たち日本軍はこんな悪事を働いた!」と証言し それが新聞や雑誌・TVで無批判に報道され それが海外にまで伝わり 「ほらみろ、やっぱりやってるじゃないか!」という外圧となる。
もう完全に出来上がった図式である。
スーパー日本兵金子安次
金子安次とは何者か?
ジャパン・タイムズが報じた「三光作戦」
都城23連隊(宮崎県)関係者に名誉毀損で訴えられ、敗訴して謝罪した朝日新聞
5.南京:夏淑琴事件
に関する考察
日本でも裁判になったこの事件についてはデリシャス冷珈琲氏が詳しい検証をされています。以下引用。
●検証
①賊が「なかに入れろ」と要求したら、馬氏が戸を開けた。
夏氏が犯人に懇願し馬夫人が犯人に質問しており、会話をしているのだから犯人は支那人。
②婦人が強姦された後、胸を銃剣で刺され、膣に瓶を押し込まれ、赤ん坊は銃剣で刺殺され、他の少女も刺殺され、膣に杖が押し込まれた…
犯行手口から犯人は支那人。
③戸を開けた者を直ちに撃ち殺す連中の前に別の者が跪いて他の者を殺さないように懇願したなんて有り得ない。
④8歳の子供が犯行日時は12月13日9~10時と認識し、更に14日間も経って記憶していたなんて有り得ない。
⑤事件後、向かいが日本軍の宿泊所になり、日本兵が家の庭を通る足音が聞こえる都度布団に隠れ、兵士達が毎日来て家から物を持って行ったのに、4歳の妹も泣き喚いたりせず二人で古シーツの下に隠れていたので発見されなかったなんて有り得ない。
⑥傷を負い這っていた8歳の夏淑琴が、銃殺された母の死体が横たわる部屋で、誰にも見つからず14日間も4歳の妹と生き続けたなんて有り得ない。
⑦12月1日に南京市長、12月8日に支那軍司令長官が、全市民に安全区に移るよう命令し、警察や支那軍による強制退去が行われ、12月13日には安全区以外の南京には誰も居なかった。
犯行は13日より前に支那軍か支那人盗賊が行った。
⑧仮に12月13日の犯行だとしても、南京は前夜から本格的な戦闘状態に突入しており、近所の連中が当該事件に恐れて避難したなんて有り得ない。
⑨安全区国際委員会のマギーが日本軍による犯行だと考えれば、現場の日本軍憲兵隊に通報しなければならなかったのに通報しなかった。
●結論
犯人は支那軍か支那人盗賊であり、犯行は日本軍が入城した12月13日よりも前に行なわれていた。
日本軍には、アリバイがあった(中略)
マギーの解説書によれば、当時8歳の夏淑琴は犯行日時を12月13日9~10時と証言していた。
しかし、12月13日9~10時に日本軍はまだ犯行現場に行き着いていなかった。
アリバイがあった以上、夏淑琴事件の犯人はやはり支那軍か支那人盗賊のだったことになる。
日本人は普通は中国語を全く話せません。簡単な文体と人称代名詞を覚えたあと筆談で中国人と意思疎通を図るのが普通です。検証①を読んだだけで、これは日本人の犯行ではないな、と分かるはずです。それから検証②は実際にあった虐殺事件「通州事件」を想起させます。
にも関わらず、南京市玄武区裁判所はこの犯行が日本軍によるとする一方的断定の下に東中野氏らに謝罪を求める判決を下し、なぜか日本での一審・二審も、それを踏襲する不当な判決を下しています。
弁護士出身の社民党党首や
元日弁連会長
の例を見るとおり、司法界における自虐史観の浸透振りも凄まじいと言わざるを得ません。国家の根幹に関わる由々しき事態であり、多くの国民がもっと関心を持つべきです。
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7.南京大虐殺に関する最新ニュース
(※このコーナーは別ページ南京大虐殺に関する最新ニュースを表示したものです。
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■参考
■自虐史観から完全に目覚めるために!セットで読む歴史解説ページ
最終更新:2025年06月19日 00:21