日韓併合によって朝鮮は救われた
金完燮(キムワンソプ)
(『親日派のための弁明』著者)
<目次>
初めに
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多くの日本人は
「日本は朝鮮を植民地にして悪いことをした」 「日韓併合を行い、朝鮮人を苦しめた」 「朝鮮の歴史を日本が奪った」 「ハングルも朝鮮の名前も奪った」 「日本は謝罪しなければならない」 「日本は侵略を反省しなければならない」 |
と学校で教わってきました。[要出典]
政治家もそう言うし、学校の先生もそう言います。
テストにもそう出るから、教わった通りに答えを書きます。
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でも、待って下さい。
同じく、日本は台湾を統治していました。けれど台湾からは、韓国のような主張が聞かれません。台湾では
「日本のおかげで台湾は発展した」 「当時の日本や日本人はすばらしかった」 |
との声が強いのです。[要出典]台湾人の多くは日本に親しみを抱いてくれています。[要出典]
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結論を言うと、
日韓併合によって朝鮮は救われたのです。
日本の朝鮮統治によって、ハングルは普及し、奴隷制度は廃止され、人口は倍増し、衛生状態も改善したのです。
日本は朝鮮に多額の国家予算を投入して、朝鮮半島を豊かにしたのです。
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「じゃあ何で韓国と台湾では言うことが違うの?」というのは読めば分かります。
さあ、はじめましょう。
日韓併合までの経緯
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日韓併合とは:1910年、韓国併合ニ関スル条約に基づいて日本が大韓帝国(今日の韓国と北朝鮮に相当する地域)を併合した事
大韓帝国成立前
朝鮮は中国の属国であった。
地図中にはっきりと「対清属国」と表記されています。
坤輿萬國全図
迎恩門(朝鮮国王が、中国の皇帝の使者を迎えるために作った門)
三跪九叩頭の礼
(額を地面に打ち付けて行う礼)で中国皇帝の使者を迎えました。
ここから
中国皇帝>>中国使者>>朝鮮王の身分関係が分かりますね。
朝鮮の王様は中国の皇帝の家来よりも身分が下だったのです。
属国当時の実態
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例)「朝鮮」という国号は李氏朝鮮初代の王となった李成桂が、明王朝にお伺いを立てて、決めてもらった(ちなみに、朝鮮とは、朝(みつぎもの)鮮(すくなし)という意味)。
中国朝廷が朝鮮の王妃や王太子の廃立も決定できた。
使節が来ると、朝鮮国王は高官を引き連れて迎恩門まで歓迎に赴いて、地面にひざまずいて使節に敬意を表し、
宴会を催し、芸を披露して接待しなければならなかった。
貨幣鋳造権は朝鮮には無かった。
不衛生極まりない衛生状況
はげ山ばかりで木々が無い
識字率は数パーセント(ハングルは日本統治後から普及)
大韓帝国成立~日韓併合前
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日清戦争で日本が勝利し、日本は清に「朝鮮は独立国である」と認めさせました。
こうして大韓帝国が成立したのです。
日韓併合へ
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しかし独立を果たしても大韓帝国には国家運営能力が備わっていませんでした。
国土は荒廃し、慢性的な食糧不足の状態が続き、
企業で言うといわば倒産寸前であったのです。
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さらに日韓併合に否定的であった伊藤博文総理が、朝鮮人テロリスト安重根によって
暗殺されたことで、日韓併合への道は決定的となりました。
当時朝鮮最大であった[要出典]政治組織「一進会」は、韓国皇帝(高宗)、首相(李完用)に
「韓日合邦」の奏上文を提出しました。
彼らは日本と韓国が連邦制をとる「合邦」を目指しましたが、余りにも国力・文明がかけ離れていたため
「併合」の道を進みました。
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「日韓双方の国力の差・文明の程度の差から「日韓対等合邦」は事実上不可能であり、
「連邦制」では欧米列強に対抗する様な強固な国家は建設できない。
従って、日韓が一体となり列強に伍す強固な国家を建設するには、
大韓帝国皇帝の全権を大日本帝国天皇陛下に委譲するのが、最も現実的である。宋秉畯
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こうして1910年8月22日、韓国併合ニ関スル条約が結ばれ、日韓併合がスタートしたのです。
日韓併合によって朝鮮半島はどのように変わったか
結論
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まず結論から入ると、日本は「ハングルの普及」「衛生状態の改善」「植林」「ダムの建設」
など、近代化を行いました。
日本統治前
1897年のSeoul 南大門大通り 城門の前は商人の店
その他の写真
日本統治中
1936年のソウル、南大門通り
その他の写真
水豊ダム
その他の写真
ハングル教育
南大門大通り~日本統治前と統治後の比較
その他の写真はこちらをご覧下さい。
日韓併合前後 朝鮮半島写真館
日本が行った朝鮮統治の実績
<<封建的諸制度、因習の廃止・禁止>>
・身分制度とそれに伴う特権や差別の廃止 (身分制度廃止令は併合前だが、実際は後)
奴婢の解放 (人口の30%)
両班の特権廃止
女性の解放(名前を奨め、再婚を許可)
衣服の自由化、瓦屋根や二階建て以上の家屋の制限を撤廃
・因習の廃止
人身売買の禁止
宦官(睾丸の腐割)の禁止
纏足の禁止
少女を妓生とすることを禁止
呪術的医療の禁止(朝鮮巫術の禁止)
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<<近代的経済法制の導入>>
・私有財産の保障(所有権制度の整備)
・土地測量と地籍の確定 (墳墓など0.05%位が未申告地として残った)
・近代的企業制度と商法の確立
・通貨制度の整備
・度量衡の統一
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<<近代的社会制度の導入>>
・罪刑法定主義を徹底(私刑の禁止)
・残虐刑を廃止
・行政の単位をそれまでの一族から、家族(氏)に規定(これが創氏の目的)
・家長の権限を制限
・地方の行政長や議員の選挙による選出
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<<教育・医療の近代化と普及>>
・小学校5,000校以上、大学など1000校以上を建設
・ハングルの整備と普及
・西洋医学や衛生思想の普及、疫病の防除と罹患者の隔離、医療施設の整備
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<<社会基盤の整備>>
・道路、橋、鉄道(4000km)、港湾の整備、電源開発
・治水事業による耕地拡大と農業の近代化
・大規模な植林(6億本)
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これらの諸政策の結果、次のよう成果があった。
・1920・30年代GDP平均成長率4%(1920年代の世界経済は2%以下、日本は3%強)
・1人当り国民所得が1910年の40ドルから倍増
・日本資本の大量流入(統治期間総額で80億ドル)による通信、運輸、都市の発達
・耕作地の拡大(246万町から449万町まで)
・米の反当り収穫量が0.5石から1.5石まで3倍増
・農産物、工業製品の輸出の急増 (内地で半島米の輸入反対運動が起こった程)
・人口が1300万人から2600万人に増加
・平均寿命が24歳から56歳に
・識字率が61%を超えた(1944年時、併合時は4%程度と推定されている)
在日特権を許さない市民の会
の桜井誠代表が分かりやすく説明なさっています。
戦後の捏造
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このように日本は朝鮮の近代的統治により多くの負担を払ったのです。
それによりどれだけの朝鮮人が利益を享受したでしょうか。
しかし日本は大東亜戦争に敗戦しました。
朝鮮人は敗戦国民になりたくなかったので、日本に手のひらを返し、自らを「戦勝国民」と位置づけました。
韓国政府も政権を運営する為に、又自分たちの歴史が誇れるものでは無いことに気づいたので
偽りの歴史を教えはじめたのです。
正当な朝鮮史を語る韓国人 金 完燮
【関連】
弾圧される親日韓国人
参考サイト
日韓併合前後 朝鮮半島写真館
日帝時代の教科書画像【資料】
(朝鮮歴史館)
大日本史番外編朝鮮の巻
日本から見た韓国併合1
日本から見た韓国併合2
参考書籍
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最終更新:2012年07月19日 09:00