「はぁ……」
夕暮れ時、他に人気の見えない公園のベンチに座って、岩崎みなみは一人悩んでいた。
みなみとて高校一年生という年頃の女の子、人には言えぬ悩み事も一つや二つは持っている。
だが、今彼女が抱えている悩みとは、彼女自身とは少し離れた場所にあった。
「聞いてみなみちゃん!今度の日曜日ね、シンお兄ちゃんと遊園地まで遊びに行くんだ!
えへへ…今から楽しみだなあ。これってさ、私とお兄ちゃんのデートってことになるんだよね?」
「実は最近、
アスカさんに私に日本史の勉強を教えてくれって頼まれているんです。
そ、それも私の家で…二人きりでして…ちょっと恥ずかしいけれど、でもやっぱり嬉しいです…」
「
ゆたかと、
みゆきさん……二人とも同じ人が好き。二人は、私にとっても大切な人…」
片や、近所に住む幼馴染であり、今までずっと姉のように慕って来た人。
片や、友達の少ない自分にとって、高校に入ることでようやく出来た仲良しの親友。
どちらもみなみにとっては掛け替えのない人達だった。
二人に好きな人が出来たと言うなら、みなみは出来る限りに彼女達のことを応援してあげたかった。
その二人が同時に、同じ男性を好きになったという事実さえ無ければ。
「シン……アスカ先輩」
みなみ自身も知らぬ仲では無い、その男性の顔が頭の中に浮かんで来る。
何処か遠い国からやって来た所をゆたかの親戚の家に引き取られ、今は皆と同じ陵桜学園に通っている少年。
陵桜学園に通う為に、その親戚の家に引っ越して来たゆたかとは同居人という関係でもあった。
その事実はみゆきにとっても内心穏やかでは無い状況であるらしく、普段は気にしない素振りを見せていても、時折みゆきが誰ともなくぼやいている姿をみなみは何度か目撃したことがあった。
そんなみゆきの気持ちは、みなみにもわからないでも無い。
みなみ自身、問題のシン・アスカという少年に対して、多少なりとも憧れの感情を抱いている人間の一人なのだから。
しかし、みなみまでシンに今以上の想いを抱いてしまえば、彼に好意を寄せるゆたかとみゆき、両方の気持ちを踏み躙ることになってしまう。
何よりもこの二人が同じ人を好きになってしまった以上、どんな結末を迎えるにしても、いつか誰かが傷付くことは避けようが無いのだ。
みなみの大切な人が、彼女達の憧れているあの人のせいで。
それを思うと、みなみの胸は締め付けられるような痛みを覚えて仕方が無かった。
「……はぁーっ…」
「何を溜息なんて吐いてるんだ?」
「!?」
突然掛けられた声によって、みなみは驚いて顔を見上げる。
この年頃の少年にしては少し長めの黒髪。空に広がる夕焼けよりも深い色をした、燃えるような赤い瞳。
整った顔立ちではある物の、どこか冷たさすら感じる印象を受ける容貌の、良く見知った男性。
先程までみなみが想いを馳せていたシン・アスカその人が、今、みなみの前に立っていた。
「あ、アスカ先輩…!」
「よう、みなみ。一体何をやってるんだ?もうこんな時間だし、こんな場所で女の子が一人でいたら危ない
だろ」
「え…あ、ご、ごめんなさい…」
「…みなみ。お前、何か悩み事でもあるのか?もし良かったら、俺も相談に乗るけど…」
「……っ…!」
何気ない気持ちで言ったのだろうシンの一言に、一瞬みなみは言葉に詰まった。
シンの、自分を心配してくれる気持ちは素直に嬉しい。
だが、今ここでみなみが抱えている悩みとは、他ならぬ彼自身の存在に端を発する物だった。
果たして自分は、言うべきなのだろうか。
ゆたかとみゆきが彼に寄せている想いのことを。シン自身が、二人の存在をどのように意識しているのかという問い掛けを。
二人とシンの間に横たわっている問題について――自分はただの部外者であり、傍観者に過ぎない。
だが、それでもみなみは答えを知りたかった。
ゆたかとみゆきの友人として、そして目の前の少年に対して少なからぬ想いを抱く少女として。
「……先輩は」
「ん?」
「その…もしもの話なんですが」
彼の口から答えを聞くのは恐い。だが、それでもここで止まる訳にはいかない。
なけなしの勇気を振り絞って、みなみはシンの顔を見ながら口を開いた。
「もし…目の前に困っている人が二人いて、どちらか一人しか助けられないとしたら…
選ばれなかった人は深く傷付いてしまうとしたら……先輩は、どうしますか…?」
「みなみ…?お前、何を言って…」
「答えて下さい。お願いします、アスカ先輩」
真剣な表情で訴えるみなみの顔を見つめた後で、やがてシンは迷いの無い口調で答える。
「両方とも助ける方法を考える。…って、昔の俺だったら答えていただろうな」
「え……」
「みなみが言うような時、誰も傷付かない方法が必ずある筈だって、昔の俺は思っていたよ。
だけど、そんな物は無かったんだ。皆が幸せになれる世界なんてただの幻だって、俺は思い知らされた。
どんな力を手に入れても、俺は大切な人を誰一人として守ることが出来なかったんだ…」
「……アスカ先輩」
「みなみ。お前の質問に答えるんだったら、俺は今でもその二人を一緒に助けようとするだろうな。
例え無理だとわかっていても、きっとそうすると思う。
そして…また同じことを繰り返すんだ。
皆を助けようとして…だけど結局は、皆が一番傷付く道を…俺は選んじまうんだろうな…」
「…それが、わかってるなら」
みなみは立ち上がり、シンの言葉を遮るように言った。
震える拳を握り締めて、咎めるような視線で彼の顔を睨み付けながら、みなみは言葉を続ける。
「わかっているなら…そのどちらか一人を選んであげて下さい。
選ばれなかった人がどれだけ傷付いても…悲しい思いをしても…答えを出さないなんて卑怯です。
……ゆたかと、みゆきさんは…先輩の答えを待ってるのに……そんなの、残酷です」
「みなみ…」
「…失礼します」
これ以上、シンの言葉を聞いていたくなかった。
シンが伸ばそうとした手を振り払って、みなみは逃げるようにその場から駆け出して行った。
――世界は歌のように優しくはない。
それは確か、離れ離れになった友人が口にしていた言葉だったとシンは以前言っていた。
今のみなみには、その人物が何を思ってその言葉を口にしたのか、少しだけわかった気がした。
先程、シンの言葉を聞いていた時、みなみは不意に気付いてしまった。
どこか遠くを見ながら訥々と語る彼の目には、今みなみ達がいるこの場所を映し出してはいない。
彼が転校する前に暮らしていたというその時の世界に、未だにシンは囚われたままなのだということに。
今のシンには、ゆたかやみゆきの姿が見えていない。
例え二人の気持ちに気付いたとしても、シンは決して彼女達の想いを受け入れようとはしないだろう。
かつて大切な人を守れなかったと言う十字架の重さが、それを許さないとでも言う風に。
今こうしてシンが過去に縛られている限り、誰もシンの心に入ることは出来ないのだと、みなみにはわかってしまったのだ。
シンの抱えている思い出は、きっと自分が考えているよりも遥かに重い物なのだろうとは思う。
しかし、それでもシンにはゆたかとみゆきの気持ちを知っていて欲しかった。
そして彼自身の意思をはっきりと二人に伝えて欲しい。
例えどれほど辛い過去であったとしても、シンは今こうして、みなみ達の前に立っているのだから。
みなみにとって、ゆたかとみゆきは本当に大切な人だから、例えどのような答えであったとしても、せめて二人が納得出来るように、シン自身の嘘偽りのない気持ちを二人に示してあげて欲しかった。
そうでなければ――シンが二人の気持ちに応えてくれなければ。
みなみ自身が抱いているこの憧れの気持ちに、決着をつけることだって出来はしないだろうから。
「――残酷です。本当に…先輩は、残酷な人です……」
ただひたすらに走る中で、涙が一筋、みなみの頬を伝って流れた。
最終更新:2009年04月14日 10:41