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 ○

 シンが帰宅すると、家の奥から娘が駆けてきて、笑顔で出迎えてくれた。
 最高だ。この笑顔を見るために俺は仕事を頑張っているのだと、本気で思える。
「お帰り~」
「ただいまマユ」
 飛びついてくる娘を抱きかかえ、そのままクルリと一回転して床に降ろす。
 そして、自分と同じ黒髪を愛おしく撫でた。
 かわいい、かわいい娘である。
 マユに手を出す男がいたら地下のデスティニーでなぎ払う所存だ。いや、マジで。
 と、決意を新たにしていたら、例の匂いが漂ってきた。
「むっ……」
 シンはニヤけた顔を引き締めた。戦場から離れて長いが、日々の鍛練は怠っていない。
 その証拠に、その眼光は以前と変わらない鋭い光を放っている。
「この匂い。予想通りだな……」
 シンはムッと顔を歪ませて、マユにカバンを預けた。
 マユはそれを両腕で抱えるように受け取った。
「お父さん! 今日こそお母さんにビシッと言ってやって!」
「ああ、任せろ」
 シンはマユの横を通り、早足でリビングまで行く。
 いい加減、夕飯や家事や子育てより、二次元を優先するこなたにシンは頭にきていた。
 チキンカレーだってそうだ。確かに、こなたのチキンカレーは美味しい。
 しかし、作り置きできるから、簡単だから、数日分の調理の時間を趣味に使えるから。
 という理由だけで毎月五回も六回もそれを連続で食べさせられていたらたまったものではない。
「こなた!」
 少々乱暴にリビングのドアを開けて、強い口調で呼ぶ。
「お、お帰りなさいあなた」
 出迎えたのはもちろん妻のこなたである。
 十年以上経って多少は背が伸び、大人になったこなただが、いまだに二人で歩いていると、親子に間違えられる事があるのはご愛嬌とい

ったところだ。
 それなりに、可愛らしい妻である。
 妻である以上もちろん愛している。だからこそ、こういう時は心を鬼にしてきちんと言わなければなるまい。
「今日は早かったんだね。さぁ、ごはんにする? お風呂にする? それとも私にする♪」
 可愛らしく言ってくる。しかし、今日はそんな態度に騙されない。
「今日も晩飯はチキンカレーだそうだな……って、んっ?」
 とここで、シンは食卓に置かれている料理に目が行って、
「……」
 無言になった。

「な、なに言ってるのあなた。今日はク、クリームシチューだよ」
「クリームシチューだと……」
 机の上には、確かにクリームシチューがあった。
「そ、そんな馬鹿な! 確かにさっきまでチキンカレーだったのに――」
 鞄をシンの部屋に置いて戻ってきたマユが叫ぶ。
 シンはそんなマユを手で制した。
 そしてシンは、座りもせずにテーブルに置いてあったスプーンを手に取ると、そのクリームシチューを一口啜った。
 口の中で味わい、飲み込む。
 次の瞬間。シンは口を歪ませて笑った。
「ほっほぉ、知らなかった。最近では、チキンカレーに牛乳をぶち込んだだけのものをクリームシチューっていうのか」
 シンは青筋付きの笑顔を浮かべ、怒りを抑えつけているような震えた口調で静かに言った。
「な、何を言ってるのかな~。これはクリームシチューだよ~」
 こなたの微笑みに冷や汗が伝った。そして、微妙に視線を逸らした。
「……俺の目を見て言ってみろ」
 シンは半眼で睨んだ。
 こなたは少しうっ、と怯んだが、
「ク、クリームシチューったらクリームシチューなの!」
 と開き直った。もう救いようが無い。
 シンは覚悟を決めた。
「……娘の見本となるべき母親が嘘を付き、その上、素直に謝るどころか逆ギレか」
「あ、いや……」
「こいつは少し教育が必要だな」
 フッと笑うシン。
「な、なにそのヤラしい感じの笑顔……」
「マユ。お母さんを押さえてろ」
「合・点・承・知・!」
 マユは待ってましたと言わんばかりにこなたに襲い掛かった。
「な、何をするのマユ!」
 そして、こなたはあっという間にマユに羽交い絞めにされた。
 そしてシンは、
「こなた!」
 某裁判ゲームのように指をビシッと指して判決を下した。
「お前のPC及びネトゲ関係のデータを事実上凍結させる!」
「なっぁぁぁぁぁ!?」

「上告も上訴も控訴も認めない。そうだ、弁護人は立ててやろう。マユ」
「はい、弁護人飛鳥マユ。刑の執行に異論はありません♪」
「出来レースとはこの事だよぉぉぉぉ!」
 こなたの叫びは完全に無視された。
「では、刑を執行する」
「止めてお願い! ウチの子(PC)に手を出さないで!」
「今、お前を後ろから羽交い締めにしてるのがウチの子だ!」
「お母さん。少し……頭、冷やそうか……」
 マユはこなたを羽交い絞めにしながら、ヤレヤレと小さく首を振った。
「マユ! 離しなさい!」
「い・や・だ・!」
「お母さんの言うことが聞けないの!」
「私は普通のお母さんがいいの! そろそろオタクは卒業して!」
 こなたは暴れるが、マユはビクともしない。
 そりゃあそうだろう。
 こなたはまゆを鍛えている。今ではその腕前はこなたを凌ぐ程になっている。今回はそれが裏目に出た。
 シンは、こなたがマユと組手をしている事を知っていた。当然その事自体は反対だ。マユが怪我をする可能性があるからだ。
 しかし、この組手は、こなたがこなたなりに娘との良いコミュニケーション方法は無いものかと考えた結果の行動だ。
 こなたは柊みきのように母親としての素質が優れていない。母親に向いていないと言っても良い。
 それにこなたは、物心付いた時から母親がいなかった。
 だから母親とは何をやればよいのか分からないだけでなく、母親はどう娘と触れ合えば良いのかも分からないかった。
 こなたはすごく悩んでいた。そうじろうはこなたに二次元という興味を持たせる事によってその課題をクリアしたが、
 マユは二次元に興味を示さなかった。
 日に日に、娘と距離が離れていく自分をもどかしく思いながら、それでも娘と触れ合う方法が分からない。
 こなたはなにか娘と共有できるものが欲しくて、悩んで悩んで、組手という答えにたどり着いたのだ。
 そればっかりはシンは否定できなかった。いや、そこばかりは否定というよりむしろ応援してやるべきだろう。
 だが、しかし。それならば夫に対する思いやりももう少し考えてほしいものである。 
「すぐ戻るからなマユ」
 そして、シンはこなたの自称子供(PC)のいる一階に向かう。
 階段を降りていると上から、
「別にゆっくりでもいいよ~」
「いぃぃぃやぁぁぁぁ!」
 明るい声と、どす黒い叫びが響いてきた。
(こなた、母親として頑張る姿勢は多少なりとも評価できるがな……)

 階段を下りつつ、シンは心の中で続けて呟いた。
(俺よりPCを重要視する姿勢はムカツク。なんというか夫として男として……)

  ○

 次の日。
「お父さん。今日は会社行かないの?」
 マユはテレビの前で寝そべりながら○のもんたの番組を見ている父に尋ねた。
「ああ。有給が溜まってたんでまとめて休んできた。お陰でこうやって平日からテレビを見ながらダベれるわけだ」
「じゃあ、どっか連れてってよ~」
 マユは体ごとシン倒れこんだ。
 シンはそんな娘をしっかりと受け止める。
「そうだな、じゃあ泊まりで遊園地でも行くか?」
「わ~いやった~!」
「じゃあお母さんに準備をするように言ってきてくれ」
 マユが、やり~♪ と言いながら父から離れた時。
『主婦です』
 と、テレビから聞き覚えのある声がした。
 マユはピタっと止まって、思わずテレビを見た。
 放送しているのは、司会者が全国の奥さんから生電話で相談を受けるといった内容のものである。
「どうしたマユ?」
「お父さん、ごめん。少し黙ってて……」
 マユがテレビを釘いるように見ているのに習って、シンも改めてテレビを見る。
 司会者は電話で奥さんの相談を受けていた。
『奥さん。旦那の事で相談があるんだって?』
『はい、旦那が私が苦労して育てた子を取り上げで、どこかに閉じ込めてしまったんです……』
『それは本当なの奥さん?』
『はい、旦那は元軍人で……。私は必死になって守ったんですが、力勝負になると歯が立たなくて』
 テレビの出演者達から同情のため息が漏れる。
『うちの旦那はヒドイんですよ。我侭で子供っぽくて、目立たなくて、顔はいいけど、人の趣味を受け入れる度量もないし。
 夜の生活は人の事考えないぐらい強引だし……。
 あと、いつも強がってるけど、二人っきりになったらとたん甘えるんですよ。「僕はお前がいないとだめなんでちゅ~」
 とか赤ちゃん言葉を呟いた時なんか流石に引きましたけど……ええ、一応合わせましたよ。可哀想でしたから』
 やっぱり、この声は聞き覚えがある……。

 マユは確信した。
「……」
 父も同様の考えに至ったようで、顔を真っ赤にしながらテレビを見つめ、そして小さく肩を震わせていた。
「お父さん?」
「こなた! お前ぇぇぇぇ!」
 父はダッシュで走り出した。
 おそらく携帯で“通話中”の母の部屋に向かったのだろう。
「……何だろうな、うちの両親」
 マユは近くにあった煎餅を手にとってパリッ、とかじる。
 それにしても、何で父は母を選んだのか。それをずっと疑問に思っていたマユだったが、その答えはなんとなく分かった。
「退屈しないんだろうな、きっと、……」
 いつだったかテレビで、
 結婚するなら、退屈しない異性が一番良いといっていた気がする。
 そういう意味では理想的な夫婦なのかもしれない。
『お前は! 何やってるんだ!』
『あ、あなた!?』
 そして、テレビからは聞き覚えのある声が響き、すぐに、ボートの映像と『そのまましばらくお待ち下さい』と言うテロップが流れた。

 end.


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最終更新:2009年06月30日 00:45
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