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16-555

 ここは東京、秋葉原の電気街。
 道行く人並みの中に混じって、大量の紙袋を手に提げる宮河ひなたは今日も御機嫌だった。
「うぅ~ん、この雰囲気。いつ来ても素敵だわぁ」
 馴染みの風景を見ながら、うっとりとした表情で呟くひなた。
 この街特有の、アニメやらゲームやらの看板が掲げられている風景がひなたは好きだった。
 どうして好きなのか、などとはひなたは考えない。そんなことはどうでも良いのだ。
 好きになったから好きなのであって、そこには理屈の介在する余地など存在しない。
「今日もいっぱいお買い物しちゃったわ。…ひかげちゃんに見られたら、また怒られちゃうかもしれないわねぇ」
 自分の提げる大量の荷物に目をやって、ひなたは少しだけ申し訳無さそうな表情を浮かべる。
 ひなた自身は一生懸命働いているつもりなのだが、しかしひなたのこうした趣味によって彼女の家計が圧迫されているのも確かだ。
 その皺寄せを一身に受けているひなたの妹ひかげなどは、事ある毎に姉の趣味を自粛するように主張してはいるのだが、しかしそれでも

ひなたは自らの趣味嗜好を改めるつもりは無かった。
 人はパンのみに生きるにあらず。
 ひなたにとって、今手に抱えている大量のアニメグッズの類は自らの人生を実り豊かな物にする為に、言うなれば心のおやつなのだ。
 それを思えば、少しぐらいの生活苦や今自分の体に掛かっている物理的な重量など何する物だろうか。
 ひかげちゃんには悪いけれど、これはお姉ちゃんにとっての生活必需品。
 だからどうか、大目に見て頂戴ね――と、そんなことを心の中で考えていた時だった。
「きゃうっ!!」
 果たして、自分の趣味に妹を巻き込んでおきながら、反省の色一つ見せないひなたに罰が当たったのだろうか。
 大量の荷物を抱えたまま、秋葉原の街角でひなたは見事なまでの大転倒を演じてしまう。
「痛ったぁ~い…」
 呻き声を挙げつつ、ひなたは慌てて上体を起き上がらせた。
 見れば、先程転んだ拍子に紙袋の中から飛び落ちた大量のアニメグッズが地面にぶち撒けられている。
 その殆どが包装されたままの、買ったばかりのぴかぴかの新品ばかりだった。

「た、大変っ!」
 普段は寧ろのんびりした性格のひなただが、趣味が絡んでいるとなれば話は別だ。
 えらく俊敏な動作で、地面に散らばったグッズを次々に紙袋の中へと戻して行く。
 しかし、それでもひなたがグッズ類を全部回収するまでには、まだまだ時間が掛かりそうだった。
 それもそうだろう。数々のアルバイトによってまともに一ヶ月間過ごせるだけの生活費を稼いでおきながら、それでもなお宮河家が塩粥

を食らう生活を送っているのは、一重にひなたの浪費癖が原因なのだ。
 当然、ひなたがそれだけ散財すれば、その金額の分だけグッズの数も比例して増加する。
 依然として地面に散らばる大量のグッズを前にして、ひなたは悪戦苦闘しながらも必死になって地面に手を伸ばして行く。
「――大丈夫か?」
「え?」
 突然に頭上から声を掛けられて、ひなたは思わず手を止めて顔を見上げる。
 声の主はひなたよりも幾つか年下であろう、高校生ぐらいの少年だった。
 自転車を脇に置いたその少年は、ひなたの身を案じるようにこちらを見下ろしている。
「あんた、さっき思い切り転んでいただろう。大丈夫か?」
「あ。ええ、はい、大丈夫ですぅ」
 黒髪に燃えるような赤い瞳をしたその少年の問い掛けに、ひなたはいつも通りの間延びした口調で応える。
 自分は本当に大丈夫なのだ。大丈夫では無いのは、今のこの状況。
 大切なアニメグッズ達が地面に散らばったままという事態こそが、ひなたにとっては大問題だった。
「拾うの手伝うよ。これ、あんたには大事な物なんだろう?」
「え、でもぉ」
「気にすんな。一人で集めるにはちょっと多いだろうしな」
 そう言いながら、あまりこの秋葉原の雰囲気と馴染まないような様子のあるその少年は身を屈めて、黙々とひなたがぶち撒けたグッズを

拾い集める。
 一瞬、ぼーっとしたままその少年の顔を見ていたひなただったが、彼の行動を見て我に返り、再びグッズの回収に立ち戻る。

 数分後、無事に全てのグッズを回収し終えたひなたは、その少年に向かってありがとうございます、と言って頭を下げた。
「本当に気にしなくていいさ。ま、次からはちゃんと注意すればいいことだしな」
「はい、あなたの仰る通りですねぇ。もっと気をつけないとぉ……痛っ!」
 少年に会釈して、そのまま立ち去ろうとしたひなただったが、突然に足の痛みを覚えて顔を顰める。
 腕にはしっかりと力を込めたので、今度は紙袋を取り落としたりはしなかったのだが。
「ん…?もしかしてあんた、さっき転んだ時に…」
「ええ…どうやらひねってしまったみたいですねぇ…でも大丈夫ですよぅ。気を付けて歩けばこのくらい…うぅっ!」
 言い掛けた所で、再び足に走った激痛にひなたは思わず泣きそうな声を出した。
 普段ならば何とか耐えられたかもしれないが、散々この秋葉原を散策して歩き疲れた上に、あれこれと荷物を抱えている今の状態では、

正直やせ我慢をするにも限度がある。
 今日はもう、すぐに帰らなきゃとゆっくり踵を返そうとするひなたを見て、目の前の少年は何かを考え込むような仕草を見せた後、ぽつ

りと呟いた。
「……なあ。あんた、家は何処なんだ?」
「えっ?」
「いや、あんたが何処に住んでるのか聞きたくてさ。もし良ければ、教えてくれないかな」
「はあ」
 少年の意図がわからぬままに、それでもひなたは彼の問い掛けに素直に答えた。
 もし妹のひかげがこの場にいたら、見ず知らずの男から掛けられた言葉になど耳を貸すなと激怒したことだろう。
 ひなたから大雑把な住所を聞いた問題の少年は、やがて納得したように首を縦に振り、そしてひなたが思いも寄らぬ言葉を口にした。
「……よし。だったら、俺が家まであんたを送ってやるよ」
「え?えぇっ?」
「埼玉のその辺なら俺にとっても帰り道だからな。その足にその荷物じゃあ電車に乗って帰るのは辛いだろう。と言っても、自転車だから

乗り心地はあんま良くないだろうけど…」
「はあ。ですけど、そのぅ…埼玉ですよ?」
「わかってるよ」
「遠いですよぉ?」
「いつものことだし」
「いつもなんですか?」
「つーか今日もソレ。埼玉からここまで、俺に無理矢理自転車で運ばせた連れが『今日はイベントに参加するから先に帰ってていいよ~』

とか言い出したから、今日の後部座席はフリーなんだ。
 まったくこなたの奴め、人をタクシードライバーか何かと勘違いしやがって…」
「わあ」
 あまりと言えばあんまりな少年の言葉に、ひなたは呆れるよりも先に感心したような声を挙げる。

 自転車で埼玉から秋葉原まで来られるなんて、なんて素晴らしいんだろう。
 ひなたとて、見ず知らずの男性から誘いを受けているという状況に警戒を覚えなくも無いのだが、帰りの電車賃を払わなくて済むという

誘惑には抗し難い魅力を感じていた。
 少し近寄り難い雰囲気ではあるが、そんなに悪い人間にも見えなかった。
 さっきは散らばったアニメグッズを拾ってくれたし、自分のことを心配してくれているようだし。
 それに、とひなたは思う。この少年とは以前どこかで出会ったことがあるような気がする。
 面識は無い筈だし、はっきりと言葉には出せない物の、何処か親しみのような感情すら覚える。
 そう感じる理由が何なのかまでは、生憎とひなたにはわからなかったが。
「じゃあ、お願いしても良いでしょうかぁ?」
「ああ。それじゃあ、後ろの座席に座ってくれ。あんたの荷物は前の籠に入れておくから」
「はいっ、ありがとうございます」
 手に提げた荷物を少年に渡し、ひなたは自転車の後部座席に座る。
 少し狭い気もするが我慢出来ない程では無いし、何よりこの自転車に乗せて貰う立場である以上、文句を言うなどとんでも無かった。
 お店に対する文句やクレームは必要最低限。
 まがりなりにも接客業を中心にアルバイトをこなしているひなたには、そうしたクレームが相手にも大きな負担や手間になることを良く

知っているのだ。
「しかしこの荷物、随分多いな…でもまあ、何とか全部籠に乗るかな……よっ、これでよし、と。
 んじゃ、出発するぞー。結構スピード出すから、ちゃんと気を付けてくれよー」
「はぁーい」
 そして、後ろにひなたを乗せた自転車は猛スピードで秋葉原の街中を駆け抜け、そして去って行く。
 その光景を見た人間の中には、ああ、またあの暴走自転車が現れたのか…と頷く者もいたとか。

「……到着ーっ!!」
 秋葉原から埼玉まで、ただひたすらに自転車のペダルを漕ぎ続けた少年は、勝ち誇ったような叫びを上げながら爆走する自転車の動きを

止めた。
 時間にしておよそ一時間と十数分。目的地までの距離と移動手段を考えれば、驚異的なスピードだった。
「ふぅ、いい汗を掻いたぜ。確かこの辺りでいいんだよな?」
「はい。どうもありがとうございますぅ」
 籠の中に詰まったひなたの荷物を降ろす為に、一旦自転車から降り出した少年に続いて、ひなたも後部座席から自分の体を引っ張り出す


「……痛っ!」
 先程ひねってしまった方の足を地に付けた瞬間、鋭い痛みが走る。
 それによって、ひなたはバランスを崩してしまい、目の前の少年の方へと倒れ込んでしまう。

「きゃ――」
「危ない!」
 再びひなたが転びそうになった途端、咄嗟に少年が手を伸ばしてひなたの体を支えようとする。
 その少年の機転によって転倒こそ避けられた物の、ひなたは何やら自分の胸にいつもと違う異物感を覚えていた。
「あらぁ…?」
「ん?」
 少年とひなた、二人が揃ってひなたの胸に視線を送る。
 倒れ込みそうになったひなたの体を支える為に伸ばされた少年の手。
 それが結果的に、今はひなたの胸を半ば鷲掴みにするかのような形になってしまっていた。
「って、どわああぁぁぁ!!」
 ひなたが何かを言うよりも先に、大袈裟な悲鳴を上げてひなたから離れる少年の姿を、ひなた自身はまるで他人事のように目を瞬かせて

見ていた。
「す、すまん!ごめん、悪かった!決してわざとじゃないんだ!」
「はあ。でも、また転んじゃいそうだった私を助けてくれたんですしぃ…別に私は気にしな――」
「気にするわよ!ものすんごぉーくっ!!」
 ひたすらに頭を下げる少年に向かって口を開き掛けた瞬間、ひなた達の後ろから別の声が飛んで来た。
 二人がその声の主に視線を送ると、怒りに肩を震わせた小学生ぐらいの少女が二人を――正確にはひなたをここまで送ってきた少年の顔

を睨み付けていた。
 本来なら長いはずの髪を短く束ねたその少女の容貌は、どこかひなたに良く似ていた。
「あら、ひかげちゃん。ただいまで、おかえりなさい」
「お姉ちゃん、その人は誰!?お姉ちゃんと一体どーゆー関係なの!?」
「どういう関係って…」
 ひなたの挨拶を完全に無視して、彼女の妹である少女、宮河ひかげが鬼気迫る表情で姉へと詰め寄る。
 暫くの間、ひかげと少年の顔を見比べた後、やがてひなたはぽつりと呟く。
「……どういう関係なのかしらねぇ?」
「お・ね・え・ちゃんっ!!」
「あ。でもねひかげちゃん、この人は困ってるお姉ちゃんを助けてくれたのよ。こうしてわざわざ家まで送ってくれたし」
「私が言いたいのはそこだよ!どうして何も関係の無い男の人に、お姉ちゃんが家まで送り届けて貰わなくちゃいけないの!?
 お姉ちゃんに何か悪いことをしようとか考えてる人だったらどうするつもりなのよ!?」
「ひかげちゃん…」
 一頻り姉に対して叱責の言葉を投げ掛けたひかげは、今度は自転車の側でずっと姉妹二人のやりとりを窺っていた少年へとその視線を移

す。

「あなた。お姉ちゃんの一体何なんですか?」
「俺か?いや俺は、ただ君のお姉さんが困ってる所に通りすがっただけで…」
「ただ通りすがっただけの人が、なんでお姉ちゃんのおっぱいを揉んだりするんですか!?
 お姉ちゃんにひどいことをするつもりなら、私が許さない!
 もう帰って!もうこれ以上、お姉ちゃんの側に近寄らないでよっ、この変質者っ!!」
「ひかげちゃん…!」
 湧き上がる怒りの感情を隠そうともせずに少年へと食って掛かるひかげを諭すべく、ひなたが口を開き掛けた、まさにその時だった。
「――ごめん」
 ひかげと、そしてその脇に立つひなたに向かって、少年は深く頭を下げた。
「本当にごめん。俺が君のお姉さんに失礼なことをしちまったのは本当だもんな。だから…ごめん」
「な…!なによ!そんな風に謝ってみせて、それで許して貰おうなんて、虫が良すぎるわ!」
「ああ。許して貰わなくていい。事実、俺は今こうして君のことを傷付けちまったんだもんな…
 こんなにも君に、お姉さんのことを心配させてしまったんだから、俺は君に許してくれとは言えない。
 だけど、その代わりに一つだけ、君にお願いしたいことがあるんだ。いいかな?」
「う……な、何よ!?」
 思いも寄らぬ少年の態度に、ひかげは戸惑いながらも彼の言葉を促した。
 この少年は、本気でひかげに対して申し訳ないと思っている。その言葉には嘘偽りは感じられなかった。
 そう感じるからこそ、余計にひかげはこの少年の考えていることがわからなくなる。
 果たして、そんなひかげの困惑を知って知らずか、少年は真っ直ぐな視線でひかげを見ながら、言った。
「お姉さんを大事にしてあげてくれないか。今みたいに、何があっても君はお姉さんの味方になってやってくれ。
 君のお姉さんを……この人の妹として、君に支えてあげていて欲しいんだ」
「……っ!ま、またそんな風に変なことを言って!そんなこと、あなたに言われなくてもそうしますっ!」
「ありがとう」
「ふんだ!」
 そっぽを向くひかげの言葉に、少年は嬉しさと――そして何処か寂しさが入り混じった微笑を浮かべる。
 そのまま彼は、籠に入っていた大量の紙袋を取り出して、優しい仕草でそれらをひなたへと手渡した。
「それじゃ、俺はもう退散するよ。だけどあんたも、あまり妹さんに迷惑や心配を掛けないようにしろよ」
「はい、それはもう。ひかげちゃんには苦労は掛けても、心配だけは掛けたくないですものねぇ」
「お姉ちゃんがおかしなアニメのグッズとか買い込んだりしなけりゃ、ここまでの苦労だってしないんだよっ!」
「はは……それじゃあな」
 小さく笑いながら、自転車のペダルに足を乗せた少年は、そのまま二人の前から姿を消して行った。

「…お姉ちゃん。結局あの人、一体何だったの?」
「そういえば…名前も聞いていなかったわねぇ。でもあの人ってば凄いのよぅ。
 お姉ちゃんのこと、秋葉原からここまで自転車で送ってくれたんだから」
「はぁ!?秋葉原から自転車でぇ!?って言うかお姉ちゃん、また今日も無駄遣いして来たの!?」
「無駄じゃないわよぉ。これはね、お姉ちゃんの生命力、命の源なんですから」
「……もういい。もう何も聞きたくないから、早く帰ってお夕飯にしましょ…」
「今日はあの人のおかげで電車賃が丸々余ったから…ちょっと贅沢なお夕飯が食べられるわよぅ。ステーキとか」
「そんなの無理に決まってるでしょ!第一、ステーキなんてここ何年も食べたこと無いじゃない!?」
「えー。ひかげちゃんのいじわるー。お姉ちゃん、ステーキ食べたいのにー」
「だからお姉ちゃんが無駄遣いしなければ、もうちょっとぐらいはお肉だって食べられるようになるんだよ!」

 頭を抱えるひかげと、嬉しそうに紙袋を提げるひなたが、あれこれと騒ぎながら家の中へと帰って行く。
 それは、このたった二人の姉妹が送っているいつも通りの日常。
 たまには今日みたいに、見ず知らずの人と出会うこともあるが、それは一日限りの擦れ違い。
 ひなたとひかげ、その名前通りに正反対の二人が寄り添いながら、ずっと時は流れて行く。

 ――その筈なのだけれど。

「はじめまして。新しくこちらのお店で働くことになりました、宮河ひなたですぅ」
「オー、ハジメマシテ。私、同じアルバイトのパトリシア・マーティンデス。パティって呼んで下サイ」
「はぁい、パティさん。こちらのようなコスプレ喫茶のアルバイトは私も経験がありますから、少しはお役に立てると思います」
「それは頼もしいデスねー。そうそう、今日はもう一人、バイト仲間のフレンドが来ますネ」
「まあ。それはちゃんと御挨拶しないとぉ」
「……おーっす。おはようございまーす」
「オゥ!来ましたネ、シン。新人さんよりチコクはみっともないデスよー」
「すまん!ちょっと学校の方でどうしても外せない用事があって……って」
「あら?」
「あーっ、あんたは!?」
「あなたは……この間のぉ」

 かくして、シン・アスカと言う名の少年と、宮河ひなたは再び出会うことになる。
 偶然に再会したこの二人が今後、どういう関係を築いて行くかは、それはまた別のお話――。



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最終更新:2009年07月10日 03:20
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