『コンプレックス』
本来は無意識のイメージが感情を伴って複合している状態を表す精神分析用語だが、一般的には劣等感を指すことが多い。
「………」
その日、岩崎みなみは悩んでいた。
間違いなく美人に入る顔立ち、スレンダーな体にスラッと伸びた足、おまけにスポーツが得意で頭もいい。
文武両道、才色兼備…他人から見たら非の打ち所のないように思える
みなみだが、彼女からしてみれば自身はコンプレックスのカタマリだった。
まず真っ先に考え付くのは胸が無いこと。姉と慕っている高良みゆきと比べると、無残としか表現のしようが無いほど平面である。何度も大きくしようと努力を繰り返してきたがその思いが実ることは決してなく……話しが脱線してしまった…
とりあえず彼女が最も気にしているのは胸のことだろうが、今の彼女の頭を占領しているのは別の悩みだった。
(どうして……うまく笑えないんだろう…)
小さいときから彼女は感情を表現するのが苦手だった。頭では楽しいと思っているのに、顔に表すことができないのだ。それが元であらぬ誤解をされたことは1度や2度ではない。
「…………」
ムニムニ、と人差し指で頬を吊り上げ、むりやり笑顔を作ってみる。すると通りすがりの子供から怪しい者を見るような視線を浴びてしまった。
「はぁ」
「どうしたんだ、みなみ?」
「!?」
思わずため息をついた直後、後ろから聞こえた声に慌てて振り向くみなみ。するとそこには親友の兄のような存在であり、自分の先輩でもあるシン・アスカがいた。
「先輩…」
「ため息をついてたようだけど、なにか悩み事か?」
「あっ…はい…ちょっと…」
「俺でよかったら相談に乗るけど?」
その言葉にシンの顔を見つめるみなみ。
かっこよくて優しい先輩…そんな先輩にも自分に不満なこととかあるのだろうか…
「先輩は……コンプレックスとかありますか?」
「コンプレックス?」
「はい。実は…」
首を傾げるシンにみなみは事情を話した。自分が上手く笑えないこと。自分のその性格にコンプレックスを抱いていることを。
「………そっか」
事情を聞き終えたシンは静かに頷き、口元に手を当て何かを考え始める。
普段浮かべている優しげな表情とは違う真剣な瞳に、みなみは何か「触れてはいけないこと」に触れてしまったのではないかと思い慌てて口を開く。
「あの…!」
「んっ?あっ、悪い悪い!とりあえず、何処か別の場所に移動しないか?道端じゃちょっとな…」
「は、はぁ……」
近くにある喫茶店に入ったみなみとシン。
シンは自らが頼んだブラックコーヒーを一口飲む。
それに習い、みなみもシンに奢ってもらったオレンジジュースに口をつけた。
「さて……と」
「………」
「とりあえず、さっきのみなみの質問だけど…はっきり言ってしまえば、俺はコンプレックスだらけだ」
「えっ?」
シンの口から出た答えに、みなみは驚きの声を上げた。
彼女から見たシンは、かっこよくて運動神経もよく、いつも優しげに話してくれる理想的な存在だったので、彼が劣等感など感じているとは思えなかったからだ。
「いや…だらけだった、と言うべきかな」
「だった…?」
「例えば、そうだな……俺の目を見てどう思う?みなみ」
右手で自分の瞳を指差しながら問うシン。
『目を見てどう思う』その言葉にみなみは首を傾げながらシンの瞳を見つめる。
そこにあるのは綺麗な赤。彼だけが持つ鮮やかな深紅の瞳がこちらを見つめ返していた。
「どう…と言われても…」
返答に困っているみなみの姿を見て、シンは苦笑しながら口を開く。
「変、じゃないか?紅い目だなんて」
シンの言葉に驚き、みなみは一瞬息を止めた。
「そんなこと…」
「いや、いいんだ。自分が一番よく知ってるから」
「先輩……」
「実際、『俺が元々いた世界』にいた頃も、紅い目の奴なんて俺しかいなかった。人ってのは自分と違う異形のものを嫌う習慣があるからな。この目が元で、トラブルに巻き込まれるのも少なくなかった。だから、小さい頃から俺は、この目が嫌いで仕方がなかった」
シンは何処か遠い目をしながら話しを続ける。
「でも、ある時…1人の親友がこう言ってくれたんだ。『俺はお前の瞳が好きだ』って…『お前にしかない、お前だけの色だろう、それは……俺にはそういうものがないから、お前がうらやましく思う』って」
「…………」
みなみはいつの間にかシンの話に引き込まれていた。
オレンジジュースの中にある氷がカランッと音を立てる。
「それを言われたときに気付いたんだ。コンプレックスなんてものは、自分の考え方1つで全然違うものになるんだって……」
「……それは」
「みなみはちゃんと笑えてるよ」
「えっ?」
シンの言葉にみなみは首を傾げる。
「ただ、他の人より表情の変化が少ないだけさ。みなみの大切な人は、みなみが笑ってるってちゃんと分かっているから大丈夫さ」
俺の親友もそうだったしな……と微笑むシン。
その言葉にみなみは、胸にあったわだかまりが消え、代わりに何か暖かいものが流れ込んでくるのを感じた。
「ありがとう……ございます」
「いや、そんな大したことじゃないって…それより大分時間食っちまったな、そろそろ帰るか。送ってくよ」
「あっ…シン先輩!」
先に店を出て行こうとするシンを呼び止めるみなみ。
「んっ?」
無理はしなくていい。少しずつ変わっていこう。
そうすればいつか…先輩のように自分を好きになれるかもしれない。
「私も……私も先輩の瞳、好きです!」
そう言ったみなみの顔は、今までで一番綺麗に笑っていた。