愛といふ言葉
三百有余年前の吉利支丹文学を読んで誰しも感ずるのは、今いふところの愛といふ文字のかはりに大切といふ文字が到るところに用ゐられてゐることである。このことは近ごろでは東北大学の村岡教授がその著『吉利支丹文学抄』に於ても指摘してゐられたが、私は旧臘それとは別に偶然の機縁によりて
「大切といふ言葉」と題する一小篇を「大阪時事新報」の新年号に寄せた。それは一月十日の欄に登載された。十日ほど経て一文にこの拙文を贈つたところ、新年号の「我観」といふ雑誌に鈴木券太郎翁が「吉利支丹文学に於ける愛と大切」と題して綿密なる考証を書かれてゐると教へられた。早速それを一読して益を請けたが、その文は上篇ながら、拙文よりも少くとも一箇月ほど前に起稿され、二十日ほど前に発表されたものと認められる。上篇の要旨は畢竟村岡氏の文の中に今日ラヴといふ語に対して愛といふ文字を用ゐるのは米国系統の新しい英訳聖書の訳語に拠つたものであらう云々とあるのに反対して愛といふ語は古く儒教にも用ゐ、明末以来の天主教師徒の漢訳にも採られ、その由来の遠き所以を考証せられた点に帰着する。この点は村岡氏の過言でもあつたらうと思はれ、私も前後に於て期せずして鈴木氏の所説と同じく明末の漢訳本には夙に愛といふ訳字を用ゐた例のあることを示し、尚又愛といふ字は儒仏両教の経典から直接に採つたならば、ラテン語並にポルトガル語のアモールの訳語として適当であつたのであるが、日本であの頃普通に使つてゐた俗語の意味からいふととかく情愛、肉愛、寵愛、慈愛などといふ臭味がつきまとひがちであるから、成るべくそれを避けて愛重、愛敬、尊重の意味のある大切といふ語を選んだのであらうといふことを弁明しておいた。つひ詮考も足らず村岡氏の文をも繰返へして読まず、況んや鈴木氏の考証を知らずに書いてしまつたから、別に仁といふ訳語が漢訳本中に見えたことを注意せずにしまつたのは私の手落ちであつた。
文禄四年の天草版『拉丁辞書』を見ると、アモール即ち愛とふラテン語に対して、大切と思ひとの二語があてられてゐる。文禄三年に出た天草訳の拉丁文『日本文典』の方にも、動詞のアモー即ちわれが愛するといふ活用形に対して、われ大切に思ふと訳し、その活用変化を一々列挙した。慶長八年の長崎訳の『日葡辞書』には大切といふ国語について、単にそれをアモールとのみ訳して、重要とか緊急とか尊重とかいふ原義に近い意味の方を全く挙げてない。翌年に出たやはり長崎吉利支丹訳の『日本文典』の方でも同様である。こんな具合に、当時の吉利支丹師徒は、大切といふ語を愛の意義のみに解してしまつた。動詞にするときは、大切に思ふ大切に存ずるなどと使ふ。精しくはこゝにくりかへさないが、吉利支丹文学を通読してみると、種々の用例が出てくる。
有名な『基督模倣』の第一巻第一章の或る一節を慶長元年版のローマ字訳本から書きなほしてみると次のやうである。
早く過去ることに愛著して長き楽のあるところへ急がざる事は実もなき事也
然るに慶長十五年の京都版国字本の方を見ると、この部分は少しかはつてゐる。
はやくはつる事を大切におもひ、はつる事なきたのしみをいそぎもとめむも、みもなき事也
愛著の文字を大切の文字にかへてしまつたのである。こゝは寧ろ愛著の方が当つてゐるのであるが、当時の信者は大切の文字を必要以上に濫用した傾きがあつた。明末の崇禎十三年すなはち寛永十七年に成つた漢訳本の『基督模倣』の方にはこの文句を徒恋名利と訳してしまつてあるが、同じ章の別の条に例を取ると、愛の字を使つてゐるのである。いまローマ字本によると左の一節がある。
ビブリヤといふ尊き経文の文句をこと〴〵く暗んじ、諸々の学匠の語を皆知りてもデウスの御大切とその御合力なくんぱ、これ皆何の益かあらん
この文章をば漢沢本には左のごとく訳してある。
友雖博極今昔聖賢華論、透古今経書奥旨、設非愛主霊乏聖寵、学亦荒已、
すなはちデウスの御大切と日本訳にあるのを愛主と訳してあるのである。漢訳本は『経世全書』と題しポルトガル出身の宣教師のエムマヌエル・デイアスの翻訳にかゝる。彼は漢名を陽瑪諾と称した。邦訳本は『コンテンツス・ムンヂ』即ち浮世の軽蔑といふ意味のラテン語名を以て題し、題名の下に註して、これ世を厭ひゼスキリシトの御行蹟を学び奉る道を教ゆる経と添書きしてある。漢訳本には『経世全書』現代の邦訳本に『基督模倣』などと題し、古くは又「聖範」などとも訳した。この書が仏教ことに浄土教の法話に似たところも多い世界的名著であることは今さら私の縷述するまでもない。
宗門をはなれて教外の書ではあるが、やはり宗門の人によつて翻訳されたものに、文禄の天草本『伊曽保物語』がある。そのうち「伊曽保伝」のなかに、伊曽保がシャント夫婦の離間を試みる一章があるが、その章には深い御大切の程とか、御身を大切に思ふ者とかさまざまな文句がある。これは夫婦間の愛情や犬馬の愛などをさす場合に大切といふ語を使つたのであつて吉利支丹宗の用語から全然離れてゐる。あいにく国字本の方にはこの一章が除かれてゐる。
日本の近古文近世文に於ても大切といふ語を愛の意味に用ゐた例があることと思ふが、私は過日たまたま『毛利家記』のうちに二三の用例を見出した。他は未だしらべないが多々存するにちがひない。『毛利家記』の巻一の或節に天正十八年度頃のこととして
金吾殿(秀秋)ヲ上様(秀吉)別テ御大切ニ思召
ある一節を別に
「金吾殿はさながら御実子の如く愛憐深くせられ云々」
としてある。即ち御大切と愛憐とを同意味に用ゐてある。また
隆景ヲバ上様別シテ御大切ニ御召御信切ニテ
などともある。されば大切を愛のかはりに用ゐたのは、切支丹教徒が独創ではなく、旧来の一意味を意識的に摘出して適用の範囲を広め新しい臭味をもたせたにすぎないことが推定される。慶長八年の長崎版の辞典には、愛といふ名詞はあげてない、哀といふ語だけである。今パジェスの仏訳本に従つて言へば、長崎版の辞書には愛するといふ語に対して、愛撫して(カレツセー)、愛情(タンドレツス)のしるしを与へるといふ語を以て訳してゐる。教徒が苦しまぎれに、二三の内容を有する大切といふ俗語のうちから、殊更に愛重といふ内容の意味だけを摘出して重要といふ内容をもつて他の本義を棄ててしまつたのは故意なやりかたであつたのでまことに止むを得ざる所といはねばならぬけれども、感心出来ぬ訳語であつたのである。大切といふ語より愛といふ語の方が、形も響きも匂ひも数等まさつてゐることは申すまでもない。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1116137/1/92