シナリオ
はじめに
巷には数あるシナリオ作成論が存在する。それは恐らくGMの数だけ存在し、そこには恐らく正解も不正解も無いだろう。ぶっちゃけ、その卓で全員が楽しめているのであれば、それで良いと思う。従って、ここでは皇國物語キャンペーンに限ったシナリオ論(要するに持論)を展開する。
そもそも、シナリオという言い方が嫌いだ。間違っているとすら思う。シナリオは、舞台脚本や、台本の意味である。これが数多くの誤解を生んでいると思う。私はセッティングと言いたい。それは世界設定、舞台設定、状況設定の意味である。
例えば、「導入部分」があって、「中盤展開」「問題解決」「終局部分」の様なストーリー展開に合わせたシナリオの作り方をする場合がある。所謂「起承転結」の手法だ。この様な考え方や認識は、物語の構造を把握したり、要素を分析する上では必要だと思う。知らないよりは定石として知って置いた方が遥かに良い事は間違いない。
しかし、その様なシナリオの組み方をした場合に起こる弊害として、ストーリーの都合上、どうしても倒せない敵の登場や、絶対に助けられないNPCが存在してしまう。これが他のセッション結果を受けて確定した皇國史に纏わる過去回セッションの場合は、整合性を保つ為に仕方ない。しかし、現在進行形で行われている時系列のキャンペーン・セッションに於いては、私は激しくこれを否定する。むしろ、通常では倒せない様な強敵を、閃きと運と努力と、そして何よりも強い意志、そして後はダイスの力で倒してしまっても、何ら問題は無いと考える。
その様な状況をシナリオ・ブレイクと表現される事があるが、皇國物語に於いては、真の意味でのシナリオ・ブレイクは存在しない。何故ならば、最初に用意されているのは脚本・台本としての意味を持つシナリオではなく、世界・状況設定としてのセッティングしか存在しないからだ。
それはつまり、そのセッティングとPCの行動選択から導き出される無限の可能性と結末の中で、確率的に低い結果が現れたに過ぎないのだ。それはつまり、GMやPLにとって想定外で予想外であっても、ゲームシステムと世界観にとっては想定内で許容範囲内の出来事なのである。
セッティング
世界設定や舞台設定、状況設定を用意すると言っても、完全な世界設定を用意する事は不可能だ。例えば、首都ラヴェニカの全人口683万7841人分のDATAと顔グラを用意するなんて事は、絶大な労力の割に意味が殆ど無い。では何を用意するかと言うと、実はGMは最初は何も用意しない。そのPCにとって、人生の目的、生活の目標、冒険に出る動機、将来の夢、その様な人物像、キャラクターを掘り下げて貰う事から始める。
「TRPG論 楽しみ方」でも触れた様に、TRPGには色々な遊び方と楽しみがあるが、その中心にあるのはキャラクターである。従って、世界設定もキャラクターの周囲近辺(現在地)と、将来の夢(目的地)又は主義や思想(ベクトル)に合わせて、設定を用意する。その際、用意された世界設定の中で「緋鋼皇國」の舞台、時代と状況の設定に基本的なスポットライトを、やや広い範囲で合わせているので、その範囲内で各PCの焦点を合わせて貰っている。以下、その焦点に合わせて用意すべきものを羅列する。
・先ず用意するセッティングは、キャラクターにとって「乗り越えるべき障害」と成り得る幾つかの可能性。(障害を一つに限定せず、大小様々に取り混ぜる)
・次に用意するセッティングは、「それらの各障害を乗り越える手段と方法」である。(これは敢えて明確に用意しない事もあれば、たった一つしか手段が無い場合もある。全て設定による)
…以上、羅列すると言ったが、たった二種類しか無かった(笑) TRPGは基本的に「なりきり」遊びではあるが、「ロールプレイ(役割分担)」を行うゲームでもあるので、障害は必須である。もし、その要素が無ければ、それは「茶番劇」か「リレー小説」の様な何かであろう。
そして障害が用意されているならば、それを乗り越える方法が無ければ、単なる無理ゲー、糞ゲーになってしまう。もちろん、ルール的に無理なものは無理であり、数理的に不可能は不可能であるが、用意すべき障害がルールの範疇で(難易度の差異はあれど)乗り越え可能なものである事は言うまでもない。
まとめ
実は、キャンペーン・セッションと云うモノは、その様なキャラクター各自の「目的」に対して、それに対する「障害」と「解決法」が、連続して繰り返されるに過ぎない。最終目的に対して、そこへ到達する大目標が三つ、大目標一つに対して、中目標が五つ、その中目標一つに対して小目標が七つ、の様に階層構造を為していたりする。
例えば戦闘における1ラウンドですら、この戦闘で生き残り且つ敵を倒すという目的があって、その為の行動として、目前の敵(障害)にまで近接して命中させ(手段)、敵にダメージを与える(目的)の様なラウンド毎に極小の「目的」と「障害」「解決法」が存在しているのだ。それが、その都度に失敗したり成功したりを繰り返して、それを延々と積み重ねて行くだけである。これが最終的に、ターン単位、シーン単位、セッション単位、ダンジョン単位、キャンペーン単位で、存在すると考えれば良い。
時にはワガママを言う味方が障害であったり、自身の軟弱さや、金銭的枯渇の様な状況、或いは情報不足、等々が、目的達成を困難とする障害であったりもする。また、PCの日常回では、ゆっくり休む、勉学に励むといった事が目的となったりもする。その際、脚本も台本も要らない。
結論:「シナリオ(脚本・台本)は作らない。そこには状況設定(セッティング)と、PCの行動指針(PLとキャラクターの意志)があるのみだ」
最終更新:2021年09月17日 11:40