宮崎県は6月6日、家畜の伝染病・口蹄疫の感染を防ぐために特例で避難させていたエース級種牛5頭について、抗体検査の結果が陰性だったと発表した。
これにより5頭は殺処分を免れ、宮崎牛ブランドを支える種牛の全滅という最悪の事態は回避された。県管理の種牛55頭のうち50頭は既に殺処分されており、この5頭は県にとっては最後の砦であった。東国原英夫知事はこんな談話を寄せた。
「種雄牛は農家の皆様のご協力のもと作り上げてきた貴重な財産であり、5頭を守れる可能性が高まったことに安堵するとともに、5頭以外を失うことになってしまった事態を重く受け止めております」
宮崎県で発生した口蹄疫が猛威を振い続けている。4月20日に感染の牛が公式に確認されて以降、拡大の一途をたどっている。発生例が相次ぎ、感染は未だに終息してない。
これまでに(6月7日時点)276ヵ所で発生し、殺処分対象となった家畜は約18万頭に達した。牛がこのうちの約2割を占め、約8割が豚だ。さらに発生地から半径10キロ以内の未感染の家畜も、予防的に殺処分されることになり、その数は約9万3000頭近くにのぼる。まさに未曾有の事態である。なぜ、これほど拡大してしまったのか。
■牛10頭にワクチンを接種し 殺処分の日を待つ
「町も県も国も危機感が余りに希薄だった。そのうえ、連携もできていなかった」
怒りを抑えながら語るのは、宮崎県川南町で畜産業を営むAさん。消毒剤の匂い漂う自宅前で取材に応じてくれた。
冷静なAさんの語り口からやるせない思いが溢れてきた。それもそのはずである。飼育している牛10頭にワクチン接種し、殺処分の日を待つ身という。防疫作業を続け、わが子同様の牛たちの感染を懸命に防いできたが、努力は報われなかった。国は5月19日、口蹄疫ウイルスを根絶するために、地域内の未感染の家畜も殺処分することを決定した。健康なAさんの牛たちも殺処分を免れることはできなかった。
宮崎県を直撃した口蹄疫禍は発生当初、これほど深刻な事態になるとは思われていなかった。東国原知事は4月20日に緊急会見を開き、都農町の農場から感染の疑いのある牛が出たことを明らかにした。そして、農場の牛全頭の殺処分や半径10キロ以内の家畜の移動制限などの対策を発表した。
10年前に口蹄疫の拡大を早期に阻止したことや鳥インフルエンザ対策の経験などから、県は感染の封じ込めに自信を示した。今年1月に韓国で口蹄疫が発生しており、県は緊急の家畜防疫会議を開催したばかりであった。東国原知事も会見で「感染の疑いのある牛は、市場に出回らない。仮に食べても人体には影響ない」と語るなど、むしろ、風評被害を懸念していた。
口蹄疫発生の二ュースに、Aさんは危機感を募らせた。自宅は都農町と接しており、しかも、感染牛の出た農場とは1本の道でつながっている。畜産関係の車が頻繁に往来する県道である。感染力の強い口蹄疫の恐ろしさも理解していた。地元JAが韓国での発生を受け、口蹄疫に関するパンフレットを作成していた。Aさんは春先にそれを手に入れ、何度も読み返していた。口蹄疫の症状や防疫方法などを頭に叩き込んでいた。
そんなAさんにとって、国や県や町の防疫体制は、どうにも心もとないものに見えてならなかった。確かに家畜の移動や搬出を制限する区域が設定され、両区域に通じる国道10号線などで消毒ポイントが設けられた。しかし、わずか4ヵ所(当初)で、車の往来に何ら変化が見られない。感染の拡大防止に初動態勢が極めて重要なのは、言うまでもない。思い余ってAさんは川南町と都農町に電話を入れ、「道に消石灰を撒いて下さい」と、防疫態勢の強化を訴えた。東国原知事が緊急会見した翌々日の早朝のことだ。
■防疫体制の強化訴えたが 反応は典型的なお役所仕事
反応は最悪だった。「検討します」「担当者に伝えます」という典型的なお役所対応で、それっきりだ。業を煮やしたAさんは「自分でやるしかない」と決意した。自分の牛を守り、地域の牛や豚を守るためだ。自費で消石灰を調達し、たった一人で県道に散布した。
撒いたのは、道路の片側を約50メ―トルほどである。すると、道を管理する県の担当者が血相変えてやって来た。「困ります!滑って交通事故が起りかねない。よそでも同じことやられたら、大変だ」と。Aさんは、地域全体の危機との意識の乏しさにがっくりきたという。感染の発覚が数件にすぎなかった4月下旬の出来事だ。
孤軍奮闘するAさんに思わぬ援軍が現れた。地元の自治会である。地域として防疫に取り組もうと立ちあがったのである。町とも協議し、道路への消石灰の散布を自治会で行うことにした。万が一を考え、畜産農家以外の住民6人が作業にあたった。町から提供された消石灰は20キロ入りが30袋。全体で700メ―トルに及んだ。
消毒作業は5月11日と20日、それに24日の3回にわたったが、辛い結末を迎えた。地域内の全頭殺処分が決まり、Aさんの牛にもワクチンが接種された。地域の仲間が防疫作業に奮闘していた24日午後のことだ。
隣接する自治会も同様の防疫活動に取り組むことになった。こうした地域あげての活動が奏功したのか、2つの地区には合計で1000頭余りの牛と豚が飼育されていたが、感染事例はひとつもない。
Aさんが口蹄疫への危機感を募らせたのには、もう一つ理由があった。畜産関係者からある重大な話を聞かされたからだ。感染発覚直後に事態を憂慮した関係者が「(感染牛が出た)農場の1キロ以内を全頭(殺)処分しないと大変なことになる」と、進言したという。ところが、県側は「大丈夫だ」と軽く一蹴し、全く相手にしなかったというのだ。この話を耳にしたAさんは、10年前の早期終息が県の危機意識を鈍らせていると感じたのである。
2000年に宮崎県と北海道で口蹄疫が発生した。日本では92年ぶりのことで、感染源として輸入飼料(わら)が疑われたが、確定されなかった。この時は、4ヵ所で感染が見つかり、全体で740頭の牛が殺処分された(宮崎県内では35頭)。口蹄疫問題は3ヵ月で終息した。
■畜産業の経営形態の変化が 感染拡大の要因のひとつ
これに対し、今回の感染の拡大ぶりはケタ違いとなっている。このため、ウイルスの感染力の違いが、被害規模の相違につながっているとの見方が出ている。つまり、今回のウイルスが10年前のものと比較にならないほど強い感染力をもつという見方である。だが、こうした見方は事実誤認のようだ。
「ウイルスは同じO型で、伝染力や毒性は基本的に同じです」
こう語るのは、宮崎市内で動物病院を経営する舛田利弘獣医師だ。10年前の口蹄疫問題で発見と終息に貢献し、国から表彰されたベテラン獣医師である。
舛田獣医師によると、口蹄疫ウイルスは豚の体内に入ると急激に変異、増殖し、牛の100倍から2000倍のウイルスを出すという。このため、豚がウイルスに感染する前に口蹄疫を抑えることが、最重要ポイントだと指摘する。10年前は感染を牛だけでとどめられたことが、早期終息につながったと振り返る。また、口蹄疫はウイルスの変異が多いため、症状のパターンも多く、見極めるのが難しいという。ではなぜ、10年前は豚に拡大しなかったのに、今回は拡大してしまったのか。
ひとつに畜産農業の形態の変化があげられる。前回は家族2人で牛を肥育する宮崎市内の農家から感染が出た。牛の数も少なく、人の出入りもほとんどなかった。それだけウイルスを外に持ち出すリスクも小さかった。
ところが、今回は大量飼育する企業的経営の農場が、口蹄疫感染の舞台となった。従業員や関連業者など、農場に出入りする人や車両の数も多く、それだけウイルスを拡散させる危険性が膨らむ。また、家畜伝染病予防法では、殺処分した牛や豚などを自己責任で埋却処分することになっている。埋める土地の確保などに手間取り、殺処分が滞るケースも多い。特に豚舎だけで営む養豚業者に起りがちだ。ウイルスを増殖させる豚の処分が遅れ、感染が拡大するという悪循環である。
■豚への感染第1号は なんと県の畜産試験場
今回の口蹄疫の感染拡大は、牛から豚にまで広がってしまったことが、要因のひとつといえる。では、豚の感染第1号はどこか。どういうわけかあまり報道されていないが、宮崎県の畜産試験場川南支場(川南町)が豚の感染第1号だった。ここは法律上、家畜の伝染病対策の責任者となる県の施設である。
4月27日に感染の疑いのある豚が畜産試験場で見つかり、486頭の全豚が殺処分、敷地内に埋却された。民間の畜産関係者は「なぜ県の施設から感染が出たのか、不思議でならない。完璧な防疫態勢を敷いているはずなのに」と、一様に首を傾げる。本来ならば、防疫の手本となるべき存在だからだ。これではまるで警察署が泥棒に入られたようなものだ。
口蹄疫の潜伏期間は7日から10日ほどといわれている。口蹄疫の発生が正式に判明したのは4月20日だが、県はそれ以前に様子のおかしい牛の立ち入り検査を行っていた。都農町の農場から口がただれた牛がいるとの連絡を受け、家畜保健衛生所職員が農場内を立ち入れ検査していた。4月9日のことだ。こうした情報が畜産関係者に共有化されていなかったようだ。
県の畜産試験場で豚への感染が発覚して以降、口蹄疫は爆発的に拡大し、今に至っている。ウイルスの流入と並ぶター二ングポイントのひとつと考えられる。口蹄疫のウイルスは、靴や衣服、車のタイヤなどについて拡散する恐れがあるという。つまり、人が知らずに運び屋になってしまうケースである。
だからこそ、農場に出入りする機会の多い人は、徹底した消毒をしなければならないはずだ。それではなぜ、県の施設にウイルスが入り込んだのだろうか。職員の緊張感に問題があったと考えざるを得ない。
■環境への配慮も必要で埋却地の確保にも手間取る
「あの連中も自分の牛や豚だったら、必死になってやったと思うが、彼らは一日が過ごせればいいんだ。もう覚悟を決めたので、怒りは収まった。今は早く無菌状態にして、やり直したい」
こう語るのは、川南町の畜産業Bさん。十数頭の牛を飼うBさんは、自宅からわずか100メートル先のCさん宅で感染牛が判明し、半ばパニック状態に。自宅前の道路は交通量が多く、しかも、消毒ポイントを通過せずに脇道から出入りする車が少なくなかった。
堪りかねて役場に乗り込んだが、とても手が回らないと動かない。それならばと自分で三角柱を準備し、道の要所要所に設置したが、車の往来は一向に減らない。危機感を強めたBさんはトラクターを道に横付けし、遮断する強硬手段に出た。
近所の農場から新たな感染が見つかり、さらにCさん宅の殺処分が進まずにいたからだ。Cさんが埋却予定地を掘ったところ、水が湧き、作業は中断。感染牛はそのままの状態となった。結局、Bさんの孤軍奮闘も全頭処分の決定で虚しい幕引きとなった。
殺処分した牛や豚を埋める土地はどこでもよいという訳ではない。環境への影響を考慮し、地下水が出ないことや民家や道路から離れていること。さらに周囲の同意が欠かせない。また、埋却地は3年間の使用禁止が規定されている。こうしたことから、町が仲介役になって選定が進められた(口蹄疫対策特別措置法の成立により、2012年3月末までの時限措置として国の責任となった)。
埋却地の選定に川南町は手間取った。要因のひとつに湧水や地下水が豊富という地域性があった。また、異臭や農作物への影響を懸念する住民の反対も加わった。殺処分が進まず、感染が広がるという悪循環である。川南町の蓑原敏朗・副町長は「町は県と協力して可能な限りのことをやったと思うが、結果責任ですので、反省しなければならない。最初に発生した時は3、4件で収まると思っていたのですが……」と、うな垂れる。
畜産が主産業の川南町のダメージはとてつもなく、大きい。町内で飼育される豚は13万から14万頭で、牛は1万頭にのぼる。それら全てが殺処分されることになった。牛や豚の所有者には国の損失補填があるものの、農場従業員や飼料店、獣医や薬品業者など、畜産関連で生計を営む人たちへの救済は用意されていない。
■感染源の解明をはじめ 今後なすべきことは山積している
被害が広がる一方の宮崎の口蹄疫問題。今はなによりも終息に向けて力を合わせる時だが、その後になすべきことは山積みだ。まずは感染源の解明だ。ウイルスの侵入経路である。そして、感染拡大を阻止できなかった原因究明であり、口蹄疫禍の検証である。そのうえで、農家が数頭の家畜を飼育していた時代に制定された家畜伝染病予防法の見直しも不可避ではないか。
「感染源を明確化しないと、同じような事態が今後も起りうる」
舛田獣医師はこう警鐘を鳴らし、こんな提言を明らかにした。ひとつは家畜伝染病予防法を改正し、畜産業者に埋却用の土地の確保を義務付けること。2点目は、宮崎県などの畜産県の家畜保健衛生所に、口蹄疫の検査機能を持たせるというものだ。
現在は農水省の動物衛生研究所のみで検査をしており、家畜の異変が生じた場合、その都度に検体を送って調べてもらっている。それが地元で検査できるようになれば、感染の確認が迅速にできるようになるという。
今回の口蹄疫の拡大は、行政の危機意識の欠如がもたらしたものといえる。後手に回った防疫活動ほど虚しいものはない。いち早く危機を察知して初動態勢を万全なものとしなければ、地域の資産や資源を守ることはできない。行政トップの責任は大きい。求められるのは、宣伝力ではなく、危機管理能力ではないか。口蹄疫対策特別措置法は6月4日に施行されたが、予算規模は1000億円にのぼる。血税の投入である。
最終更新:2010年07月15日 03:30