口蹄疫で204農家の牛と豚2万335頭が殺処分された宮崎県西都市の橋田和実市長(57)が、口蹄疫に立ち向かった市民や自らの体験を本にまとめて出版しようと執筆を続けている。
宮崎大畜産学科卒で、家畜の人工授精師の資格を持ち、約10年間、和牛改良に携わった異色の経歴の持ち主。実際に殺処分作業に加わり、陣頭指揮を続けてきた。橋田市長は「県内の家畜の約4分の1を失った今回の教訓を風化させてはならない」と願っている。
「家族のように育ててきた牛を殺せと言うのか」
5月下旬、国が健康な家畜にもワクチンを接種して殺処分することを決定。農場への立ち入りが制限されており、市職員らは各農家に電話をかけて説明した。
しかし、農家の怒りはすさまじかった。涙を流しながら説得を続ける職員の姿も。市内の計約340農家のほぼ全員を知っているだけに、それぞれの苦しみが痛いほど伝わってきた。接種を拒む農家には、直接面会して頭を下げた。
つらい殺処分を続ける獣医師や職員を励ますため、約5回にわたって作業に参加した。防疫服に身を包み、牛の手綱を握って、動かないように体を押さえる。獣医師が薬剤を注射すると十数秒後には倒れていく。次々に死んでいく牛を見て、言いようのない罪悪感にさいなまれ、涙があふれた。6月1日には、家畜の鎮魂の意味を込め、高校時代以来の丸坊主にした。
「埋却地確保や農家への補償を巡り、国や県とは何度もけんかした」という。処分頭数が多すぎて、法律通りに農家が個別に埋却地を確保することは不可能と判断。市が共同埋却地を用意すると国と県に伝え、許可を取り付けた。この方法は「西都方式」と呼ばれ、他自治体も取り入れた。
共同埋却には市民の協力が不可欠だった。牛485頭を失った同市の「壱岐畜産」創業者、壱岐秀一さん(60)は、他の農家のことも考えて土地を提供。知人らにも提供を呼びかけ、市内12か所、計約12ヘクタールの共同埋却地の確保に尽力した。埋却には周囲の同意が必要なため、住民の説得も引き受けた。
壱岐さんは「我々市民も協力しなければ、この未曽有の危機を乗り越えられないと思った」と振り返る。
橋田市長は6月下旬から口蹄疫対策の実情や体験をつづり始め、約8割まで書き進んだ。タイトル案は「口蹄疫苦闘100日間の戦い」。8月に市民と協力して行う「畜魂祭」までに完成させたいという。(帆足英夫)
(2010年7月28日13時12分 読売新聞)
最終更新:2010年07月30日 02:28