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 ■口蹄疫で知る「命」の現実

 前回のコラムで今年は子供たちの手足口病に注意が必要だと書いた(4月22日付)。その数はさらに増加し依然警戒が続く。ところが牛や豚の間で、人間の手足口病と似たような病名の「口蹄(こうてい)疫(足口病)」の禍が広がった。名前は似ているが、この2つは原因となるウイルスが異なっており、手足口病が動物にうつったり口蹄疫が人にうつったりすることはない。

 人の手足口病と違い、動物(ひづめが2つに割れている偶蹄類)が口蹄疫にかかると、回復には長期間かかり死亡することも珍しくない。感染力も強い。残念ながらまだ被害がおさまらず、宮崎県ではこの口蹄疫で種牛をはじめ、家畜約19万9千頭が殺処分の対象となった(18日時点)。

 私は平成15年から農林水産省の食料・農業・農村政策審議会「家畜衛生部会」の委員をつとめている。動物の感染症や畜産に関して素人同然だが、鳥インフルエンザなど動物の感染症の人への影響を考える立場から参加している。

 今回、口蹄疫対策で牛へのワクチン接種が行われた。しかし、かつて鳥インフルエンザが鶏で流行したときは、鶏へのワクチン接種は行われず、殺処分でおさめた。家畜の感染症対策で、このような違いがでるのはどうしてか。

 鳥インフルエンザ対策の場合、大量にいる養鶏所の鶏1羽1羽に確実に接種するのは難しい。ウイルスは対策網の間を縫うようにして生き続けるので、接種しても結局、流行は収まらない。鳥での流行をおさめなければ、人の健康への影響も心配されるため、鳥インフルエンザの場合、殺処分が最優先となる。

 もちろん、口蹄疫でも感染の拡大を抑えるのは、殺処分が最優先である。しかし今回、口蹄疫ワクチンが牛豚に接種された。ワクチンにより口蹄疫の拡大をある程度抑える間に殺処分を進め、最終的にはウイルスをその地から根絶やしにするためだ。だが、ワクチンも万能ではなく、ウイルスを根絶やしにはできない。ワクチン接種した動物も感染の可能性があり、感染を封じ込めるため、結局、接種した牛や豚も処分されるという運命に変わりはないのだ。人が感染症のワクチンを打つ目的は健康と生命を守るためのもの。だが牛の場合、その生命を守るためではない。ワクチンひとつとっても、人と家畜では目的が大きく違う。

 牛や豚は私たちのために生きて、死ぬ。私たちはこうした経済動物の恩恵の上に生命をつないでいる。大量の牛や豚の殺処分が伝えられることで、普段は見ないで過ごしてきた、「人間が他の生命をコントロールしている」という傲慢(ごうまん)な部分が明らかに見える形となった。

 かつては栄養を得るため、あるいは祝い事のため、庭で飼っていた鶏をつぶして食べるなど、人間の「残酷さ」を知る機会が日常に転がっていたが、今やきれいにラップで包まれた肉の塊、魚の切り身から、それが「命」だったことを想像するのは難しい。

 他の生命をコントロールして人間は生きている。今回、口蹄疫でそんな現実を子供が知ったのではなかろうか。甚大な被害に胸がつぶれる思いがするが、その学びが、食べられることなく生命を失った家畜たちへの、せめてもの鎮魂になるのではないだろうか。(おかべ のぶひこ)



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6月
最終更新:2010年07月17日 02:27