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蜘蛛は水を求め、水を恐れる - (2009/03/11 (水) 21:14:00) の1つ前との変更点
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*蜘蛛は水を求め、水を恐れる ◆5xPP7aGpCE
地図でいうところのJ-05、島のほぼ最南部に位置するログハウス風のレストラン『果実とスープのキッチン』
先程のキョンに続いて雨蜘蛛もまたこの店を後にする。
店名が大きく描かれた爽やかな看板を一瞥して彼が向かった先はキョンが去った西でもなければ道路が続く反対側の東でも無い。
「さ~て、会場の境界はどうなっているのかね~」
向かったのは南。
キョンが参加者を殺す為に西に向かい、そのキョンから東でこちらに向かう参加者は見ていないと聞いている。
途中で戦闘したというガイバーショウが生きている可能性はあるが、だとしても絶対無傷で済んでいる訳が無いとも言っていた。
そして神社に居たウォーズマン他については未だに姿を現さず振り切ったと判断して良い。
なら次の獲物を見つけるまでその時間を有効に使わせてもらおう。
死に損ないのガイバーショウを狙うのもいいが雨蜘蛛が今欲しいのは主催者とそれに関わる情報、会場の事を知っておくのも悪くないとの判断だ。
首輪がある限りそのまま逃げられるとは思ってないが見ておくだけ見ておこうと雨蜘蛛は思う。
幸いというか道は在る。
それ程背の高くない草とまばらに樹木が生える中、土が剥き出しになった小道がレストランの敷地からそのまま南へと延びていた。
時間的には次の放送まで二時間程の余裕がある。
夜が明けて殺し合いがどれ程進んでいるのか、それを聞いてから行動しても遅くないだろう。
「しっかしこの地図も妙なんだよねぇ、緑と砂はそのままだから判るが周りに広がっている水色は何なんだい?」
地図を取り出して眺めながら雨蜘蛛は呟く。
関東大砂漠に生を受け少なくない人生を過ごしてきた男にとって地図のその表現が何を表しているかはさすがに想像の範疇外だった。
すぐ判るか、と地図を仕舞うとじゃり、じゃりと乾いた土を踏みしめながらそのまま歩く。
距離的にはそろそろのはずだが緑が事の外多く、視界はそれ程でも無い。
「妙な匂いも強まってきたね~、耳を澄ませば何か音も聞こえるし、おじさんますます興味が惹かれますよっと」
嗅ぎなれている乾いた砂の匂いとはまるで違う潮の匂いと波の打ち寄せる音に雨蜘蛛はその正体を確かめてやろうと道の先にある茂みを掻き分ける。
がさがさと太陽を浴びて背丈ほども伸びた草の間を暫く進むと突如視界が開けた。
「うおおぅっっ!!まじかよ!!」
飛び込んできた光景に雨蜘蛛は心の底から驚いた。
マスクで他人からは伺えないが、その下ではきっとぽかんと口を開けた表情が浮かんでいた事だろう。
無理も無い、男にとってそれは有り得べからざる光景だったのだから。
―――無尽蔵に水を湛える海という存在は
※ ※ ※ ※
『草むらの長いトンネルを抜けるとそこは海岸だった』
自殺した作家の表現を借りるとそんな一文になるのだろうか。
あれから何十秒、何分経っただろう。
雨蜘蛛は未だ立ち尽くしたままであった。
男は海を見た事が無かった。
いや、男は海という存在を生まれてこのかた知る事が無かった。
それは男の人生にとって生涯忘れられない体験となるだろう。
見よ、果てしなく広がる大海原!
白い波頭が眼下の磯に打ち寄せては弾ける。
正面から吹きつける潮風を堂々を受け雨蜘蛛は感動に打ち震え続けた。
「傷が痛むってー事は、夢じゃねぇよな…」
夢でも幻覚でもない、確かに砂漠の民が願ってやまない水が使い切れぬ程の量で目の前に在る。
もっと近づいて確かめよう、そう決めると辺りを見渡す。
雨蜘蛛が立っているのは海岸とはいえ崖の上、そのままダイビングする事はさすがに出来ない。
道が在ったという事は降りられる筈だと思った通り、ほど近い所に下へ降りられそうな階段状なっている傾斜が緩い場所が見つかった。
一歩一歩慎重に下ってゆくとやがて平らな岩場に降り立つ。
後何歩が踏み出せば水中、という所まで来てようやく雨蜘蛛は立ち止まった。
ざぱぁんと波飛沫が身体に掛かる。
ぴちゃりと服が濡れる感触が確かに現実である事を教えてくれる。
そして男の両腕が上がった。
もはや身体の一部とまで言えるマスクを両手で掴むとゆっくりと外す。
灌太や太湖でさえ未だ見た事が無い雨蜘蛛の素顔が陽の光の下に晒された。
容姿は残念ながら割愛せざるを得ない、マスクを置いた雨蜘蛛は続けて自らの衣服に手を掛ける。
砂漠の住民が砂と肌を焼く太陽から身を守る為の砂漠スーツ、それを完全に脱ぎ去って男は生まれたままの姿になる。
何故か股間が活力に満ちていたが幸い周囲に人は居ない。
「へへっ~、こんなに水が在るんなら飛び込んでも罰は当たらねえよなぁ!」
満面の笑みを浮かべながら男はざぶり、と足を海中に投じて足が付く事を確かめる。
その冷たさに感激しつつ今度は両足、続けて全身を投じて飛び込んだ。
傷口が妙にしみるが普段以上にテンションが高まっていて気付かない。
そして思う存分水を飲もうと口を開いて―――
「しょっぺぇぇぇっ!塩水かよ!」
そのあまりの辛さに吐き出した。
一瞬呆然とした後で海を見渡す。
「いくら水が在ってもこれじゃ飲めね~じゃねえか!これは何だ、新手の拷問か?」
ぺっぺっと海水交じりの唾を吐きながら悪態をつく。
砂漠で誰にも知られてないオアシスを見つけた、そんなありえないような幸運を手にしたと思っただけに落差は大きい。
おかげでせっかくの感動も半減しかけるがすぐに思い直す。
「こんなに水が豊かな所の連中だ、塩水を飲める様にする技術ぐらいはあるんだろうな~」
飲む事は諦めたが水の中が気持ちいい事に変わりは無い。
首だけを水面に出しながら雨蜘蛛は生涯初の海水浴を楽しんでいた。
つい先程まで考えていたキョンや草壁メイの話にあった幾らでも水が使える場所、まさかこんな近くに在ったとは今までの自分が馬鹿馬鹿しくなる。
この水は辛くて飲めないが、飲める水や飲めるようにする技術も在るのだろう。
だとしたら関東大砂漠にわざわざ戻る理由ってあるのかね、と雨蜘蛛は今後の身の振り方に考えが及んだ。
「さすがにそれを考えるのは早いか~、ま、ここの連中がどんな奴なのかも判らりゃしねえからな~」
水が豊富でもオアシス政府の様にうるさい奴らが居ないとは限らない、今後は今居る会場についてももっと調べてみるかと考えた。
そのままぷかぷかしながら周囲に警戒の視線を巡らすと意外にも生物の影が濃い事に気付く。
海にちょっと潜れば魚が泳ぎ、岩の上にはカニがぴょこぴょこと歩き、波打ち際には様々な貝がへばり付いている。
その殆ど全てに雨蜘蛛は見覚えが無かったが、普段生き物に乏しい砂漠の住民が何の感慨も抱かない訳が無い。
「そういえば腹減ったな~、レストランは先客が荒らした後だったし~、お食事タイムといきますか♪」
キョンが来るまでの捜索で食料類が徹底的に持ち去られている事を悔しがった雨蜘蛛は食糧調達のいい機会だと思いつく。
(もし食料荒らしの犯人が宿敵の灌太と知っていたらその怒りは数倍になっていただろう)
複数のティバックが有るだけに手持ちの食料は豊富だが先がどれだけ長いのか今のところ見当がつかない。
更に言えば味気ないであろう保存職よりも新鮮な食材に魅力を感じるのは雨蜘蛛ならずとも当然の事だろう。
「そういえば塩や油とか鍋なんかは手付かずで残っていたな~、これはおじさんが有効に使ってあげないと♪」
灌太はすぐに食べられる食料と水は持ち去ったが調味料や調理道具は目もくれなかった。
従って雨蜘蛛が食材を調達できるなら使えるものは大量に残っている。
早速海から上がった雨蜘蛛は砂漠スーツを身に着け嬉々としてレストランへの道を引き返していった。
※ ※ ※ ※
「う~ん、これだけ獲れれば十分か~♪」
とにかくここは非常に豊かだ。
大きめの潮だまりを覗き込めば小魚の群れに掴み取れる程の貝。
見た事も無い生物も多かったが手当たり次第に捕まえた結果、短時間でバケツが溢れる寸前になった。
中を見て騒がしく動く小魚や貝類といった獲物に雨蜘蛛は満足そうな声を上げる。
特に役立ってくれたのがレストランで調達した生け簀用の網だ。
雨蜘蛛の「地獄の取立人」ぶりはこんな場所でも遺憾なく発揮されたらしく逃れた魚が居たのかは不明である。
「さ~て、あとは煮るなり焼くなり好きにさせてもらいますかね~」
知る人が聞けば震え上がるような台詞を呟きながら雨蜘蛛は調理に適した場所を探す。
忘れそうになるが現在は殺し合いの只中だ。
当然煙は出せないし招かざる客を警戒しなければならない。
念入りに探した結果選んだのが奥まった場所に有る崖下。
頭上と背後はオーバーハングした崖、真上から見下ろしても雨蜘蛛の姿はわからない。
崖を降りられる場所は離れており対処できる時間が十分取れる。
石を組み上げた即席の暖炉に海水を汲んだ鍋と金網を乗せるとこれまたレストランで調達したマッチで流木に火を付ける。
煙が崖を張り出して茂る木々を通った後は遠目で判らない程度に薄まるのを確かめ、雨蜘蛛は適当な石に腰掛けた。
網が十分に焼けた頃を見計らって捕まえた獲物を乗せるとジュウ!と肉が焼ける音が満ち溢れる。
残りは鍋に放り込み火が通るのを待つばかりだ。
「いいねいいね、おじさん涎がとっても出てくるよ~」
ジュウジュウと魚やカニの焼ける匂いが鼻をくすぐる。
ぱっくりと焼けた貝が口を開くと白い身肉がその姿を現した。
いかにも食欲をそそる光景と匂い、そして音に雨蜘蛛はマスクの下で舌なめずりする。
レストランから持ってきた調味料を使い適当に味付けして火が通ったものから口に頬張る。
飲めないとはいえこれ程大量の水を前にした食事は砂漠で食べるより遥かに味わいがあった。
「ハムッハグッ!ゴグッムグッ!ゴクリ! あ~っ!旨いっ!信じられない程旨い!ほんと極楽っ!」
魚、表面はカリッと焼けているのに中身はプリプリして実に旨い。表面に振った荒塩が良く効いていて数匹分をペロリと平らげる。
小エビ、火が通ると実に鮮やかな色になる。焼いてパリパリになった殻ごと食べるとこれまた旨い。
カニ、捕まえる時挟まれた仕返しとばかり殻ごと齧り付いて味わう。子持ちだったのかプチプチと心地よい食感が堪らない。食べた後で殻を吐き出す。
名も知らぬ貝、穿るのが少々面倒な他、食べていてジャリッと砂が混じる。しかし噛めば噛む程旨みが沸いてくる。醤油を掛けると特に旨い。
ヒトデ、茹でたものを噛んでみるが固いゴムを食べているような味。これはハズレかと思ったが外側を剥くと卵が出てきてこちらは旨い!
ウミウシ、派手な色をしていたが大きくて食べ応えがありそうだと焼いてみた。しかし固いサンダルを食べている様で完全なハズレ。
そして最後にアメフラシ、一番の大物で本日のメインディッシュ。焼くか煮るか迷ったが結局は煮た。
「う~ん?何だこりゃ~、まるでゴムの塊じゃねえか。最後にとっておいたのにハズレったあツイてないねぇ」
大物だけあって最後に鍋から取り出したそれの固さに雨蜘蛛はがっかりした。
全力を出せば噛み切れない事はないだろうがそんな固いものをわざわざ食べても仕方が無い。
魚やカニ等で十分腹も膨れた事もあって雨蜘蛛はほかほか湯気の立つそれを海に向かって投げ捨てた。
大きな放物線を描いてボチャンと海に水柱が立つ。
何となくそれを目で追っていた雨蜘蛛が岩場の間から僅かに見えていたものに気付いたのは偶然だった。
「おや~?ひょっとしてこれは隠しアイテムという奴なのかな~、見た感じおかしな仕掛けは見当たらないが」
近づいてみるとそれは四人程乗れそうな電動船外機付きのゴムボート。
それがこんな人が来なさそうな岩陰の間にポツンと置かれていた。
調べるとご丁寧に操船マニュアルまで備わっている。
もちろん雨蜘蛛はゴムボートを見るのも初めてだ。
しかしマニュアルにはそんな参加者が読む事も想定していたのか『これは川や海といった水の上を移動する道具です』と図入りで説明がなされている。
「海ね~、この大量の塩水は海って言うのか~」
川についての知識は雨蜘蛛にもあるのでここでようやく海という名前が解った。
何故その漢字が読めたのかまでは知らないが。
とにかく禁止エリアに阻まれて会場北部には行けないものの南半分だけでもを自由に行き来できるとすればその価値は大きい。
「しっかしねえ、海に落ちたら俺でも助かる自信はないんだよね~」
先程海水浴した経験から足が付かない場所で海に入るのはヤバいだろうと気付いていた。
便利ではあろうが海に不慣れな自分が使うのは危険が大きいとも思う。
『万が一に備えてライフジャケットを付けましょう』などとマニュアルには有るが探してもそれらしき物は見当たらない。
ふと思いついてティバックのうち一つをそろそろと海に降ろしてみる。
するとバックは沈むことなく波に揺られて浮かんでいた。
手持ちのバックは4つ、充分浮き代わりになりそうだ。
「…まあ、試してみる程度はいいかもねぇ」
結局少し迷った後で雨蜘蛛はボートに乗ってみる事にした。
これはやはり海に対する興味があった事が大きい。
海水浴が気持ちよかったのでボートで乗り出しても楽しいかな~、という「はじめての海遊び」を楽しもうという気持ちからでは決して無い…かもしれない。
移動手段が多いに越したことは無いとボートを海に浮かべて乗り込んだ。
※ ※ ※ ※
「こりゃ~、おじさん早まったかもしれないね~」
揺れるボートの上で雨蜘蛛は人ごとのように言う。
だが口調は軽くてもその目は真剣だ。
危なくなればすぐ戻ればよい程度に考えていたし元々岸からあまり離れるつもりも無かった。
ところが海に乗り出したボートはたちまち流されて岸から遠ざかってしまったのである。
すぐ船外機を動かして戻ろうと試したが潮流がかなり強いのか全然海岸に戻らない。
しかも沖に向かうごとに波は強まり何度もボートを持ち上げられては押し流されて危うく転覆しそうになる。
さらに悪いことに既に自分が会場の境界ギリギリの位置に差し掛かっている事に雨蜘蛛は気づいていた。
このまま流され続けた場合、何分か後に自分は黄色のスープとなる事が確実だ。
助かる手掛かりを求めて雨蜘蛛はマニュアルを何度も捲り続けた。
「なになに~?『海には潮の流れというものがあります、特にこの島の周りの流れは海底地形の影響で複雑ですので十分な注意を』、うんそれで助かるにはぁ?」
ならボートを置いておくなとは今更叫んだところで無駄でしかない。
ぐらりぐらりと波に揺られる中、該当の文章を続けて読む。
「『潮の流れに逆らわず利用する事です、潮流の横に逃げて近くの別の流れに乗りましょう』、成る程ね~」
離岸流に真っ向勝負を挑んだのがそもそも間違いだったらしい。
早速操縦ハンドルを動かして横方向への進路変更を試みる。
ところがそこに横波が来た、ボートは真横から持ち上げられる形でぐらーっと大きく傾いた。
「う~ん、まさか水が怖いと思う日が来るとはおじさん思っていなかったねぇ」
雨蜘蛛は未だ海に落ちてはいなかった。
辛うじて復元力が勝ってくれたらしく転覆を逃れたボートは一気に元通りになる。
浮き代わりとして腕に確保しているティバックも落とさずに済んだがこれで危機が去った訳でもない。
『警告、雨蜘蛛の指定範囲外地域への侵入を確認。一分以内に指定地域への退避が確認されない場合、規則違反の罰則が下る 』
突然首輪からそんな音声が流れてきた。
慌てて放し掛けていた操縦ハンドルを動かして潮の流れを逃れる為の進路を取るが首から警告は止まらずに流れ続けてタイムリミットを宣告する。
残り五十秒、四十五秒とその時はすぐそこまで迫ってきた。
雨蜘蛛の掌にじっとりと汗が滲む、見ればボートは未だに岸から遠ざかり続けている。
「くっ!」
思わず唇を噛んだ次の瞬間、突如ボートが急激に後退しはじめた。
別の流れに乗ったのだ。
そこにボートの推力も加わって今度はみるみるうちに島が大きく見え始める。
『退避確認』
警告が途切れ、雨蜘蛛はほっと息を吐いた。
どうやらスープの未来から逃げられた、そう思って安心した。
このまま流れに任せて陸に戻ろうと考えていて―――気が付いた。
「おいお~い、次は断崖絶壁直撃コースですか~? 格別のサービスだね~」
加速したボートの進路方向、その行き着く先は波頭が繰り返し弾ける垂直の岩壁。
衝突すればどうなるかは雨蜘蛛にも容易に想像が付く、文字通りの木っ端微塵だ。
上陸の手掛かりとなる潮流図は無いかとマニュアルを探すがようやく見つけたのは次の一文だけだった。
「『海図、潮流図については各人で用意してください』、ほんと涙が出るほどのサービスぶりだね~」
呆れ声を出しながら雨蜘蛛は運任せで操縦ハンドルを動かした。
今度は島を平行に流れる潮に移った、と安心すれば真っ直ぐ向かう先に突き出た岩が―――
そこを逃れれば渦に飲まれそうになり、別の潮流に乗ればまた沖へと逆戻り、そんな事を繰り返してる最中にまたもや別の異変が出現した。
「おいおいおいおい、今度は何だ~?」
ボートの周りを複数の黒い影が泳ぎ回っていた。
時折背びれらしきものが海面に現れて雨蜘蛛を視界で威嚇する。
もちろん雨蜘蛛に鮫の知識も無く再びマニュアルに目を凝らす。
「『海には鮫の様な危険な生き物がいます、気を付けて遊びましょう』ね~、おじさん餌になるのは御免蒙りたいなぁ」
もはや乾いた笑いしか出なかった。
懐からS&W M10 ミリタリーポリスを取り出して襲撃に備える。
鮫の群れは暫くボートを包囲するように遠巻きにしていたが―――やがてそのまま海中に消え去ってくれた。
それを見届けて安心したのも束の間、緊張が僅かに緩んだ途端猛烈な吐き気が込み上げてきた。
「は~、一難去ってまた一難…」
ガンガンと激しい頭痛に世界がぐ~るぐる回ってる様な眩暈に襲われ、雨蜘蛛はたちまちグロッキー状態に陥った。
船酔いもまた彼にとって初体験であった。
「『船の上で本を読むのは船酔いに掛かり易くなります』、おじさん酒には強いんだけどね~」
必死に吐き気を堪えながらマニュアルの船酔いに関するページを読もうとする。
経験した事の無い気持ち悪さだ、波がボートを揺らす度に胃の中身が突き上げられ、先程食べたもの全てを戻しそうになった。
「『原因の一つは食べ過ぎです。食事は腹八分目にしておきましょう』、そりゃ仕方無いわ、うえ~」
食料の乏しい世界の人間が豊かな食料を前にして遠慮しろとなど出来るだろうか。
うん、それ無理。
根性で嘔吐しそうになるのを押さえ込み、関東大砂漠住人共通のスローガン「食料は大切に」を厳守する。
操船すらする気になれずボートに横たわって楽な姿勢を取るしかない。
「うう~、おじさんは水が嫌いになりそうだよ。とてもこれ以上の拷問は出来ないね~」
大量の水を発見して歓喜したのも束の間。
飲めず、自由に動けず、こうやって命も弄ばれ、何時でも転落を歓迎するとばかりに下には鮫が待ち構えている。
砂漠に居た頃は自分がこんな気分になるとは想像だにしなかった。
「俺には水難の相が出ているのかね~?」
とことん水に悩まされている現実に「地獄の取立人」はぼやく。
岸は遠くないのに潮流に散々邪魔されて近づく事すらままならない。
例え近づけたとしても波の打ちつける岩場にゴムボートが触れて破れたらその時点で終了だ。
遠ざかってどこかの砂浜を目指そうにも流れに押し戻されるわ、境界の外に流されそうになるわで散々だ。
『潮流も知らずに海に出た結果がこれだよ!』という声が聞こえたような気がしたがツッこむ気分にもなれない。
最悪な気分で陸地を眺めていると聳え立つ断崖の一部分に雨蜘蛛の視線が吸い寄せられた。
「おやぁ~? あれは洞窟か~?」
思わずボートから身を乗り出して目を凝らす。
ここから見えるのは海底から垂直に近い角度で突き出ている延々と続く断崖絶壁。
発達した柱状節理と波の浸食が組み合わさった結果、巨大なクラックや急角度の入り江を形成している。
雨蜘蛛が注目したのはその中でも岩壁を斧で抉ったような鋭角の大クラックの最奥部分。
クラックの周囲には地形の影響で海水が巨大な渦を巻き、しかもそれが複数渦巻いている。
波の満ち引きと共に渦の回転も変わり乱流に揉まれた海水が大波となってクラックの奥部へ殺到する。
その波が引いた僅かな瞬間、黒々と口を開けた洞窟が雨蜘蛛の視界に移る。
真上から降り注ぐ強烈な日差しも届かず、その奥は全く窺い知れない。
学術的に言えば海蝕洞というべきか、波の力によって強固な岩壁に穿たれた自然の作り上げた雄大な構造物。
雨蜘蛛はそれをじっくりと見続けつつ別の疑問が沸いてくる。
「おかしいなぁ、あの辺りにはさっきまで何も無かった筈だけどぉ…」
潮流に何度も流された結果、この辺りも通るのは初めてではなかった。
そして常に陸地を見ながら操船していただけに洞窟があれば見逃すはずなど雨蜘蛛にとって在り得ない。
だが今彼が口にした通り前通った時点で洞窟は無かったのは確からしい。
「まずう~、気が遠くなってきたよ…」
しかし考えようしても全然頭が働かない。
眩暈が強くなり視界がぼやける。
とてつもない気分の悪さにそれ以上の観察は出来ず、ついにはそのまま倒れ込んでしまった。
朦朧とした意識の中、どれ程の時が過ぎたのだろう。
体が揺れていない事に気付いたのは「いい加減陸に戻してくれ」という愚痴が喉を出て行く寸前だった。
雨蜘蛛の乗ったゴムボートはいつの間にか砂浜に打ち上げられていた。
「ははは~、助かったぁ♪」
転覆して溺れる事も禁止エリアに侵入してスープになる事も無くなった。
それが解ると力無く笑うが全く体は動かない。
深呼吸を何度も繰り返し続けているうちに少しづつ気分が楽になってきた。
ガンガンする頭をゆっくり持ち上げ次に上体を起こす。
目の前に広がるのは盛り上がった砂の丘。
ある意味、雨蜘蛛にとって懐かしい光景だが後ろを振り返れば水平線が広がっている。
とにかく休もうとフラフラとボートを降りて今度は動かない大地に横になる。
日に焼けた砂の熱が砂漠スーツ越しに雨蜘蛛の体へと伝わるが慣れた刺激に過ぎずむしろ今は心地よい。
軽い気持ちの行動がまさかこんな冒険的行動になるとは全く海は恐ろしい。
※結論、慣れない事は止めましょう。
今まで海を知らなかった人が単独で外洋に出るとは危険を通り越して無謀です!
『やあ、参加者の皆。元気にしているかな? 』
突然何処からか男の声が聞こえてきた。
心構えも無く突然声が頭に響きわたって思わず罵声が口に出る。
草壁タツオは今の状態が解っていてそんな大声を上げているのかと雨蜘蛛は虚空を睨み付けた。
しかし流石に放送を聞き逃す訳にいかず、慌ててティバックから地図と名簿、筆記用具を取り出した。
考えるのは後回しにして機械的に呼ばれた名前を抹消し、禁止エリア情報を書き加える。
『ご褒美』という言葉も耳に入ったがこれも深く考えるのは後にする。
『…それじゃあ、皆頑張って殺し合ってね。また6時間後に会おう』
ようやく長々とした放送が終わりを告げた。
頭にガンガン響く声でまたもや気持ち悪さがぶり返し、少しでも動けば喉を胃の内容物が逆流してしまうかもしれない。
「くそったれ」
そんな呪詛の言葉を搾り出す。
とにかくこの酷い気分を治める為に雨蜘蛛は波打ち際の砂浜でぐったりと横たわり続けた。
※ ※ ※ ※
放送が終わってから十数分が経過した頃、雨蜘蛛はようやく考え事ができる程度に気分が回復してきた。
体を動かすのは未だ辛いがもう少し待てば歩く程度は出来るだろう。
それまでの間に今回解った事を整理する。
結論その一
あのボートで海に出るのは無理だ。
非力な船外機に平底の船体はまっすぐ進ませる事にも苦労する。
加えてあの潮流の複雑さと波の高さ。
嫌がらせの為だけに置いたのかと本気で疑いたくなるというものだ。
結論その二
会場の境界より外がどうなっているのかは全く不明。
境界付近で外側を見渡しても水平線以外には見えなかった。
首輪が無くなったとしても島から脱出する方向が全く解らない。
結論その三
禁止エリアに侵入しても即座にスープにはならない。
どうやら一分の猶予期間があるらしい、場合によってはそれを利用できるかもしれないと覚えておく。
禁止エリアの角と角で封鎖されている場所も一番狭い所を選べば抜けられる可能性が有る。
そしてここからが新たな課題と問題点だ。
課題その一
海から見えた洞窟について。
あれは幻覚でもなんでもない、確かに存在するものだ。
マニュアルに書いてあった干潮って海面が低くなった時だけ姿を現すのかもしれない。
なら最初は解らなかったのも納得できる。
しかしあの場所は遠目で見ても潮の流れが非常に複雑で激しい事が明らかだ。
陸から近づこうにも切り立った絶壁の最奥部に洞窟は在る。
波に抉られ漏斗状となった入り口は上から全く視認出来ない、狙うのは猿やヤモリでも無理だろう。
あそこに入るとすれば可能なのは空を飛べる奴だが―――
まあ、あそこに何かが隠されていると決まった訳じゃあ無い。
可能なら検討する程度に覚えておこう。
課題その二
先程の放送について。
水野灌太の奴はやっぱり生きてやがる、それはまぁ予想通りだ。
奴がそう簡単にくたばるとは思えない。
更にキョンの妹と朝比奈みくるも死んではいない…ぐふふふふふ、そうこなくっちや。
いけね~、考えるのは他の事だ。
草壁タツオの全く変わらない、むしろ上機嫌のあの態度。
これもまた予想通りだ。
関東大砂漠にも自分のガキをいたぶって楽しんでる奴は居る。
あのおっさんもその一種なのかね~
そして今回呼ばれた人数は5人。
あのおっさんも言った通りそれ程多く死んでいない。
夜が明けて人の動きが激しくなり戦闘も増えると思ったが…これをどう考えるか。
想像は容易に出来る。
あの時俺がキョンという小僧を殺さなかったのと理由は同じだろう、つまり集団の結成。
神社で草壁メイが黒んぼと一緒に居た事、政府のメス犬がひ弱なガキを助けた様に弱い奴が強い奴に縋り、
殺し合いに乗った奴同士は戦わずに手を組んで結果拮抗状態に陥った、そんなとこだろう。
「ま、弱い奴が幾ら手を組んだとしても所詮は烏合の衆だねぇ。そんな連中が散り散りになるのは時間の問題だろな~」
せいぜい手強い連中の足を引っ張ってくれと願いたい。
もし本当に使える連中が手を組んだのなら手を組む事を含めて対応はその時考えればいい。
そういえば名前でまだ気になる事があった。
呼ばれた名前じゃ無い、まだ呼ばれていない名前『アプトム』。
あのカブトムシ野郎が探しているという男らしいが、決着が付いてないって事は俺と同じくまだ出会えてないのかもしれない。
カブトムシ野郎の名前は知らないが名簿の並びが関係の近い者同士になっている事を考えるとアプトムの近くにある誰かだろう。
そしてその名前は誰も死んでいない。
う~ん、もう一度会ったら一声掛けてみるか~?
一緒に探し人を見つけませんかってか?
これも会ったらの話だな。
次に禁止エリア。
海が二つも選ばれたって事は他にも船が幾つか在ってその利用を制限しますって事か?
むしろ使ってもらった方が死ぬ奴が増えるんじゃないか~?
あ~、思い出しただけでもおじさん気分が悪くなる。
ま、俺はもう海はこりごりだし~、あまり関係ないか。
H-06についても17時禁止なら今すぐ危険に結びつかないだろ~。
三人殺しの『ご褒美』について。
放送までとはいえ砂ぼうずの行動が知れるのは大きいといえる。
既に一人は殺しているので残り二人、本気でやろうと思えば難しくは無い。
キョンという小僧ともう一度会って隙を見て殺せば一人は確実だねぇ、やらないけど。
やっぱ一番大事なのは自分の命なんだしな~
それに褒美に目が眩んで戦い方を間違えたら元も子もないねぇ、焦る事は無いかな。
「ま、その時その時で考えりゃいーか」
何はともあれその時の状況次第だ。
課題その三
これからの行動。
さて、この気分の悪さが治まったらどうするかだ。
このまま動かないのは論外。
砂ぼうず、草壁サツキ、キョンの妹、朝比奈みくるといったお目当ての連中が先に死んでしまっては仕方ない。
西にはキョンの奴が向かった、放送で呼ばれなかったという事は今のところくたばる程のドジは踏んでないって事だ。
北はあの黒んぼが俺を探しているかもしれないね、一応避けておくか。
となれば東か~、まあこれも状況次第って事で。
ここで雨蜘蛛は考えるのを一旦打ち切る。
日光と砂に灼かれて考えている間にどの程度体調が回復したのか確かめておきたかったのだ。
しかしそう甘くは無かった事がすぐに解る。
「うう~、まだ頭が痛い…」
寝ている間は良かったが立ってみると頭痛と眩暈が酷くなる。
がっくりと膝を突いて改めて深呼吸を繰り返した。
正直、これではとても戦闘に耐えない。
もう少し休んでいようと結論付けて顔を上げると浜に打ち上げられたままのゴムボートが目に入った。
「そういやこいつの処分を考えていなかったね~」
思い出したくなかっただけかもしれないが先程は特段意識はしてなかったのだ。
当初思った第二の移動手段としてはまるで使えないと嫌になる程実感されられたがこのまま捨てるというのももったいない。
「このバックには…、無理か~やっぱり入らないね」
試してみたが大きすぎてティバックには入れられない。
船外機は取り外せる様だしそれだけでも、と少し考えたが止めておく。
「やっぱり万が一もあるからねぇ、波に持っていかれない所に置いておきますか」
出来ることなら使いたくは無いが、この先そこまで追い詰められないとも限らない。
満潮や高波でも攫われない程度に海から離れた場所まで移動させておく。
「ほんと~に、また乗りたくは無いんだけどね~」
砂丘の窪地にボートを隠し終えて雨蜘蛛はまた乗る時が来ないよう願う。
そして改めて辺りを見渡す。
見渡す限り広がる砂の大地。
一見雨蜘蛛にとって見慣れた光景だ。
これ程の特徴があれば現在地も特定できる、J-07を中心として広がる砂丘だろう。
偶然にせよ陸に辿り着ける潮流に乗って流された結果という訳だ。
本来なら雨蜘蛛にとって戦い慣れたフィールド。
しかしながら雨蜘蛛は関東大砂漠とこの砂丘との違いをしっかりと感じ取っていた。
手を伸ばし、足元の砂を一掴み握って掬い取る。
―――重い
掌の感触を確かめながら雨蜘蛛はそう感じた。
砂漠の砂はサラサラに乾ききった粒子の小さなパウダー状、対してここの砂は粒が大きく水分を含んでいて重い。
掴みとった跡を見やると下の砂は表面と色が違う。
水分の差だ、日光で表面は乾いてもすぐその下には湿った重い砂が隠れている。
これは成因上の違いである。
この島の砂丘はあくまでも浜砂。
風化してボロボロに崩れた花崗岩の細かな粒が波に打ち上げられ、浜風の吹き寄せられて堆積した地形だ。
珪酸を主成分とし、比較的粒は揃っているが堆積した後は磨耗がさほど進まず径が大きい。
さらに海岸に位置するために塩分と水分が常に供給され、結果べっとりと重い。
一方東京大砂漠の砂は同じく地殻上最も豊富な珪酸が主体だが粒が格段に小さい。
これは何百年に渡って繰り返された砂嵐等で互いに激しく研磨された結果に加え、軽い粒子程運ばれやすく地表で砂地形を形成しやすい。
更に気候は雨の乏しい砂漠気候、水分は非常に乏しく多少掘り返した所で湿った砂には突き当たらない。
つまり雨蜘蛛にとっても普段とは勝手が違う場所。
他人より多少有利な程度と思った方がいいと肝に銘じる。
そして四つのティバックを改めて整理する。
三つの中身を取り出して残り一つに纏めた上、空のティバック三つも最後に詰める。
これで一人で三つのバック持ちという不信感は持たれない。
出発の準備は整った。
後はこの勝手が違う砂の大地の奥へ踏み出そうと一歩進んでから―――座り込む。
「やっぱ、もう少し休むか~」
船酔いは未だ雨蜘蛛を悩ませていた。
体調を整えてから行こうともう一度楽な姿勢を取る。
念の為弁護するが、乗り物酔いというものは苦手な人は本当に辛いのである。
だから彼の行動はこの非常事態でも不自然でも何でもない、たぶん。
【J-07 砂丘の海岸部/一日目・昼】
【名前】雨蜘蛛@砂ぼうず
【状態】重度の船酔い(回復中)、胸に軽い切り傷 マントやや損傷
【持ち物】S&W M10 ミリタリーポリス@現実、有刺鉄線@現実、枝切りハサミ、レストランの包丁多数に調理機器や食器類、各種調味料(業務用)、魚捕り用の網、
ゴムボートのマニュアル、スタングレネード(残弾2)@現実、デイパック(支給品一式)×4、ホーミングモードの鉄バット@涼宮ハルヒの憂鬱、RPG-7@現実(残弾三発)
【思考】
1:生き残る為には手段を選ばない。邪魔な参加者は必要に応じて殺す。
2:船酔いが治まるまで動きたくない。
3:水野灌太と決着をつけたい。
4:ゼクトール(名前は知らない)に再会したら共闘を提案する?
5:絶壁の洞窟が気になる、飛行能力がある者に出会ったら調べさせてみる?
6:キョンの妹・朝比奈みくるをちょめちょめする。
7:草壁サツキに会って主催側の情報、及び彼女のいた場所の情報の収集。その後は……。(トトロ?ああ、ついででいいや)
8:キョンを利用する。午後六時に採掘場に行くかは保留。
9:ボートはよほどの事が無い限り二度と乗りたくない。
【備考】
※第二十話「裏と、便」終了後に参戦。(まだ水野灌太が爆発に巻き込まれていない時期)
※雨蜘蛛が着ている砂漠スーツはあくまでも衣装としてです。
索敵機能などは制限されています。詳しい事は次の書き手さんにお任せします。
※メイのいた場所が、自分のいた場所とは異なる世界観だと理解しました。
※サツキがメイの姉であること、トトロが正体不明の生命体であること、
草壁タツオが二人の親だと知りました。サツキとトトロの詳しい容姿についても把握済みです。
※サツキやメイのいた場所に、政府の目が届かないオアシスがある、
もしくはキョンの世界と同様に関東大砂漠から遠い場所だと思っています。
※長門有希と草壁サツキが関係あるかもしれないと考えています。
※長門有希とキョンの関係を簡単に把握しました。
※朝比奈みくる(小)・キョンの妹・古泉一樹・ガイバーショウの容姿を伝え聞きました。
※蛇の化け物(ナーガ)を危険人物と認識しました。
※有刺鉄線がどれくらいでなくなるかは以降の書き手さんにお任せです。
※J-05かJ-06の海岸のどこかに干潮時のみに現れる洞窟があります。
※J-07海岸のどこかに四人程乗れるゴムボートが放置されています。(船外機のバッテリー残量は次の方にお任せします)
※バッテリーが切れてもボートには予備のオールが搭載されています。
*時系列順で読む
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*投下順で読む
Back:[[古泉一樹の戸惑]] Next:[[崖っぷちのメルヘン]]
|[[道化は踊り蜘蛛は笑う]]|雨蜘蛛|[[]]|
*蜘蛛は水を求め、水を恐れる ◆5xPP7aGpCE
地図でいうところのJ-05、島のほぼ最南部に位置するログハウス風のレストラン『果実とスープのキッチン』
先程のキョンに続いて雨蜘蛛もまたこの店を後にする。
店名が大きく描かれた爽やかな看板を一瞥して彼が向かった先はキョンが去った西でもなければ道路が続く反対側の東でも無い。
「さ~て、会場の境界はどうなっているのかね~」
向かったのは南。
キョンが参加者を殺す為に西に向かい、そのキョンから東でこちらに向かう参加者は見ていないと聞いている。
途中で戦闘したというガイバーショウが生きている可能性はあるが、だとしても絶対無傷で済んでいる訳が無いとも言っていた。
そして神社に居たウォーズマン他については未だに姿を現さず振り切ったと判断して良い。
なら次の獲物を見つけるまでその時間を有効に使わせてもらおう。
死に損ないのガイバーショウを狙うのもいいが雨蜘蛛が今欲しいのは主催者とそれに関わる情報、会場の事を知っておくのも悪くないとの判断だ。
首輪がある限りそのまま逃げられるとは思ってないが見ておくだけ見ておこうと雨蜘蛛は思う。
幸いというか道は在る。
それ程背の高くない草とまばらに樹木が生える中、土が剥き出しになった小道がレストランの敷地からそのまま南へと延びていた。
時間的には次の放送まで二時間程の余裕がある。
夜が明けて殺し合いがどれ程進んでいるのか、それを聞いてから行動しても遅くないだろう。
「しっかしこの地図も妙なんだよねぇ、緑と砂はそのままだから判るが周りに広がっている水色は何なんだい?」
地図を取り出して眺めながら雨蜘蛛は呟く。
関東大砂漠に生を受け少なくない人生を過ごしてきた男にとって地図のその表現が何を表しているかはさすがに想像の範疇外だった。
すぐ判るか、と地図を仕舞うとじゃり、じゃりと乾いた土を踏みしめながらそのまま歩く。
距離的にはそろそろのはずだが緑が事の外多く、視界はそれ程でも無い。
「妙な匂いも強まってきたね~、耳を澄ませば何か音も聞こえるし、おじさんますます興味が惹かれますよっと」
嗅ぎなれている乾いた砂の匂いとはまるで違う潮の匂いと波の打ち寄せる音に雨蜘蛛はその正体を確かめてやろうと道の先にある茂みを掻き分ける。
がさがさと太陽を浴びて背丈ほども伸びた草の間を暫く進むと突如視界が開けた。
「うおおぅっっ!!まじかよ!!」
飛び込んできた光景に雨蜘蛛は心の底から驚いた。
マスクで他人からは伺えないが、その下ではきっとぽかんと口を開けた表情が浮かんでいた事だろう。
無理も無い、男にとってそれは有り得べからざる光景だったのだから。
―――無尽蔵に水を湛える海という存在は
※ ※ ※ ※
『草むらの長いトンネルを抜けるとそこは海岸だった』
自殺した作家の表現を借りるとそんな一文になるのだろうか。
あれから何十秒、何分経っただろう。
雨蜘蛛は未だ立ち尽くしたままであった。
男は海を見た事が無かった。
いや、男は海という存在を生まれてこのかた知る事が無かった。
それは男の人生にとって生涯忘れられない体験となるだろう。
見よ、果てしなく広がる大海原!
白い波頭が眼下の磯に打ち寄せては弾ける。
正面から吹きつける潮風を堂々を受け雨蜘蛛は感動に打ち震え続けた。
「傷が痛むってー事は、夢じゃねぇよな…」
夢でも幻覚でもない、確かに砂漠の民が願ってやまない水が使い切れぬ程の量で目の前に在る。
もっと近づいて確かめよう、そう決めると辺りを見渡す。
雨蜘蛛が立っているのは海岸とはいえ崖の上、そのままダイビングする事はさすがに出来ない。
道が在ったという事は降りられる筈だと思った通り、ほど近い所に下へ降りられそうな階段状なっている傾斜が緩い場所が見つかった。
一歩一歩慎重に下ってゆくとやがて平らな岩場に降り立つ。
後何歩が踏み出せば水中、という所まで来てようやく雨蜘蛛は立ち止まった。
ざぱぁんと波飛沫が身体に掛かる。
ぴちゃりと服が濡れる感触が確かに現実である事を教えてくれる。
そして男の両腕が上がった。
もはや身体の一部とまで言えるマスクを両手で掴むとゆっくりと外す。
灌太や太湖でさえ未だ見た事が無い雨蜘蛛の素顔が陽の光の下に晒された。
容姿は残念ながら割愛せざるを得ない、マスクを置いた雨蜘蛛は続けて自らの衣服に手を掛ける。
砂漠の住民が砂と肌を焼く太陽から身を守る為の砂漠スーツ、それを完全に脱ぎ去って男は生まれたままの姿になる。
何故か股間が活力に満ちていたが幸い周囲に人は居ない。
「へへっ~、こんなに水が在るんなら飛び込んでも罰は当たらねえよなぁ!」
満面の笑みを浮かべながら男はざぶり、と足を海中に投じて足が付く事を確かめる。
その冷たさに感激しつつ今度は両足、続けて全身を投じて飛び込んだ。
傷口が妙にしみるが普段以上にテンションが高まっていて気付かない。
そして思う存分水を飲もうと口を開いて―――
「しょっぺぇぇぇっ!塩水かよ!」
そのあまりの辛さに吐き出した。
一瞬呆然とした後で海を見渡す。
「いくら水が在ってもこれじゃ飲めね~じゃねえか!これは何だ、新手の拷問か?」
ぺっぺっと海水交じりの唾を吐きながら悪態をつく。
砂漠で誰にも知られてないオアシスを見つけた、そんなありえないような幸運を手にしたと思っただけに落差は大きい。
おかげでせっかくの感動も半減しかけるがすぐに思い直す。
「こんなに水が豊かな所の連中だ、塩水を飲める様にする技術ぐらいはあるんだろうな~」
飲む事は諦めたが水の中が気持ちいい事に変わりは無い。
首だけを水面に出しながら雨蜘蛛は生涯初の海水浴を楽しんでいた。
つい先程まで考えていたキョンや草壁メイの話にあった幾らでも水が使える場所、まさかこんな近くに在ったとは今までの自分が馬鹿馬鹿しくなる。
この水は辛くて飲めないが、飲める水や飲めるようにする技術も在るのだろう。
だとしたら関東大砂漠にわざわざ戻る理由ってあるのかね、と雨蜘蛛は今後の身の振り方に考えが及んだ。
「さすがにそれを考えるのは早いか~、ま、ここの連中がどんな奴なのかも判らりゃしねえからな~」
水が豊富でもオアシス政府の様にうるさい奴らが居ないとは限らない、今後は今居る会場についてももっと調べてみるかと考えた。
そのままぷかぷかしながら周囲に警戒の視線を巡らすと意外にも生物の影が濃い事に気付く。
海にちょっと潜れば魚が泳ぎ、岩の上にはカニがぴょこぴょこと歩き、波打ち際には様々な貝がへばり付いている。
その殆ど全てに雨蜘蛛は見覚えが無かったが、普段生き物に乏しい砂漠の住民が何の感慨も抱かない訳が無い。
「そういえば腹減ったな~、レストランは先客が荒らした後だったし~、お食事タイムといきますか♪」
キョンが来るまでの捜索で食料類が徹底的に持ち去られている事を悔しがった雨蜘蛛は食糧調達のいい機会だと思いつく。
(もし食料荒らしの犯人が宿敵の灌太と知っていたらその怒りは数倍になっていただろう)
複数のティバックが有るだけに手持ちの食料は豊富だが先がどれだけ長いのか今のところ見当がつかない。
更に言えば味気ないであろう保存職よりも新鮮な食材に魅力を感じるのは雨蜘蛛ならずとも当然の事だろう。
「そういえば塩や油とか鍋なんかは手付かずで残っていたな~、これはおじさんが有効に使ってあげないと♪」
灌太はすぐに食べられる食料と水は持ち去ったが調味料や調理道具は目もくれなかった。
従って雨蜘蛛が食材を調達できるなら使えるものは大量に残っている。
早速海から上がった雨蜘蛛は砂漠スーツを身に着け嬉々としてレストランへの道を引き返していった。
※ ※ ※ ※
「う~ん、これだけ獲れれば十分か~♪」
とにかくここは非常に豊かだ。
大きめの潮だまりを覗き込めば小魚の群れに掴み取れる程の貝。
見た事も無い生物も多かったが手当たり次第に捕まえた結果、短時間でバケツが溢れる寸前になった。
中を見て騒がしく動く小魚や貝類といった獲物に雨蜘蛛は満足そうな声を上げる。
特に役立ってくれたのがレストランで調達した生け簀用の網だ。
雨蜘蛛の「地獄の取立人」ぶりはこんな場所でも遺憾なく発揮されたらしく逃れた魚が居たのかは不明である。
「さ~て、あとは煮るなり焼くなり好きにさせてもらいますかね~」
知る人が聞けば震え上がるような台詞を呟きながら雨蜘蛛は調理に適した場所を探す。
忘れそうになるが現在は殺し合いの只中だ。
当然煙は出せないし招かざる客を警戒しなければならない。
念入りに探した結果選んだのが奥まった場所に有る崖下。
頭上と背後はオーバーハングした崖、真上から見下ろしても雨蜘蛛の姿はわからない。
崖を降りられる場所は離れており対処できる時間が十分取れる。
石を組み上げた即席の暖炉に海水を汲んだ鍋と金網を乗せるとこれまたレストランで調達したマッチで流木に火を付ける。
煙が崖を張り出して茂る木々を通った後は遠目で判らない程度に薄まるのを確かめ、雨蜘蛛は適当な石に腰掛けた。
網が十分に焼けた頃を見計らって捕まえた獲物を乗せるとジュウ!と肉が焼ける音が満ち溢れる。
残りは鍋に放り込み火が通るのを待つばかりだ。
「いいねいいね、おじさん涎がとっても出てくるよ~」
ジュウジュウと魚やカニの焼ける匂いが鼻をくすぐる。
ぱっくりと焼けた貝が口を開くと白い身肉がその姿を現した。
いかにも食欲をそそる光景と匂い、そして音に雨蜘蛛はマスクの下で舌なめずりする。
レストランから持ってきた調味料を使い適当に味付けして火が通ったものから口に頬張る。
飲めないとはいえこれ程大量の水を前にした食事は砂漠で食べるより遥かに味わいがあった。
「ハムッハグッ!ゴグッムグッ!ゴクリ! あ~っ!旨いっ!信じられない程旨い!ほんと極楽っ!」
魚、表面はカリッと焼けているのに中身はプリプリして実に旨い。表面に振った荒塩が良く効いていて数匹分をペロリと平らげる。
小エビ、火が通ると実に鮮やかな色になる。焼いてパリパリになった殻ごと食べるとこれまた旨い。
カニ、捕まえる時挟まれた仕返しとばかり殻ごと齧り付いて味わう。子持ちだったのかプチプチと心地よい食感が堪らない。食べた後で殻を吐き出す。
名も知らぬ貝、穿るのが少々面倒な他、食べていてジャリッと砂が混じる。しかし噛めば噛む程旨みが沸いてくる。醤油を掛けると特に旨い。
ヒトデ、茹でたものを噛んでみるが固いゴムを食べているような味。これはハズレかと思ったが外側を剥くと卵が出てきてこちらは旨い!
ウミウシ、派手な色をしていたが大きくて食べ応えがありそうだと焼いてみた。しかし固いサンダルを食べている様で完全なハズレ。
そして最後にアメフラシ、一番の大物で本日のメインディッシュ。焼くか煮るか迷ったが結局は煮た。
「う~ん?何だこりゃ~、まるでゴムの塊じゃねえか。最後にとっておいたのにハズレったあツイてないねぇ」
大物だけあって最後に鍋から取り出したそれの固さに雨蜘蛛はがっかりした。
全力を出せば噛み切れない事はないだろうがそんな固いものをわざわざ食べても仕方が無い。
魚やカニ等で十分腹も膨れた事もあって雨蜘蛛はほかほか湯気の立つそれを海に向かって投げ捨てた。
大きな放物線を描いてボチャンと海に水柱が立つ。
何となくそれを目で追っていた雨蜘蛛が岩場の間から僅かに見えていたものに気付いたのは偶然だった。
「おや~?ひょっとしてこれは隠しアイテムという奴なのかな~、見た感じおかしな仕掛けは見当たらないが」
近づいてみるとそれは四人程乗れそうな電動船外機付きのゴムボート。
それがこんな人が来なさそうな岩陰の間にポツンと置かれていた。
調べるとご丁寧に操船マニュアルまで備わっている。
もちろん雨蜘蛛はゴムボートを見るのも初めてだ。
しかしマニュアルにはそんな参加者が読む事も想定していたのか『これは川や海といった水の上を移動する道具です』と図入りで説明がなされている。
「海ね~、この大量の塩水は海って言うのか~」
川についての知識は雨蜘蛛にもあるのでここでようやく海という名前が解った。
何故その漢字が読めたのかまでは知らないが。
とにかく禁止エリアに阻まれて会場北部には行けないものの南半分だけでもを自由に行き来できるとすればその価値は大きい。
「しっかしねえ、海に落ちたら俺でも助かる自信はないんだよね~」
先程海水浴した経験から足が付かない場所で海に入るのはヤバいだろうと気付いていた。
便利ではあろうが海に不慣れな自分が使うのは危険が大きいとも思う。
『万が一に備えてライフジャケットを付けましょう』などとマニュアルには有るが探してもそれらしき物は見当たらない。
ふと思いついてティバックのうち一つをそろそろと海に降ろしてみる。
するとバックは沈むことなく波に揺られて浮かんでいた。
手持ちのバックは4つ、充分浮き代わりになりそうだ。
「…まあ、試してみる程度はいいかもねぇ」
結局少し迷った後で雨蜘蛛はボートに乗ってみる事にした。
これはやはり海に対する興味があった事が大きい。
海水浴が気持ちよかったのでボートで乗り出しても楽しいかな~、という「はじめての海遊び」を楽しもうという気持ちからでは決して無い…かもしれない。
移動手段が多いに越したことは無いとボートを海に浮かべて乗り込んだ。
※ ※ ※ ※
「こりゃ~、おじさん早まったかもしれないね~」
揺れるボートの上で雨蜘蛛は人ごとのように言う。
だが口調は軽くてもその目は真剣だ。
危なくなればすぐ戻ればよい程度に考えていたし元々岸からあまり離れるつもりも無かった。
ところが海に乗り出したボートはたちまち流されて岸から遠ざかってしまったのである。
すぐ船外機を動かして戻ろうと試したが潮流がかなり強いのか全然海岸に戻らない。
しかも沖に向かうごとに波は強まり何度もボートを持ち上げられては押し流されて危うく転覆しそうになる。
さらに悪いことに既に自分が会場の境界ギリギリの位置に差し掛かっている事に雨蜘蛛は気づいていた。
このまま流され続けた場合、何分か後に自分は黄色のスープとなる事が確実だ。
助かる手掛かりを求めて雨蜘蛛はマニュアルを何度も捲り続けた。
「なになに~?『海には潮の流れというものがあります、特にこの島の周りの流れは海底地形の影響で複雑ですので十分な注意を』、うんそれで助かるにはぁ?」
ならボートを置いておくなとは今更叫んだところで無駄でしかない。
ぐらりぐらりと波に揺られる中、該当の文章を続けて読む。
「『潮の流れに逆らわず利用する事です、潮流の横に逃げて近くの別の流れに乗りましょう』、成る程ね~」
離岸流に真っ向勝負を挑んだのがそもそも間違いだったらしい。
早速操縦ハンドルを動かして横方向への進路変更を試みる。
ところがそこに横波が来た、ボートは真横から持ち上げられる形でぐらーっと大きく傾いた。
「う~ん、まさか水が怖いと思う日が来るとはおじさん思っていなかったねぇ」
雨蜘蛛は未だ海に落ちてはいなかった。
辛うじて復元力が勝ってくれたらしく転覆を逃れたボートは一気に元通りになる。
浮き代わりとして腕に確保しているティバックも落とさずに済んだがこれで危機が去った訳でもない。
『警告、雨蜘蛛の指定範囲外地域への侵入を確認。一分以内に指定地域への退避が確認されない場合、規則違反の罰則が下る 』
突然首輪からそんな音声が流れてきた。
慌てて放し掛けていた操縦ハンドルを動かして潮の流れを逃れる為の進路を取るが首から警告は止まらずに流れ続けてタイムリミットを宣告する。
残り五十秒、四十五秒とその時はすぐそこまで迫ってきた。
雨蜘蛛の掌にじっとりと汗が滲む、見ればボートは未だに岸から遠ざかり続けている。
「くっ!」
思わず唇を噛んだ次の瞬間、突如ボートが急激に後退しはじめた。
別の流れに乗ったのだ。
そこにボートの推力も加わって今度はみるみるうちに島が大きく見え始める。
『退避確認』
警告が途切れ、雨蜘蛛はほっと息を吐いた。
どうやらスープの未来から逃げられた、そう思って安心した。
このまま流れに任せて陸に戻ろうと考えていて―――気が付いた。
「おいお~い、次は断崖絶壁直撃コースですか~? 格別のサービスだね~」
加速したボートの進路方向、その行き着く先は波頭が繰り返し弾ける垂直の岩壁。
衝突すればどうなるかは雨蜘蛛にも容易に想像が付く、文字通りの木っ端微塵だ。
上陸の手掛かりとなる潮流図は無いかとマニュアルを探すがようやく見つけたのは次の一文だけだった。
「『海図、潮流図については各人で用意してください』、ほんと涙が出るほどのサービスぶりだね~」
呆れ声を出しながら雨蜘蛛は運任せで操縦ハンドルを動かした。
今度は島を平行に流れる潮に移った、と安心すれば真っ直ぐ向かう先に突き出た岩が―――
そこを逃れれば渦に飲まれそうになり、別の潮流に乗ればまた沖へと逆戻り、そんな事を繰り返してる最中にまたもや別の異変が出現した。
「おいおいおいおい、今度は何だ~?」
ボートの周りを複数の黒い影が泳ぎ回っていた。
時折背びれらしきものが海面に現れて雨蜘蛛を視界で威嚇する。
もちろん雨蜘蛛に鮫の知識も無く再びマニュアルに目を凝らす。
「『海には鮫の様な危険な生き物がいます、気を付けて遊びましょう』ね~、おじさん餌になるのは御免蒙りたいなぁ」
もはや乾いた笑いしか出なかった。
懐からS&W M10 ミリタリーポリスを取り出して襲撃に備える。
鮫の群れは暫くボートを包囲するように遠巻きにしていたが―――やがてそのまま海中に消え去ってくれた。
それを見届けて安心したのも束の間、緊張が僅かに緩んだ途端猛烈な吐き気が込み上げてきた。
「は~、一難去ってまた一難…」
ガンガンと激しい頭痛に世界がぐ~るぐる回ってる様な眩暈に襲われ、雨蜘蛛はたちまちグロッキー状態に陥った。
船酔いもまた彼にとって初体験であった。
「『船の上で本を読むのは船酔いに掛かり易くなります』、おじさん酒には強いんだけどね~」
必死に吐き気を堪えながらマニュアルの船酔いに関するページを読もうとする。
経験した事の無い気持ち悪さだ、波がボートを揺らす度に胃の中身が突き上げられ、先程食べたもの全てを戻しそうになった。
「『原因の一つは食べ過ぎです。食事は腹八分目にしておきましょう』、そりゃ仕方無いわ、うえ~」
食料の乏しい世界の人間が豊かな食料を前にして遠慮しろとなど出来るだろうか。
うん、それ無理。
根性で嘔吐しそうになるのを押さえ込み、関東大砂漠住人共通のスローガン「食料は大切に」を厳守する。
操船すらする気になれずボートに横たわって楽な姿勢を取るしかない。
「うう~、おじさんは水が嫌いになりそうだよ。とてもこれ以上の拷問は出来ないね~」
大量の水を発見して歓喜したのも束の間。
飲めず、自由に動けず、こうやって命も弄ばれ、何時でも転落を歓迎するとばかりに下には鮫が待ち構えている。
砂漠に居た頃は自分がこんな気分になるとは想像だにしなかった。
「俺には水難の相が出ているのかね~?」
とことん水に悩まされている現実に「地獄の取立人」はぼやく。
岸は遠くないのに潮流に散々邪魔されて近づく事すらままならない。
例え近づけたとしても波の打ちつける岩場にゴムボートが触れて破れたらその時点で終了だ。
遠ざかってどこかの砂浜を目指そうにも流れに押し戻されるわ、境界の外に流されそうになるわで散々だ。
『潮流も知らずに海に出た結果がこれだよ!』という声が聞こえたような気がしたがツッこむ気分にもなれない。
最悪な気分で陸地を眺めていると聳え立つ断崖の一部分に雨蜘蛛の視線が吸い寄せられた。
「おやぁ~? あれは洞窟か~?」
思わずボートから身を乗り出して目を凝らす。
ここから見えるのは海底から垂直に近い角度で突き出ている延々と続く断崖絶壁。
発達した柱状節理と波の浸食が組み合わさった結果、巨大なクラックや急角度の入り江を形成している。
雨蜘蛛が注目したのはその中でも岩壁を斧で抉ったような鋭角の大クラックの最奥部分。
クラックの周囲には地形の影響で海水が巨大な渦を巻き、しかもそれが複数渦巻いている。
波の満ち引きと共に渦の回転も変わり乱流に揉まれた海水が大波となってクラックの奥部へ殺到する。
その波が引いた僅かな瞬間、黒々と口を開けた洞窟が雨蜘蛛の視界に移る。
真上から降り注ぐ強烈な日差しも届かず、その奥は全く窺い知れない。
学術的に言えば海蝕洞というべきか、波の力によって強固な岩壁に穿たれた自然の作り上げた雄大な構造物。
雨蜘蛛はそれをじっくりと見続けつつ別の疑問が沸いてくる。
「おかしいなぁ、あの辺りにはさっきまで何も無かった筈だけどぉ…」
潮流に何度も流された結果、この辺りも通るのは初めてではなかった。
そして常に陸地を見ながら操船していただけに洞窟があれば見逃すはずなど雨蜘蛛にとって在り得ない。
だが今彼が口にした通り前通った時点で洞窟は無かったのは確からしい。
「まずう~、気が遠くなってきたよ…」
しかし考えようしても全然頭が働かない。
眩暈が強くなり視界がぼやける。
とてつもない気分の悪さにそれ以上の観察は出来ず、ついにはそのまま倒れ込んでしまった。
朦朧とした意識の中、どれ程の時が過ぎたのだろう。
体が揺れていない事に気付いたのは「いい加減陸に戻してくれ」という愚痴が喉を出て行く寸前だった。
雨蜘蛛の乗ったゴムボートはいつの間にか砂浜に打ち上げられていた。
「ははは~、助かったぁ♪」
転覆して溺れる事も禁止エリアに侵入してスープになる事も無くなった。
それが解ると力無く笑うが全く体は動かない。
深呼吸を何度も繰り返し続けているうちに少しづつ気分が楽になってきた。
ガンガンする頭をゆっくり持ち上げ次に上体を起こす。
目の前に広がるのは盛り上がった砂の丘。
ある意味、雨蜘蛛にとって懐かしい光景だが後ろを振り返れば水平線が広がっている。
とにかく休もうとフラフラとボートを降りて今度は動かない大地に横になる。
日に焼けた砂の熱が砂漠スーツ越しに雨蜘蛛の体へと伝わるが慣れた刺激に過ぎずむしろ今は心地よい。
軽い気持ちの行動がまさかこんな冒険的行動になるとは全く海は恐ろしい。
※結論、慣れない事は止めましょう。
今まで海を知らなかった人が単独で外洋に出るとは危険を通り越して無謀です!
『やあ、参加者の皆。元気にしているかな? 』
突然何処からか男の声が聞こえてきた。
心構えも無く突然声が頭に響きわたって思わず罵声が口に出る。
草壁タツオは今の状態が解っていてそんな大声を上げているのかと雨蜘蛛は虚空を睨み付けた。
しかし流石に放送を聞き逃す訳にいかず、慌ててティバックから地図と名簿、筆記用具を取り出した。
考えるのは後回しにして機械的に呼ばれた名前を抹消し、禁止エリア情報を書き加える。
『ご褒美』という言葉も耳に入ったがこれも深く考えるのは後にする。
『…それじゃあ、皆頑張って殺し合ってね。また6時間後に会おう』
ようやく長々とした放送が終わりを告げた。
頭にガンガン響く声でまたもや気持ち悪さがぶり返し、少しでも動けば喉を胃の内容物が逆流してしまうかもしれない。
「くそったれ」
そんな呪詛の言葉を搾り出す。
とにかくこの酷い気分を治める為に雨蜘蛛は波打ち際の砂浜でぐったりと横たわり続けた。
※ ※ ※ ※
放送が終わってから十数分が経過した頃、雨蜘蛛はようやく考え事ができる程度に気分が回復してきた。
体を動かすのは未だ辛いがもう少し待てば歩く程度は出来るだろう。
それまでの間に今回解った事を整理する。
結論その一
あのボートで海に出るのは無理だ。
非力な船外機に平底の船体はまっすぐ進ませる事にも苦労する。
加えてあの潮流の複雑さと波の高さ。
嫌がらせの為だけに置いたのかと本気で疑いたくなるというものだ。
結論その二
会場の境界より外がどうなっているのかは全く不明。
境界付近で外側を見渡しても水平線以外には見えなかった。
首輪が無くなったとしても島から脱出する方向が全く解らない。
結論その三
禁止エリアに侵入しても即座にスープにはならない。
どうやら一分の猶予期間があるらしい、場合によってはそれを利用できるかもしれないと覚えておく。
禁止エリアの角と角で封鎖されている場所も一番狭い所を選べば抜けられる可能性が有る。
そしてここからが新たな課題と問題点だ。
課題その一
海から見えた洞窟について。
あれは幻覚でもなんでもない、確かに存在するものだ。
マニュアルに書いてあった干潮って海面が低くなった時だけ姿を現すのかもしれない。
なら最初は解らなかったのも納得できる。
しかしあの場所は遠目で見ても潮の流れが非常に複雑で激しい事が明らかだ。
陸から近づこうにも切り立った絶壁の最奥部に洞窟は在る。
波に抉られ漏斗状となった入り口は上から全く視認出来ない、狙うのは猿やヤモリでも無理だろう。
あそこに入るとすれば可能なのは空を飛べる奴だが―――
まあ、あそこに何かが隠されていると決まった訳じゃあ無い。
可能なら検討する程度に覚えておこう。
課題その二
先程の放送について。
水野灌太の奴はやっぱり生きてやがる、それはまぁ予想通りだ。
奴がそう簡単にくたばるとは思えない。
更にキョンの妹と朝比奈みくるも死んではいない…ぐふふふふふ、そうこなくっちや。
いけね~、考えるのは他の事だ。
草壁タツオの全く変わらない、むしろ上機嫌のあの態度。
これもまた予想通りだ。
関東大砂漠にも自分のガキをいたぶって楽しんでる奴は居る。
あのおっさんもその一種なのかね~
そして今回呼ばれた人数は5人。
あのおっさんも言った通りそれ程多く死んでいない。
夜が明けて人の動きが激しくなり戦闘も増えると思ったが…これをどう考えるか。
想像は容易に出来る。
あの時俺がキョンという小僧を殺さなかったのと理由は同じだろう、つまり集団の結成。
神社で草壁メイが黒んぼと一緒に居た事、政府のメス犬がひ弱なガキを助けた様に弱い奴が強い奴に縋り、
殺し合いに乗った奴同士は戦わずに手を組んで結果拮抗状態に陥った、そんなとこだろう。
「ま、弱い奴が幾ら手を組んだとしても所詮は烏合の衆だねぇ。そんな連中が散り散りになるのは時間の問題だろな~」
せいぜい手強い連中の足を引っ張ってくれと願いたい。
もし本当に使える連中が手を組んだのなら手を組む事を含めて対応はその時考えればいい。
そういえば名前でまだ気になる事があった。
呼ばれた名前じゃ無い、まだ呼ばれていない名前『アプトム』。
あのカブトムシ野郎が探しているという男らしいが、決着が付いてないって事は俺と同じくまだ出会えてないのかもしれない。
カブトムシ野郎の名前は知らないが名簿の並びが関係の近い者同士になっている事を考えるとアプトムの近くにある誰かだろう。
そしてその名前は誰も死んでいない。
う~ん、もう一度会ったら一声掛けてみるか~?
一緒に探し人を見つけませんかってか?
これも会ったらの話だな。
次に禁止エリア。
海が二つも選ばれたって事は他にも船が幾つか在ってその利用を制限しますって事か?
むしろ使ってもらった方が死ぬ奴が増えるんじゃないか~?
あ~、思い出しただけでもおじさん気分が悪くなる。
ま、俺はもう海はこりごりだし~、あまり関係ないか。
H-06についても17時禁止なら今すぐ危険に結びつかないだろ~。
三人殺しの『ご褒美』について。
放送までとはいえ砂ぼうずの行動が知れるのは大きいといえる。
既に一人は殺しているので残り二人、本気でやろうと思えば難しくは無い。
キョンという小僧ともう一度会って隙を見て殺せば一人は確実だねぇ、やらないけど。
やっぱ一番大事なのは自分の命なんだしな~
それに褒美に目が眩んで戦い方を間違えたら元も子もないねぇ、焦る事は無いかな。
「ま、その時その時で考えりゃいーか」
何はともあれその時の状況次第だ。
課題その三
これからの行動。
さて、この気分の悪さが治まったらどうするかだ。
このまま動かないのは論外。
砂ぼうず、草壁サツキ、キョンの妹、朝比奈みくるといったお目当ての連中が先に死んでしまっては仕方ない。
西にはキョンの奴が向かった、放送で呼ばれなかったという事は今のところくたばる程のドジは踏んでないって事だ。
北はあの黒んぼが俺を探しているかもしれないね、一応避けておくか。
となれば東か~、まあこれも状況次第って事で。
ここで雨蜘蛛は考えるのを一旦打ち切る。
日光と砂に灼かれて考えている間にどの程度体調が回復したのか確かめておきたかったのだ。
しかしそう甘くは無かった事がすぐに解る。
「うう~、まだ頭が痛い…」
寝ている間は良かったが立ってみると頭痛と眩暈が酷くなる。
がっくりと膝を突いて改めて深呼吸を繰り返した。
正直、これではとても戦闘に耐えない。
もう少し休んでいようと結論付けて顔を上げると浜に打ち上げられたままのゴムボートが目に入った。
「そういやこいつの処分を考えていなかったね~」
思い出したくなかっただけかもしれないが先程は特段意識はしてなかったのだ。
当初思った第二の移動手段としてはまるで使えないと嫌になる程実感されられたがこのまま捨てるというのももったいない。
「このバックには…、無理か~やっぱり入らないね」
試してみたが大きすぎてティバックには入れられない。
船外機は取り外せる様だしそれだけでも、と少し考えたが止めておく。
「やっぱり万が一もあるからねぇ、波に持っていかれない所に置いておきますか」
出来ることなら使いたくは無いが、この先そこまで追い詰められないとも限らない。
満潮や高波でも攫われない程度に海から離れた場所まで移動させておく。
「ほんと~に、また乗りたくは無いんだけどね~」
砂丘の窪地にボートを隠し終えて雨蜘蛛はまた乗る時が来ないよう願う。
そして改めて辺りを見渡す。
見渡す限り広がる砂の大地。
一見雨蜘蛛にとって見慣れた光景だ。
これ程の特徴があれば現在地も特定できる、J-07を中心として広がる砂丘だろう。
偶然にせよ陸に辿り着ける潮流に乗って流された結果という訳だ。
本来なら雨蜘蛛にとって戦い慣れたフィールド。
しかしながら雨蜘蛛は関東大砂漠とこの砂丘との違いをしっかりと感じ取っていた。
手を伸ばし、足元の砂を一掴み握って掬い取る。
―――重い
掌の感触を確かめながら雨蜘蛛はそう感じた。
砂漠の砂はサラサラに乾ききった粒子の小さなパウダー状、対してここの砂は粒が大きく水分を含んでいて重い。
掴みとった跡を見やると下の砂は表面と色が違う。
水分の差だ、日光で表面は乾いてもすぐその下には湿った重い砂が隠れている。
これは成因上の違いである。
この島の砂丘はあくまでも浜砂。
風化してボロボロに崩れた花崗岩の細かな粒が波に打ち上げられ、浜風の吹き寄せられて堆積した地形だ。
珪酸を主成分とし、比較的粒は揃っているが堆積した後は磨耗がさほど進まず径が大きい。
さらに海岸に位置するために塩分と水分が常に供給され、結果べっとりと重い。
一方東京大砂漠の砂は同じく地殻上最も豊富な珪酸が主体だが粒が格段に小さい。
これは何百年に渡って繰り返された砂嵐等で互いに激しく研磨された結果に加え、軽い粒子程運ばれやすく地表で砂地形を形成しやすい。
更に気候は雨の乏しい砂漠気候、水分は非常に乏しく多少掘り返した所で湿った砂には突き当たらない。
つまり雨蜘蛛にとっても普段とは勝手が違う場所。
他人より多少有利な程度と思った方がいいと肝に銘じる。
そして四つのティバックを改めて整理する。
三つの中身を取り出して残り一つに纏めた上、空のティバック三つも最後に詰める。
これで一人で三つのバック持ちという不信感は持たれない。
出発の準備は整った。
後はこの勝手が違う砂の大地の奥へ踏み出そうと一歩進んでから―――座り込む。
「やっぱ、もう少し休むか~」
船酔いは未だ雨蜘蛛を悩ませていた。
体調を整えてから行こうともう一度楽な姿勢を取る。
念の為弁護するが、乗り物酔いというものは苦手な人は本当に辛いのである。
だから彼の行動はこの非常事態でも不自然でも何でもない、たぶん。
【J-07 砂丘の海岸部/一日目・昼】
【名前】雨蜘蛛@砂ぼうず
【状態】重度の船酔い(回復中)、胸に軽い切り傷 マントやや損傷
【持ち物】S&W M10 ミリタリーポリス@現実、有刺鉄線@現実、枝切りハサミ、レストランの包丁多数に調理機器や食器類、各種調味料(業務用)、魚捕り用の網、
ゴムボートのマニュアル、スタングレネード(残弾2)@現実、デイパック(支給品一式)×4、ホーミングモードの鉄バット@涼宮ハルヒの憂鬱、RPG-7@現実(残弾三発)
【思考】
1:生き残る為には手段を選ばない。邪魔な参加者は必要に応じて殺す。
2:船酔いが治まるまで動きたくない。
3:水野灌太と決着をつけたい。
4:ゼクトール(名前は知らない)に再会したら共闘を提案する?
5:絶壁の洞窟が気になる、飛行能力がある者に出会ったら調べさせてみる?
6:キョンの妹・朝比奈みくるをちょめちょめする。
7:草壁サツキに会って主催側の情報、及び彼女のいた場所の情報の収集。その後は……。(トトロ?ああ、ついででいいや)
8:キョンを利用する。午後六時に採掘場に行くかは保留。
9:ボートはよほどの事が無い限り二度と乗りたくない。
【備考】
※第二十話「裏と、便」終了後に参戦。(まだ水野灌太が爆発に巻き込まれていない時期)
※雨蜘蛛が着ている砂漠スーツはあくまでも衣装としてです。
索敵機能などは制限されています。詳しい事は次の書き手さんにお任せします。
※メイのいた場所が、自分のいた場所とは異なる世界観だと理解しました。
※サツキがメイの姉であること、トトロが正体不明の生命体であること、
草壁タツオが二人の親だと知りました。サツキとトトロの詳しい容姿についても把握済みです。
※サツキやメイのいた場所に、政府の目が届かないオアシスがある、
もしくはキョンの世界と同様に関東大砂漠から遠い場所だと思っています。
※長門有希と草壁サツキが関係あるかもしれないと考えています。
※長門有希とキョンの関係を簡単に把握しました。
※朝比奈みくる(小)・キョンの妹・古泉一樹・ガイバーショウの容姿を伝え聞きました。
※蛇の化け物(ナーガ)を危険人物と認識しました。
※有刺鉄線がどれくらいでなくなるかは以降の書き手さんにお任せです。
※J-05かJ-06の海岸のどこかに干潮時のみに現れる洞窟があります。
※J-07海岸のどこかに四人程乗れるゴムボートが放置されています。(船外機のバッテリー残量は次の方にお任せします)
※バッテリーが切れてもボートには予備のオールが搭載されています。
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