『蜜柑色はこたつの上で戯れる余蘊』
「蜜柑てさー、エロいよね」
「…………」
こたつを挟んだ向こう側に座っている夕子が黙した。なぜ沈黙したのかはもっともだけど、これから説明することを聞いてから判断してほしい。
「蜜柑てさ、食べる時皮を剥くよね。外側の皮。それを人間に置き換えたらつまり、服を剥ぐってことだよ。わかる? つまり食べる前に服を剥ぐんですよ――って痛いなおい蜜柑投げるなっ!」
「さいってー」
何度この言葉を聞いたことか。夕子の端正な顔立ちにじろりと睨まれる。
「まて、ここからが良い話なんだ。蜜柑は外の皮を剥がれても薄皮は剥がされない。置き換えてみると、そう、それは心なんだ。心の膜だけは誰にも剥かれない、自分だけのもの」
「あーはいはい」
やる気のなさそうな(それは俺のくだらない話によってもたらされたものだが)顔をして、こたつ中央に置かれた籠から蜜柑を一つ取り出し、ヘソの方から剥き出した。
「そういえば蜜柑ってヘソの方から剥くのが主流なの? 俺もそっちから剥くからさ」
「わたし、今日からヘタから剥く派に改宗しようかしら」
言って外皮を全て剥き終えた夕子は薄皮に手を付け始めた。ちまちまと薄皮を剥いていく夕子。ああ、そういえば夕子は薄皮は剥く派だった。
「つまりあれだな、俺の心も剥かれつつあると」
「そうねー」
完全にこちらの話を聞いていない。でもあれだよな、剥かれつつじゃなくて、剥かれきっている感は少しだけあるんだけどな。と、心の中で思う、これこそがまだ剥かれきっていない証拠なのかもしれない。声に出せないヘタレであるというのは間違いではない。
夕子に投げつけられた蜜柑を手元に持って来る。それほど強く投げられてはいないから潰れたりしてはいない。食べるか。
蜜柑には色々な剥き方がある。普通にボロボロと剥いていったり、林檎の皮を剥くように一本になるようにしたり、外皮ごと四等分にするという荒技まである。というわけでその四等分をやることにする。
ヘソに親指で傷をつけて半分に、最後まで分割してしまわずに途中で止めて、またそれを半分に。これで綺麗に四等分になる。
「あ、それ正統和歌山剥きって言うんだって」
「え? 正統? 和歌山?」
今の剥き方に、どこが和歌山らしさがあったろう。
「このまえテレビでやってた」
「ほー、俺これ若干マイナーだと思ってたんだけどな。うわ、なんだかあいつ出来そうな剥き方してる、みたいな」
「出来そうな剥き方て」
夕子の顔に浮かぶのは完全なる苦笑い。
彼女は蜜柑を口へ放り込み、頬杖をついた。俺は夕子のこのポーズが好きだ。やる気のない彼女がもっともよく表れているだろう姿勢。
乾いた風に雨戸が鳴った。外は晴れているが、風が強い真冬の下を歩くのは苦行だ。なのでこうやって夕子とのんびりだらんと午後を消化していっている。
「ねえ」籠から蜜柑をもう一つ取り出して、こたつの上で転がしていた夕子はおもむろに話し始めた。「わたしと居て楽しい?」
「はあ?」
今までに聞いたことのないような台詞が聞こえてきた。
「わたしって面白い話もしないし、外で遊んだりすることもないし……美少女しか取り柄ないじゃんわたし!」
「普通に自慢してるだけだよね!?」
「でもほんとにわたしと居て楽しい?」
「楽しいつーか、まあなんだ……」なんなのこれ、一緒に居られればそれで幸せだ、だなんて言わせようって? そういう罠だったならば夕子はとんだ策士だ。「知らんっ、というか、えーと、一緒に居て悪い気はしない……といいますか、ええ」
「へぇ-、ふーんそうなんだー」
少しばかり顔をにやつかせている夕子。これは嬉しそう、って取ってもいいのか?
「いてっ!」既視感。またもや蜜柑が飛んできた。
「なにニヤついてんの?」じとっとした目で見られる。
「蜜柑投げるなっ!」
「それ食べてもいいよ。わたしの手垢が付いたやつをね!」
「どうせ外の皮は剥くんですけどね……」
「じゃあ家宝にでもしたらいんじゃない」
夕子が頬杖をついた。風が強くなり、雨戸がうるさくなってきた。
「雨、降りそうだな」
「雪だといいなー」
出不精である夕子は雪が降ったとしても外には出ないのだ。
俺と二人でこたつに入って蜜柑を食べるのみ。
冬の停滞した時間は多少の起伏もありながらも、春を迎えるまでは大きな変化なく過ぎ去っていくのだろう。
最終更新:2011年05月31日 23:45