……
前日、軽い一言で
黒影旅館に入る…いや、まだ入ったと決まった訳では無いが…
「流石にお前もあの一言で入社は頭の中で納得もいかないしと思うし、俺達も人手が足りないとは何これ構わず人を入れるわけにはいかん」
「………ということで、簡略的な物ながら面接会場を用意した、ルミナはとても面接とかには向いてないし、常に忙しいからやるのは俺一人だけどな」
今自分の前に居るのは、
シャドー・ヘレン・黒影……あの女将の実の兄という。
あの子供にしか見えない女将と比べると完全に大人の風貌だ、それが普通なのだが。
そしてこの人はなんと昔は魔法剣士だったらしく、今も帯剣している。
俺はそれを見て少し緊張していた。
それにしてもここは一体どこなのか? 見た感じ旅館の中なのは分かるのだが、どうにも人の気配が無い。
その疑問をぶつけるより先に、ヘレンさんが言う。
「えーとまず……雪から聞いたんだが、免許や資格を沢山取得しているそうだが。」
「ええ、今の時代何かしら覚えておかないとと思い……そういうサイトで勉強して覚えて、合格してきました。」
「というと……」
「まず調理や運転免許…大型車両やフグなどの特殊なもの含めて基本を大体取得、その後は珍しいものを手当たり次第に。」
「ほぉ~凄いな、確かにリストを見ると珍しいのも結構ある。じゃあ、ここでそれらがなんの役に立つかアピールポイントは?」
「……流石に魔法は使えませんよ」
「いいよ別に、俺だって経営中に魔法使ってるわけじゃないし」
そんなこと言われても。う~ん。
何が使えるだろうか……。
料理関係は問題ないとして、問題はやはりマッサージだろう。
しかし、温泉旅館でマッサージってあまり需要がない気がする。
何か持ってた資格の中で使えるものは無いだろうか……改めて資格をまとめた紙を見る。
…あ、そうだ。
「この旅館って、サウナあります?」
「ああ、ちょっと前に要望があってな……ちょい小さいが」
「なら良かった…俺、ロウリュの資格持ってるので、それでいけますよ」
「……ロウリュ?すまんロウリュって何?」
……そこからかぁ。
そういえば、サウナの用語自体あんまり馴染みのない言葉だしな、簡単に説明をしよう。
ロウリュとは、サウナストーンと呼ばれる物を熱して、そこにアロマが混ざった水を混ぜて水蒸気を一気に放ち、気温を一気に上昇させるというものだ。
そこまでなら誰でも出来るような単純な物に見えるかもしれない、だが…
「ロウリュで作った水蒸気をタオルなどでお客に仰ぐ、これを『アウフグース』っていいます」
「それをお前が出来ると、資格あるから」
「はい、これを初めとして色々なスキルを覚えてきました。」
風呂の資格はロウリュ以外にも幾つか持っているものがある。
例えば、岩盤浴の施設ではサウナの後に水風呂に入り、その後またサウナに入るというサイクルがあるのだが、その時に温度差によって身体が不調にならないように調整をするというもの。
この温泉旅館は色々と風呂が多いみたいだから、その日その日によってバリエーションを変えることも想定しておいた方がいいだろう。
「明日にはサウナで働けますよ」
「とは言っても…そのロウリュって常にやってる訳じゃないだろ?」
「まぁそうですけど……でも資格を元にイベントは何かしら出来ますよ、フラダンス体験とか、パソコン教室とか……」
「お前なぁ……それ、アピールはいいけどそれ全部自分一人でやるつもりか?」
「ルミナと雪が受け入れる気満々な以上、そう負担をかけるわけにもいかないんだよ……」
「ああ……」
確かに、色々覚えたはいいがそれら全部を毎日披露となると途方も無いし、凄い疲れる。
となると、やっぱり安定してこれだと言えるものを……
「すみませんちょっと誰かー!」
と、後ろの扉から声がする。
客が呼んでいるようだ。
「あ、ちょっと見てきます」
「まだ面接の途中だが……まあいいか。」
扉の先に行ってみると、ネオン色のチカチカしたところに出る。
あそこはゲームコーナーのスタッフルームだったらしい。
「ここ、ゲームコーナーもあるんだ……」
「ゲームコーナーといっても、二十年近く前のレトロ作品とか、ジャンケンマシンとかしか無いけどな」
呼ばれてる方に言ってみた……凄い、本当に古い、というかピンボール台なんて初めて見た、どうやらこの機体に何かあったらしい。
「あの、どうかしましたか?」
「あ、えっとね、なんか急に玉入んなくなっちゃってさ……あれ、君新入り?」
「はい、今日からここで働くことになったんです……ちょっと調べてみますね」
と、ピンボール台の底から中身を見てみる。
「いや、調べてみますねって……出来るの?」
「はい、アーケード機器整備の資格も取ってありますので……」
「本当になんでも持ってるなお前……」
と、ちょっと玉が引っかかってるだけだったみたいだ。
ちょっと引っこ抜くだけで元に戻った。
……その後。
「スムージー検定合格してるんです、フードアドバイザーと野菜ソムリエもやってるので………」
と、色々資格をアピールしていく。
どれもこれも、職に就くために覚えたものばかりだ。
せっかくこんなに沢山の資格を持っていても、結局使わないんじゃ意味がない。
ようやく俺は何かの役に立っている……そんな感じがした。
「……って感じだったよ、ルミナ」
「ん……」
仕事に余裕が出来たのか、いつの間にか女将もそばに来ていた。
「ほんとうにいろいろできる、それはすごいと ボクもおもう」
「でも」
「しっこくは、なんのしごとをやりたいの?」
「……え?」
そう言われて、少し考える……今までは、ただの就職のための勉強でしかなかった。
それから今……今まで、働かなきゃ、働きたいと思っても上手くいかずに、そこから資格をとって、その資格は仕事のアピールになるかも、でそれで………
「やばい………俺、やりたいことが浮かばない……ただ仕事が欲しくて、それでも浮からなくて、出来ること増やしていって……」
「完全に手段と目的が逆転する負のスパイラルに陥ってるな……多分お前が不採用続きだったのそういう所じゃないの?」
「とは言っても、今の時代だとそういうのも珍しくないからお前を責められないけどな……」
「俺……ここで一体どうしていけば……」
資格を取って、アピールして……そうしているうちにどんどん自分が分からなくなってくる。
俺の人生は、何のために? このままじゃいけないことは分かるのに、何をすればいいか分からない。
そんな状態でずっと過ごしてきた。
でも、今は……
目の前には、自分の人生を変えてくれるかもしれない。
「………いや、今、ここから決めていきます」
「この黒影旅館で、自分が本当にやりたいことを見つけてみようと思います」
「………にいさん」
「分かったよ……仕方ないな、ルミナ」
最終更新:2023年02月23日 07:56