正義の健康

この町にはこんな噂がある。
道端に突如、押し売りのような大男が現れて子供達に無償で物を売ってくれると。

ただし売るものはただ1つ、それは『正義』。
悪を憎み、善行を積むことこそ我が喜びと語る大男は、その見返りとして人々に様々なものを授けるらしい。
そして子供から大人まで、この話を聞いて何も思わない者はいないという。
何故なら誰もが子供の頃に夢見たヒーローが目の前に現れるかもしれないのだから。
その商人の名は……


『ピポクリッター』

……

彼の名は癒、薬剤師である。
人を助けるために医療の道を進んだ彼は、常に増え続ける難病に悩まされている。
完全に治ることもない既存の薬を与えることしか出来ない自分に無力さを感じ、彼は迷いながらも日々を過ごしていた。
そんな時、彼はある噂を聞くことになる。
曰く、町には大男のような商人がいるらしい。
正義という概念を販売するその名は『ピポクリッター』。
癒は半信半疑ながらも興味を持ち、その噂を確かめたいが、どう現れるのかも分かっていない。彼はその夜、路地裏でただ待ち続ける。
すると……
「正義はいかが?」
癒は驚いて振り向くと、そこには大男が立っている。
まるで神のように逞しい身体を持つ商人は、微笑みながら言った。
「貴方が欲しいものはもう分かっています」
そう言って差し出されたものは、謎の薬と不思議なキューブだった。
「貴方に正義を」
そして癒は手を伸ばすが、そこで意識が途切れた。
目が覚めた時には自分の部屋のベッドの上だった。

「あれは一体なんだったんだろうか……」
癒はベッドから立ち上がり、部屋を見渡す。
机の上には昨日買ったはずの薬が置かれている。
「あれ?昨日、どこで買ったっけ?」
思い出せない記憶の中に疑問を抱きながらも、癒は机の上に置かれた薬を握り締める。
そして彼は、今日も明日も誰かの命を救うために、その薬を売り続けるのだ。

あれから癒に変化が訪れていた。今までは自分が行う行為に疑問を抱いていたが、今ではその迷いがすっかりなくなった。

だが癒は、そのことに一切の迷いを抱かない自分に疑問を抱く事はなかった。
なぜなら、彼が日々捧げている善行は紛れもなく『正義』であり、その行いこそが自分が求める『正義』そのものなのだから。
彼は今日も薬を売るため、町へと繰り出すだろう。

そして、その薬はどういう訳かどんな難病にも効くという。ただし、この薬の対価として与えられるのは『正義』だ。
それなくして癒が扱うものを買う者はいないだろう。
しかし彼は躊躇うことはない。なぜなら彼には『正義』があるのだから。
彼は今日も明日も誰かの命を救うために、その薬を売り続けるのだ。
癒は今日も町を歩く。困っている人を救うために。
彼が求めるのは人々の笑顔、ただそれだけだった。

……
薬によってどんな病気も治るようになって、この町では「正義」が叫ばれている。
商人の噂を聞き付けた人々が我先にと群がり、彼の前に並ぶ。
彼の薬はどんな難病にも効くと言われている。
その噂に魅せられた人々によって、今日も癒の元に列が出来ていく。
そんな彼らを見た癒は微笑み、今日も薬を授ける。
……
人々から病気は消えた、寿命も遥かに伸びて出生率は何倍にも跳ね上がった。しかし、彼らはやがて気付いてしまう。
長生きし続けた事による問題を。

癒は健康なまま400歳を迎えた。
体は完全に紐のように衰えても尚、薬によって生きている。


……
「人の命は運命のように決まっています、それを引き伸ばすなんて烏滸がましいと誰かも言っていましたね」
最終更新:2023年11月21日 20:51