「――ん? んん?」
「起きた!」
目が覚めると、見知らぬ女性の顔が目の前に。
そして、後頭部に感じる妙に柔らかい感触。
はっきりしない思考ながらも、京太郎は自分がこの女性に膝枕をされているのだと理解した。
「……すい、ません」
だが、全身に妙な気だるさを感じる京太郎は、起き上がることができなかった。
「君! 倒れてた!」
「は、はぁ……」
「拾った!」
「ど、どうも……?」
「うん! でも重かった!」
「……すんません」
この女性――野依理沙の話を纏めると。
どうやら自分は道端に倒れていたらしく、理沙が引っ張って公園のベンチまで連れて来てくれたらしい。
いやそれなら救急車呼んでくれ、と言いたくなったけど
「~♪」
一応は助けてもらったわけだし、ニッコニッコと満面の笑みで頬を撫でてくる理沙を前に、そんなことは言えなかった。
「……つつっ」
「大丈夫! 私が守る!」
「……どうも」
自分の膝下で、苦痛に顔を歪める京太郎。
その表情が、その金髪が、その鼻頭が、その眉毛が、その唇が、その瞳が、その毛穴ですら、何もかもが――愛おしい。
彼が欲しい。
振り向いた横顔を見た時から、溢れる想いが止まらない。
この時が永遠に続けばいい。
理沙は、ポケットの中にそっと手を忍ばせて――
「ストップ。なにやってんですか、あなたたち」
久しぶりに皆で会わないか、というはやりの提案。
いつまで経っても集合場所に来ない理沙。
はやりのメールは慣れるまで難解であるし、一緒に来る筈の健夜が用事で欠席するとなれば迷うのも無理はない。
だが、それでも一切の連絡を寄越さないのは流石におかしい。
「……ああ、そういうことですか」
良子は、理解した。
理解、してしまった。
理沙の表情の意味も。
彼に纏わり付く影の正体も。
だが、急速に胸の中を埋め尽くすこの感情に抗う術を。
良子は、知らなかった。
「……なに?」
「何、じゃないですよ。みんな待ってます。ウェイクアップ」
「無理! 介抱!」
「彼を、ですか? であるならば、もっと相応しい場所がある筈」
「うっ……」
激情に完全に身を任せている理沙とは違い、自分はある程度は冷静だ。
加えて、普段から口下手な彼女を言い負かすことは容易い。
「失礼」
「あっ……」
「あなたは……?」
京太郎の頬に手を添える。
大丈夫。まだ、手遅れにはならない。
「眠りなさい。疲れているでしょう?」
「……っ」
何故だか。
名前も知らない女性の言葉に、まるで催眠をかけられたように。
京太郎の瞼は、降りていった。
君って朝帰りする度にプロとコネ作ってない?
翌朝、良子に連れられて清澄の控室に帰ってきた京太郎は、部長にそんな皮肉を言われた。
悔しいことに事実なので言い返すことができない。
インターハイに来た筈なのに、日を跨ぐ度にアドレス帳に女性の名前が増えている。
いや、その女性がプロ雀士なんだから麻雀部員としてはある意味正しい姿なのではないか?
そんな京太郎の言い訳を聞くものは、残念ながらいなかった。
「くっ……」
冷水のシャワーを全身に浴びながらも、冷めることのない頬の熱。
原因は分かっている。
怒りと情欲。
京太郎に纏わり付く女の影。
許せない。
彼を穢す輩が。
だから、私が守らなければならない。
穢れを祓い、私が守らなければ。
私以外の。
誰も、手の届かない場所に。
「……」
額を浴室の鏡に打ち付ける。
まだだ。
まだ、それは速い。
彼の夢、インターハイで彼が優勝するまでは。
「……利用させて、あげましょう」
未だ京太郎の熱を感じる指先をそっと齧り、彼女は小さく微笑んだ。
「二回戦も頑張りなさい!!」
「うすっ!!」
メンバーに励まされ、控室を後にする。
来たばかりの頃は緊張で早鐘を打っていた胸の鼓動。
しかし今はその緊張ですら、楽しいと感じることができる。
色んな人に出会った。
一杯のカツ丼から、藤田プロと。
藤田プロから、久保コーチや福与アナ。
東京に来てからは瑞原プロ、三尋木プロ、野依プロ、戒能プロ。
錚々たる面子。
皆の応援を背負って、トッププロたちの指導も受けた自分が。
こんなところで、負ける筈がない――
「……ん?」
廊下の先に、俯いて立っている一人の女性。
ゆっくりと、その顔が上がる。
もうだめだ……おしまいだぁ……
その顔は、京太郎もよく知っている。
国内無敗。元世界ランキング2位。
とんでもない経歴の持ち主だけど、相方の福与恒子には毎度の如く弄られている。
強者なんだけど、今一格好のつかないところがある人。
それが、小鍛治健夜という女性――だった、筈だ。
「えへへ……会いたかったぁ……♪」
焦点の合わない、それでも京太郎を見逃さない瞳。
知らない。
須賀京太郎と、小鍛治健夜はこれが初対面で。
京太郎は、彼女のこんな顔は知らない。
なのに。
「あっ……♪」
まるで、そうすることが自然なように。
彼女を、腕の中に抱きしめていた。
何で、どうして。
疑問の言葉は口に出ない。
「ん……♪」
迫る彼女の唇を拒めない。
今までの積み重ねが、培って来た経験が、背負った筈の皆の思いが、何もかも。
健夜に上書きされていく。
自分の中から、受け取ったバトンが消えていく。
「あは……いらないもんね、こんなの♪」
何かが自分の中に入って来る。
壁が崩れる。扉が腐る。
これまでの努力を否定する感覚を。
京太郎は、拒めなかった。
「ちょっと、ね」
「ギリギリ間に合ったけど……話してた愛しの彼の対局だよ? 気にならないの?」
「んー……ある意味では、そうかも」
「はぁ?」
「だって、決まってるもん」
「なに言ってるの? いくら京太郎くんでも……」
「わかるよ」
「へ?」
「見てれば、わかるよ」
「えへへ」
須賀京太郎。
長野個人戦では荒削りながらも決して他家に振り込まず、堅実な闘牌で個人戦一位を勝ち取った一年生。
インターハイ一回戦目ではあえて当たり牌を見逃し、狙い打ちで点数を稼ぐ等のプレイングを見せ、二回戦へと通過した。
着実に成長し、期待の一年生として注目を集めている雀士。
彼と関わりを持たない者にとって、須賀京太郎とはその程度の存在だった。
『に、二回戦……終、了……』
今、この瞬間まで。
「ありがとうございました」
あれ、これで終わりだっけか。
危うげなく1位で二回戦を終え、対局相手に頭を下げながら、京太郎はそんな感想を抱いた。
「また、機会があればよろしくお願いします」
まぁ、いいか。
今は、それよりも勝利を皆に伝えよう。
きっと、喜んでいる筈だ。
帰りの廊下を歩く京太郎に、一回戦通過の時のような胸の高鳴りはない。
けれど、それを疑問に思うことはなかった。
――けれど。
それを見ていた者がどう思うかまでは、わからない。
こうして、京太郎は三回戦へと歩みを進めることになった。
その先に、何が待つのか。
それを知るものは、まだ。
誰も、いなかった。
「こ、コイツ……僅か数分の間に、何があった!」
「愛、かな」
「あ、あの……センセ、これ……」
震える手で差し出された可愛らしい包み。
見上げる瞳は期待と不安に揺れている。
自惚れでないのであれば、これは、きっと。
「い、いつもご飯コンビニって聞いてて、その……良かったら」
「……それじゃ、頂こうかな」
「っ! ありがとうございますっ!」
「立場が逆だろ。でも、ありがとな」
だけど、その気持ちには気付かないフリをする。
一度、拒んでしまえば。
きっと、この少女は立ち直るまでに時間がかかる。
それが分かっているから、この子を放って置くことはできない。
大人になりきれない自分の甘さと、いつか来る別れに目を背けて、京太郎はそっと包みを解いた。
――ああ、まただ。
京太郎は、全身の自由が失われていく感覚に目を閉じた。
首を絞める鋼鉄の輪。
手足を縛る冷たい枷。
自分にしか見えない無機質な鎖。
「京ちゃん、お腹痛いの?」
「いや……何でもない」
「何でもない……って」
幼少時から続くこの感覚は、誰にも共有する事は出来ない。
不安気に顔を覗き込む幼馴染にも理解はされないだろう。
「本当に、大丈夫だから。ちょっと考え事してただけだ」
「ん……なら、いいけど」
この繋がれた鎖の先に、何があるのか。
それを知る日は、来るのだろうか。
「ややっ! 絶対堕しとうない!!」
「なに言っとんねん! 頭おかしくなったんか!?」
「だって、この子はウチと京ちゃんの繋がりやもん!
お姉ちゃんにも主将にもないもんや!」
「何が繋がりや! 無理矢理襲ったクセして、こんな時に下らないこと抜かすな!」
「ややっ!」
「絹っ!」
「絶対! 絶対産む!! ウチと京ちゃんの赤ちゃんやもん!!」
「――絶対、幸せにする!!」
陶磁器のような肌に、息を飲む。
幼馴染に借りた本にそんな表現が載っていたけれど。
いざ目の前にしてみると、何も考える事が出来なくなってしまうのだと、京太郎は知った。
「見て欲しいの。京太郎には、私の全部を」
一糸纏わぬ美穂子の姿。
いつもは閉じられている右目も見開かれている。
左右の異なる色の瞳に射抜かれた京太郎は、美穂子の肢体から目を離すことが出来なかった。
「だから、京太郎も――私に、見せて?」
例えるならば、淫らな娼婦。
艶やかな吐息に耳を擽られる。
男には耐え難い誘惑。
――京太郎! 一緒に帰るかー!!
「っ!」
だけど。
耳に響いた、あのやかましい声が。
京太郎の理性を、押し留めた。
「……すいません、福路さん」
「……え?」
肩に乗せられた彼女の手を拒む。
それ以上の言葉はない。
京太郎は一度も振り返ることなく、その場を後にした。
ただ一人、美穂子を残して。
「……」
美穂子は何も言わず、京太郎が消えた後も、ただ無表情で闇の中を見つめ続けていた。
まぁ久保コーチに記憶が残ってると陰惨なことになりそうだけど
「ついに、俺が……」
3年目のインターハイ。今回は雑用係ではない。
咲や和の付き添いではなく、自らの手で掴み取った個人戦選手という立場。
緊張で足が震える。今ならあの時の部長の気持がわかる。
「そんな京太郎くんにコレ☆」
「はやっ!?」
いつからいたのか、隣から掛けられた声に心臓が跳ねる。
牌のおねえさんにも仕事があり、こんなところで京太郎に構っている余裕はない筈だが。
差し出された手の平に乗せられた白い粒に、京太郎は怪訝な表情をはやりに見せる。
「これは?」
「勝てるようになるお薬だよ☆」
「え? なにそれこわい」
真顔でドン引きした京太郎だが、冷静に考えるとそんな変なモノを彼女が所持しているわけがない。
恐る恐る彼女の手の平から白い粒を摘み、口に含むと――甘い。
「砂糖?」
「あはっ」
きっと、彼女なりに京太郎の緊張を解そうとしたジョークなのだろう。
思わず苦笑が零れるが、脚の震えは止まっている。
「ありがとうございます。じゃ、行ってきますね」
「頑張ってね! 1番応援してるから☆」
その後、京太郎はギリギリのところで一回戦を通過した。
ほっと一息吐くと同時に、はやりのあのジョークが無ければ勝てなかっただろうと思い返す。
あとでお礼を言いに行こうと決めて――また、あの砂糖を舐めたくなった。
滝のような雨。
ガラスを通して見上げた空には雲の切れ間がまるで見えず、太陽の姿を拝むのは当分先になるだろう。
「はぁー……」
他の生徒は既に全員帰宅していて、昇降口に残っているのは自分一人。
気分が優れずに放課後まで保健室で眠っていたらこの有様である。
どうしてこんな日に限って傘忘れちゃったんだろう――溜息を吐いても空が晴れることはない。
携帯も電池切れで、完全に詰みの状況。
待っていても状況は良くならず、かと言ってこの雨の中を突っ切って帰る度胸はない。
困り果てて昇降口の周りをウロウロしていると、背後から声をかけられた。
「あの、先輩?」
「え?」
聞き覚えのない声に戸惑いつつ振り向くと、そこに立っていたのはやっぱり知らない男子生徒。
金髪で背の高い、スポーツ系の部活に所属していそうな雰囲気。
ネクタイの色から1年生であることは分かったが、佳織とは面識のない顔だ。
「あの、良かったら俺の傘使いますか?」
「え、でも……」
「俺はこの後センセイに用事で呼ばれてますし、予報だとあと3時間くらいで雨も止むみたいなんで」
「うーん……」
好意は有難いけど、知らない人にそこまで甘えるのも気が引ける。
けれど断ってもこの雨の中、優れない体調のまま帰るのは辛い。
「まあ、俺もいざとなったら先生に送ってもらいますし。そこの傘立てに刺しとくんで、良かったらどうぞ」
「あっ……」
宣言通り、傘立てに自分の黒い傘を置いて早足に去って行く男子生徒。
お礼を言う間もなく遠ざかる背中につい手を伸ばしてしまったけれど、指先は虚しく空を掴む。
「……ありがとね?」
握った傘の取っ手は、まだ少し温かった。
【レベル1】
「わ、私の家にこない!?」
「……はい?」
――君、名前は?
――この前はありがとう
――ごめんなさい! 急いでたからあの傘忘れちゃったの……
先日の雨が嘘のように照り付ける日差し。
すっかり体調も良くなって登校した日の昇降口で、ばったり再会したあの男子。
言うべき言葉が多過ぎて、何と言ったら良いのかわからず、グルグル回る頭の中から飛び出た言葉。
勢い余って彼の手を取ってしまったけれど、そんなことを気にする余裕は今の佳織には無かった。
「え、今のって……」
「もしかして、あの二人……?」
――そしてここは、朝の昇降口。
当然ながら、周りには他の生徒が大勢いて。
一生懸命に京太郎の手を握る佳織の姿は、見ようによっては――
「なーにしてるっスか」
「ひゃっ」
「おわっ!?」
二人の間に急に『現れた』少女。
東横桃子。京太郎の同級生。
普段から影が非常に薄い彼女は、意識しても探すことが難しい。
「行きますよ京ちゃんさん。このままだと遅刻っす」
「いや、でも――」
問答無用。
急に姿を現した少女は、有無を言わさずに京太郎を佳織から引き離して去って行く。
「……」
「あっ……」
ほんの一瞬だけ目が合っても。
彼女は、佳織の事など全く意識していないようだった。
「……何だったんだろ」
彼の温もりが残った手のひらを無意識に胸元へ。
胸の燻りには、まだ気が付かなかった。
【レベル2】
「あの、先輩……」
「いいよ、気にしないで。ジャンケンの結果だもん」
お腹減ったなー!!との部長の声が響き渡るお昼の12時。
「あ、じゃあ買いに行きますよ、一年だし」と腰を上げた京太郎と桃子だが、「それは不公平だ」と待ったをかけたのが鶴賀麻雀部大将の加治木ゆみ。
「学年が下だからといって雑用を押し付けるのは忍びない」と言うのが彼女の主張。
零細麻雀部である鶴賀だからこそ、一人一人を大事にするべきだという考えだ。
そこで公平にジャンケンで今回の買い出し係を決めよう!となった。
……いや、それは本当に公平なのか?と首を傾げる者も複数いたが。
「……でも、やっぱりコレは……」
「もう、須賀くんは何でもかんでも頑張り過ぎだよ?」
「うぅ……」
一つの袋を、二人片手ずつで持つ。
一人で十分だと言う京太郎と、せっかく二人一緒に来たんだから!と譲らない佳織の折衷案。
以前の昇降口での出来事もあって、佳織のことを意識してしまう京太郎だが、
「~♪」
当の本人は楽しそうに鼻歌を口遊んでいる。
嬉しいような恥ずかしいような複雑な気持ちの京太郎に対して、佳織の胸の中は言いようの無い幸福感で満たされていた。
いつもの見慣れた道なのに、いつもよりずっと楽しい。
この感情の名前には、まだ気が付かない。
【レベル3】
「それは……もしかして、恋……とか?」
――須賀くんを見てると、胸が苦しいんです。
――でも嫌な気持ちじゃなくて、幸せでパンクしそうなんです。
――対局中もわかってるのに須賀くんから目が離せなくて、何をしても須賀くんが真ん中にいるんです。
初めての体験。どうしたらいいのか分からずに、部活の先輩に相談したら帰って来た言葉。
「恋……」
「他に何か、思い当たる節は?」
貸してくれた傘。あの温もりはまだ覚えている。
あの朝の昇降口での出来事。あの胸のモヤモヤは、もしかして。
二人で行った買い出しの帰り道。いつもの道が、あんなにも楽しかったのは。
「……そっかぁ。これが、そうなんだ」
【レ■ル4】
「京ちゃんさん」
ネト麻に勤しんでいる京太郎の肩に顎を乗せる桃子。
当然ながら密着する姿勢となり、背中に当たる感触に心を惑わされる。
集中を乱された京太郎はあっさりと他家に振り込み、飛ばされた。
溜息を吐き、ネト麻のアカウントからログアウトする。
「前から思ってたけど何だよソレ」
「京ちゃんさんは京ちゃんさんっすよ」
京太郎にとっては、桃子もその心の内が読み辛い。
ゆみにベッタリかと思えば、このように京太郎に悪戯を仕掛けて来ることもある。
「わけがわからん……というかモモ、近い」
極めて平静を装って桃子を退けようとした京太郎だが、そのような薄い壁はステルスモモには通じない。
ニヤニヤと維持の悪い笑みを浮かべて、桃子はより一層京太郎に身を寄せる。
「お、おまっ」
「んー? もしかして照れてたりー? ウリウリ」
「ば、やめっ」
【レ■■5】
「携帯忘れちゃった……!」
薄暗い廊下を急ぎ足で渡る。
今にも泣き出しそうな曇空は、彼女の不安をより強く駆り立てる。
急に崩れ始めた天気の影響で今日の部活動は中止となったが、携帯電話を部室の椅子に置きっ放しにしていたことを昇降口で思い出した。
明日に取りに来てもいいのだが、虫の知らせのような感覚が彼女の心を急き立てた。
「けほっ……」
息を切らし、咳き込む。
湿気と汗でワイシャツが肌に張り付く。
肩で息をしながら、ドアの隙間から部室を覗き込むと――
「モモ……」
「ん……」
【レ■■■】
「良かった……みんな、無事だって」
ある病院の個室。
佳織は、花瓶の水を入れ替えながら微笑んだ。
「ああ、まだ動いちゃダメだよ! お医者さんに怒られちゃう!」
部長の運転する車でドライブに出掛けた日に遭遇した事故。
信号を無視して突っ込んで来たトラック。
『幸運にも』この事故による死者はなく、京太郎も重症ながら『幸いにして』一命を取り留めた。
「京太郎くん……私のせいで」
そして、偶然にも京太郎に庇われる形となった佳織は打撲程度の怪我で済んだ。
他の部員の意識はまだ戻っていない。
「みんなが戻るまで、私が京太郎くんのお世話をしてあげるから」
「京太郎くんが嫌でも、絶対やるから。尿瓶だって何だって」
「望むなら……これだって」
「それでも嫌って言うなら、私……」
「えへへ、そうだよ。こんな時くらい、先輩を頼ってほしいな」
「今日からよろしくね、京太郎くん」
――ずっと、こんな日々が続けば良いのに。
心の声に、彼女が気が付く日は来ない。
【■■■■】
「知ってる? こういうことすると、来世では兄妹として生まれてくるんだって」
「でも、そうしたら」
「今度こそ、ずっと二人きりだね」
「あはは。みんな、羨ましがるかな」
「私、ずっと京太郎くんのこと好きだったんだよ?」
「ええ!? それなら、もっと早く……」
「……まあ、そうだけど」
「……何だか、眠くなってきちゃった」
「……今度こそ、もっと上手くいくよね?」
「うん。大好きだよ、京太郎くん」
――おやすみなさい。
■■■■■■
――たまたま、道ですれ違っただけ。
「ん?」
「お?」
普通なら、お互いの名前を知ろうとすら思わない。
だけど、この二人――須賀京太郎と、ネリー・ヴィルサラーゼは。
例えるならば――そう、前世からの因縁めいたモノを、お互いに感じとった。
顔を見たこともなく、名前すら知らないのに、ずっと昔に出会ったことのあるような。
デジャヴとも違う、不思議な感覚を覚えた。
「……ねぇ。それ、ナニ?」
「いや、まぁ……タコスだけど、食うか?」
「ちょーだい!」
それが京太郎と彼女たちの出会いの始まり。
劇的なものではないけれど、それなりに長い付き合いになりそうだ。
小さな口でタコスを頬張るネリーの横顔を見ながら、京太郎はそう思った。
「キョウタローはパスポート持ってまスカ?」
それは、全国大会に向けてチームで調整中でのこと。
京太郎がいつも通りにマネージャーとしての雑用に勤しんでいると、チームメイトの1人、ダヴァンからそのようなことを言われた。
「パスポートは……昔、家族で海外旅行に行った時に取ったきりっすね。多分有効期限とか切れてます」
「オー、それはよくないネ。今すぐ取りに行くベキ!」
「なんでまたそんな急に」
全員分のカップを用意し、お茶の準備をする。
初めはあまり上手く出来なかった作業も、マネージャーとして彼女たちに付き合っているうちに上達していった。
彼女たちに仕込まれ、またインターネットで知り合った友人にレシピを教わったお陰で、今では日米中仏のお茶の間に通用する腕を振るうことができる。
「ナンデって、それはモチロン……」
チーム全員分と、監督の分。
6人分のカップをトレーに載せる。
「私のファミリーに、ダーリンを紹介するためデス! 次のバケーションにネ!」
カップに載せた紅茶の表面に、波紋が走った。
「……え?」
「エアメールは何度か送ってるケド。一度会ってみたいとダディも言ってまシタ!」
まるで予想していなかった言葉に思考が止まる。
それでも配膳を止めないのは中学から叩き込まれた雑用精神故か。
固まっている京太郎を置いてけぼりに、ダヴァンの勢いは止まらない。
「それに、いつか向こうで暮らすことになるかもしれないから色々見なイト――」
「そこまで、です。ジョークとはいえ京太郎も困っているでしょう」
そこに待ったをかけたのは京太郎と同じ1年生で、中国からの留学生のハオ。
京太郎からカップを受け取り、紅茶を一口啜ると満足気に頷く。
「ムゥ、ジョークではないのでスガ……」
「ですが、パスポートを取るのはいいかもしれないですね。私も家族に紹介したい」
「あ、あぁ……」
京太郎の瞳を見つめながら微笑むハオ。
中国美人。よく整った顔立ちのハオに正面から見詰められると、つい照れてしまう。
「確かに。私も」
そんな京太郎の手に添えられる白い指。
少しゴツゴツした京太郎の指とは対象的な、白魚のような指。
「初めての男性の友達ですから。母に紹介したいです」
気が付けば、明華が鼻先が触れ合いそうな程に身を寄せていた。
「ちょっ」
「ふふ……」
後退る京太郎を引き止めるように、頬に指が添えられる。
香水かシャンプーかは知らないが、いい匂いが鼻腔を擽る。
『友達』を相手にするには些か近過ぎる距離だが、京太郎にその事を気にする余裕はない。
目線を逸らすことも出来ない。
そして、段々と明華の顔が近付いて――
「キョータローお腹すいた!」
固まる京太郎に、迫る明華。
二人の間を割く様に、ネリーが飛び込んで来た。
「おわっ」
「ねーねー、ご飯作ってよー」
今の空気を吹き飛ばすように、ネリーの小さな体が勢い良く跳ねる。
「~♪」
チラりと明華に視線を向ければ、マイペースに紅茶を啜っていた。
この少女たちには振り回されてばかりだと、溜息を吐く。
「……お前、なぁ」
だが、正直助かった。
ネリーが飛び込んで来なければ、あのまま明華に何をされていたか。
意識すると心臓がバクバクする。
「たった今お茶淹れたばっかだろうが」
「こんなんじゃお腹膨れないよ?」
「なんちゅーヤツだ」
どうしても明華の指の感触と、匂いを思い出してしまう。
そんな自分を誤魔化すように、ネリーの頭を乱暴に撫でる。
「わっ!? なにすんのさっ!」
「うるさい、ワガママ言う奴にはこれで十分だ」
こういった気安さは他の部員にはない。
ダヴァンは年上で自分より背が高く、ハオは美人で一緒にいると照れ臭く、明華は隙あらば先程のように迫って来る。
口では悪く言っても、京太郎はネリーに有難さを感じていた。
「ネリーも京太郎もそこまでにしておけ」
決して大きくはないが、室内によく響く鋭い声。
「一応、今はまだ部活中だ。あまり緩み過ぎないように」
辻垣内智葉。このチームの先鋒であり、日本で二番目に強い女子高生。
凛とした出で立ちの少女で、『長ドスを持たせたら似合いそう』というのが京太郎の彼女に対する第一印象だった。
……その印象はあながち間違いではなく、幸か不幸か智葉の家族に気に入られた京太郎は最低でも週に一回は彼女の家を訪れている。
「……それに、京太郎も急に言われても困るだろう。パスポートにしろ何にしろ」
「しかし、先のことは考えておいた方が」
「今は、目の前のことに集中するべきだ」
智葉が空のティーカップをトレーに置く。
乾いた音が休憩の終わりを知らせる合図となり、室内の雰囲気が研ぎ澄まされていく。
「……ありがとう京太郎、また腕を上げたな」
「あ、いえ」
「ネリーも、次の対局が終わるまで我慢してくれ。これが終わったら皆で何か食べに行こう」
「んー、わかった」
自分から離れて卓に向かうネリーを見て、京太郎もカップを片付け始める。
彼女たちの麻雀はまるで自分には理解できないが、それでも皆のサポートをする事はできる。
この場に自分がいる事を場違いに感じながらも、京太郎はいつも通りに雑用を再開した。
――自分なんかが、こんな場所にいていいんだろうか。
背後から聞こえる自動卓の音を耳にしながら、京太郎はそう思った。
全国大会の日付けが近付くにつれて強くなる疑問の念。
ネリーとの縁で麻雀部に所属しているとはいえ、腕前で言えば自分は部内の誰よりも劣る。
全国3位の辻垣内智葉に、U-15アジア大会銀メダリストのハオ。
風神の異名を持つ明華。
ダヴァンとネリーについては詳しくは知らないが、このチームに所属している時点でかなりの強者の筈。
……マネージャーという立場で思い上がるつもりはないが、その中に平凡な男子高校生に過ぎない自分が混ざっているというこの状況は、やはり違和感がある。
「飢えなきゃ勝てないってもなぁ……」
このチームの監督は実力よりも気概を評価することがある。
確かに、上に行きたいという意欲は京太郎にもある。
しかし、それは麻雀を続けていれば誰もが抱く程度の漠然とした想いだ。
監督やお偉いさん方の琴線に触れる何かがあるとは、とても思えなかった。
「不思議かい?」
「わっ!?」
不意打ち気味に隣から掛けられた声に心臓が跳ねる。
この部活には自分を驚かさなければならないという決まりでもあるのだろうかと振り向けば、ちょうど今さっき思い浮かべていた監督の顔。
「か、監督……」
「キョウタローは嘘付けないからね。顔に書いてある」
ネリーに連れられて来た京太郎をそのまま強引に入部させた張本人。
アレクサンドラ・ヴィンドハイム監督。
すらりと背の高い、クールな印象を与える大人の女性だが、その体型は残念ながら京太郎の好みとは大幅に――
「そういうところもな」
「あいたっ」
頬を抓られる。
恐るべき洞察力だった。
「……まぁ、君が疑問に感じるのもわかるけどね」
「はい」
「でも、君はそのまま君であればいい。私たちが望んでいるのはそういうことだ」
「はぁ……」
まるで理解が及ばないけれど、監督には監督なりの考えがあるのだろう。
京太郎は無理矢理自分を納得させて、牌譜の整理を始めた。
「ラーメンを食べに行きまショウ!」
練習を終えて開口一番にダヴァンが放った台詞。
特に反対することもなかったので全員で近所のラーメン屋に行くことになった。
……が。
「あ、あの……?」
混み始める時間帯だし、さっさと席についた方が良いと判断した京太郎だが、隣に誰も座らない。
自分が何か粗相をしたかと先輩方を見上げれば、何やら睨み合っている。
「お腹空いたー!」
「……おいおい」
どう声をかけたものか迷っていると、ネリーが京太郎の膝の上に座る。
余りにも自然な動作だったので止められなかったが、ラーメンを食べるのにこの体勢は頂けない。
両脇に手を突っ込んでネリーを右隣に退ける。
「ぶーぶー」
「流石に勘弁してくれよ」
「そうね。外では控えた方がいい」
続けて、左隣にアレクサンドラが座る。
その様子を見て、流れるように空いた席に腰を下ろす残りのメンバーたち。
先程の睨み合いは何だったのかが気がかりであるが、食事の空気をわざわざ悪くする必要もない。
隣のネリーにも見やすいように、京太郎はメニューを広げた。
【プロローグ 了】
「ただいまー。やりましたよ、1位っす」
「あれ、反応薄くない……?」
「何であんなって、そりゃ……俺にだって引きが良い時ぐらいあるよ」
「なぁ、和にだってそういう時はあるだろ?」
「歯切れ悪いなぁ、なんか……ま、いいや」
「とりあえず、他のみんなにも勝利報告してきますね」
「さて、誰に連絡しよう?」
靖子との対局から始まり、貴子や咏など様々なプロに出会って指導を受けたけれど。
何だかんだ言って自分がこの舞台まで上がって来れたのは「あの人」の功績によるものが一番大きい。
……であるならば、勝利報告もあの人に一番最初にするのが筋というものだろう。
「貴子さんに、電話で……」
「おめでとう、須賀」
「……へ?」
携帯のアドレス帳を開いてスクロールしているところに、耳にタコが出来るほど聞いた声が響く。
続いて肩に置かれた手。間違いなくこれは幻聴じゃない。
「ちょっと気が早いが二回戦突破の祝いだ。飯奢ってやるよ」
自分の恩師の一人、久保貴子がすぐ後ろに立っていた。
祝勝会といってもまだ二回戦突破の段階。
そう大層なものではなく、ファミレスでランチセットを奢って貰う程度の細やかなものだが、京太郎にはコーチの気遣いが嬉しかった。
夕食時という時間も相まって店内は混み入っていたが、禁煙席に二人で座ることは出来た。
「まずは二回戦一位突破、おめでとう」
「ありがとうございます! これも貴子さんのお蔭っすよ」
「はは、私のお陰、か――そうか、そうか……」
「貴子さん……?」
貴子が笑ったかと思えば、急に無表情になって顔を伏せる。
京太郎にはその意図が掴めない。
彼女の教えは守り続けてきたし、今回こうして1位突破という成績を勝ち取ったのは貴子にとっても誇らしい結果の筈だ。
「――お客様、相席でもよろしいでしょうか?」
「あ、はい」
悩んでいるところに店員から掛けられた声。
本来ならば断るべきなのだが、つい頷いてしまった。
程なくして、一人の女性が店員に連れられてやって来る。
「また、会ったね」
「あっ」
「貴女は……!」
二回戦の直前に京太郎が出会った女性。
小鍛治健夜が、微笑みながら京太郎の隣に座った。
「まさか、あの試合は貴女が……!」
「そんなに大層なことはしてないですよ。ただ、私は彼を応援しただけです」
敵意を隠そうともせず健夜を睨み付ける貴子と、余裕の表情で受け止める健夜。
二人の恩師が何故こんなにも険悪なムードなのか理解できず、京太郎は眉根を寄せる。
「彼の、須賀の打ち方はあんなものじゃなかった筈です。あんな、相手を否定するような」
「ですが、選んだのは彼です。えーっと……押し付けるのは、エゴ……ではないでしょうか」
「あなたがそれを言うのかっ!」
叩き付けられた拳にテーブル揺れる。
その様子を見ても尚、健夜は微笑みを崩さない。
「……」
何と言うべきなのか、京太郎にはわからない。
ただ、貴子が一方的に健夜に敵意をぶつけていることは感じ取れた。
「あの、貴子さん。ファミレスですし……その、あまり騒ぐのは」
「っ! そうか、そうなんだな……」
「……」
「……ええ、すみませんでした。少し、冷静さに欠けていました」
「いえ、お気になさらず」
そのまま沈黙する二人。
何処と無く居心地が悪い。
料理が運ばれて来ても会話がなく、三人で食事をしているにも関わらず、テーブルの上に響くのは食器の音だけだった。
食事を終えて、ファミレスを後にした三人。
宿泊先の都合上、健夜は先に二人と別れることになった。
「それでは、また」
「ええ……とても楽しかったです。また一緒に食事をしましょう」
二人のプロが握手を交わす。
振り向き際に健夜が京太郎に微笑みかける。
テレビ用に作ろうとしたぎこちないものではなく、一人の女性として自然に作られた魅力的な笑顔だった。
「……今度、また指導してやるよ」
「おお、よろしくお願いします! 俺、大分強くなったんすよ!」
「ああ、知ってるよ。だから、今度は私も本気でやる」
「……え?」
「本気で、お前と打ってやるよ」
指導時の怒鳴り顔とも、褒めてくれる時の優しい顔とも違う、能面のような無表情。
初めて見る貴子の表情に言葉を失くす。
そのまま別れるまで会話もなく、夜の道を二人で歩いた。
別れ際の貴子の表情は、京太郎にはまるで理解できなかった。
けれど、原因が今日の試合にあることは間違いない。
「なんでかなぁ……」
「いよう色男。一丁前に悩み事かい?」
ひょこっと突然現れた着物の女性。
猫のような気紛れさだ。
ニヤニヤ歪められた口元も何処と無く猫っぽい。
「咏さん」
「ふふん、その悩み。私が解消してあげようか?」
「いいんですか?」
「弟子の世話を焼くのも師匠の務めってね」
咏に連れられて来た雀荘。
ここで麻雀を打つことで、京太郎の今日の問題点を教えてくれるとのことだが。
「……」
「……」
「ひっ……」
空気が、重い。
偶然その場に居合わせた理沙と鉢合わせて、そのままこの雀荘の常連と合わせて4人で打つことになったのだが。
先程の健夜と貴子のような険悪なムードが二人の間に漂っている。
「今までの京ちゃんの打ち筋に関しちゃ、私の方が詳しいんですけど?」
「私も! 彼のことはよくわかる!」
……いや、これならまだ先程の方がマシだ。
なんせさっきとは違って、今度は互いの感情のベクトルが正面からぶつかっているのだから。
刺々しい感情の余波が肌に刺さり、居心地が悪い。
巻き込まれたこの雀荘の常連客の顔には「早く帰りたい」と書いてある。
「あ、それロンです」
「ぬう」
「むっ」
まぁ、それとは別に麻雀は打たせてもらう訳であるが。
三人からサンドバッグにされた常連客の飛び終了で対局は幕を閉じた。
いい年して涙目になって帰る彼には悪いことをしたかもしれない。
「コホン! で、京ちゃんの今日の打ち方だけど」
「別人!」
「……」
咏の台詞を被せるように、理沙が横から口を出す。
咏が眉を顰める。こうも露骨に嫌な表情を浮かべるのは初めてみたかもしれない。
「……別人ってのは?」
「それは!」
「まぁ、そのまんまだねぃ。打ち方だけ見たらガワだけ同じで中身は別人って言われても信じるよ、私は」
「……」
今度は理沙の台詞を咏が遮る。
なんだかんだ言って良いコンビネーションではないかと、京太郎は半ば現実逃避気味にそう思った。
「そんなこと言われても……確かに咲にも似たようなこと言われたけど」
「ん、まぁそれ自体は問題じゃないんだ。私が気に入らないのは――」
「何があったか!」
「……」
何があったか。
京太郎は、目の前で睨み合う二人を無視して考え込む。
「大会前日の夜は私が調整したからねえ、ネト麻で。明らかにおかしいんだよ、引きが良いにしても」
「……」
「それは……」
試合前に、廊下で健夜と話しただけだ。
「……わかりません」
「はぁ?」
「そう言われても、やっぱり偶々引きが良かっただけとしか言えないですよ」
「ふぅむ……」
じっと、瞳を覗き込まれる。
嘘は言っていない。京太郎には、何がそこまで彼女たちを悩ませるのか理解できない。
「……ま、いいか。それなら私に出来るのは」
「とにかく打つことだけ!」
「……そういうこと、だね。おーいさっきの兄ちゃんやい、まだ帰らないでくれよ」
――この後滅茶苦茶徹夜麻雀した。
……また朝帰りなんだね、君は。
部長の飽きれた顔を見るのはこれで二回目だ。
とは言え問題を起こしているわけではないし、実力を付けているのだから大目に見て欲しい。
そう言い訳をすると、咲が不安そうな表情を見せた。
安心させるようにその頭を撫でて、シャワーを浴びてベッドに向かう。
今はとにかく、眠らせて欲しい。
――その首筋の赤い斑点が一つから二つに増えていることは、誰も気が付かなかった。
「二回戦突破、おめでとう」
「あ、ありがとうございます……」
特盛りカツ丼メガVer
靖子にメールで呼び出された先で、京太郎を待ち構えていた聳え立つ肉の山。
どうしてこんな物が東京にもあるのだろうと、京太郎は絶望しながらも箸を手に取った。
「……で、二回戦の内容だけど。凄いじゃないか、これ。まるで宮永照だな」
「は、はぁ……流石に、そこまでは。偶々引きが良かっただけですし」
「いや、誇っていいよ。運と言っても実力の内だ」
あの試合の後、こうも褒められたのは初めてかもしれない。
照れる京太郎だが、一口噛んだカツから滲み出る肉汁にこれでもかと言う程の現実を押し付けられた。
「……」
その様子を隣で眺める靖子。
横目で見る京太郎の印象は――
「中々、やるようになった」
彼に可能性を感じて拾った靖子だが、二回戦を一位突破で迎えるとは予想していなかった。
気紛れで拾い上げた石ころは何かの原石だったらしい。今では一番注目されている雀士と言ってもいい。
こうなったら最後まで付き合ってやろうじゃないか。
隣で懸命にカツ丼を口に放り込む京太郎を見つめながら、靖子はそう思った。
――無意識にした舌舐めずりの意味は、まだ誰にもわからない。
胸焼けを抱えながら宿泊先に帰った翌日。
京太郎は貴子に呼び出され、とある雀士に向かった。
「こんにちは」
「おう、来たか」
卓にはまだ貴子しか座っていない。
今回は他に客もいないので、いつものように常連を巻き込むことも出来ない。
「あの、あとの面子は……?」
「少し待て。あとちょっとで来る」
「おーっす、お待たせー」
「ソーリー、遅れました」
「あ、あなたたちは……!」
三尋木咏と戒能良子。
どちらも京太郎が東京に出会ってから来たプロ雀士で、特に咏にはネットや雀荘を通じてよく指導を受けている。
良子とは数回顔を合わせた程度だが、それでも今回わざわざ来てくれたということは、気にかけてくれているのだろう。
「いえ、こちらこそ。急な申し出にも関わらず、有難うございます」
立ち上がり、頭を下げる貴子。
一目見るだけで、咏と良子は京太郎と彼女の関係を理解した。
うたたん達、貴子と京太郎の関係を理解したか
しかしやっぱ久保コーチは京太郎のために人を呼んでくれて頭下げたり、師匠っぽいな
さて、本気の久保コーチ楽しみだ
――なーるほど、コイツがあの……。
広げた扇子の下で唇を噛む。
どういう伝手から自分の連絡先を手にいれたのかは知らないが、京太郎のためとあれば、それは何よりも優先される。
貴子の三白眼と目が合う。
互いに感じたことは、同じ筈だ。
――ふむ、理解しました。
京太郎を塗り潰すように覆い隠す女の影。
その正体は言うまでも無い。
しかし、その影の下で蠢く複数の糸。
その中でも、特に太いもの。それが、貴子と繋がっている。
三人とも、それぞれ違う思惑を抱えながらも目的は同じ。
そんな三人の内心などまるで知らずに、京太郎は卓に向かった。
「なぁ、須賀」
「……はい?」
対局の途中。
貴子が、対面に座る京太郎に声をかけた。
「お前の打ち方はもう、どうでもいいんだ。勝っているわけだしな、それで」
「はぁ……」
トラッシュトーク、というわけではない。
貴子は安い挑発をするような性格じゃないし、そんなことが出来る程器用じゃない。
これは、指導者として教え子に向ける言葉だ。
「ただ――お前、麻雀を楽しめてるか?」
「……」
「二回戦の相手に敬意はあるか? 健闘した自分に対する誇りは?」
「……」
「いくら強くなっても――それじゃ、駄目だ」
――ツモ。4000・8000
最後の最後に、貴子が、トップを走る京太郎を上回った。
「……そうか。そう、だったんですね」
二回戦が終わってからの、不完全燃焼感は。
それは周りのせいではなく、自分の。
京太郎は目を閉じて、椅子に体重を預けた。
「……にしても、疲れたよ。本当に」
同じように貴子も、全身の力を抜いて天井を仰ぎ見る。
予想外なまでに教え子は強くなっていた。
正直、心が折れかけたが――どうにか、なったようだ。
二人のプロのどちらか片方でも欠けていれば――結果は、また違っていた。
「……」
その様子を、咏と良子は無言で見守る。
覆い被さる影を内側から突き破るように現れた爪。
どうしてそれが、自分のものじゃない。
机の下で握り締めた拳から血が滴り、床に染みを作る。
「めでたしめでたしってねぇ」
しかし、それを表に出す事はない。
咏は言葉の通り、口角を吊り上げた。
「……」
一方で、良子は何も言わない。
口を開けば叫びたくなってしまうから。
目の前で他の女に京太郎が穢された事実は彼女には耐え難い。
だから、良子は口の中を強く噛み締める。
頬肉に犬歯が食い込み、溢れる血を飲み込む。
良子は、必死に自分の感情を押さえ込んだ。
その後も何度か対局を繰り返し、すっかり日も暮れて。
雀荘の入口で、京太郎は万感の思いを込めて二人のプロに頭を下げた。
「今日は、ありがとうございました!」
「いや、いいよ。京ちゃんの為なら何時だってね」
「……ええ。それでは、また」
二人と別れて、貴子と共に宿泊先のホテルに帰る。
「……なぁ、須賀」
「はい?」
「いや……何でもない」
「そうですか……?」
妙に歯切れの悪い貴子の様子に首を傾げる。
貴子がこのような態度を見せるのは珍しいが、きっと疲れているからだと京太郎は判断した。
「うす、ただいまー」
「いや、流石に毎日朝帰りするわけじゃないっすよ」
「へ? 何かあったかって?」
「まぁ……色々あるんだよ、男の子には」
「あ、はやりさんからメールだ」
「明日、会えない?……か」
残念ながら、明日は良子との約束が先に入っている。
帰り際に、会うことを約束したのだ。
「申し訳ないですが、明日は予定が入っていまして……っと」
メールの返信を済ませ、携帯の電源を落とす。
今日は、よく眠れそうだ――
「……」
良子に招かれた先はあるホテルの一室――というか、良子の泊まっている部屋だった。
大人の女性の住む部屋に一人で訪れるのは始めての体験だった。
妙にドキドキする。
「粗茶ですが、どうぞ」
「あ、ども」
「そして、君を呼んだ理由だけど――少し、準備が必要だから。待っていて? OK?」
「あ、了解っす」
カップの紅茶を京太郎の前に置いて良子は部屋の置くに。
一口啜っても、今一味はわからなかった。
「さて……待ってて、と言われたけど」
大人しく待ってて、と言われたらウズウズするのが人の性。
何だか良い匂いがするし、色々探索してみたい気もする。
……けれど。
「流石に、失礼だよな」
いくら何でもそこまで親しくない相手の部屋を物色するのは失礼極まりない。
言われた通り、京太郎は良子を待つことにした。
「お待たせしました」
「いえ、別に……へぁ!?」
部屋の奥から現れた良子は、永水女子のような巫女服を着ていた。
それも、恐らくはノーブラで。
大きくも形の良い母性の象徴がクッキリと浮き出ている。
まさに、立派なおもち。
ゴクリと喉が鳴る。視線が釘付けになってしまう。
「……じー」
「は!? いえ、大変失礼しました!?」
慌てて目線を逸らし、頭を下げる。
ついうっかり自分の立場を忘れてしまった。
「ふふ……触ってみる?」
「え……え?」
非常に魅力的な提案。
健全な男子生徒には耐え難い誘惑である。
「いや、流石にそれは……?」
しかし、自分は個人戦選手として東京に来ているのであって。
決して、女性の胸を触る為に来たのではないのだという意識が、京太郎の手を押し留めた。
視線は相変わらず良子の胸に固定されたままだが。
「そう、残念……まぁ、それで。君を呼んだ理由だけど」
「はい」
「お祓いをするよ」
「……はい?」
「お祓いを、するよ」
「いや、聞こえなかったわけではなく」
良子の格好を見た時からある程度は予想できたことだけれど。
面と向かって言われると、どうしてもフリーズしてしまう。
「まぁ、これからの景気付けみたいなものだから。リラックスしてればいいよ」
「は、はぁ……わかりました」
先端に紙が括り付けられた棒やら、読めない文字が書かれた扇子やら。
京太郎には名前も知らない道具が用いられ、お祓いが開始される。
「……」
奇妙な道具を振りながら、ぶつぶつと聞き取りにくい言葉を呟く良子。
最初は胡散臭い雰囲気に身構えていた京太郎も、段々と眠くなって来る。
ウトウトと、瞼が降りてきて――
――須賀ァッ!!
「っ!?」
久しぶりに聞こえた幻聴に姿勢を正す。
そうだ、これは自分のために行われていることなんだ。いくら胡散臭くても居眠りは失礼だ。
頭を振って眠気を飛ばす。
「……ッ」
良子の言葉の中に舌打ちのような何かが混ざっていた気がするけれど、きっと気のせいだろう。
『お祓い』が終わった頃には、京太郎の気分も普段よりスッキリしていた。
肩が軽い。
きっとこれなら、三回戦でもいつも以上の力が発揮できる。
ホテルのフロントで良子に頭を下げて、京太郎は自分のホテルに帰っていった。
「……次は、もっと強いものを」
その背中を見送る良子の呟きは、誰にも聞かれなかった。
幾つかの照明とカメラに囲まれた雀卓。
全国大会の舞台。
例え用事が無くても、ここには何度も足を運んでしまう。
「……明後日かぁ」
三回戦。
これまでのように行くかはわからない。
けれど、どんな結果になっても。
麻雀を楽しむ気持ちがあれば、悔いは残らない――
「あ、君は……」
「須賀京太郎くん、だよね?」
「あなたは?」
変な前髪の人。
それが、須賀京太郎の赤土晴絵に対する第一印象だった。
「あ、ゴメンゴメン。私は赤土晴絵、阿知賀女学院の麻雀部監督やってます」
差し出された名刺を受け取る。
名前は始めて知ったが、どうやらこの人も麻雀関係者らしかった。
「前から君に興味があったんだ。小鍛治健夜、または宮永照の再来――とか言われてる、君に」
「いえ、そんな大したもんじゃ」
「はは、もっと堂々としてた方が良いよ。力に振り回されちゃうから」
「はぁ……」
それでさ、と咳払いをする晴絵。
「君に、お願いがあるんだけど。ちょっとうちの麻雀部に来てくれない?」
「ふむ……」
受け取った名刺を片手に考え込む。
これまでの経験上、ここで誘いに乗ることは悪いことにはならないと思うが――
「すいません、ちょっと今日は用事が」
「ありゃ、残念」
違う部の相手と打てるのは京太郎にとっても良い経験となる筈だが、今日はこの後に外せない用事が控えている。
晴絵の誘いには乗れなかった。
「それじゃあ、気が向いたらそこの連絡先に電話を下さい。基本的にインハイ中ならいつでも出れると思うので」
「はい、わかりました」
晴絵の名刺を財布にしまい、会場を後にする。
「ちゃんとした名刺入れを買おう……」
晴絵と別れて向かった先は、咏が待つ雀荘。
三回戦に向けてみっちり調整してくれると言うのだから、これに乗らない手はない。
「あの、咏さん?」
「……」
だと言うのに、京太郎を呼び出した当の本人は。
窓の外の景色を眺めて、しきりに何かを呟いている。
京太郎が呼び掛けても返事がない。
「あのー、来ましたよ?」
「……ん? ああ、悪い悪い。ちょっと考えててねぃ」
肩を軽く揺さぶって、ようやく反応があった。
「それじゃ、始めようかい」
――そして、指導が始まる。
様子が少し違うのは、咏も良子と同じく久保コーチの京太郎への指導を手伝ったからかね
感想は良子と違って穢されたとかじゃなくて、すこやんの影を突き破ったのがどうして自分の力じゃない
って感じだったけど
だから3回戦への調整はみっちり自分が行う気になったのかな
「基本はとっくの当に出来てるし、今の君のレベルなら男子の部くらいなら優勝狙えるんじゃないかな。割とマジで」
「まじっすか」
みっちり咏に扱かれた後、以前訪れた料亭にて。
咏の話を耳にしながら口にした刺身は、スーパーのパックが食べられなくなりそうな程に美味い。
「おー、良い食べっぷり。そいじゃ、こっちもいっとくかい?」
「え、それは……」
「大人の味ってヤツさ。ま、お酒だねぃ。舐める程度なら問題ないっしょ」
「いやいや流石に、未成年なんで……」
「ちぇー、お硬いねぇ」
渋々と自分のグラスに酒を注ぐ咏。
そう言われても、京太郎としては万が一にでも問題に繋がることは避けたい。
なんせ、ここでスキャンダルでもあろうものなら今までの全てが消えてしまう。
「ま、そういうところも好きなんだけど」
「え?」
「ふふ、本気にした?」
「……あ、なんだ。また、冗談で――」
「私は、いつでも本気だけどね」
「――え?」
さて、と席を立つ咏。
「場所を変えようか。ここは、育ち盛りの男子にはちと物足りないだろ」
――京太郎は、窓から差し込む日の光で目を覚ました。
「……っ、あれ?」
体中が軋む。
確か、自分は咏に連れられて、料亭からタクシーで――
「おそようさん」
「わっ」
すぐ隣から聞えて来た声に飛び起きて、しかし思うように体が動かず体勢を崩す。
全身の気怠さに加えて、両足に違和感がある。
「……何、これ」
視線を足元に下げると、足枷が嵌められている。
片方は壁に鎖が繋がれていて、もう片方は――
「ふふ……」
――咏の足首に、繋がれている。
これは夢なのかと、京太郎は思った。
しかし鎖の冷たい感触と、体勢を崩した時の痛みは否が応でも現実だと思い知らせる。
言葉が出ない。一体、何がどうなっているのか。
「ここは……」
「いやー、私の実家は割と古い家でさ、座敷牢くらいはあるんだよね」
「そんな……」
相変わらず体の気怠さは抜けないが、思考は鮮明になってきた。
つまり、自分は。
咏と共に。
監禁、されている。
「どうして、こんな……」
「どうして? 好きだからさ、君のことが。愛していると言ってもいい」
分からない。
目の前で、自分から一切目を離さず、瞬きの一つもなく、見詰め続けて来る女性は。
本当に、三尋木咏という人なのだろうか。
「駄目なんだよね。私は、もう」
「……」
「我慢出来なくなったんだ。耐えられない」
「異類婚姻譚って知ってる?」
「魔物に惚れて、魔物に嫁いだ娘っ子が、魔物になっちゃう話があってね」
「……魔物がどっちなのかは、この際どうでもいい」
「重要なのは――」
咏が、京太郎のシャツのボタンを一つずつ外す。
程なくして露出した京太郎の胸に、爪を立てる。
血が滲み、痛みに顔を歪める京太郎にも構うことなく、咏は傷の上に舌を這わせる。
「もう君は、私のものってことさ」
「ふふ、勝てば官軍ってね。知ってるかい? 君、結構競争率高いんだぜー」
「……ま、何も知らないだろうね、その顔は」
「まぁいいよ、それはそれで」
「教えがいがあるってものさ」
「ああ、楽しみだ――」
……そして迎えた三回戦の日。
大方の予想通り――京太郎は、一位を勝ち取った。
勝利に喜び、相手を敬う心は勿論忘れていないけど。
試合の後に、京太郎が帰る先は。
「ああ、良い子だ。きっちりと教えを守ったね」
「ふふふ……それじゃあ、今夜も色々教えてあげる」
「今夜も寝かさないぞ♪ってね」
「……んん、ああ。そうだ」
「一つ言っておかないと」
「……ねえ、君」
「――婿養子って、興味あるかい?」
【ED まものよめ】
最終更新:2026年01月05日 18:59