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末原恭子は恋をしていた――それも、年上の男性に。

ちょっぴり情けなくて、でも頼りになるところもある優しい先生。

生徒と先生の恋なんて御法度だけど……部活の仲間や監督代行に背中を押されて、少しだけ頑張ってみることにした。

綺麗に見える化粧の仕方や可愛いファッションを覚えた。

いつもお昼をコンビニの惣菜で済ませているから、早起きしてお弁当を作ってみた。

当たって砕けろの精神で、しかし最善の努力を尽くすように。

一歩一歩をしっかりと、彼の心に届くように。

そうして今日も、彼女は職員室を訪れて――


「え? 先生が……転勤?」












――きょーたろっ♪

――すーがくんっ♪


「ハァ……」


京太郎は、自室の机に頭を抱えて突っ伏していた。

理由は言うまでもなく、二人の先輩。

最近では少し校内を歩けば必ず二人のどちらかに遭遇し、姫子なんかは部活中でもベッタリだ。

美人な彼女たちに慕われているのは素直に嬉しい……が。



――京ちゃん?


「……何でかなぁ」


このまま二人に流されて、噂のように付き合い始めるのは。

何故だか、長野に置いて来た幼馴染に悪いような気がして。


「花田先輩辺りに相談してみようかなぁ……」


結構しっかり者みたいだし、哩と姫子がいないところで誤解を解いて相談してみれば上手くいくかもしれない。

机から起き上がり、ポケットから携帯を取り出してアドレス帳を呼び出す。

上手く行くことを願って、京太郎はメールを打ち始めた。












「……では、本当にあの噂は間違いだと?」

「ハイ。確かに、あの二人は俺を好いてくれてますけど……」

「ふーむ……?」


部活が終わった後の部室。

他の部員たちは既に帰宅していて、部室に残っているのは京太郎と煌だけだ。


「確かに……あなたの態度をよく見てると、カップルという感じはしませんが……」

「ええ……ただ、あの二人にどうすればいいのか分からなくて」


哩は福岡に来たばかりの自分を助けてくれた人だし、姫子は好意を向けてくれている。

知り合ったばかりの女性二人にここまでの好意を向けられたことはなく、二人に対してどう接していけばいいのかがわからない。

そして、二人の部屋を訪れる度に、自室の机の引き出しに色々な物が溜まって行くのも悩みの種の一つだが――それは、流石に煌には話せない。


「どうでしょう、いっそのこと本当に付き合ってしまうのは」

「うーん……だけど何だか流されてる感じがするし、それに……」

「それに?」


――長野に住む幼馴染に、何て言えばいいのか。


「……いえ、何でもありません」

「? まぁ、でしたら……もうガツンと言うしかないのでは。あの二人も頑固ですから、今のままでは流されるだけです」

「そうですか……わかりました、ありがとうございます」


心苦しいが、ハッキリと言葉で拒む必要がある。

そう考えた京太郎は、煌に礼を言って帰路に着く事にした。









「待っとったよー」


昇降口で煌と別れ、校門から出るとすぐに姫子が飛び付いて来た。

まるで帰って来た飼い主を見つけた犬のようだと京太郎は思ったが、今回からはそれを放って置く訳にはいかない。

姫子の肩を押して、自分から引き離す。


「え……?」

「ごめんなさい、先輩……でも、困るんです。そういうの」


姫子の顔が固まる。

自分が何を言われているのか分からない、そんな表情だ。


「部活でも面倒を見てくれるのは助かりますし、有り難いんですけど……俺、先輩の彼女じゃないです」

「……」

「だから、その……困ります、こういうの」

「……」


姫子の肩から、バッグがするりと滑り落ちる。


「……すいません、それじゃ」


立ち尽くす姫子に頭を下げて、その場を後にする。

申し訳ない気分で胸がいっぱいだけど――このまま、流されてしまうよりはいい。


「……」


姫子は、その遠ざかっていく背中をひたすら見詰め続けていた。

日が暮れても、携帯に着信があっても、門限の時間が来ても。

哩が心配して迎えに来るまで、ずっとずっと、立ち尽くしていた。





「はあぁ……」


家に帰って来た京太郎は、自室のベッドに寝転がって深々と溜息を吐いた。

肉体的には大した事はしていないのに、どっと疲れた。


「あー……もうちょい、上手く言えただろ、俺」


そして、校門を出た時の姫子の顔を思い出して自己嫌悪する。

明らかに酷くショックを受けていた。

もう少し言い方を気を付ければ良かった。


「……けど、ガツンと言えって花田先輩が言ってたしなぁ」


しかし、哩にもコレと同じ事をしなければならないと考えると気が滅入る。

土壇場でヘタレてしまうような気がする。


「あー、恋愛って難しいんだな――ん?」


頭を抱えてベッドの上でゴロゴロしていると、枕元に置いた携帯から着信音。

着信画面には見知らぬ番号が表示されている。


「……誰だ?」


妙に長く続く呼び出しコール。

京太郎は恐る恐る携帯を手に取り、通話ボタンを押した。





『……もしもし? 聞こえてますか? 須賀京太郎くんの携帯ですか?』

「……え?」


スピーカーから聞こえてきたのは、そこまで久しぶりと言う程ではないのにも関わらず、とても懐かしく感じる声。

いかにも携帯に不慣れな声音で、緊張している様子が伝わってくる。

聞いていて心配になるけど、どこか安心感のあるこの声は――


「咲っ!?」

『わっ!?』


思わず、叫ぶように大きな声を出してしまった。

電話の相手もかなり驚いたようで、スピーカーを通じて携帯を床に落とした音が響いた。


『だ、大丈夫かな? 壊れてないよね?』

「あ、ああ……大丈夫、聞こえてるよ」


おっかなびっくりといった声で確信する。

間違いない。

この電話をかけてきた相手は。


『もう、耳元で叫ばないでよ』

「だから、悪かったって。まさかお前が電話してくるとは思わなくてさ」

『買ったんだ。私も高校生になるし』


故郷に置いてきた、幼馴染だ。









「へぇー。お前にも扱える携帯があったんだな。あ、らくらくフォンってやつか?」

『違いますー。ちゃんとした最新機種ですー』

「なんか心配だな。詐欺とか大丈夫か?」

『馬鹿にしないでよ。部長だって色々教えてくれるんだから』


久しぶりの気安いやり取りが京太郎の心を軽くする。

今のクラスメイトとも大分打ち解けてはいるが、やはり彼女との会話は別だ。


「ん? 部長?」

『うん。私、部活に入ったんだよ』

「へぇー、帰宅部かと思ってた」

『ふふ……何だと思う?』

「んー……文芸部」

『違いますー……正解は、麻雀部でした!』

「ほー。これまた意外な」

『こっちでも色々あって。京ちゃんも麻雀部だったよね?』

「そうだけど」


正直、意外だ。

京太郎からしてみれば咲は鈍臭いイメージが強く、麻雀でもチョンボしてる姿が浮かぶのだが。


「……まぁ、もしかしたら。全国大会で会ったりしてな」

『えー? 京ちゃんが?』

「へへ、舐めんなよ。これでも先輩に色々と特別指導受けてんだよ」

『……それって、手紙にあったあの先輩たちのこと?』

「ああ、そうだけど」

『ふーん……』

「な、何だよ?」

『べーつーに? 何とも思ってないですけど?』


嘘だ。明らかに拗ねている。こうなった咲は非常に面倒くさい。

前までなら頭をグリグリ撫でたりして無理矢理誤魔化すのだが、生憎とコレは電話である。時間がかかりそうだ。


「はぁ……」

『何、その溜息』


京太郎は、今晩の大半を咲のご機嫌取りに費やすことになった。








翌日の放課後。


「ふあ……」


大きな欠伸をしながら部活に向かう。

深夜までの長電話は何気に始めての経験だった。

今頃は咲も同じ様に目の下にクマを作っているに違いない。


「ん……」


大きく背伸びをする。

昨夜の咲との通話のおかげで体は重いが心は軽い。

今なら、哩や姫子ともちゃんと向き合える気がする。


「……よし!」


部室のドアの前で頬を叩いて気合を入れる。

京太郎は、勢い良く戸を開き――



「……え? 部長も鶴田先輩も、今日は休みなんですか?」



――盛大に、肩透かしを食らった。









次の日は、哩は登校したが姫子が休んだ。

その次の日は、姫子が登校したが哩が休んだ。

更にその次の日は、二人とも学校を休んだ。

次の日も、その次の日も、一週間経っても。

そして、暫く二人の姿を見ないまま日付が過ぎていった。



















――ピンポーン。



「ん、宅配か?」


両親が共にいない日。

そろそろ夕食の準備をするか、という時間帯に来客を告げるインターホンの音。



「はいはー……い?」

「きょーたろっ」

「えへ、来ちゃった」


ドアを開けた先には。

暫く部活に顔を出していなかった、哩と姫子が立っていた。


「えっと……」


どうして、ここに?

その問いをする前に、姫子が飛びかかってきた。


「うわっ」

「んー……♪ やっぱり、この匂い……よか♪」


腕を回してしがみ付く姫子はちょっとやそっとの力では引き離せそうにない。

かと言って、本気で突き飛ばせば怪我をさせてしまうかもしれない。

どうにかしてくれと哩に視線を向けると、申し訳なさそうに両手を合わせられた。


「話があっけん、上げてくるっばいね?」


とりあえずは、この状況をどうにかしないといけない。

京太郎は、姫子に抱きつかれたままコクコクと頷いた。





哩と姫子を自室に案内し、小さな机を挟んで向かいあう。

哩に窘められて口を閉じているものの、こちらに視線を向けてウズウズしている姫子の姿は『待て』を命じられた子犬を連想させた。


「私らは京太郎に自分の気持ちを押し付けよった」

「……」

「すまん、迷惑かけた」

「いえ……そんな」


深く頭を下げる姫子と哩だが、二人にそんなことをさせる権利は自分にはない。

美人である二人に言い寄られて満更でもない気分になっていた自分がいたのは事実だし、無神経な突き放し方は姫子を傷付けた。

最初にハッキリ言えばこのように引き摺ることもなかった筈だ。


「姫子」

「はいっ!」


哩が顎で差し、姫子が立ち上がって京太郎の隣に座る。

何をするのかと疑問符を頭上に浮かべた京太郎だが――


「んっ♪」

「んぐっ!?」


直後に、姫子に深く口付けをされる。

抵抗する間もなく姫子の舌が口内に入って来る。

何かの塊が姫子の口から押し込まれ、京太郎の喉を通っていく。


「そいけん――京太郎にも、私らと同じ気持ちになってもらうことにした」


哩の言葉は、耳に入らない。

ただ、自分が姫子に襲われているということだけ、理解できた。










「あっ……」

「あはっ♪」


鎖に縛られる手足。

とっくのとうに慣れた筈の感覚。

いつもと違うのは、自分にしか見えない筈の鎖が姫子も一緒に縛っているということと。


「恐がらんでよか。どうせ、すぐに気持ち良くなるばい」


繋がれた鎖の先に、女の人が立っているということ。


「ああ……」


きっと、こうなるのは。

自分が、この鎖の存在を感じたその日から、決まっていたのだ。


「ふふ……おねーさんが全部まとめて貰ったげるけんね♪」


先輩のことも、幼馴染のことも、何もかもを忘れて。

京太郎は、体の奥から突き上げて来た衝動に身を委ねた。








――私には、幼馴染がいる。





「 」

人の気持ちなんか知らないで。

「 」

ズケズケと入って来て。



「 」

放って置けばいいのに。

「 」

それはこっちの台詞なのに。

「 」

何故か、いつも隣にいて。

「 」

世話を焼いてきて。

「 」

それが、当たり前になっていた。


そんな男の子が、一人いる。








その子は、九州に引っ越しちゃったけど。

手紙や、電話での会話は途絶えなくて。

離れていても、繋がってるんだって。

そう、思ってた。


なのに。


どうして。


どうして、そんな顔をしているの?


どうして、私のことを忘れちゃったの――?












携帯を叩き付けて、送られてきた映像を消す。


吐き気が抑えきれない。


口からよく分からない何かが込み上げて、フローリングの床を汚す。


「げほっ……」


わからない。


京ちゃん、どうして。


わからない。


答えてくれる幼馴染は、隣にいない。


わからない、わからない、わからない――






「……ああ、そっか」


シャーペンを手に取る。


「京ちゃん、優しいから」


シャーペンで左の手の平を突き刺す。

血が滲む。


「騙されちゃったん、だね」


抉りこむように深く突き刺す。

血が溢れる。


「だったら……私が」


振り上げて、刺す。


「目を覚まして、あげないと」


何度も、何度も。


「それが」


芯が、肉に食い込んでも。


「幼馴染の、役目だもんね」


止めることなく。


「ねえ?」


何度も、繰り返して。


「京、ちゃん?」


深く、突き刺す。



手の平から溢れる血。

フローリングの溝を染めて、作られた赤い模様は。


「待っててね……京ちゃん」


千切れた鎖のようにも、見えた。




【繋がれた先に 了】





――いる、よなぁ。


教員専用の駐車場に車を停めて、ふと見たサイドミラーに映る姿。

本人は物陰に隠れているつもりなのだろうが、その高い身長故に隠れ切れず、トレードマークの帽子がはみ出している。

様子を見る限りだと、こちらのことをチラチラと窺っている。

時間的にも生徒が登校するには早過ぎる。そして部活の朝練でもないとすれば、あの少女が自分を待ち構えていることは間違いない。


「おはよう、早いね」

「あ! お、おはようございます!!」


車から出て挨拶すると、顔を真っ赤に染めて返事をする彼女。

その表情は、かつて大阪で勤めていた頃の教え子を思い出させた。


「それで、どうしたの? こんな時間に」

「は、はい! き、今日……そ、その! バレンタインだから……だから!」


強い勢いで突き出される小箱。

きっと、手の震えは寒さのせいだけではないのだろう。


「ん……ああ、ありがとう。後で、いただくよ」


誰よりも早く渡したかった。

そんな彼女の想いが伝わってきて、拒みきれずに小箱を受け取る。


「……!」


ぱあっと、分りやす過ぎる程に伝わってくる喜びの感情。

何から何までが、大阪にいた頃の『あの子』を連想させて。


「……早く校舎に。寒いだろ?」

「はいっ!」


『その時』が来たら、自分は彼女を拒めるのか。

自分よりも背の高い教え子と並んで、京太郎はそっと鞄に小箱を入れた。






彼との出会いは、本当に彼が小さかった頃。

少しの間だけ知り合いの赤ちゃんの面倒を見てやって欲しいと頼まれたことが始まりだった。




「ほぇー……」

「あー……?」


無垢な顔。自分にもこんな時期があったのだろうか。

クリっとした丸い目と見つめ合う。

何となく指でほっぺたをつついてみる。柔らかい。


「あはっ♪」

「おおっ」


笑って、指を握られる。

こうもダイレクトに返されると構っているこちらとしても楽しい。

次は何をしてあげようか。


「ふぇっ……あうぅ……」

「えっ」


だが、さっきまで笑顔だったのに急にぐずり始めた。

赤子の相手をするのは初めてな晴絵でも、この次の展開は予測がつく。


「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!」

「あぁっ!? ど、どうしよう……お、おーよしよし」


抱きかかえてあやしてみても泣き止まない。

おしめが濡れているわけでもない。

だとすれば、次に晴絵が思い付くのは――


「……ゴクリ」

「う゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!」




数十分後、親が駆け付けた頃にはすっかり泣き止んで健やかな寝顔を浮かべる京太郎と、顔を真っ赤にして胸のあたりを押さえる晴絵がいたそうな。


【京ちゃん赤ちゃん、ハルちゃんティーン】

赤ちゃんからか
光源氏ってかファーストコンタクトがこれだと母性をくすぐられそうねww

京太郎は食いしんぼだったのだろうか?

「……なーんてことがあったのも懐かしいなぁ」

「どーしたんだよ、レジェンドー」

「いーや? ただ、前みたいにハルちゃんって呼んでくれないかなーって」

「んなっ」


時は経ち、阿知賀こども麻雀クラブ。

過去を懐かしむように目を細める晴絵に京太郎が声をかけると、晴絵が京太郎に背後から抱きついた。


「いやー、最近はレジェンドレジェンドってばかりだから。あの頃みたいに甘えてくれないし?」

「そ、そりゃ……だって」


京太郎も小学校5年生、性別を意識するようになる年頃。

京太郎にとって晴絵は自分の姉のような相手だが、昔のようにベッタリと甘えるのは恥ずかしい。

かと言って完全に突き放すことも出来ず、わざわざこうして麻雀クラブにまで顔を出しているのだが。

勿論、晴絵はそのことも分かった上で京太郎をからかっている。


「本当、最近は放ってかれてばかりだし。かなしーなー」

「ぐっ……」

「京太郎に嫌われちゃったのかなー、とか思っちゃうんだよなー」

「そ、そんなことないし……レジェンドは……」

「んー?」


グリグリと、胸を押し付けるように、より強く抱きつく。


「聞こえないなー、私の名前はレジェンドじゃないし?」

「うぅ……」


京太郎の顔が茹で上がるが、晴絵は一向に離れる素振りを見せない。

こうなった時の対処法は理解しているが、それをやるのもまた恥ずかしい。

だが、この状態が続くのと、その対処法とを天秤にかけて――京太郎は、口を開いた。


「は、ハルちゃんのことは……今でも、好きだから」

「うむ、素直でよろしい♪」


ガックリと、京太郎が頭を下げる。

せめて、この顔だけはクラブの面子には見られたくなかった。



「飽きないなぁ、あの二人も」

「仲良しさんだね! 」


【京ちゃん小5、ハルちゃん大学生】






「晴絵ー、お母さんが呼んでたけ、ど……」

「zzz……」


ソファで転寝をしている晴絵。

それだけなら京太郎も肩を揺さぶるなりして、起こしただろうが。


「Zzz……」


薄着であり、シャツがはだけている。

色んなことに興味を持ち始める時期の中学生には、やや刺激が強過ぎた。


『――あなたを、愛している』


そして、ソファの前のテレビには恋愛ドラマのワンシーン。

ちょうど今の状況に相応しく――男性、が女性をソファに押し倒していた。

ゴクリと、喉がなる。


「いやいやいや……」


頭を振って浮かんで来たイメージを消す。

それも悪くないだなんて、決して考えてない。

テレビを消して、さっさと起こすように、京太郎は晴絵の肩に手をかけた。



【京ちゃん中学生、ハルちゃん大人】









「みんなよく寝てるなー」

「今日一日で大分打ったからな。疲れてるだろ」


全国大会に向けた遠征の帰り道。

車内の後部座席は、寝息に包まれていた。


「京太郎も寝れば?」

「いや、いいよ。助手席だし、俺はみんな程疲れてないから」

「ん、わかった。けど遠慮しなくていいから」


赤信号で車が停まり、会話が途切れる。

後ろからの皆の寝息が聞こえてくる。

何となく気まずくなった京太郎は、車内ラジオへと手を伸ばし――


「あっ」

「あっ」


同じことを考えていた晴絵と、手が触れ合った。


「……」

「……」


手が触れ合ったまま、何となくお互いに見つめ合う。

気まずさは無い。むしろ、よくわからない胸の鼓動で頭がいっぱいになる。


「京太郎……」

「晴、絵……?」


信号が切り替わり、後ろの車にクラクションを鳴らされるまで。

京太郎と晴絵は、お互いの手の温もりを感じていた。



【京ちゃん高校生、ハルちゃん監督】








「――私と。私と、付き合って」


胸に手を当てて、告白する幼馴染。

震えながらも真っ直ぐに見詰めて来る瞳からは想いの強さが伝わってくる。


「憧……」

「……」


いつからだろうか、この幼馴染が髪を伸ばし始めたのは。

いつからだろうか、この幼馴染が化粧を覚え始めたのは。

いつからだろうか、この幼馴染に――女としての魅力を感じたのは。


「……ごめん」

「え……?」


だけど。

京太郎は、拒絶する。


「本当に、ごめん……だけど、俺。憧とは、付き合えない」

「あっ……」


その場に崩れ落ちる憧に、申し訳なさそうに背を向けて。

京太郎は、自分を待つヒトがいるアパートへと帰った。




「……あはっ」




【京ちゃん大学生、ハルちゃん――】





京太郎大学生か、そしてアパートに待つ人が居るか

「……あはっ」
ほ、ほのぼのなんですよね……





「いやー、参った。こんな日が来るとはねぇ」

「なんつーか俺は、いつかこんな日が来る気がしてたけどな」

「え、マジで?」

「うん。と言っても高2の辺りからだけど」

「そっかー、筋金入りだったか」

「そー言ってるけど、晴絵だって好きだっただろ。昔から、同じくらいに」

「……面と向かって言われると照れるなぁ」

「あー……あの時の晴絵の気持ちがなんか分かったわ」

「え?」

「好きな人って虐めたくなるもんな」

「ありゃー……こりゃ、本当に参ったなぁ」

「ん……愛しているぜ、晴絵」

「私も……愛しているよ、京太郎」


「――おやすみ」



【ED 京ちゃん、ハルちゃん、いつまでも】














――壁ドン。


壁際に追い詰められて、ドンと腕を押し付けられて迫られること。

その強引さと格好良さから、一部の女子の間では憧れとなっているらしいが――



「あ、あの……」

「黙れよ」


京太郎と貴子の場合では、男女の役割が逆になっていた。


「お前は、誰の彼氏だ?」

「……貴子さん、です」

「ああ、そうだな。それで、今日の部活だが」

「……」

「お前、福路の胸――見てたよな?」

「……はい」

「それで、もう一度聞くけど――お前は、誰の彼氏だ?」



二人きりの部室に、時計の音だけが響いた。







下校時刻を告げるチャイムが鳴り、生徒たちが帰宅し、教員たちも仕事を終えた後。

貴子は、靖子を誘って居酒屋に来ていた。

ぐいっと勢い良く果実酒を煽り、テーブルに突っ伏す。


「……はあぁぁ」


やってしまった。

本当は彼を労い、こっそりとデートに誘う予定だったのに。

つい、嫉妬心が先走って彼を追い詰めてしまった。


「ごめんよぉ、京太郎……」

「その彼氏の前でもこれだけ素直になれたらなぁ……」

「ううぅ……」


とは言え、貴子はこの年齢にも関わらず恋愛初心者だ。

初めての経験に心が戸惑うのも無理はない。


「ふむ……」


このままでは余りにも不憫だ。

ここは一つ、何かアドバイスを送りたい。

だが靖子とて、上手いアイデアを直ぐには思い付かない。

靖子は一つ溜息を吐くと、携帯を開いてそれらしきものがないかを検索し始めた。


「……あー、コレとかどうだろう?」










「男は胃袋で掴め……?」

「女性らしさをアピールしつつ、彼を労う絶好のチャンスにもなるかと。彼も男ですから、カツ丼なんかもお勧めで――」


……そういえば。

彼はよく、池田にレディースランチを奢ってもらっていると聞く。


「……よし!」


萎んでいた気が燃えてきた。

そうと決まれば善は急げ、こんな所で酒に溺れている場合ではない。


「すいません、コレ勘定で!」


財布からお札を引っ掴み、叩き付けるようにして居酒屋を後にする。

その余りの勢いの良さに、靖子はポカンと口を開けた。


「……あ、ジャンボカツサンド一つ」



――放課後。

部活前にレディースランチを食べようとしたら、校内放送で貴子に呼び出された京太郎。

一体なんだろうと出向いてみれば、黙って差し出された弁当箱。

……恐らくは食え、ということなのだろうけど。


「……」


まるで大会前の最後の調整中のような貴子の目付きに観念して、京太郎は橋を手にとった。




――え? 俺コレ食うの? マジで?


蓋を開ければ、目に飛び込んで来たのは泥団子。

懐かしい。幼稚園の頃の砂場を思い出す。

ついでにジャリジャリしたあの食感も。


「……」


チラリと貴子を見ると、握り拳が不安で震えている。

ドッキリや嫌がらせではない。

京太郎は諦めの境地で泥団子を箸で摘み、口に運んだ。


「美味過ぎる!」

「やった!」


だが、食べてみれば食感も味も、何もかもが想像の反対側。

よく炒められた肉と野菜が上手く互いを引き立てて、最高の味を演出している。

もう見た目など気にしない、箸が凄まじいスピードで進む。

その様子を見て、貴子は両手でガッツポーズを取った。



「ふぅ……ご馳走でした」

「ああ……どうだった?」

「めっちゃうまかったっす!」

「……だったらまた作ってやるよ。今度はその、二人で出かけた時に……」

「え、それってデー……」

「っ! おら、さっさと部活行くぞっ!!」


【男は胃袋で掴め! 成功!】







『ほう、それでは大成功だったと』

『ふむふむ成る程……ご馳走様』

『え? 次の手? そんなこと言われてもなぁ……私だって……』

『んんっ、まぁ、それはともかく』

『それじゃあ次は、こんなのはどうでしょうか』


次に靖子が、貴子に送るアドバイスは――


「ひ、膝枕!?」

『ベタな手だけど効果はあるんじゃないかと』

「成る程……」

『あ、今回みたいに校内放送で呼び出して――なんてのはお勧めしませんよ』

「え?」

『あくまで自然な流れでやることに価値があるそうですから。強引に行くのは逆効果かと』

「しかし……」

『じゃ、切りますよ。明日早いんで』

「あ、ちょ、待っ」


「……」

「ど、どうすれば……」


膝枕。

確かに憧れるシチュエーションではあるが、自分と彼は教師と生徒。

自然な流れで二人っきりでしてあげるには――


「須賀ー、コーチが残れってさー」

「え? 何だろ」

「たっぷり絞られてくるがいいし!」



また壁ドンされるのだろうかと、京太郎は不安と期待を抱いたがそんな事はなく。

単にネット麻雀を使った個人指導だった。

何でも唯一の男子部員である自分の為に時間を作ってくれたらしい。


「くぅー……」


みっちり扱かれて肉体的にも精神的にもクタクタになった頃。

京太郎がグッタリしているのを見た貴子は、ココだ!と直感で感じ取った。


「な、なぁ須賀……こういうのは、どうだ?」

「へ?」


――膝枕。

これもカップルの定番であり、憧れの一つである……が。


「……」


貴子がソワソワと自分を見下ろしている。

しかし、それ以上に落ち着かないのは京太郎の方である。

貴子の膝は緊張し過ぎてガチガチな上に、震えているので非常に居心地が悪い。

それを正直に口にするのは大変よくない。

だけど、コレをこのまま続けるのは貴子にも自分にも良くない気がする。


(何か、言わないと……)


貴子に対しての、京太郎のフォローは――




――正直に言うと、この膝枕はあまり気持ちの良い状態ではない。


口に出してはいないが、それが伝わってしまったのだろう。

貴子の膝の震えがドンドン強くなっていき、バイブレーションのようになって。

どうにかしなければ、と感じた京太郎が口に出した言葉が――


「じゃあ、今度は俺が膝枕しますね」





「どうですか?」

「お、おう……わ、悪くはない……な」


先程とは逆の立場であるが、貴子は相変わらずガチガチに緊張している。

頬を紅葉色に染めて視線があっちこっちに泳いでいる。


「……いいですね、こういうのも」

「そ、そうか?……そう、か……」


だが、それでも先程よりは大分気持ちが楽になったようで。

段々とリラックスしてきたのか、目を閉じて力を抜き、体重を預けてきた。


「……」


何となく、頭を撫でてみたりする。


「ひっ!?」

「あ、すいません。駄目でしたか?」

「い、いや……ちょっと驚いただけだ。続けてくれ」


許しを得たので再び頭を撫でる。

鬼コーチのこんな顔を見れるのは、風越でも自分だけだろうと、ちょっとした優越感に浸ってみたりして――



こんな時間が、ずっと続けばいい。

言葉はなかったが、互いに同じ事を思っていることは感じて。

それが無性に嬉しくなって、そっと貴子の髪をかき上げて――



「わ、忘れ物だし!」

「あっ」

「あ゛っ」

「……え?」


何の前触れもなく部室に乱入してきた香菜に、京太郎と貴子がフリーズする。

最初は目が点になっていた香菜も、段々と状況が理解できてきたらしい。

顔色が真っ青になり、汗が溢れ出す。


「あ、あははは……さ、さよなら……」


ギクシャクとした動作で振り返り、何事も無かったかのように部室から出ようとする。

だが、そうは問屋が卸さない。

貴子がゆらりと立ち上がり、底冷えする声で香菜に声をかける。


「なぁ、池田。ちょっと話があるんだが……」

「い、いえっ!? あっ! 早く帰らないとっ!!」

「忘れ物があるんだろう? 手伝ってやるよ、たっぷりとな……」


京太郎の位置からは貴子の背中しか見えないが、香菜の怯えた表情からどれだけ恐ろしい様子なのかは容易に想像出来た。

勿論、この後の展開も。


「ご、ごゆっくりいいいいいいぃぃぃぃっ!!」

「いぃけぇだあああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁっ!!!!!!」


凄まじい速度で廊下の奥へと走って消えて行った二人を見送り、京太郎は溜息を吐いた。



【膝枕 失敗】








『あー……その様子だと、上手くいかなかったようで』

『まぁ……彼女も悪気はなかったんだろうし、そこまで悪く言うのも』

『そしてまぁ、わざわざ電話をかけてきたということは……まぁ、そういうことか』

『一々惚気に付き合わされるこっちの身にも……』

『……ハァ、上手くいったら今度奢って下さいよ?』

『それで、次の作戦ですが――』


次に靖子が貴子へ送るアドバイスは――



『もう、さらっと既成事実作っちゃうとか。お茶に一服盛ったりして』

「っ!?」

『いやだって、正直言ってもう面倒くさ……』

「できるわけがないっ!!!」

『おわっ……耳が……』

「だ、大体そういうことはもっと段階を踏んでから……教育者として……」

『生徒と付き合ってるクセに今更そんな……ま、でも色仕掛けは悪くないんじゃ?』

「し、しかし……」

『それじゃ、明日も早いので私はこれで』

「あっ」



「ど、どうしよう……色仕掛けって……」

「そうだ、ネットで参考になるものがあれば……」

「む、胸を押し付ける……!?」

「確かにアイツ、胸が好きだが……そのクセ私にはノータッチだし……」

「……やってみるか」




ネット麻雀を用いての、貴子による京太郎への個人指導中。

椅子に座る京太郎に貴子が後ろから覆い被さるようにして、京太郎の手を取った。


(こうやって指導しつつ、私のことを意識させるのは……どうだ?)


横目で京太郎の顔を覗く。

果たして、彼の反応は――



「貴子さん、この場合は……」


――どうやら、自分の教え子は思った以上に麻雀に夢中なようだった。

教師としては誇らしいが、女としては非常に複雑だ。


「あ、ああ……相手の狙いは分かるか?」

「ええと、恐らくは――」


だが、そもそも個人指導という名目で彼を呼んだのは自分だ。

貴子は盛大に吐きたくなった溜息をグッと堪えて、画面を睨み付けた。



【色仕掛けその1 胸を押し付ける 失敗】






サーッ!





「おう……?」


物は試しにと書き込んでみた掲示板で即座に帰って来たレスポンス。

純愛、幸せなキスといったキーワードから察するに恐らくは恋愛ものの映画か何かだろう。

そう言えば、最近はそういった作品に触れる機会はなかったと、貴子は検索画面に指示された通りのキーワードを打ち込んだ。

「これは……? お、動画があるのか……」


貴子はそっと、動画の再生ボタンにカーソルを合わせ――



「いやいやいやいやいやいやいやっ!?」


律儀にも全編を見終えた貴子は、ワイヤレスのマウスを床に叩き付けた。

確かに最終的には幸せなキスをして終了かもしれないが――いや、それよりも!


「クッソ汚ねえもん見ちまった……」


椅子に体重を預けてグッタリする。

些か自分には刺激が強過ぎる動画だった。


「……けど」


……参考に、あくまで参考程度に。

貴子はマウスを拾い上げると、そっと動画のリピート再生ボタンにカーソルを合わせた。




【色仕掛けその2 失敗……?】







「エ、エロ下着……」


次に貴子に送られたアドバイスはこれまたハードルの高いもの。

前までの貴子なら、どう考えても出来なかったもの。


「……だが」


胸を押し付けることに失敗した以上は、それよりも強い刺激を与える必要がある。

ならば、このエロ下着を見せるというのも――悪くは、ないのかもしれない。


「やるしか、ないか……?」






部の買い出しの手伝いということで貴子に車で連れられた京太郎だが、道中で貴子の携帯に着信が入った。

道路の脇に車を停めた貴子に、「悪いが少し待っていてくれ」と言われ、助手席で1人留守番をすることになった。


「ん……? 何だコレ」


手持ち無沙汰になって、何となく辺りを見渡していると足にぶつかった紙袋。

何だろうかと興味を引かれ、中を覗いて見ると――


「うわっ……」


――見事なまでの、エロ下着。

透けたネグリジェやら切れ込みの入った下着やら。

貴子の所有する車に置いてある紙袋に入っているということは、この数々のエロ下着の持ち主は言うまでもなく。

更に、これらの下着が『そういった行為』に用いられることは容易に想像できる。

そして、その行為の相手というのは、勿論彼氏である――


「ま、マジか……」


ボンッと頭の中で何かが爆発した音がして、京太郎の顔は耳元まで真っ赤に染まる。

――もしかして、今日のスーツの下にも……?

一度イメージをしてしまうと、健全な青少年には止められない。


「悪い、待たせたな」

「あ、い、いえ、お構いなく……」


貴子が戻ってきた後も、京太郎は貴子の顔をまともに見る事が出来ず。

思わず目線を下に向けると、組んだ足の隙間から、僅かに『それらしきもの』が見えて。


「~~~っ!!?」


……そんな京太郎の様子を見て、貴子は今回の作戦が上手くいったことを悟り、心の中でガッツポーズを取った。



【色仕掛けその3 エロ下着 成功!】





それから、数日が過ぎて。

いつも通りの、部活動の途中。


「須賀くん、少しお願いがあるのだけど……」

「はい、なんです?」


美穂子に請われて、パソコンに座る京太郎。

機械に疎い美穂子にはパソコンの扱いは難しく、京太郎の隣で教えを受けながら、目を細めて画面を覗き込んでいる。

見ようによっては仲睦まじい男女の二人組にも見える。


「……」


そんな二人を見た、貴子の反応は――







――壁ドン。

その強引さと格好良さから、一部の女子の間では憧れと以下略――




「京太郎、ごめんよぉ、京太郎ォッ……!」

「やれやれ……」


某居酒屋チェーン店。

酒を煽りながら男泣きする貴子に、靖子は深く溜息を吐いた。

強いデジャヴを感じる。

この様子では、当分の間は貴子に付き合わされることになるだろう。


「う゛う゛う゛う゛う゛っ……」

「……まぁ、今夜だけはとことん付き合うとするか……」


酒で全てを忘れたい、そんな時もあるだろう。

長い夜になりそうだと、靖子は追加の注文をしようと考えて近くを通りかかった店員に呼びかけた。


「……あ、ジャンボカツサンド2つで」




【俺の彼女は鬼コーチ 了】





中学2年の冬休み。

両親の離婚。

肩を壊してハンドボール部からの引退。

この三つが重なったのは、京太郎にはある意味で幸せだったのかもしれない。

県大会決勝でエースとして活躍し、来年には全国出場まで見えていたハンドボール。

その夢が肩の故障によって断たれてしまった京太郎には、かつての仲間たちがグラウンドで練習をしている姿すら、辛い光景となった。

そして同じタイミングでの両親の離婚。

父は鹿児島に。
母は岩手に。

二つの選択を迫られた京太郎は、父に着いていくことを決めた。

今の場所から離れることが出来れば、どこでも良かった。


――ただ一つ、人見知りな同級生の女の子が気がかりだったけど。

その子を気遣う余裕は、京太郎には無かった。

「ここで待ってれば迎えが来るって言ってたけど……」


鹿児島のとある駅。

父の言葉の通りに駅前で待機する京太郎の胸には不安が渦巻いていた。

どんな人が迎えに来るのか、これから向かうのはどんな場所なのか。

父を問い詰めても、言葉を濁されてばかりでまともな答えは得られなかった。


「というか迎えって……」


キョロキョロと辺りを見渡しても観光客らしき人たちしかいない。

唯一、目を引くのが眼鏡をかけた巫女服の女性くらいだ。


「……ん?」


ちょうど、その女性と目が合って。

重なる視線に対して、その眼鏡の巫女さんは――




目が合ったかと思うと、駆け足でこちらに来る眼鏡の巫女さん。


「君が須賀京太郎くんかな?」

「あ、はい」

「良かった……ごめんなさい、少し準備に手間取っちゃって」

「準備ってことは――」


まさかとは思うが。

この巫女さんが、自分の。


「はい。私があなたの案内役を務める狩宿巴です――よろしくね?」


案内役、らしかった。


「親父の実家って一体……」


さっきよりも強くなった不安を胸に抱えながら、京太郎は巴に連れられて行った。













「それでは、私たちのお屋敷に案内するので。しっかり着いて来てね?」


そう言われて、巴に案内されて辿り着いたのは、ゴールが見えない長い長い石造りの階段。

駅からここまでの距離もそれなりにあったのだが、更にここから歩くのだと言う。


「ぜぇ……ぜぇ……」

「あはは……お疲れ様でした。何か飲み物を持って来るね」


それでも何とか階段を登りきったのは、前を歩く巴が平然としていることに対する男子としての意地と。


「何だろうな、この……」


石段を登り屋敷が近付いてくるにつれて、胸の中の不安な気持ちが『懐かしさ』に変わっていったからだ。


「うーん……」


巴に案内された屋敷の客間で胡座をかく。

前にも、ここを訪れたような気がする。

一種のデジャヴのような気持ちが、京太郎の脚を動かした。

だが、そんな不思議な気持ちに浸る京太郎の胸中は――


「あーっ!!」



ドタドタドタと、廊下を慌ただしく駆ける足音。

勢いが全く衰えることなく、段々とこの客間に近付いてきて。

そのまま叩き付けるような勢いで、客間の襖が開かれる。


「あーっ!!」

「っ!?」


弾丸のような勢いで客間に入ってきた巫女服の女の子。

京太郎を見るなり悲鳴に近い叫び声を挙げて、わなわなと震えだす。


「うう、真っ先にお迎えに行けなかったなんて……」


ガックリと肩を下げて落ち込む女の子。

忙しい子だと、京太郎は思った。


「ええっと……」


この場合、どうすればいいのか。

俯いてブツブツと何かを呟くこの子に対して、京太郎はかける言葉が見つからない。



――それは、私がまだ小さかった頃。



『すがきょーたろーです! よろしくなっ!』


初めてできた、男の子のお友達。

引っ込んでいた私の手を取って、色んな場所に連れて行ってくれた男の子。

もの凄く怒られちゃったけど、それでも私を庇ってくれて。

手を繋いで、一緒に遊んで、一緒にお昼寝して。

この子が、ずっと側にいてくれるって。

そう、思ってたのに。


『……え? 帰っちゃった……?』


ある日、目が覚めたらその子はもう、隣にいなくて――



「ううう……」


だから、彼がここに来てくれて、一緒に住むことになるって聞いた時は本当に嬉しかったのに。

誰よりも先に迎えに行くって決めたのに。

その役目が、もう取られていたなんて――





何か、何か言わないと。

そう思っても、京太郎はこの女の子に対する言葉が分からなかった。

下手に触れば一気に崩れてしまいそうな、危うい雰囲気があったからだ。


「あら、これはどういうことかしら……?」


小蒔は自分の世界に入り込んで、京太郎は何をすればいいのか分からなくて、固まっている二人に。

開けっ放しの襖から入ってきた女性が、声をかけた。






――京太郎は、肩に大きな怪我をしている。

――今まで続けていたハンドボールも、その怪我が響いて引退した。

――そして、鹿児島に来る事になったのは、両親の離婚が原因である。


その事を知って、写真で彼の姿を見てから霞の胸の中に芽吹いた気持ちは、彼を『守りたい』というものだった。

辛いことの連続で、きっと彼は心を痛めている。

だからこそ、せめて、ここは。

彼が休める場所であって欲しいと、思った。




騒々しい足音と、客間の気配を感じてやって来た霞が最初に目にしたものは、俯く小蒔と困り顔で固まる京太郎の姿だった。


「うふふ……全く、もう」


細かい状況は分からない。ただ、『姫様』が彼を困らせていることは理解できた。

俯く小蒔を強引に立たせて、その瞳を覗き込む。


「ひゃっ!? 霞ちゃん!?」

「ほら、小蒔ちゃん。彼が困ってるでしょ?」


彼を傷付けるものは、例え誰であろうとも。

微笑みの裏に決意を込めて、霞は小蒔から手を離した。


「ごめんなさいね、京太郎くん。うちの姫様が」

「は、はぁ……」


何が何だか分からない、京太郎の顔にはそう書いてある。

だが、それで良い。

彼が知る必要は、ない。











「……ほら、小蒔ちゃん? 彼に謝らないと」

「うぅ……ごめんなさい、京太郎くん」


涙目で頭を下げる小蒔。

相変わらず状況はさっぱり分からないが、どうやらこの屋敷ではこの霞という女性に逆らってはいけないらしい、ということは判明した。


「コホン、自己紹介が遅れました……私は石戸霞。永水女子に通っています」

「……え?」

「? 何か?」

「え、あ……いや……」


――正直、その子のお母さまかと思いました。

喉元まで出かかった言葉は、辛うじて飲み込めた。








京太郎がこの屋敷に来てから翌朝。

色々なことがあって肉体的にも精神的にも疲れている筈なのだが、京太郎が目覚めた時間は朝の6時。

この屋敷の独特な空気がそうさせているのか、目が冴えて二度寝も出来そうにない。


「……むぅ」


季節は冬、日の出もまだ先。

外はまだ暗い。

屋敷の周りを散歩することは出来ない

とは言え、暇潰しになるものもまだ送られてきていない。


「……ちょっと、探検してみるか。屋敷の中を」


ちょうど、トイレにも行きたくなってきたし。

寝巻きの上にジャケットを羽織り、京太郎は部屋を後にした。




「……困った」


無事にトイレを済ませたはいいが、迷った。

どうやらこの屋敷、見た目以上に中身が広い。

そして外から見ると似たような作りの部屋が多く、自分がどこをどう歩いてきたのか分からない。

延々と同じところをグルグルと回っているような気さえする。


「どうなってんだ一体……」


かれこれ一時間は歩いたような感覚があるが、一向に日の出が訪れない。

京太郎は、柱に寄り掛かって休憩することにした。


「はぁ……」

「むー? あなたはー?」




『異界』

自分たちの日常とは異なる、超常的な現象が潜む世界のこと。

昔の人々にとって異界とは村の外であり、山の奥であり、海の彼方であった。

一切の光が届かない夜の暗闇を異界と呼ぶこともあった。

このように、日常と異界の境目は至る所にある。

だからこそ昔の人々は村の入口に『門』を作り、境目を明確にして、閉ざした。

『異界観』

都市開発が進み、境目が極めて曖昧になった現代日本においてはすっかり廃れた価値観だが。

もしも、例えば。

現代の日本の中に『神』が存在する土地があるとすれば、そこは間違いなく――




妙な胸騒ぎを感じて目覚めて廊下に出た初美が最初に目にしたものは、柱に寄り掛かっている男子の姿。

初めて会う相手だが、その存在は知っていた。

須賀京太郎。昨日に引越してきたという男の子だ。


「……」


するりと、初美の小柄な体躯に対しては大き目の巫女服が肩からずり落ちる。

彼を一目見た瞬間から。

初美は、自分の心の中が切り替わっていくのを感じた。






屈伏させたい。

跪かせたい。

自分のものにしたい。

初めて会う相手に、こんなことを考えるのは異常な筈なのに。

今の初美には、それが当然のことのように思えた。


「お困りですかー?」

「え?」


だけど初美は、それを全く表に出さず京太郎に話しかける。

内面に渦巻く泥の様な激情を、表面の微笑みで隠して。


「駄目ですよー? ここは色々と『違う』場所なんですからー」

「はぁ……」


京太郎の手を取って、初美は歩き出す。

少し歩くと京太郎の泊まる部屋の前まで着いて、日の出の時間になった。

自分を案内してくれた少女――薄墨初美の話によれば、慣れていないのにこの屋敷の中を、この時間帯から一人で出歩くのは危険らしい。


「あー、確かに寝る前に霞さんがそんなこと言ってたような……」

「聞いたことありませんかー? 夜の神社を一人で歩くのは危険だと」

「え? でもそれって足元が悪いとか、泥棒がいるとかそういう理由じゃ」

「まぁ、大半はそうなんですけどねー……」


チラリと、背後を振り向いて話を区切る初美。

その態度に、京太郎の背筋に冷たい感覚が走る。

――まさか、さっきの自分の感じたモノは本当に?

……いやいやそれは有り得ない、そんなオカルトは有り得ない。

京太郎はブンブンと頭を振って、浮かんできた想像を掻き消した。


「……まぁ、何にしても助かったよ。ありがとな」


近所の小さい子を相手にするような感覚で初美の頭を撫でる。

彼女の案内がなければ、自分は未だにあの辺りをグルグル回っていたかもしれない。

ホッと一安心する京太郎だが、頭を撫でられている初美はふくれっ面になっていた。


「むうー……私は、年上なのですがー」

「え? うっそだー」

「むむー! 生意気ですよー!!」


早朝の澄んだ空気の中に、初美の叫び声が響き渡った。


霞や小蒔にも話を聞いたところ、日が登っている時間帯ならば一人で出歩いても特に問題はないらしい。

何でも「人が起きて活動している時間」というのを認識することが大事なのだとか。

そんなわけで、元が体育会系の京太郎はウズウズする気持ちを抑えきれずに、屋敷の中を探索することにした。



「……ん?」


塵一つ落ちていなかった廊下に、日光を反射して光っている何かが落ちている。

拾い上げようと指で摘まんだら砕けてしまった。


「何かのカスか?」


よく見ると、辺りに点々と似たようなカスが落ちている。

まるでヘンゼルとグレーテルのパンくずのように、廊下の曲がり角まで点々と続いている。


「何だこりゃ……」


何となく、この光景が許せなくて。

京太郎はカスの一つ一つを拾い上げながら進み、やがて廊下の曲がり角まで差し掛かり――


「……」


「……」

「……」


ぽりぽり。

曲がり角の先には、黒糖を貪る巫女さんがいました。

互いに目があって沈黙するが、巫女さんの黒糖を食べる手の動きが止まることはない。


「……成る程」


歩きながら黒糖を食べていたせいで、細かいカスが零れたと。

つまり、廊下に点々と落ちていたものは彼女のせいだと。

この屋敷に来たばかりの京太郎でも、流石にこの状況には言いたい事がある。


「……あの」

「あげる」

「むぐっ!?」


一言、文句を言ってやろうと口を開いたら口に黒糖を押し込まれた。

それも一つではなく、三つ。

零さないように慌てて両手で口を抑えて黒糖を咀嚼する。


「んぐっ……はぁ」

「……?」

「あ、あのだな……!」

「手、見せて」

「あ、ああ……?」


何とか黒糖を噛み砕いて飲み込み、今度こそと意気込んだら手を取られた。

指先をまじまじと見つめる彼女の意図が、京太郎には理解できない。


「ぺろっ」

「ひゃっ!?」

「……甘い」


そりゃ、さっきまで黒糖拾いしてたからだ。

そう、口を開こうとしたが――


「ぺろっ?……ぺろ」

「ひゃんっ」


再び指を舐められて蹴躓いた。

彼女の舌が指に触れる度にゾクゾクした感覚が背筋を走り、上手く喋ることができない。

指がふやけてシワシワになるまで、京太郎は指を舐められ続けた。





すっかり骨抜きにされた京太郎は、その場にへたり込んだ。

それを見て満足したのか、彼女はそそくさと離れて行った。


「くぁ……」


指先はまだ湿っている。

それはつまり、さっきまで彼女が舌を這わせていたということで――


「……いやいや」


変なことを考えるのはよそう。

今するべきことは、この廊下の掃除。

その為にはまず、バケツと雑巾を借りて来なければ。


「……」

「おわっ!?」


立ち上がって振り向くと、さっきまで京太郎の指を舐めていた彼女が戻ってきていた。

再び目が合い、沈黙する。

一つ違う点があるとすれば、手に持っているものが黒糖から雑巾と水の入ったバケツに変わっている。


「……掃除、する?」

「あ……あぁ」


どこまでもマイペースな巫女さんだと思いながら、京太郎は彼女と並んで廊下の掃除を始めた。



廊下の掃除をしながら京太郎が彼女から聞いた話によれば、彼女の名前は滝見春であるということを知った。

ついでに彼女が第一印象と変わらず、常にマイペースな性格をしているということも。


「へぇ、じゃあ春も俺と同じ学年なのか」

「うん」

「じゃあ、もしかしたら高校も同じになったりとか――は、ないか。霞さんたちと同じとこに進学するなら永水だもんな」


永水女子はお嬢様校。

彼女だけが違う高校に進学するとは考えにくい。

そして当然、京太郎は女子校に進学することはできない。


「いや……そうでもない」

「え?」

「近いうちに共学化すると、聞いた」

「……マジで?」

「うん。それに――」



――今更、違う高校に進むなんて。


「……それに?」

「……忘れた」

「……おいっ」


きっと、誰も許さない。

神代小蒔は焦らない。

「京太郎くんっ♪」

今は、ただ一緒にいるだけで幸せだから。


狩宿巴は焦らない。

「あー、ごめんね。また春ちゃんが……」

まだ、彼女は何も感じてはいないから。


滝見春は焦らない。

「……ぺろっ」

もっと待った方が、美味しくなりそうだから。


薄墨初美は焦らない。

「むーっ! 生意気なのですよー!」

焦っては全てが台無しになると、分かっているから。


石戸霞は焦らない。

「ふふ……少し、休む?」

そうすることで、彼が悲しむと分かるから。



だから、誰も焦らない。

ある意味で、皆が皆を尊重している。

そんな関係を維持しながら、京太郎が永水に入学するまでの日々が過ぎて行った。


【永水出会い編 了】


知っていますか、ゆーき?


「犬ーっ! 今日も付き合ってもらうじぇー!!」

「はぁ!? タコスバイキングなんてそう何度も行けるか阿保っ!」

「なにおーっ!」



知っていますか、咲さん?


「京ちゃん、ちょっと欲しい本があるから付き合って欲しいんだけど……」

「ん? 本屋行くだけだろ?」

「ちょっと欲しいのが多過ぎて……」

「ああ、成る程ね……」



あなたたちが彼と触れ合っている時も、彼の視線は、私に向いているんですよ?

彼も男の子ですからね――なんて。


「ふふっ……」


例えばこうして、エトペンに胸を預けたりして。

そうすると、ほら――あなたたちよりも、私の方が大事みたいですね。


「あぁ……」


――可愛いです、須賀くん。

私の胸に釘付けになっているあなたが、私の考えた通りに動くあなたが。

本当に可愛くて――

「食べちゃいたい、なんて……♪」

【お病すみのどっち】




可愛い後輩から、愛しい人へ。

私の中の印象が変わったのは、いつからだろう。


「頼まれて来たもの、持って来ましたよー」

「ありがとう、須賀くん♪」

部活の為に雑用を頑張る姿が好き。


「ぐぬぬ……」


弱いなりに頑張って打つ姿が好き。


『カモ連れて来たぞー』


咲を連れて来てくれた彼が好き。


『うわ、張り付くなよ!』


優希とじゃれあっている彼が好き。


『お、おう……ありがとう、教えてくれて』


和に指導を受けながらも、目線がわかりやすい彼が好き。


『こんなのどうすか?』


まことメニューについて話し合ってる彼が好き。


もう何だっていい。

とにかく私は、彼が――

「俺、苦手なんだよね。あの人」


「雑用……ってのも、まぁ。正直に言うとあるけどさ」

「ただ何つーか、あの人と一緒にいると空気が変な感じで」

「嫌……ってわけじゃないんだけど、何か……むず痒いっつーか……」



「……ん? 何か今変な落としなかった?」

「よし、ちょっと見てくる」


「あれ、何も無い……気のせいか?」



私は、彼が好き。




彼が好き。

――私から遠ざかる足が嫌い。


彼が好き。

――私を拒む手が嫌い。


彼が好き。

――私を見ない目が嫌い。


彼が好き。

――私と話さない口が嫌い。


彼が好き。



私は、彼が好き。




「こうしてれば……よっと」

「ふう……狭いとこって落ち着くのよね。何故か」

「そう思わない?」

「んー……まぁ、いいけど」

「ん、だけど流石に狭過ぎるか……じゃ、コレで……良し」

「これで……」

「これで、心から正直に」

「あなたに、想いを伝えられるわ」



「須賀くん――私は、あなたのことが」

「世界で一番、大好きです」



【好きな人に好きなことを好きなところで】





真っ白な部屋。

俺と、ベッドと、名前も知らない女の子。

それだけしかない部屋の中。

いつからここにいるのかは分からない。


「お食事の時間ですよーぅ」

「ぁあ、う……」


ただ、目が覚めた時は既に全身が麻痺しているような状態で。

喋ることすら難しいのに自分が生きているのは、彼女のお陰ということしか分からない。


「ほーら、食欲が無くてもしっかり食べないと良くなりませんよー?」


スプーンと、流動食の入った皿を渡される。


「ぁ、ああ……」


腕が震える。スプーンを掬えない。

上手く口まで運びきれず、胸にベタベタ零れる。


「あー、仕方ないですねー」


そうすると、彼女は困ったように眉を八の字に曲げて、自分から皿とスプーンを取り上げる。

そのまま流動食を口に含むと、まるで鳥の親が雛に餌を与える時のように。

口から口へと、強引に流し込んでくる。


「……ぷはっ、まだまだありますからねー。おかわりしますー?」


いつもいつも、こうやって。

排泄の世話すら、嫌な顔一つせず。

まるで、自分がいないと生きていけないと、刷り込ませるように。


「早く良くなりますように。私も応援してますからー」


それが、いつになるかは分からない。

だけど、例え俺が外に出られる日が来るとしても。

この人は、いつまでも側にいるような気がした。

【献身】


「あ、モモ! ちょっと待ってくれー」


廊下で後輩の『匂い』を嗅ぎ取り、ふと用事があったことを思い出してすれ違った後輩の袖を掴んだ智美だが。


「はい?」

「アレ?」


振り向いた人物は桃子ではなく、鶴賀麻雀部唯一の男子部員だった。

互いに目が点になり、智美は京太郎から手を離すとバツが悪そうに頰をかいた。


「あれー? おかしいなー」

「それはこっちの台詞ですよ。何で俺とモモを間違えるんですか」

「何でって……匂い?」

「はぁ……」


袖の辺りをクンクンと嗅いでも、京太郎には智美の言う『匂い』は理解出来なかった。

そんな京太郎に、智美が直に匂いを嗅ごうと顔を近付けるが――


「いづっ!?」

「どうしました!?」


背後から思いっきり髪を引っ張られたような強烈な痛みを感じて後退る。

キョロキョロと辺りを見渡してもいるのは京太郎だけだ。


「むー? 気のせいか? まぁ、後でモモを見付けたらよろしく言っておいてなー?」

「あぁ……はい、分かりました」




「きょーうさんっ」

「わっ!? 驚かすなよ、全く……ああ、さっき先輩が呼んでたぞ」

「いいっすよ別に。多分大したことないし」


彼は、それなりに人気がある。

そこそこ整った顔立ちと、明るくて誰にでも話しかけられる性格。


「えへへ……」


だけど、彼のことを一番良く知っているのは自分だ。

彼の好みの漫画やゲーム、コーヒーに砂糖を何杯入れるのか何てものは序の口。

部屋の中の家具の配置は勿論、風呂で体を洗う順番から行為に用いる本の種類まで。

唯一桃子が知らないのは、京太郎の心の中だけだ。


「お休みなさい、京さん……」


今日も眠りに付いた京太郎の額、瞼、鼻、唇にキスをする。

京太郎が他の女と話した回数だけ、上書きするように。


「ずーっと一緒にいたいなぁ……」


京太郎の胸に頰を押し付け、桃子は目を閉じた。


【揺り籠から墓場まで】

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最終更新:2026年01月05日 19:15